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02章:憧れと決意、それから。
10:~衝突。~
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フランと共にフィレーヌの街を出ると、早々に鬱蒼とした深い森が現れた。
城を守護する兵士たちの如く、静まり返っている白い大都市を取り囲んでいることにちなみ、『守護の森』と呼ばれているのだが、その見目は恐ろしいほどに暗く、草木は伸びきって不気味なほどに荒れ果てている。
まるで戦に敗れ、荒廃してしまった街のようにも見える。誰1人として管理する者がおらず、皆から忘れられた都市は朽ちるばかりで。誰かがその存在を思い出す前に、長い年月をかけて細々と繁栄し、ずらりと立ち並んでいたはずの家々は風化し、やがて地面には苔が覆って草木が生い茂った。そして、何百年とかけて誰も寄り付かない樹海が生まれることになるのだろう。
この守護の森も、人通りがあるとは言い難いほどに放置されているようにも見えるのだが、フィレーヌの街へと促すようにたった1本のみ存在している真っ直ぐな小径は、人の往来を思わせる一縷の希望だった。先刻の急雨でぬかるむ土色に残る足跡は真新しく、くっきりと森の奥へと続いていたのだ。
――直線上に続く足跡を踏みつけながら、鈴丞とフランは森の中へと足を踏み入れる。
正午を過ぎ、森の真上から照りつける太陽は燦々と輝いているというのに、足元の野草を踏みつけにしながら1本道を辿ると、次第に木漏れ日すら届かないほど深く、ついさっきまでは健康的で鮮やかに見えた緑色が重い色に変化していく。しかし、森一面を支配する健康的な空気には一切の穢れがなく、心から洗浄されているような気分だ。
競歩のような歩調のせいで弾んだ呼吸を整えるように、ゆっくりと深呼吸をすると、新鮮な酸素が肺の中に流れ込んでくる。そうすると、どんよりと重苦しく荒んでいた心は循環し、少しばかり瑞々しく爽やかになったような気がしたのだ。
「…………静かだな」
葉擦れの音くらいしか聞こえない木々を見上げ、あまりの異様さに猫背を伸ばした鈴丞はぽつりと呟いた。
しんと耳鳴りがするほどの静寂は、まるで何もかもが寝静まって喧騒を失ってしまった丑三つ時のよう。これでは普通に会話をすることさえ憚られる。静かでいて明るい街の賑やかな雰囲気と比べるから尚更だ。
森を横断する鈴丞たちの足元には、木の実やジュエルのようにつやめく果実のついた草花が咲き誇っており、人が開拓しようともしないから、人工物に食料を荒らされる恐れもない木々は、静かな自然界を好む小動物たちにうってつけの場所でだろうに。この森は、小鳥の囀りすら鈴丞たちの耳には入ってこない。
――まるで嵐の夜の前兆だ。
嵐の前の夜、早めに帰宅し、部屋の窓から眺めていた外を思い出しながら、鈴丞はそう思った。
「ああ――この森一帯はエルファーナ族が統治していて、森に住む生き物たちを人間の手から守っているからね。この道の周辺には虫1匹いやしないよ」
「エルファーナ?」
また耳馴染みのない言葉だ。声に出して反芻する。
「この森のどこかに集落を作っている一族のことさ。さっき話した神子って呼ばれる運命られた人の元となった一族の1つだね。普段は人から身を隠して生きているから、ボクたちが見かけることはないんだけど」
「へえ……」
人差し指を天に向けるフランの解説を聞きつつ、何気なく辺りを見回した。だが、鈴丞がまた新たな知識を得たからといってもここは博物館ではないのだ。護るための自然が、そう都合よく人の好奇心に応え、更なる知識を与えてくれるはずもなかった。
人が踏み入れてはならないという森の奥地をくまなく眺める鈴丞の視界に、エルファーナ族が姿を現すことはない。かろうじて風景が見える淡々とした緑は、延々と虚しく仄暗い静寂を保ち続けている。
鈴丞の心の片隅に存在する期待を無視する森に代わって、疑問に答えるフラン曰く、エルファーナを含む、神子の一族の造形は人とそう変わりないという。
彼らの特徴は、澄んだ紫色の瞳と、つんと先端が尖った耳だ。神からの授かりものである容姿《みため》は、天使と見紛うほどの美しさを持ち、まるで神がそっと隠している宝石のよう。種族ごとにも異なる特徴はあるのだが、エルファーナ族は特に愛らしく小柄で、護る風の能力を先天的に持って生まれるという。
