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3章
祭り
しおりを挟む長い夢を見ていた。
シアン・シュドレーに憑依する前の夢だ。
(あいつは…元気にしてんのかな)
憑依してから本当にいろいろとあり過ぎた。今では、いわゆる前世?はかなり昔のことのように思える。
いや、もしかしたら前世なんてのはなくてただの夢だったのかもしれない…。この世界のゲームを作った母を持つあの男のことも全て夢だった…?
確たることが何一つ分からなくて、また俺は迷宮に閉じ込められたような気分になった。
でも、なんとなく…あの男のことは夢ではなく現実にいたのだと信じたかった。
<コンコンコン>
「シアン、ディナーの時間だけどどうする?朝から何も食べてないし、何かは口にしとかないと…」
イブリンの声が扉越しに聞こえた。
「…」
俺はベッドから降りて、扉をゆっくりと開けた。
「話したいことがある。入れ」
「…うん」
イブリンを部屋にいれ、俺はベッドの上に座った。
「ずっと…気になってたけど知らないふりをしていた。彫像損壊事件の時も、魔獣討伐大会の時も、なんでかこれから起こることをお前は分かってたみたいだった。お前は、誰なんだ?」
俺は、真っ直ぐとイブリンの目を見て尋ねた。
「……。俺は…」
「…うっ」
イブリンが口を開いて何かを言おうとした瞬間、唐突に頭の痛みが襲ってきた。
「……俺は、イブリン・ヴァレント。あなたが見てきた通りの、俺だよ」
「…そうか」
何か不思議な間があったような気がした。
しかし、彼は飄々としてただ自分の名前を告げるだけだった。
「お前は迷わないんだろうな。…明日、俺はシュドレー公爵邸へ戻る」
「な、なんで?しばらくはここにいるって…」
「ここにいるのが嫌なんだ。俺は、シアン・シュドレーのはずなのに、何故かここにいるとそうでないような気がしてくる。自分が分からなくなるんだ。自分の元いた場所に戻るのが、きっと…正しいことなんじゃないのか?」
「…何を恐れているの?」
「恐れる?恐れるものなんてない。ここにいてどうなるんだ?ここにいて、国や父を忘れて、自分の役目を忘れて生きていくのか?」
「そうだよ。あなたが望む限り、アルティアでのことを忘れてこの国にいていいんだ。知らない国で不安になる気持ちは分かるよ。でも、俺はいつだって傍で支えるし何度でも助けるよ。それは、あなたがソリティアだから守るようにと命じられたからじゃない。あなたが好きだから、幸せになってもらいたいんだ」
「…俺は…俺は、そんなことをされてお前に何ができる?何を返せる?お前に、愛の言葉を囁かれても、助けられても、俺はお前に何も返すことは出来ない。それなのに…」
「バカだなぁ」
「は?」
「バカだよ、シアンは。返すことが出来ないなんて、何を今更言ってるの?返すとか言ってるけど…人の気持ちのやりとりって等価交換じゃないよ。だって、俺の気持ちって一方通行で、やってることも傍から見たら迷惑だって思う人もいるだろうし。そう思う人が、俺と同じように返してあげようなんて思うわけないでしょ。だから、俺の気持ちや俺の言葉に…わざわざ何か返さなきゃとか考えなくてもいいんだよ。それを受け止めて、シアンが思ったことを素直にやるのが俺は大事だと思う」
「素直に?」
「だ、から…まぁ、素直な答えが…俺をフることなら……それはそれで仕方ないってことだね。悲しいけど…」
そう言って急にしょぼんと顔を俯かせるので、俺は少し拍子抜けしてしまった。
「シアン、素直になるためには何が必要だと思う?」
「さぁ…」
「自分を知らなきゃいけないんだ。例えば、知ってる?シアンは、甘いもの全般ほとんど好きだけど、ショートケーキが出るといつもより雰囲気が明るくなる。反対に、苦いものは苦手で辛いものはもっとダメ。でも、社交の場に出るとそれを隠すのが本当に上手なんだ。まだあるよ。日に焼けると肌が真っ赤になるから、日陰になる場所や涼しい場所をよく好む。読書をするときは、俺が隣に座ってずっと見ていても全く気づかないくらい集中するし、猫舌なのにたまに忘れて熱いものを冷まさずに飲んじゃったりして、うっかりな一面も意外とあったりする。あとね、俺が1番好きなところどこか分かる?自分のことが分からないって苦しんで人を遠ざけたがるのに、結局ほっとけない優しいところが大好き」
