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02章:憧れと決意、それから。
13:恐怖と提案。[前編]
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どこまでも大きく、天空へと伸びている深緑色の針葉樹。神聖な空気をその身に纏い、森の中心で島を見渡しているその様は、まさしく『守護の森』に存在するに相応しい大樹であった。
鈴丞は、堂々たる佇まいをしているその大木に一瞬で目を奪われた。そのぼんやりとした瞳に、緑を映し、ほう、と感嘆の息を吐き出す。是が非でも頂を拝もうと背中を反らせて天を見上げ、ゆっくりと半歩ずつ後退すると、その全貌を視界いっぱいに収めようとしている。
そして、フランは惚けた顔をして口を開けながら頭上を見上げている鈴丞を他所《よそ》に、大股で大樹に接近したのだ。
逞しく育った木の枝を1本1本観察しつつ、ゆっくりと幹の周りを旋回する。間違い探しをするように何周も繰り返し回っているため、延々とそれを続けているのかと思えば、ぴったりと足を止め、鈴丞と同じように天を仰ぎながらキョロキョロ視線だけを動かしている。その若葉色の相貌には、葉と葉の隙間から降り注ぐ白い陽光が反射して作り出す葉脈のようなプリズムが揺らめいていた。
2人揃って口を閉ざし、黙り込んでしまったため、吹き抜ける風の音さえもはっきりと耳に届きそうな静かな時間がその星が朽ちるまで永遠に続くと錯覚できるほどであった。しかし――
「わッ!!!」
「うおッ!?」
ほんの刹那、時間の流れを遅くしていた和やかで澄んだ空気を切り裂く1本の声がその森の中に走ったのだ。その音はあまりにも大きく、唐突にがなり立てた閃光に喫驚した小鳥たちは、バサバサと音を立てて飛び立ち、草むらに潜んでいた小動物たちは、きのみを放り出して慌てて逃げ出す。そして、鈴丞も平穏な日常を唐突に崩された彼らと同じように、心から肩を跳ねさせ、ヒュ、と短く喉を鳴らした。息潜めて瞠目し、少年をまじまじと凝視した頃には、偏狭的な道にあるような静寂が完成し、つい先刻までは意識せずとも聞こえていたはずの心地の良い大自然の合唱は、すっかりと終演してしまっていたのだった。
「な……何だよ急に――」
残響として残っている気がするフランの声に僅かに声を顰め、彼を問い詰めるような口ぶりで話し掛けたのも束の間、鈴丞の頭上は一瞬にして薄暗く曇る。何ものかが太陽を覆い隠すかのように。
それに気付いたと同時に言葉を中断して視線を宙に寄越した。
――するとどうだろう。
記憶に新しい甲高い絶叫と共に、何者かが鈴丞の頭上に落下してくるではないか。
「ヒ、キャァァァァア!!」
「ぃ”!?」
短くひっくり返ったような悲鳴を上げた鈴丞のために、それが空中で止まるわけでもなく、重力に従い、空から降り落ちてくる人影。木漏れ日が逆光となり、はっきりと姿を見せないその黒い物体に目を見開いた。
今度はスローモーションなどには見えず、瞬きを1つしている間に彼女の臀部に押し潰された鈴丞の薄い体は、あっという間に地面に平伏することになったのだ。
「またかよ……っ」
そう響いた悲痛な声は、少女の悲鳴と体重に掻き消され、誰の耳にも届かないまま消え去る。
「い、たぁ……な、なにぃ……??」
2度も頭を強打し、朦朧とした頭で思う鈴丞に追加でダメージを負わせたそれの正体は、先刻も彼のことを撃墜した少女であった。尻に敷いている青年の存在に気付かない彼女は、鈴丞の上でもぞもぞと体を動かしている。その度に苦悶の声を上げた鈴丞は、顔を押し付けている新鮮な土の香りを味わうことになった。
鈴丞の上で蹲る少女もまた、落ちた際に後頭部を強打したのだろう。縮こまって震えながら頭を押さえている。俯いた顔は相変わらず血色が悪い。鈴の転がるような声で地響きのような呻き声を上げ、混濁した意識を鮮明なものにしようと頭を振った。
――静かだった森に響いた音に驚いてつい足を滑らせてしまった。気味の悪い笑みと、耐えきれないくらい大きくて粗暴な罵声を上げて襲ってくる恐ろしい化け物がやって来る前に別の場所に隠れなくちゃ……。
