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01章:突飛な出会いと旅立つ日。
06:~はじまりの福音。~[後編]
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重い扉の先は、艶々と光が反射している白い大理石の壁や床で構成されており、見上げないといけないほど背の高い天井から下がる暖かい橙色のライトはシャンデリアみたいで小洒落ている。
廊下に立ち並ぶ黒い漆塗りの扉たち、傷1つない窓ガラス。中庭の小さな噴水と華やかな花の庭園――
まるで幻想世界に迷い込んでしまったかのようだ。そう錯覚させるような美しい内装には、己が場違いのような感じがしてならない。しかし、同時にちょっとした観光をしている気分にもなる。
忙しなく建物の中を見渡し、全体に大胆なサイズの装飾を見上げながら「姉貴たちが見たら大はしゃぎしていただろうな」と、以前、家族旅行で薔薇の庭園に立ち寄った時のことを思い出した。
お姫様の気分になった少女時代の彼女らは、美しい花々を愛で、絵本の城のような風景に目を輝かせてはしゃいでいた。
あの頃はまだ可愛らしかったと、ふっと口許が緩み、慣れないところに足を踏み入れたことにより、体を強張らせていた緊張感が少しだけ緩和されていた。
だが、すぐさま薄ぼんやりと残る思い出から脱出した鈴丞は首を横に振ると、先導するフランの旋毛を見下ろして恐る恐る問うた。
「な、なあ……なんでこんなところに来たんだよ」
「え?ああ……一緒に旅に出るんだし、ボクの父さんに紹介しておこうと思ってね。父さんね、ここの理事長をしているんだ」
「俺、一言も行くなんて言ってねえんだけど?」
「まあまあ、良いじゃない」
「いや、良くねえよ」
幅の広い階段を上りながらケラケラと高らかに笑うフランと、数段先を行く少年を恨めしそうにじとりと見上げる鈴丞。
鈴丞は、鼻歌混じりのフランの回答に強めの口調で食い気味に返事をしたのだが、少年はわざとらしいそれに一切顔色を変えず、寧ろ無邪気な笑みを深めて可笑しそうに笑い続けていた。
持ち合わせていた『巻き込まれ体質』のせいでついた諦めの早さのせいなのか、あの幼馴染の笑顔に重なる稚い笑顔に弱いのか、思い立ったが吉日と、猪突猛進に進む少年には「しょうがねえな」と折れてしまうような魅力があった。彼を見ていると、不思議と反論する気力さえ失せてしまうのだ。
「――大体、何で俺なんだ?」
「どこで襲われるかも分からない場所を歩いて旅をするんだ。子ども1人じゃリスクがありすぎるからね、能力を持っている大人が一緒にいてくれないと。大体ボク、いくら頭が良くても能力を持っていないし、戦えないからさ」
「でも、あんな突拍子もない能力を持ってる俺じゃなくてもちゃんと使いこなせる強い奴がいるだろ?」
「それもそうなんだけど……。ボク、護衛を頼みたいわけじゃないから、強いだけじゃなくて人としても合う人じゃないとね。ボクはキミの能力じゃなくて、キミ自身にピンときたんだよ。面白そうだし」
「面白そう……?」
「うん」
俺がか……?と信じられない思いで目を見開く鈴丞の問い掛けに頷いたフランは、たんたんっと軽快な靴音を立てて最後の数段を上りきり、勢いで数歩進んだ先で立ち止まる。
その小さな姿を追って、ようやく辿り着いた最後の1段に足を掛けて顔を上げると、目の前には視界いっぱいに広がる大きなステンドグラスが現れたのだ。
傷どころか、曇り1つない洗礼された繊細な作りのそれは、フィレーヌの街の風景が描かれているらしい。
セントラ大学に似た建物と、白い街の風景が描かれている。鈴丞が知る街並みとは少し異なるようだが、この大学の歴史は深いと聞く。恐らく、大学が設立された当初の風景なのだろう。
目一杯に広がる色とりどりの硝子の絶景は、透き通った金糸に色のついた光を乗せた。
さらさらと揺れるプラチナブロンドをダンスホールのように見立てた光の粒子は踊る。重なり合い、そして離れる。
