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12 お留守番のリズ
2 深夜の第二公子宮殿
しおりを挟む寝間着パーティーもお開きになり、リズはぐっすりと眠りについていた。けれど、その眠りは唐突に途切れてしまう。メルヒオールに突かれて、目覚めてしまったのだ。
「うーん……。なによ、メルヒオール……」
張り付いてしまったような瞼をなんとか開いたリズは、妙に焦った態度のメルヒオールに目を向ける。
相棒は、何をそんなに焦っているのか。寝ぼけた頭で考えていると、ふと、嗅ぎ慣れない匂いがリズの鼻をかすめた。
「なんか、焦げ臭くない……?」
リズがこてりと首をかしげると、メルヒオールは柄を縦に振りながら、暴れるように部屋の中を飛び回り始めた。彼の身体は燃えやすい素材でできている。本能として、焦げた匂いに拒否反応を示しているようだ。
「もしかして、火事……!?」
やっと頭がハッキリとしてきて状況を把握したリズは、怯えるメルヒオールをなだめるために、バルコニーへの扉を開けた。
「メルヒオール、おいで!」
相棒を外へと避難させていると、侍女の一人が部屋へと飛び込んできた。
「公女殿下、厨房が火事ですわ! 念のために、外へお逃げくださいませ!」
「他の皆は?」
「無事です! 使用人全員で、消火に当たっておりますわ。私も参りますので、公女殿下はメルヒオール様にお乗りになって、外へお逃げくださいませ!」
「うん……。気をつけてね!」
再びバルコニーへと出たリズは、メルヒオールを呼び寄せてほうきに乗り込んだ。
状況を確認するために、ぐるりと裏庭の方へと周り、厨房が見える位置へと飛んでいく。
「厨房が、真っ赤だよ……!」
窓から見える厨房の中は、全体が炎に包まれている。石造りの建物が幸いして、他の部屋にはまだ燃え移っていないようだが、それも時間の問題だ。
赤々と燃えている炎を目にしたメルヒールは、ブルブルと震え出してしまう。
「ここまで火の粉は飛んでこないから、大丈夫だよ。井戸に人が集まっているみたいだから、状況を聞きに行こう!」
メルヒオールを安心させるために、ほうきの柄をなでる。彼は少し落ち着いたのか、井戸へとリズを運んでくれるようだ。
井戸の近くへと降り立ったリズは、「状況を教えて」と声を上げた。すると一人の男性が、大泣きしながらリズの前へとやってくる。
「いつも点検していたのに、消火魔法具が動かないのです! 俺のせいで、宮殿が……、申し訳ございません!」
どうやら彼が、消火魔法具の管理をしていたようだ。
「いや! 俺の火の始末に、問題があったのかもしれません!」
続いてリズの前に駆け寄ってきたのは、料理長だ。初期消火を試みようとしていたのか、服が焦げ、顔には煤がついている。
少なくともリズは、料理長が几帳面な性格であることは知っている。毎日のようにアレクシスの夜食を作るリズを見守り、その後の火の始末もきっちりおこなってくれる人だ。
魔法具についても、そうそう壊れるものでもない。日頃から点検していたのが事実なら、予期せぬ事態が起きたと思うしかない。
「あまり責任を感じないで。今は、みんなが無事だったことを喜ぼう。それより、消火魔法具は他にないの?」
「ただいま騎士団長殿が、隣の宮殿へ調達しに向かっておりますが、すんなり貸してくれるかどうか……」
そう教えてくれたのは、侍従長だ。彼が危惧しているのは、単に夜中という時間が問題ではないように思える。アレクシスやリズに理解がある者が魔法具を管理していれば良いが、そうでなければ……。
リズは不安になりながら、消火活動を見つめた。今は、井戸からバケツで一杯ずつ汲み上げて、手渡しで運んでいる状況だ。このペースでは、他の部屋へも燃え広がってしまうかもしれない。
「消火魔法具を待っている時間が、もったいないわ。私が、水を引っ張ってくるよ!」
「公女殿下……。何をなさるおつもりで……」
侍従長は不安げな表情で、リズを見つめた。侍従長だけではない。この場にいる使用人の誰もが、不安に満ちた表情を浮かべている。
そんな彼らを安心させるために、リズは満面に笑みを浮かべた。
「こうみえても、私は魔女だよ。多少は、魔法だって使えるんだから!」