一見、一目見ればすぐに見分けがつく特徴を持っており、まだイラストや写真すらも見たことがない鈴丞でも見分けることができそうなものなのだが。「人から身を隠して生きている」という言葉通り、森を通過する者たちの前に、彼らが姿を表すことはない。
そう都合よくお目にかかれるはずもないか。
鈴丞も早々と断念して森の茂みから視線を外した。次の街には大きな図書館があるという。そこでならば、イラストくらいは見ることが出来るだろうか。そうほのかな期待を抱きながら。
――それはそうと、この森にはずっと引きこもっていた鈴丞が、目にしたこともない植物がいくつも伸びているらしい。
彼は今まで植物などには関心を持ったことはなかったが、やはり目新しいものには視線が向いてしまう。彼の視線に映るものは、まるでゲームの世界に出てくる攻撃力が増強されたり、傷を完治させてしまうような回復作用のある薬草のような見目をしている。ファンタジックな見た目には、鈴丞の中でさまざまな想像が展開され、故郷にいた頃はゲームばかりをしていたからか、心躍る愉快な気分になる。
フランの歩行速度について行きながら。あちこちに関心を向けた。
緑の中に存在する赤や青。桃色、黄色などを瞥見する忙しない焦茶色の視線に気付いたフランは気まぐれに解説を行うが、小難しい言葉を扱う専門的な説明は、一切理解することが出来ない。まだ聞いたこともない単語に気が遠くなりつつも、短く返事をして、せめて名称だけは頭に叩き込んだのだった。
「――この辺りではよく見る植物だけど……リンが前に住んでた国にはなかったの?」
足を止めてその場にしゃがみ込むと、角度によって見える色が違う5枚の花弁を指でつつき、ゆらゆらと7色にグラデーションする花を弄ぶ。キラキラと光沢のあるプルメリアのような造形は、色とりどりの小さな野花の中でも最も目立っていた。硝子細工のような輝きを放ち、よく出来た玩具のようにしか見えないのに、手触りや馨る匂いは花そのものだ。その上、中心に触れると黄色い花粉が指につく。
確かに生きている。想像したような能力がないらしいのは少し残念だが。
「こんな不思議な花、見たことないな」
「そうなんだ。じゃあ、キミがいたところにはどんな植物があったの?」
「そうだな……」
フランより先に立ち上がった鈴丞を追い掛けて来た好奇心旺盛な少年は、思案している彼の返答を心待ちにして身を乗り出した。
「あー……、詳しくは説明出来ないぞ」
「それでもいいよ。本当なら見ることも聞くことも出来ない別の国の話は貴重だからね」
「…………」
期待の目を向けている彼のような知識を持たない鈴丞は悩む。なんと説明をすれば良いのだろうと。
青年は、これと行って趣味や特技を持たない平凡な青年であった。絵に描いて説明することもできなければ、鮮明な情景を言葉で表現出来るほどの語彙も持ち合わせてはいない。それなのに、次に続く言葉を待ち続ける少年が満足出来るような説明が出来るのだろうか――
答えを探すかのように、右斜め上に視線を向け、「例えば――」と言葉を絞り出そうとする。その時、必死になって頭を捻る最中に舞い降りてきたのだ。セントラ大学にあった庭園が。そうだ、あの時記憶に浮かんできた花があるではないか。
――――
「ね、じゃあ……5本は?」
「……『あなたに出会えた事の心からの喜び』」
「せいか~い!次はね、24本!」
「『1日中想っています』だったよな」
「うんうん、次は色ね。オレンジは?」
「無邪気と魅惑と絆と信頼……」
「じゃあ、虹色 」
「は?いや、あるのかよそんな色」
「あるのよ。あたしたちでも作れるみたい。ほらここ――」
――――
――そう。薔薇だ。
件の旅行の後、薔薇に魅了されてしまった少女たちは、本数や色によって意味が異なると母に教えられ、必死になって記憶しようと2人揃って薔薇に関する図鑑に毎日張り付いていたものだ。それはそれは執拗に、鈴丞もクイズ形式で暗記させられようとしていたため、興味がないながらにも少しだけ記憶に残っていたのだ。
彼女らが育てていた食紅によって7色に彩られた花弁を持つ薔薇は、さっき見た花に似ている。これならば、と淡い記憶を蘇らせた鈴丞は、期待を募らせて大きな瞳を爛々と輝かせているフランを見下ろした。
その瞬間だった。
ガサガサッ!