その様を鈴丞に見せるけるかのように、くるくると忙しなく、そして楽しげに揺れ動いていたが、ダンスホールの主であるフランは、カラフルな光のヴェールを被せられていたことには気付きもしなかった。「早く行こう」と、光のダンスに見惚れていた青年を急かしつつ、ワインレッドのカーペットの上を滑るように颯爽と粒子の届かない影へと入ってしまった。
光たちにひと時の楽しい思い出を与えたフランは、フロアに唯一佇んでいる突き当たりのドアの前に立った。
セントラ大学の玄関口よりかはいくらか親しみやすい雰囲気をしているが、それでも厳格な漆塗りのドアを2度ノックする。
しかし、その行動は意味を成さなかった。返事を待たずして「入るよ」と声に出したフランは、勢い良くドアを開けたからだ。
ひんやりとした影ばかりの廊下とは裏腹に、暖かく和やかな風が部屋の中から吹いてくる。そこは、ジメジメと重い空気が充満していた廊下の印象を一掃するように、明るく鈴丞たちを出迎えた。
神々しい光を纏う室内に吸い込まれるように2人は足を踏み入れた。
彼らが外にいた頃には、濃厚な灰色の雲が覆っていたはずだった太陽の眩さに目を細め、つんとする瞳を細めると、窓際に立つ穏やかな笑みを浮かべた髭の男がこちらを見ているのが目視出来る。
ふわりと柔和な瞳をしている彼は、どこか絶対的は威圧感があったのだ。ふと視線が合うとじんわりと腹内に緊張が迸る。国の王に謁見しているような感覚は、鈴丞の体を硬直させ、姿勢正しく直立させた。
しかし、その威厳をものともしないフランは、彼を「父さん」と呼び、駆け足で跳ねるように近付いたのだ。
この男が。鈴丞は瞠目する。
容姿はお世辞にもあまり似ているとは言い難いが、2人の持つ雰囲気や瞳の色、髪の色、口調や仕草なんかはそっくりで、十分に彼らが親子であることは証明されている。
「フラン、あの子は?」
「噂の海外から来た運命られた人の神東鈴丞。さっき街で会ったんだ」
「へえ、そうなのかい」
親子の再会を喜んでいたのも束の間、猫背を伸ばし、真っ直ぐな姿勢を崩さない鈴丞の存在に気が付いたフランの父は、息子の話に耳を傾けながら、興味ありげに碧色の目を丸くして鈴丞の姿を眺めた。
顎に手を当てて、昆虫でも観察するかのような視線は、鈴丞にとってとても居心地が悪い。ぐっと咥内に溜まっていた唾を嚥下した鈴丞の体は、焦げ茶色の視線がなるべく正面を向かないようにと斜め上に逃げていく。
「――うん。それでね。ボク、この人と旅に出ようと思って父さんに紹介しに来たんだ」
「ずっと旅してみたいって言っていたしね。私はいいと思うよ」
随分と子どもらしい強請るような声色のフランの提案に相槌を打ち、1歩1歩と確実に鈴丞に近付いた。
のほほんとした垂れ目と視線が合えば、たちまちその深い紺碧海に吸い込まれてしまいそうな感覚になる。ニコニコと優しい笑みを浮かべ逸らされることのない彼の視線は、鈴丞に近付く毎に深く突き刺さる。ちくちくと痛む視線から逃走する瞳は、とうとう天井にまで移動させられた。
鈴丞には、こんなにも長く見詰められる経験が記憶の限りなかったのだ。
「ッ……」
不躾な鈴丞の態度に憤ることもなく、彼は己の視線から逃げ続ける彼の挙動不審でぎこちない行動におかしなものを見たかのようにくつくつと笑うと、鈴丞よりも高い身長を生かして、じっくりとその顔を覗き込んだ。
うっすらと開かれた瞳の奥には揶揄うような色が隠されている。冷やかしているのか、鈴丞の本質を見抜こうとしているのか、はっきりとしない瞳は、フランとそっくりだ。
ついさっき見たフランのエメラルドの瞳を思い出し、ぐ、と唸る。
「私はトーマス・アドクロム――このセントラ大学の理事長を勤めています。よろしくね」
「あ、ああ……こちらこそよろしく……」
「フランのことも。少々活発な子だから、着いていくのも大変だろうけれど、面倒を見てやってくれるかい?」
「はあ……」
まだ、一緒に旅に出ることに同意した記憶はないのだが。
歯切れの悪い鈴丞の返答や真実を語る思いは、トーマスに伝わることはなかった。強引に鈴丞の手を取った彼は強制的に握手を求める。