焦る気持ちとは裏腹に、高所から勢い良く落下して鈍痛が走る体は、痙攣し、全く動かすことが出来ない。その事実がまた、少女を焦燥させた。
どうしようと、腹の辺りから水源が底付きかけた噴水のようにもくもくと溢れ出てくる焦燥感はまるで針だ。攻撃的なそれは、内部から少女を脅かしており、パニックになったバイオレットの双眼からは、大粒の涙が零れ落ちた。咳き込むように吐息して俯くと、ぱた、と真珠粒が湿り気を帯びた土の上で弾けたのがぼんやりと認識出来る。
どうして私はいつもこうなのだろう。
湧き上がってくるネガティヴな感情は、次々と涙に代わって彼女の白い頬に線を残す。また失敗したのか、と。
「ねえ」
落ち込み愚図愚図る少女の頭上に降ってきた澄んだ声。どんな風よりも澄み渡り、透明に近いその音にどきりと早鐘を打つ心臓が跳ねる。彼女の心根を落ち着かせるような淡々とした声色に、どこか懐かしさを感じ取った少女は、恐々と紅茶色の長い前髪の下から声の主の正体を伺う。
下瞼の下で真っ直ぐに切り揃えられた髪で隠蔽された瞳に映されたのは、童話に登場する王子様のように麗しく、端正な顔に埋め込まれたエメラルドの大きな瞳。皆が憧れるさらつやの金髪。ほんのりと赤みがかった頬――絵本からそのまま出てきた理想の王子様の立ち姿に、少女は「綺麗……」と頬を紅潮させて呟いた。
まるで、本の1ページの中にすっぽりと収まってしまったかのように時が止まってしまったのだろうか。少女は、ガラス玉のような瞳を大きく見開き、目の前に現れた非現実的な風景に見惚れた。
――だがそれは、ずっと憧れていた王子様などではない。寧ろ、彼女が恐怖の念を抱く人間だったのだ。
白黒と明滅し、はっきりとはしていなかった視界が鮮明になっていくにつれ、その恐ろしい事実に気が付いた少女は、最大の信頼を寄せていた仲間が、旅の終盤になって自ら化けの皮を剥ぎ取り、その凶悪な正体を見せた時のように、さっと顔色を悪くして表情筋を引き攣らせた。
実物を誇大化させる禍々しく黒々とした空気を身に纏い、もう逃がさないとくりくりと無邪気な瞳で少女を捕らえているのだ。
食べられる。逃げなければ。
そう思った。
されども体は動かない。なぜなら恐怖に侵食された体は腰が抜け、己の言うことにも耳を貸そうとしないからだ。
「ッヒィィ!!すみませんごめんなさい!食べないでえ!!」
「食べる?何を言っているの?――それよりもキミ……さっきからおしりで踏んでる人、返してくれない?」
「踏ん……え"えっ!?」
人間の目的は少女ではなかった。
そう自覚する前に、顔の前に手で壁を作る少女の真下を指差した少年の指先を視線で追い、地面に落とす。ぱちぱちと素早く瞬きをする彼女の下では、なんと、見知らぬ青年が突っ伏しているではないか。ぬかるんだ地面に顔が食い込み、見えるのは耳から後頭部にかけてのみだが、微かにピクピクと震えている。今や虫の息な彼に、自分が多大なダメージを与えてしまったという事実だけは困惑しきっている彼女にでも簡単に理解が出来た。
冷静になって思い返せば、確かに地面に体を打ちつけたにしてた少々違和感があったのだ。まさか、尻の下に敷いたのが人間であるとは、夢にも思わなかったのだが。
ヒィ……と息を吸い込むように、細く長い掠れた悲鳴を上げて、小柄な彼女はその上から飛び退いた。
どうしよう。
度重なる混乱のタネに目を回して、はくはくと息が上がる彼女は、いっそ逃げてしまおうと体を起こそうと試みる。しかし、彼女の泥だらけの足は、体を押し潰していた枷が外れたにも関わらず、微動だにしない青年の足を踏みつけ、勢いよく転倒してしまったのだ。
「ぎゃん!」
ずざざ、と派手な摩擦音。
それは聞いている側が痛ましく思い、怪我をしていない体にじくりと刺すような痛みを錯覚するほどのものである。そして、細身の体がスライディングして沸き立つ泥水。ばしゃんと湿った音を立てて跳ね上がった濁った色が、皺1つなかった白いシャツに飛散してしまったのだ。