突如激しく鋭い音を立て、足元の草むらが揺れたのだ。
静寂の森にふさわしくない雑音だ。青年は口を開いたまま反射的に音のした方向へと顔を向けた。彼の目の前に現れたのは、勢いよく突撃してくる黒い影。姿を捉えられないほどの猛スピードの物体を鈴丞は直視した。
ぶつかる……!
そう頭で理解した時には、もうすでに体が強張り、咄嗟に回避しようと思っても野に根を貼る草の如く、地面と一体化し、足が上手く動かない。
危機に瀕した際、景色がスローモーションのように見えるというのは、どうやら本当らしい。一瞬にして色を失い、セピア色に染まっていく景色は時間の流れが劇的に遅くなったかのように鮮明に見える。連写写真を見ているかのようだ。
だからといって、反射神経が鈍く、硬くなってしまった体が咄嗟に動くはずもないのだ。ゆっくりと動く景色に呆然と立ち尽くす鈴丞は、黒い影と衝突し、勢い余って背中から地面へと転倒してしまった。
受け身を取り損ねた鈴丞は佇んでいた太い木の幹に背中と後頭部を強打する。そして、天地がひっくり返ってしまったと錯覚するほどぐにゃりと視界が歪み、脳髄が震撼するような痛みに悶絶した。
壮絶な激痛に蹲り、絶叫したくなった。のたうちまわりそうな体は1度波打つが、上でもぞもぞと身動ぐそれが、一切の行動を禁じ、彼が痛みに悶えることを許さなかったのだ。
「う、ぐゥ……ッ!!」
「う……うう…………」
激痛と上から押さえ込まれる圧迫感に挟み込まれ、窮屈な思いをした鈴丞は、浅くなる呼吸を整えるために、深く息を吸い込んだ。キシキシと音を立てる骨の痛みに耐え忍びつつも、酸素が回りきらない頭をくらくらと明滅させながら鈴丞は、唯一自由を得ている首を動かし、頭を持ち上げる。眉間に皺を寄せ、気怠い顔を歪ませる彼の腹の上には、赤みがかった紅茶色の長い髪をおさげに結った小柄な少女である。目を覆い隠す長い前髪のせいでその瞳までは見えないが、ふらふらと前後左右に頭をよろめかせている彼女は、意識を朦朧とさせているのだ。
安否を確認しようとした鈴丞は、ふらりと覚束なく頭を俯かせた少女に、びくりと肩を震わせた。あまりにも彼女の顔が近距離にあったためだ。ふわりと大自然の香りが直接鼻腔をくすぐり、思わず飛び退いてしまいそうになる。
――早く彼女から離れないと。
初な少年のように頬を赤らめ、そう思ったのはほんの一瞬のみ――
ボサボサではあるが、さらりと柔らかな髪の隙間から見えた顔色は相当青く、うっすらと開かれていた瞳は、恐怖の色に染まりきっていたのだ。
今にも零れ落ちそうな涙を目の当たりにした鈴丞は、仰け反ったまま動きを止め、はっと息を呑んだ。
「だ……大丈夫、か……?」
「あう……だ、いじょ……ぶ、で……ヒィぃいい!?」
――少女は白黒と点滅する菫色の瞳で、考えるより先に彼女に声をかけた鈴丞の姿を捉えた。
見たこともない黒髪に、こちらを睨んでいるようにも見えるじっとりとした焦茶色の瞳。そっと伸びてくる、大きく無骨な手は、少女を捕らえようとしているように思えて、氷漬けになった心臓を掴み上げられているような気分になった。
そして、悲鳴を上げた少女は、元から青々し買った顔色を更に青くさせ、完全に冷静さを手放してしまったのだ。
怖い、怖い、怖い……!食べられる!!