フランのように無邪気に振り回すことはしなかったが、強張る手を優しく包み込んでいる彼の力には、どこか強い意思がある。念を押すように「よろしくね」と改めて言われてしまうと、鈴丞にはもう、頷くより他の選択肢は切り捨てられていた。
「終わった?」
「お……おう……」
「うん。よし、じゃあ行こうか」
「いってらっしゃい。いいものが見つかるといいねえ」
鈴丞だけが感じていた重苦しい空気に耐えきれず、助けを求める焦げ茶色の視線に気付いたフランは、くるくると回転させて遊んでいた椅子から立ち上がり、2人が立つ出入り口の前まで跳ねるようにやってくる。そして、「行ってきまあす」と鈴丞の腕をむんずと掴みつつ、父親に見向きもせずに通り過ぎた少年は、にこやかなまま手を振っているトーマスに手を振り返し、早足で部屋を退室した。
鼻歌混じりの強引な力に引き摺られるように足を動かした鈴丞も、見送るトーマスに慌てて頭を下げ、部屋と廊下の境界を潜る際に、ずっと開いていたドアを後ろ手で閉めていったのだった。
――ぱたむ。と無機質な音を立てて、ドアが閉ざされた瞬間、嵐が過ぎ去ったかのように静寂を取り戻した小さな空間で、トーマスは大きく息を吐いた。
可愛い息子やその友人と会話をするのは楽しかったはずであるのに、ドッと疲労が体の中に舞い込んでくるような気がしてならない。
「もう歳かな……」
そうぼやきながら、のそのそと重たい足取りで、長く愛用しているデスクに戻ると、ギシ、と軋む本革の丈夫な椅子に身を預け、眠たげな垂れ目で窓越しの空を見上げた。
つい数分前には、誰も予想だにしなかった急雨に見舞われていたはずだが、今は澄み切った青い空が一面に広がっている。様々な形の白い雲が浮かぶその様はどこか愛らしい。ふふふ、と愛おしさが笑い声になって溢れる彼が脳内に思い浮かべているのは、ついさっき目の前に現れた2人の子どもたちのことだった。
「――全く、運命というものは、案外容易く信じていいものなのかもしれないねえ」
痛快に顔をしわくちゃにして呟いたトーマスは、上品な欠伸を1つすると、睡魔がもたらす眠りの泥濘に逆らうことなく、ゆっくりと目を閉ざした。数刻もしないうちに静かな寝息を立て始める。
息子たちの旅路を祝福する夢を見ながら。
廊下に立ち並ぶ黒い漆塗りの扉たち、傷1つない窓ガラス。中庭の小さな噴水と華やかな花の庭園――
まるで幻想世界に迷い込んでしまったかのようだ。そう錯覚させるような美しい内装には、己が場違いのような感じがしてならない。しかし、同時にちょっとした観光をしている気分にもなる。
忙しなく建物の中を見渡し、全体に大胆なサイズの装飾を見上げながら「姉貴たちが見たら大はしゃぎしていただろうな」と、以前、家族旅行で薔薇の庭園に立ち寄った時のことを思い出した。
お姫様の気分になった少女時代の彼女らは、美しい花々を愛で、絵本の城のような風景に目を輝かせてはしゃいでいた。
あの頃はまだ可愛らしかったと、ふっと口許が緩み、慣れないところに足を踏み入れたことにより、体を強張らせていた緊張感が少しだけ緩和されていた。
だが、すぐさま薄ぼんやりと残る思い出から脱出した鈴丞は首を横に振ると、先導するフランの旋毛を見下ろして恐る恐る問うた。
「な、なあ……なんでこんなところに来たんだよ」
「え?ああ……一緒に旅に出るんだし、ボクの父さんに紹介しておこうと思ってね。父さんね、ここの理事長をしているんだ」
「俺、一言も行くなんて言ってねえんだけど?」
「まあまあ、良いじゃない」
「いや、良くねえよ」
幅の広い階段を上りながらケラケラと高らかに笑うフランと、数段先を行く少年を恨めしそうにじとりと見上げる鈴丞。
鈴丞は、鼻歌混じりのフランの回答に強めの口調で食い気味に返事をしたのだが、少年はわざとらしいそれに一切顔色を変えず、寧ろ無邪気な笑みを深めて可笑しそうに笑い続けていた。
持ち合わせていた『巻き込まれ体質』のせいでついた諦めの早さのせいなのか、あの幼馴染の笑顔に重なる稚い笑顔に弱いのか、思い立ったが吉日と、猪突猛進に進む少年には「しょうがねえな」と折れてしまうような魅力があった。彼を見ていると、不思議と反論する気力さえ失せてしまうのだ。