魔女の森に住んでいる魔女達は薬作りに特化しているので、魔獣を攻撃したりするような魔法は使えない。そういった魔法は、魔術師の分野だ。
けれど、ほうきに乗った際に落ちないよう制御できるように、物を動かしたり支える魔法なら、多少なりとも使える。手足を使ったほうが遥かに楽なので普段のリズは使わないが、今は緊急事態だ。
再びほうきに乗ったリズは、使用人達の動揺を背にしながら空へと舞い上がった。
「メルヒオール。あそこのお庭にある、噴水の水を使おう!」
リズの提案に応えるように、メルヒオールは噴水へと向かい始めた。真夜中なので、はっきりと噴水の位置は確認できないが、リズ達はこの辺りの庭ならすでに熟知している。彼は、一直線に噴水へと飛んでくれた。
噴水の前へと着地したリズは、水の量を確かめるために池を覗き込んだ。今は夜なので噴水は稼働していないが、水はたっぷりと蓄えられている。これだけの量があれば、厨房の火事を消すには十分だ。
「こんなに重いものは運んだことないけど……、私達ならやれるよね?」
同意を求めるようにリズが尋ねると、相棒はきびきびとほうきの柄を上下に揺らす。
リズはこれから、かなりの無理をするつもりだ。当然、メルヒオールにも無理がかかるだろうが、一刻も早く鎮火させたいという気持ちは同じようだ。
「それじゃ、始めるよ。メルヒオールは遠慮なく、私の魔力を吸ってね」
短時間で、メルヒオールが空気中から吸収できる魔力など、たかが知れている。ここにある水を宮殿まで運ぶには、なんといってもメルヒオールの飛行能力が重要だ。出し惜しみなどしていられない。
リズは相棒に念を押してから、池の水面に手を触れさせた。
水の中に魔力を流し始めると、噴水の水は大きく渦を巻き始める。
水流で勢いをつけたリズは、それから手を空へとかざした。すると噴水の水は、リズの手に吸い付くようにして、一気に空中へと巻きあがる。
あっという間にリズの手のひらの上には、巨大な水の球体が完成した。
「くっ……。重いっ……。メルヒオール、飛べそう……?」
リズは話すのもやっとの状態で、相棒に問いかける。リズが地面を蹴ると、メルヒオールはふよふよと頼りなく飛び始めた。
何トンあるのかわからないが、相当な重さを魔力で制御しなければならない。リズも必死だが、メルヒオールにも相当な負担が掛かっているようだ。飛び始めた途端にリズは、今までにないほどの速度で彼に魔力を吸い取られている。
(宮殿まで、魔力が持つかな……)
急に不安になってきたリズだが、始めてしまったからには気合で成し遂げるしかない。
無駄に魔力を消費しないよう集中していると、なんとか厨房の炎が見えてきた。
(良かった……。まだ、他の部屋には燃え広がってない)
井戸から水をくみ上げて消火活動をしていた使用人達は、リズが運んできた巨大な水の球体を目にして、ぽかんとした顔で動きを停止させている。
魔術師の魔法とは性質が異なるだけに、異様な光景に見えているはずだ。
また、『怖い魔女』と思われるかもしれないが、今のリズにとっては自分のイメージなどどうでもよい。アレクシスに代わり、宮殿を守らなければという使命感で一杯だ。
「メルヒオール……。怖くない範囲まで、近づいて……!」
火を恐れている相棒に負担をかけないようそう伝えるが、メルヒオールは火の粉がギリギリ降りかからない辺りまで近づいてくれる。
無理をして頑張っている相棒のためにも、やりきらなければ。気合を入れたリズは、残った魔力を全て手のひらに込める勢いで、腕を大きく振りかぶった。
「えいっ……!」
巨大な球体を投げ飛ばした割には、気の抜ける声をあげたリズだが、その威力は絶大なものとなった。
厨房へと投げ込まれた大量の水は、炎と打ち消し合う音とともに、大量の水蒸気が窓からあふれ出た。
リズが目で確認できたのは、そこまで。もう、目を開けていられるほどの元気も残っていない。
使用人達の歓声が聞こえてきて、火は無事に消えたのだとリズは悟った。
(良かった……)
安心したと同時に、リズの全身の力が抜ける。
ほうきから滑るようにして落下したリズは、地面にどさりと崩れ落ちた。
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