人を食料とし、脅かす化け物から逃れるため、震える体で後退した少女は、声を掛けようとしてうっすらと口を開く鈴丞の手を跳ね除け、距離をとった。だが、偏狭の道にも限りがあり、勢い余っ彼女は、背後にあった樹木に後頭部を強打すると「痛ァ!?」と絶叫して悶絶する。
永遠に静寂を保っている深い森だからこそ、ゴッと鈍い音と鈴の転がるような濁音が、森全体を蹂躙した5秒間が永遠だと感じてしまうほどだったのだ。
耳を劈くような高い声。ザカザカと葉と布が擦れる音。
激しく肩を上下させて過呼吸気味に吐息した少女は、激突した後頭部をやわやわとさすりながら、生まれたての子羊の如く震える足をよたよたと動かし、案外しっかりと地面を踏み込むと、一目散に森の奥へと走り去っていったのであった――
「大丈夫?リン」
「あ……ああ……」
彼女の向かって伸ばしたまま取り残された手は、唖然とした表情のまま行き場を失って地面に落ちる。フランの言葉に頷き、再度彼女が走り去った方角へと視線を寄越すが、全力疾走で行ってしまった彼女の姿はもうどこにもない。
――嵐のような出来事であった。
皆が熟睡する夜中のうちに走り去る台風のような時間に、2人はぼうっと消えた彼女の影を眺めることしか出来なかった。
城を守護する兵士たちの如く、静まり返っている白い大都市を取り囲んでいることにちなみ、『守護の森』と呼ばれているのだが、その見目は恐ろしいほどに暗く、草木は伸びきって不気味なほどに荒れ果てている。
まるで戦に敗れ、荒廃してしまった街のようにも見える。誰1人として管理する者がおらず、皆から忘れられた都市は朽ちるばかりで。誰かがその存在を思い出す前に、長い年月をかけて細々と繁栄し、ずらりと立ち並んでいたはずの家々は風化し、やがて地面には苔が覆って草木が生い茂った。そして、何百年とかけて誰も寄り付かない樹海が生まれることになるのだろう。
この守護の森も、人通りがあるとは言い難いほどに放置されているようにも見えるのだが、フィレーヌの街へと促すようにたった1本のみ存在している真っ直ぐな小径は、人の往来を思わせる一縷の希望だった。先刻の急雨でぬかるむ土色に残る足跡は真新しく、くっきりと森の奥へと続いていたのだ。
――直線上に続く足跡を踏みつけながら、鈴丞とフランは森の中へと足を踏み入れる。
正午を過ぎ、森の真上から照りつける太陽は燦々と輝いているというのに、足元の野草を踏みつけにしながら1本道を辿ると、次第に木漏れ日すら届かないほど深く、ついさっきまでは健康的で鮮やかに見えた緑色が重い色に変化していく。しかし、森一面を支配する健康的な空気には一切の穢れがなく、心から洗浄されているような気分だ。
競歩のような歩調のせいで弾んだ呼吸を整えるように、ゆっくりと深呼吸をすると、新鮮な酸素が肺の中に流れ込んでくる。そうすると、どんよりと重苦しく荒んでいた心は循環し、少しばかり瑞々しく爽やかになったような気がしたのだ。
「…………静かだな」
葉擦れの音くらいしか聞こえない木々を見上げ、あまりの異様さに猫背を伸ばした鈴丞はぽつりと呟いた。
しんと耳鳴りがするほどの静寂は、まるで何もかもが寝静まって喧騒を失ってしまった丑三つ時のよう。これでは普通に会話をすることさえ憚られる。静かでいて明るい街の賑やかな雰囲気と比べるから尚更だ。