「――大体、何で俺なんだ?」
「どこで襲われるかも分からない場所を歩いて旅をするんだ。子ども1人じゃリスクがありすぎるからね、能力を持っている大人が一緒にいてくれないと。大体ボク、いくら頭が良くても能力を持っていないし、戦えないからさ」
「でも、あんな突拍子もない能力を持ってる俺じゃなくてもちゃんと使いこなせる強い奴がいるだろ?」
「それもそうなんだけど……。ボク、護衛を頼みたいわけじゃないから、強いだけじゃなくて人としても合う人じゃないとね。ボクはキミの能力じゃなくて、キミ自身にピンときたんだよ。面白そうだし」
「面白そう……?」
「うん」
俺がか……?と信じられない思いで目を見開く鈴丞の問い掛けに頷いたフランは、たんたんっと軽快な靴音を立てて最後の数段を上りきり、勢いで数歩進んだ先で立ち止まる。
その小さな姿を追って、ようやく辿り着いた最後の1段に足を掛けて顔を上げると、目の前には視界いっぱいに広がる大きなステンドグラスが現れたのだ。
傷どころか、曇り1つない洗礼された繊細な作りのそれは、フィレーヌの街の風景が描かれているらしい。
セントラ大学に似た建物と、白い街の風景が描かれている。鈴丞が知る街並みとは少し異なるようだが、この大学の歴史は深いと聞く。恐らく、大学が設立された当初の風景なのだろう。
目一杯に広がる色とりどりの硝子の絶景は、透き通った金糸に色のついた光を乗せた。
さらさらと揺れるプラチナブロンドをダンスホールのように見立てた光の粒子は踊る。重なり合い、そして離れる。
その様を鈴丞に見せるけるかのように、くるくると忙しなく、そして楽しげに揺れ動いていたが、ダンスホールの主であるフランは、カラフルな光のヴェールを被せられていたことには気付きもしなかった。「早く行こう」と、光のダンスに見惚れていた青年を急かしつつ、ワインレッドのカーペットの上を滑るように颯爽と粒子の届かない影へと入ってしまった。
光たちにひと時の楽しい思い出を与えたフランは、フロアに唯一佇んでいる突き当たりのドアの前に立った。
セントラ大学の玄関口よりかはいくらか親しみやすい雰囲気をしているが、それでも厳格な漆塗りのドアを2度ノックする。
しかし、その行動は意味を成さなかった。返事を待たずして「入るよ」と声に出したフランは、勢い良くドアを開けたからだ。
ひんやりとした影ばかりの廊下とは裏腹に、暖かく和やかな風が部屋の中から吹いてくる。そこは、ジメジメと重い空気が充満していた廊下の印象を一掃するように、明るく鈴丞たちを出迎えた。
神々しい光を纏う室内に吸い込まれるように2人は足を踏み入れた。
彼らが外にいた頃には、濃厚な灰色の雲が覆っていたはずだった太陽の眩さに目を細め、つんとする瞳を細めると、窓際に立つ穏やかな笑みを浮かべた髭の男がこちらを見ているのが目視出来る。
ふわりと柔和な瞳をしている彼は、どこか絶対的は威圧感があったのだ。ふと視線が合うとじんわりと腹内に緊張が迸る。国の王に謁見しているような感覚は、鈴丞の体を硬直させ、姿勢正しく直立させた。
しかし、その威厳をものともしないフランは、彼を「父さん」と呼び、駆け足で跳ねるように近付いたのだ。
この男が。鈴丞は瞠目する。
容姿はお世辞にもあまり似ているとは言い難いが、2人の持つ雰囲気や瞳の色、髪の色、口調や仕草なんかはそっくりで、十分に彼らが親子であることは証明されている。
「フラン、あの子は?」
「噂の海外から来た運命られた人の神東鈴丞。さっき街で会ったんだ」
「へえ、そうなのかい」
親子の再会を喜んでいたのも束の間、猫背を伸ばし、真っ直ぐな姿勢を崩さない鈴丞の存在に気が付いたフランの父は、息子の話に耳を傾けながら、興味ありげに碧色の目を丸くして鈴丞の姿を眺めた。
顎に手を当てて、昆虫でも観察するかのような視線は、鈴丞にとってとても居心地が悪い。ぐっと咥内に溜まっていた唾を嚥下した鈴丞の体は、焦げ茶色の視線がなるべく正面を向かないようにと斜め上に逃げていく。