着心地が良かったのに、と己の不注意を内心後悔するが、今の彼女にそれ以上の身なりを気にする心の余裕もない。しかし、蓄積された痛みが残った体は思うように動かず、数十秒間、地面に伏したまま停止してしまったのであった――
鈴丞は、堂々たる佇まいをしているその大木に一瞬で目を奪われた。そのぼんやりとした瞳に、緑を映し、ほう、と感嘆の息を吐き出す。是が非でも頂を拝もうと背中を反らせて天を見上げ、ゆっくりと半歩ずつ後退すると、その全貌を視界いっぱいに収めようとしている。
そして、フランは惚けた顔をして口を開けながら頭上を見上げている鈴丞を他所《よそ》に、大股で大樹に接近したのだ。
逞しく育った木の枝を1本1本観察しつつ、ゆっくりと幹の周りを旋回する。間違い探しをするように何周も繰り返し回っているため、延々とそれを続けているのかと思えば、ぴったりと足を止め、鈴丞と同じように天を仰ぎながらキョロキョロ視線だけを動かしている。その若葉色の相貌には、葉と葉の隙間から降り注ぐ白い陽光が反射して作り出す葉脈のようなプリズムが揺らめいていた。
2人揃って口を閉ざし、黙り込んでしまったため、吹き抜ける風の音さえもはっきりと耳に届きそうな静かな時間がその星が朽ちるまで永遠に続くと錯覚できるほどであった。しかし――
「わッ!!!」
「うおッ!?」
ほんの刹那、時間の流れを遅くしていた和やかで澄んだ空気を切り裂く1本の声がその森の中に走ったのだ。その音はあまりにも大きく、唐突にがなり立てた閃光に喫驚した小鳥たちは、バサバサと音を立てて飛び立ち、草むらに潜んでいた小動物たちは、きのみを放り出して慌てて逃げ出す。そして、鈴丞も平穏な日常を唐突に崩された彼らと同じように、心から肩を跳ねさせ、ヒュ、と短く喉を鳴らした。息潜めて瞠目し、少年をまじまじと凝視した頃には、偏狭的な道にあるような静寂が完成し、つい先刻までは意識せずとも聞こえていたはずの心地の良い大自然の合唱は、すっかりと終演してしまっていたのだった。
「な……何だよ急に――」
残響として残っている気がするフランの声に僅かに声を顰め、彼を問い詰めるような口ぶりで話し掛けたのも束の間、鈴丞の頭上は一瞬にして薄暗く曇る。何ものかが太陽を覆い隠すかのように。
それに気付いたと同時に言葉を中断して視線を宙に寄越した。
――するとどうだろう。
記憶に新しい甲高い絶叫と共に、何者かが鈴丞の頭上に落下してくるではないか。
「ヒ、キャァァァァア!!」
「ぃ”!?」
短くひっくり返ったような悲鳴を上げた鈴丞のために、それが空中で止まるわけでもなく、重力に従い、空から降り落ちてくる人影。木漏れ日が逆光となり、はっきりと姿を見せないその黒い物体に目を見開いた。
今度はスローモーションなどには見えず、瞬きを1つしている間に彼女の臀部に押し潰された鈴丞の薄い体は、あっという間に地面に平伏することになったのだ。
「またかよ……っ」
そう響いた悲痛な声は、少女の悲鳴と体重に掻き消され、誰の耳にも届かないまま消え去る。
「い、たぁ……な、なにぃ……??」
2度も頭を強打し、朦朧とした頭で思う鈴丞に追加でダメージを負わせたそれの正体は、先刻も彼のことを撃墜した少女であった。尻に敷いている青年の存在に気付かない彼女は、鈴丞の上でもぞもぞと体を動かしている。その度に苦悶の声を上げた鈴丞は、顔を押し付けている新鮮な土の香りを味わうことになった。
鈴丞の上で蹲る少女もまた、落ちた際に後頭部を強打したのだろう。縮こまって震えながら頭を押さえている。俯いた顔は相変わらず血色が悪い。鈴の転がるような声で地響きのような呻き声を上げ、混濁した意識を鮮明なものにしようと頭を振った。
――静かだった森に響いた音に驚いてつい足を滑らせてしまった。気味の悪い笑みと、耐えきれないくらい大きくて粗暴な罵声を上げて襲ってくる恐ろしい化け物がやって来る前に別の場所に隠れなくちゃ……。
焦る気持ちとは裏腹に、高所から勢い良く落下して鈍痛が走る体は、痙攣し、全く動かすことが出来ない。その事実がまた、少女を焦燥させた。
