初恋の代償

南 鴇也

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最終章

萌芽 02

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詩織は、笠原氏の元に戻るなり、蓮見が居ないことへのフォローをした。俺はただそれを黙って見ていることしか出来なかった。

「私、人に酔ってしまって、少し気分が優れないの。挨拶も一通り終わったし、ここで失礼してもいいかな」

覇気のない俺を見兼ねて気を利かせてくれたのだろう。詩織が笠原氏にそう打診すると、彼は一瞬何か言いたげな目を向けた後、「ああ、もちろん」とにこやかに頷いた。

「結月君、詩織を頼むよ」

肩に手を置いて微笑む彼に深くお辞儀をし、彼女と共に会場の外へ出た。
地下駐車場に停めていた自車の助手席に詩織を座らせ、運転席に乗り込むなり、俺は勢いよく頭を下げた。

「さっきはありがとう。嘘をつかせて悪かった」
「伯父が少し不審がっていました。言い訳、ちょっと下手だったかな」

詩織が困ったように眉尻を下げてみせ、「今度、千尋にお礼してもらわないと」と悪戯っぽい瞳で言った。
もう一度彼女に謝罪し、エンジンをかけて車を出す。
詩織の家に向かう間、互いに何も話さなかった。

家の直ぐそばまで差し掛かったとき、不意に左腕に手が添えられた。

「少し停めてもらえますか」

静かに求める声に「分かった」と短く答えて、車を路肩に寄せる。詩織を見ると、長い髪で横顔が隠れていて、表情は分からなかった。

「帰ってから、色々と詮索されてしまうのは嫌なので……」
そこで一呼吸置いた彼女は、こちらに体を向けて真っ直ぐに俺を見た。

「どこでもいいんです。今日は、朝まで一緒にいてくれませんか?」

真剣な眼差しで言われたその言葉に、何と返せばいいのか解らず凝然としていると、それまで引き締められていた口元が微かに綻んだ。

「なぁんて。冗談です。結月さん、ずっとぼんやりしてるから、つい意地悪しちゃった。
 ……もう、ここで大丈夫です。送ってくれてありがとうございました」 

詩織は明るいトーンでそう話しながら、シートベルトをカチャリと外した。

「あの人……だったんですね。結月さんが本当に大切にしたい人って」

咄嗟に彼女の顔を見た。俺を見つめ返す瞳には、何の感情も宿ってはいなかった。

「会いたい、ですか? あの人に」
「……」
「ずっと、そうなんじゃないかと思っていました。婚約したのに、手も繋いでくれないから……」

俯いた彼女の視線の先に、結納の儀で贈ったダイヤモンドの指輪が鈍く光っていた。

「2年間、貴方だけを想って待っていました。それでも、私ではあの人の代わりになれませんか?」
「詩織……」 
「どうして、そんなに驚いた顔をするんですか? 結月さんのことが好きだって、そういうふうに見えていませんでしたか?
 まさか家の関係だけで、貴方と体を重ねていたと、本気で思っていたの……?」

微笑みを湛えた表情と対照的に、彼女の瞳は次第に涙を生み出していた。
俺は思わず目を逸らした。どうしても、それを直視することが出来なかった。

「不自然な理由で婚約が延期になった時、他に大事な人がいるのだろうと直感しました。それでも、私は時間が解決してくれると思っていたんです。きっと最後は一緒になれるんだ、大丈夫だ、と。
 だっていつも、あんなに優しく抱き締めてくれたんだから……」

凛と紡がれる声。それでも視界に入った詩織の手は、微かに震えていた。

「――いくらでも待とうと思っていました。でも、もう無理なんです。
 貴方とは、普通に出会いたかった。あの人のように、しがらみもなく、純粋に恋がしたかった。そう思う度に、あの人を憎んでしまう自分が嫌になる。
 家の権威や女の武器を使ってでも、貴方と結婚したいと思ってしまう自分が、恐ろしくなる。
 だから、私を解放してください。このままだと、貴方を好きになったことすら、後悔してしまう……!」

責めるようなか細い泣き声が、静かな空間に満ちる。
頬に滑り落ちる涙を拭ってやることも、震える肩を抱き寄せることも出来ず、ただそれを聞いていた。

詩織も、同じように親に決められた縁で俺と出会ったのだ。いきなり見ず知らずの男と付き合いを持たされて、初めは戸惑っただろう。それでも、俺を好いてくれた。こんなにも純真な彼女を、ちゃんと愛してやるべきだった。


『近くにお前のことを想っている人間が居るのに、その真意まで分かろうともしない――』

ああ、本当に蓮見の言うとおりだ。あの頃のまま、何も変わっていないじゃないか。
亜矢も、詩織も、あんなに苦しめて。
こんな酷い仕打ち、一生、許してはくれないだろう。

それでいい。
もう、誰も傷つけたくはない。
向けられた哀しみを戒めに、俺は、独りで生きていく――


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