森を横断する鈴丞たちの足元には、木の実やジュエルのようにつやめく果実のついた草花が咲き誇っており、人が開拓しようともしないから、人工物に食料を荒らされる恐れもない木々は、静かな自然界を好む小動物たちにうってつけの場所でだろうに。この森は、小鳥の囀りすら鈴丞たちの耳には入ってこない。
――まるで嵐の夜の前兆だ。
嵐の前の夜、早めに帰宅し、部屋の窓から眺めていた外を思い出しながら、鈴丞はそう思った。
「ああ――この森一帯はエルファーナ族が統治していて、森に住む生き物たちを人間の手から守っているからね。この道の周辺には虫1匹いやしないよ」
「エルファーナ?」
また耳馴染みのない言葉だ。声に出して反芻する。
「この森のどこかに集落を作っている一族のことさ。さっき話した神子って呼ばれる運命られた人の元となった一族の1つだね。普段は人から身を隠して生きているから、ボクたちが見かけることはないんだけど」
「へえ……」
人差し指を天に向けるフランの解説を聞きつつ、何気なく辺りを見回した。だが、鈴丞がまた新たな知識を得たからといってもここは博物館ではないのだ。護るための自然が、そう都合よく人の好奇心に応え、更なる知識を与えてくれるはずもなかった。
人が踏み入れてはならないという森の奥地をくまなく眺める鈴丞の視界に、エルファーナ族が姿を現すことはない。かろうじて風景が見える淡々とした緑は、延々と虚しく仄暗い静寂を保ち続けている。
鈴丞の心の片隅に存在する期待を無視する森に代わって、疑問に答えるフラン曰く、エルファーナを含む、神子の一族の造形は人とそう変わりないという。
彼らの特徴は、澄んだ紫色の瞳と、つんと先端が尖った耳だ。神からの授かりものである容姿《みため》は、天使と見紛うほどの美しさを持ち、まるで神がそっと隠している宝石のよう。種族ごとにも異なる特徴はあるのだが、エルファーナ族は特に愛らしく小柄で、護る風の能力を先天的に持って生まれるという。
一見、一目見ればすぐに見分けがつく特徴を持っており、まだイラストや写真すらも見たことがない鈴丞でも見分けることができそうなものなのだが。「人から身を隠して生きている」という言葉通り、森を通過する者たちの前に、彼らが姿を表すことはない。
そう都合よくお目にかかれるはずもないか。
鈴丞も早々と断念して森の茂みから視線を外した。次の街には大きな図書館があるという。そこでならば、イラストくらいは見ることが出来るだろうか。そうほのかな期待を抱きながら。
――それはそうと、この森にはずっと引きこもっていた鈴丞が、目にしたこともない植物がいくつも伸びているらしい。
彼は今まで植物などには関心を持ったことはなかったが、やはり目新しいものには視線が向いてしまう。彼の視線に映るものは、まるでゲームの世界に出てくる攻撃力が増強されたり、傷を完治させてしまうような回復作用のある薬草のような見目をしている。ファンタジックな見た目には、鈴丞の中でさまざまな想像が展開され、故郷にいた頃はゲームばかりをしていたからか、心躍る愉快な気分になる。
フランの歩行速度について行きながら。あちこちに関心を向けた。