「――うん。それでね。ボク、この人と旅に出ようと思って父さんに紹介しに来たんだ」
「ずっと旅してみたいって言っていたしね。私はいいと思うよ」
随分と子どもらしい強請るような声色のフランの提案に相槌を打ち、1歩1歩と確実に鈴丞に近付いた。
のほほんとした垂れ目と視線が合えば、たちまちその深い紺碧海に吸い込まれてしまいそうな感覚になる。ニコニコと優しい笑みを浮かべ逸らされることのない彼の視線は、鈴丞に近付く毎に深く突き刺さる。ちくちくと痛む視線から逃走する瞳は、とうとう天井にまで移動させられた。
鈴丞には、こんなにも長く見詰められる経験が記憶の限りなかったのだ。
「ッ……」
不躾な鈴丞の態度に憤ることもなく、彼は己の視線から逃げ続ける彼の挙動不審でぎこちない行動におかしなものを見たかのようにくつくつと笑うと、鈴丞よりも高い身長を生かして、じっくりとその顔を覗き込んだ。
うっすらと開かれた瞳の奥には揶揄うような色が隠されている。冷やかしているのか、鈴丞の本質を見抜こうとしているのか、はっきりとしない瞳は、フランとそっくりだ。
ついさっき見たフランのエメラルドの瞳を思い出し、ぐ、と唸る。
「私はトーマス・アドクロム――このセントラ大学の理事長を勤めています。よろしくね」
「あ、ああ……こちらこそよろしく……」
「フランのことも。少々活発な子だから、着いていくのも大変だろうけれど、面倒を見てやってくれるかい?」
「はあ……」
まだ、一緒に旅に出ることに同意した記憶はないのだが。
歯切れの悪い鈴丞の返答や真実を語る思いは、トーマスに伝わることはなかった。強引に鈴丞の手を取った彼は強制的に握手を求める。
フランのように無邪気に振り回すことはしなかったが、強張る手を優しく包み込んでいる彼の力には、どこか強い意思がある。念を押すように「よろしくね」と改めて言われてしまうと、鈴丞にはもう、頷くより他の選択肢は切り捨てられていた。
「終わった?」
「お……おう……」
「うん。よし、じゃあ行こうか」
「いってらっしゃい。いいものが見つかるといいねえ」
鈴丞だけが感じていた重苦しい空気に耐えきれず、助けを求める焦げ茶色の視線に気付いたフランは、くるくると回転させて遊んでいた椅子から立ち上がり、2人が立つ出入り口の前まで跳ねるようにやってくる。そして、「行ってきまあす」と鈴丞の腕をむんずと掴みつつ、父親に見向きもせずに通り過ぎた少年は、にこやかなまま手を振っているトーマスに手を振り返し、早足で部屋を退室した。
鼻歌混じりの強引な力に引き摺られるように足を動かした鈴丞も、見送るトーマスに慌てて頭を下げ、部屋と廊下の境界を潜る際に、ずっと開いていたドアを後ろ手で閉めていったのだった。
――ぱたむ。と無機質な音を立てて、ドアが閉ざされた瞬間、嵐が過ぎ去ったかのように静寂を取り戻した小さな空間で、トーマスは大きく息を吐いた。
可愛い息子やその友人と会話をするのは楽しかったはずであるのに、ドッと疲労が体の中に舞い込んでくるような気がしてならない。
「もう歳かな……」
そうぼやきながら、のそのそと重たい足取りで、長く愛用しているデスクに戻ると、ギシ、と軋む本革の丈夫な椅子に身を預け、眠たげな垂れ目で窓越しの空を見上げた。
つい数分前には、誰も予想だにしなかった急雨に見舞われていたはずだが、今は澄み切った青い空が一面に広がっている。様々な形の白い雲が浮かぶその様はどこか愛らしい。ふふふ、と愛おしさが笑い声になって溢れる彼が脳内に思い浮かべているのは、ついさっき目の前に現れた2人の子どもたちのことだった。
「――全く、運命というものは、案外容易く信じていいものなのかもしれないねえ」
痛快に顔をしわくちゃにして呟いたトーマスは、上品な欠伸を1つすると、睡魔がもたらす眠りの泥濘に逆らうことなく、ゆっくりと目を閉ざした。数刻もしないうちに静かな寝息を立て始める。
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