どうしようと、腹の辺りから水源が底付きかけた噴水のようにもくもくと溢れ出てくる焦燥感はまるで針だ。攻撃的なそれは、内部から少女を脅かしており、パニックになったバイオレットの双眼からは、大粒の涙が零れ落ちた。咳き込むように吐息して俯くと、ぱた、と真珠粒が湿り気を帯びた土の上で弾けたのがぼんやりと認識出来る。
どうして私はいつもこうなのだろう。
湧き上がってくるネガティヴな感情は、次々と涙に代わって彼女の白い頬に線を残す。また失敗したのか、と。
「ねえ」
落ち込み愚図愚図る少女の頭上に降ってきた澄んだ声。どんな風よりも澄み渡り、透明に近いその音にどきりと早鐘を打つ心臓が跳ねる。彼女の心根を落ち着かせるような淡々とした声色に、どこか懐かしさを感じ取った少女は、恐々と紅茶色の長い前髪の下から声の主の正体を伺う。
下瞼の下で真っ直ぐに切り揃えられた髪で隠蔽された瞳に映されたのは、童話に登場する王子様のように麗しく、端正な顔に埋め込まれたエメラルドの大きな瞳。皆が憧れるさらつやの金髪。ほんのりと赤みがかった頬――絵本からそのまま出てきた理想の王子様の立ち姿に、少女は「綺麗……」と頬を紅潮させて呟いた。
まるで、本の1ページの中にすっぽりと収まってしまったかのように時が止まってしまったのだろうか。少女は、ガラス玉のような瞳を大きく見開き、目の前に現れた非現実的な風景に見惚れた。
――だがそれは、ずっと憧れていた王子様などではない。寧ろ、彼女が恐怖の念を抱く人間だったのだ。
白黒と明滅し、はっきりとはしていなかった視界が鮮明になっていくにつれ、その恐ろしい事実に気が付いた少女は、最大の信頼を寄せていた仲間が、旅の終盤になって自ら化けの皮を剥ぎ取り、その凶悪な正体を見せた時のように、さっと顔色を悪くして表情筋を引き攣らせた。
実物を誇大化させる禍々しく黒々とした空気を身に纏い、もう逃がさないとくりくりと無邪気な瞳で少女を捕らえているのだ。
食べられる。逃げなければ。
そう思った。
されども体は動かない。なぜなら恐怖に侵食された体は腰が抜け、己の言うことにも耳を貸そうとしないからだ。
「ッヒィィ!!すみませんごめんなさい!食べないでえ!!」
「食べる?何を言っているの?――それよりもキミ……さっきからおしりで踏んでる人、返してくれない?」
「踏ん……え"えっ!?」
人間の目的は少女ではなかった。
そう自覚する前に、顔の前に手で壁を作る少女の真下を指差した少年の指先を視線で追い、地面に落とす。ぱちぱちと素早く瞬きをする彼女の下では、なんと、見知らぬ青年が突っ伏しているではないか。ぬかるんだ地面に顔が食い込み、見えるのは耳から後頭部にかけてのみだが、微かにピクピクと震えている。今や虫の息な彼に、自分が多大なダメージを与えてしまったという事実だけは困惑しきっている彼女にでも簡単に理解が出来た。
冷静になって思い返せば、確かに地面に体を打ちつけたにしてた少々違和感があったのだ。まさか、尻の下に敷いたのが人間であるとは、夢にも思わなかったのだが。
ヒィ……と息を吸い込むように、細く長い掠れた悲鳴を上げて、小柄な彼女はその上から飛び退いた。
どうしよう。
度重なる混乱のタネに目を回して、はくはくと息が上がる彼女は、いっそ逃げてしまおうと体を起こそうと試みる。しかし、彼女の泥だらけの足は、体を押し潰していた枷が外れたにも関わらず、微動だにしない青年の足を踏みつけ、勢いよく転倒してしまったのだ。
「ぎゃん!」
ずざざ、と派手な摩擦音。
それは聞いている側が痛ましく思い、怪我をしていない体にじくりと刺すような痛みを錯覚するほどのものである。そして、細身の体がスライディングして沸き立つ泥水。ばしゃんと湿った音を立てて跳ね上がった濁った色が、皺1つなかった白いシャツに飛散してしまったのだ。
着心地が良かったのに、と己の不注意を内心後悔するが、今の彼女にそれ以上の身なりを気にする心の余裕もない。しかし、蓄積された痛みが残った体は思うように動かず、数十秒間、地面に伏したまま停止してしまったのであった――
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