緑の中に存在する赤や青。桃色、黄色などを瞥見する忙しない焦茶色の視線に気付いたフランは気まぐれに解説を行うが、小難しい言葉を扱う専門的な説明は、一切理解することが出来ない。まだ聞いたこともない単語に気が遠くなりつつも、短く返事をして、せめて名称だけは頭に叩き込んだのだった。
「――この辺りではよく見る植物だけど……リンが前に住んでた国にはなかったの?」
足を止めてその場にしゃがみ込むと、角度によって見える色が違う5枚の花弁を指でつつき、ゆらゆらと7色にグラデーションする花を弄ぶ。キラキラと光沢のあるプルメリアのような造形は、色とりどりの小さな野花の中でも最も目立っていた。硝子細工のような輝きを放ち、よく出来た玩具のようにしか見えないのに、手触りや馨る匂いは花そのものだ。その上、中心に触れると黄色い花粉が指につく。
確かに生きている。想像したような能力がないらしいのは少し残念だが。
「こんな不思議な花、見たことないな」
「そうなんだ。じゃあ、キミがいたところにはどんな植物があったの?」
「そうだな……」
フランより先に立ち上がった鈴丞を追い掛けて来た好奇心旺盛な少年は、思案している彼の返答を心待ちにして身を乗り出した。
「あー……、詳しくは説明出来ないぞ」
「それでもいいよ。本当なら見ることも聞くことも出来ない別の国の話は貴重だからね」
「…………」
期待の目を向けている彼のような知識を持たない鈴丞は悩む。なんと説明をすれば良いのだろうと。
青年は、これと行って趣味や特技を持たない平凡な青年であった。絵に描いて説明することもできなければ、鮮明な情景を言葉で表現出来るほどの語彙も持ち合わせてはいない。それなのに、次に続く言葉を待ち続ける少年が満足出来るような説明が出来るのだろうか――
答えを探すかのように、右斜め上に視線を向け、「例えば――」と言葉を絞り出そうとする。その時、必死になって頭を捻る最中に舞い降りてきたのだ。セントラ大学にあった庭園が。そうだ、あの時記憶に浮かんできた花があるではないか。
――――
「ね、じゃあ……5本は?」
「……『あなたに出会えた事の心からの喜び』」
「せいか~い!次はね、24本!」
「『1日中想っています』だったよな」
「うんうん、次は色ね。オレンジは?」
「無邪気と魅惑と絆と信頼……」
「じゃあ、虹色 」
「は?いや、あるのかよそんな色」
「あるのよ。あたしたちでも作れるみたい。ほらここ――」
――――
――そう。薔薇だ。
件の旅行の後、薔薇に魅了されてしまった少女たちは、本数や色によって意味が異なると母に教えられ、必死になって記憶しようと2人揃って薔薇に関する図鑑に毎日張り付いていたものだ。それはそれは執拗に、鈴丞もクイズ形式で暗記させられようとしていたため、興味がないながらにも少しだけ記憶に残っていたのだ。
彼女らが育てていた食紅によって7色に彩られた花弁を持つ薔薇は、さっき見た花に似ている。これならば、と淡い記憶を蘇らせた鈴丞は、期待を募らせて大きな瞳を爛々と輝かせているフランを見下ろした。
その瞬間だった。
ガサガサッ!
突如激しく鋭い音を立て、足元の草むらが揺れたのだ。
静寂の森にふさわしくない雑音だ。青年は口を開いたまま反射的に音のした方向へと顔を向けた。彼の目の前に現れたのは、勢いよく突撃してくる黒い影。姿を捉えられないほどの猛スピードの物体を鈴丞は直視した。
ぶつかる……!
