真珠の涙は艶麗に煌めく

枳 雨那

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事件発生

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 ぐすぐすと、鼻をすする音が部屋に響いている。真珠はどうにか泣くのを止め、両手を重ねて指を組み、祈るようにして自分を落ち着けていた。これは、真珠が幼い頃に母である蛍が教えてくれたおまじないだ。どんな窮地も、強い気持ちを持てば乗り切れる。きっとうまくいくと思える。蛍は、そう言っていた。

「おい、湯の温度はぬるめがいいか? それとも熱めが……」
「あっ」
「……泣いていたのか?」

 扉をノックせず、銀が部屋へと入ってきた。涙でぐしゃぐしゃになった真珠の顔を見て、彼は表情を曇らせる。湯加減まで聞いてくれるあたり、細かいところまで思いやりが深い。銀に似つかわしくないような優しさに、真珠はつい声を出して笑ってしまった。

「ふふっ。銀さんって、やっぱり優しいですね」
「……泣くのか笑うのか、どっちかにしろ」
「すみません。一人になると、思考がよくない方向にいってしまって。でも、泣いたらすっきりしました」

 そう言うと、銀は真珠に近付き、片膝をついて顔を覗き込んできた。突然の接近に、真珠は肩を揺らして仰け反る。

「家族や友達が心配しているかもと、気になっているのか?」

 真珠が泣いていた原因を、銀は透視したかのように、ずばり言い当てた。いや、普通に考えれば分かるのかもしれない。

「はい。それに、母に謝らなきゃいけないこともあったのに、こっちに来てしまったから」
「……そうか。お前は周囲の人間に、恵まれているんだな」
「そう、ですね。こうなってから気付くなんて……情けないですけど」
「俺はこの通り独り身だ。親も、兄弟姉妹も、親しい友人もいない。正直、お前が羨ましい」
「えっ」

 真珠は目を丸くした。こんなにも立派な一軒家を構えているのに、家族がいないとはどういうことなのか。確かに、彼は人付き合いの苦手そうな一匹狼気質だ。それでも、真珠の目には、街の人や子どもたち、首長の瑪瑙からも、大変信頼されているように映っていた。

「あの、失礼ですけど、どうしてご両親まで……?」
「俺はもともと一人っ子で、幼い頃、両親がアヤカシに襲われて亡くなった」

 衝撃的な告白に、真珠は一瞬言葉を失った。では、彼はそれからずっと一人だったのだろうか。

「そ、そんなっ……じゃあ、今までどうやって?」
「村の道場を運営している師匠が、俺を引き取って育ててくれた。俺は、アヤカシが許せなくて、毎日剣の稽古に励んだ。両親の仇を討つことはできないが、同じように、誰かを失って苦しむ人を出してはいけないと思っている」
「それで、志士になったんですか?」
「ああ。自分の願いを叶えつつ働ける。俺には天職かもしれないな。ただ、人と深く関わるのは……苦手だ」
「……分かる気がします。私にも、苦手なことってあるから」
「そうか?」

 銀の口元が、僅かに緩んだ。子どもたちに見せた、あの穏やかな表情にそっくりだ。本心からそう思っているのだと、真珠を納得させるには充分だった。

「じゃあ、アヤカシがいなくなってくれたら、銀さんも喜びますか?」
「ああ、もちろん。いや……仕事が減るな。それは嬉しくないが」
「ふふっ。そうですね」
「……笑うようになったな」
「ひゃっ!」

 ぽんっと、真珠の頭に大きな手のひらが乗っかった。そのまま、まるでペットを撫でるかのようにわしゃわしゃと髪を乱される。真珠は、驚きのあまり動けず、されるがままになった。

「困っているか、驚いているか、深刻そうな顔しか見ていなかったから。笑えるのか、少し心配だった」
「し、銀さんこそ!」
「俺?」

(そういう表情ができるなんて、知らなかった……)

 無自覚の微笑みに、真珠は心を揺さぶられていく。情に厚く、困っている人を放って置けない優しい人。彼のことをもっと知ってみたいと、真珠は思った。



 湯の温度はぬるめがいいと伝えると、銀はその通りに薪をくべてくれたようだ。先に入るよう促され、真珠は生まれて初めて、五右衛門風呂に入った。

(温かい……)

 ぬるめなので、そういう感想は矛盾しているのかもしれない。しかし実際、真珠の心はじんわりと温まっていった。

 石鹸で全身を洗い、最後に湯をかけて流し、風呂から上がる。買ってもらったばかりの襦袢と、純白の浴衣に袖を通し、帯を締めて居間に向かった。

 銀は円卓の前で胡坐あぐらを組み、なにやら帳簿らしきものをつけている。

「銀さん、お風呂、ありがとうございました」
「ああ、上がったか。腹は空いているか?」
「はい、ちょっとだけ……」

 真珠が返事をすると、台所の方からいい匂いが漂ってくる。いつの間に準備したのか、銀は盆に食事を乗せてきてくれた。おにぎりと味噌汁、それに漬物だ。

「玻璃の家ほど豪勢なものは出せない。これで許せ」
「いえ、充分です。ありがとうございます。銀さんは、もう食べました?」
「ああ」

 真珠が円卓の前に腰を下ろすと、銀も斜め隣に座った。彼は何をするでもなく、そのまま真珠をじっと見ている。反応が気になるようだ。

 できれば一緒に食べたかったなと思いながら、真珠は「いただきます」と両手を合わせ、箸を取る。味噌汁、おにぎり、漬物の順に口をつけた後、真珠は嘆声をもらした。

「……おいしい」
「世辞はいらない」
「本当ですよ。私も少しは料理しますけど、こんなにおいしくできたことないです」
「そうか」

 銀はそっぽを向いた。耳を赤くしながら、再び帳面を開き、筆を動かしている。照れを誤魔化しきれていないところが、彼の不器用さを表していた。

 真珠は微笑み、残りの食事を全て平らげた。片付けは自分ですると申し出たのに、銀は「早く寝ろ」と言って聞かない。しぶしぶ了承した真珠は、客間に戻ることにした。

「……真珠しんじゅ

 部屋に入る直前、戸惑いがちな、もごもごとした銀の声がした。

「あっ、はい! なんでしょうか?」

 偽名だが、初めて銀が名前を呼んだ。真珠は冷静を装って振り返ったが、内心舞い上がっていた。

(ずっと、『お前』とか『こいつ』だったのに……)

 明らかな、銀の変化。僅かだが、心を許してくれたのかもしれない。

「明日だが、俺は特に任務も依頼もない。玻璃たちが迎えに来るまで、市場の方にでも出てみるか?」
「えっ、いいんですか?」
「ここにずっともっているより、気晴らしになるだろう。気持ちが落ち着くまで、巫女のことは考えないようにするといい。首長には俺から言っておく」
「ありがとうございます……楽しみです」
「……じゃあ、もう寝ろ」

 突然ぶっきらぼうになる彼の反応には、真珠も既に慣れてきた。「おやすみなさい」と挨拶をして、客間に入る。銀の言葉を守り、布団を敷いてすぐに横になった。

 窓の外は夜に差し掛かり、随分と暗くなっている。変化の目まぐるしかった一日が、ようやく終わった。

 これから、どうなるのか分からない。しかし、恐怖と不安でいっぱいだったはずの真珠の心には、少しの余裕ができあがっていた。何もかも、銀のお陰だ。

 彼のことを思い浮かべながら目を瞑れば、すぐに眠りにつけた。
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