そう頭で理解した時には、もうすでに体が強張り、咄嗟に回避しようと思っても野に根を貼る草の如く、地面と一体化し、足が上手く動かない。
危機に瀕した際、景色がスローモーションのように見えるというのは、どうやら本当らしい。一瞬にして色を失い、セピア色に染まっていく景色は時間の流れが劇的に遅くなったかのように鮮明に見える。連写写真を見ているかのようだ。
だからといって、反射神経が鈍く、硬くなってしまった体が咄嗟に動くはずもないのだ。ゆっくりと動く景色に呆然と立ち尽くす鈴丞は、黒い影と衝突し、勢い余って背中から地面へと転倒してしまった。
受け身を取り損ねた鈴丞は佇んでいた太い木の幹に背中と後頭部を強打する。そして、天地がひっくり返ってしまったと錯覚するほどぐにゃりと視界が歪み、脳髄が震撼するような痛みに悶絶した。
壮絶な激痛に蹲り、絶叫したくなった。のたうちまわりそうな体は1度波打つが、上でもぞもぞと身動ぐそれが、一切の行動を禁じ、彼が痛みに悶えることを許さなかったのだ。
「う、ぐゥ……ッ!!」
「う……うう…………」
激痛と上から押さえ込まれる圧迫感に挟み込まれ、窮屈な思いをした鈴丞は、浅くなる呼吸を整えるために、深く息を吸い込んだ。キシキシと音を立てる骨の痛みに耐え忍びつつも、酸素が回りきらない頭をくらくらと明滅させながら鈴丞は、唯一自由を得ている首を動かし、頭を持ち上げる。眉間に皺を寄せ、気怠い顔を歪ませる彼の腹の上には、赤みがかった紅茶色の長い髪をおさげに結った小柄な少女である。目を覆い隠す長い前髪のせいでその瞳までは見えないが、ふらふらと前後左右に頭をよろめかせている彼女は、意識を朦朧とさせているのだ。
安否を確認しようとした鈴丞は、ふらりと覚束なく頭を俯かせた少女に、びくりと肩を震わせた。あまりにも彼女の顔が近距離にあったためだ。ふわりと大自然の香りが直接鼻腔をくすぐり、思わず飛び退いてしまいそうになる。
――早く彼女から離れないと。
初な少年のように頬を赤らめ、そう思ったのはほんの一瞬のみ――
ボサボサではあるが、さらりと柔らかな髪の隙間から見えた顔色は相当青く、うっすらと開かれていた瞳は、恐怖の色に染まりきっていたのだ。
今にも零れ落ちそうな涙を目の当たりにした鈴丞は、仰け反ったまま動きを止め、はっと息を呑んだ。
「だ……大丈夫、か……?」
「あう……だ、いじょ……ぶ、で……ヒィぃいい!?」
――少女は白黒と点滅する菫色の瞳で、考えるより先に彼女に声をかけた鈴丞の姿を捉えた。
見たこともない黒髪に、こちらを睨んでいるようにも見えるじっとりとした焦茶色の瞳。そっと伸びてくる、大きく無骨な手は、少女を捕らえようとしているように思えて、氷漬けになった心臓を掴み上げられているような気分になった。
そして、悲鳴を上げた少女は、元から青々し買った顔色を更に青くさせ、完全に冷静さを手放してしまったのだ。
怖い、怖い、怖い……!食べられる!!
人を食料とし、脅かす化け物から逃れるため、震える体で後退した少女は、声を掛けようとしてうっすらと口を開く鈴丞の手を跳ね除け、距離をとった。だが、偏狭の道にも限りがあり、勢い余っ彼女は、背後にあった樹木に後頭部を強打すると「痛ァ!?」と絶叫して悶絶する。
永遠に静寂を保っている深い森だからこそ、ゴッと鈍い音と鈴の転がるような濁音が、森全体を蹂躙した5秒間が永遠だと感じてしまうほどだったのだ。
耳を劈くような高い声。ザカザカと葉と布が擦れる音。
激しく肩を上下させて過呼吸気味に吐息した少女は、激突した後頭部をやわやわとさすりながら、生まれたての子羊の如く震える足をよたよたと動かし、案外しっかりと地面を踏み込むと、一目散に森の奥へと走り去っていったのであった――
「大丈夫?リン」
「あ……ああ……」
彼女の向かって伸ばしたまま取り残された手は、唖然とした表情のまま行き場を失って地面に落ちる。フランの言葉に頷き、再度彼女が走り去った方角へと視線を寄越すが、全力疾走で行ってしまった彼女の姿はもうどこにもない。
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