「……ストーカーかよ。ほんと恥ずかしい奴」
「ふふ、ごめん。いつの間にか見ちゃうものなんだ。だから、シアンが自分を分からなくなったらストーカーの俺に聞いてください。あなたが何者か、俺が答えてみせるから」
イブリンは屈むと、ベッドに座る俺の右手を左手で持ち上げ、手の甲に優しく口付けをしてきた。
その瞬間、あんなに迷宮に入り込んでいた感覚がスッと消えていった。
黒い靄は払われて、代わりにきゅうっと昼の日差しのような暖かな何かが胸の奥底から湧いてきた。
「…ほんっと、恥ずかしい奴だ。もう寝る」
俺は手を払い除け、自分のベッドの布団を思いっきり被った。
「もしかして珍しく照れてる?かわいいなぁ」
「うるさい、もう出てけよ!」
「シアン」
急に後ろから、真剣な声が聞こえた。
「どうしても公爵邸に戻るなら、俺は止めない。それがシアンの望むことなら。でも、シアンが恐れているのはきっと、自分と向き合うことだ。アルティアにいれば、父親に縛られることで自分の立場と役割の通りに生きることができるだろう。それは、ある意味では楽なのかもしれない。でも、知らない国で知らない人と関係性を作って、あなたが知らない自分と向き合っていってほしい。俺からあなたが何者なのか言葉で言うことは簡単だ。けれど、本当の自分を受け入れ、確立するにはあなた自身の勇気が少しだけ必要だと思う」
「……」
「偉そうなこと言ってごめん。アルティアに帰る前に明日、最後にエルネを満喫してほしい。お祭り、一緒に楽しもうね」
------------------------------
「おう、おはよう!」
翌朝、ダイニングルームへ入ると紅茶を嗜んでいたオーリーが挨拶してきた。
「おはよ」
「君、昨日体調が悪かったそうだな。大丈夫か?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
イブリンが適度な嘘をついてくれたのだなと分かった。
「シアン、おはよう。じゃあ、街に行こうか」
イブリンが中へ入って来て言った。
「なんだ、今日街へ行くのか?それなら俺も…」
「オーリー様、今日は私と酒場へ行きましょう。エルネの有名な地酒があるんですよ」
オーリーの言葉に被せるように、どこからかハルノが現れて言った。
「なんでだよ。昨日も二人でって言って誘ってきたが…。君、まさか、俺のこと好きなのか?」
「寝言は寝て言ってください」
ハルノが見たこともない表情で青筋を立ててていた。
「さ、喧嘩が始まる前に行こう」
イブリンにそう背中を押されながらダイニングルームを出ていき、馬車で街へ向かった。
街中へ着くと、やはりとても賑わっていた。
「こんなに人が賑わうところに来るのは久しぶりだ」
「そういえばそうかもね。シアン、はぐれないようにね」
そう言って、イブリンは自然に俺の手を握ってきた。
「あっ!あれ食べよ」
イブリンは急に指さした露店の方へ手を引き、走り出した。
「わっ、おい!」
俺は驚いたものの彼に引かれるままついて行った。
それからは、本当にいろいろと満喫した。
露店の料理をたくさん買って食べたり、出し物を見たり、エルネならではの人気の占い屋に行ったり、アルティアにはない書物を立ち読みしたり、有名なエルネのお菓子があるカフェで一息したり…。
まさにお祭り状態で、どこもかしこも賑わっており人々は笑顔で満ち足りていた。
人の多いところは昔から苦手だった。お祭りなら尚更だ。人々はみな幸せそうなのに、自分はどこか場違いのように思えたからだ。けれど、何故か今日は居心地が悪いと思うことはあまり無かった。
(隣にこいつがいるからか…?)
ベンチで隣に座るイブリンをチラッと見た。
「そろそろ、黄昏時だ」
「あぁ、そうだな。日が落ちてくる」
「じゃあこれ付けて」
イブリンが手渡してきたものは、目元だけが隠れるようになっている仮面だった。
「これは?」
「祭りの5日間、黄昏時から完全に日が暮れてしまうまでの時間帯だけ街の人たちは仮面をつけて踊るんだ。黄昏時って、誰が誰だか分からないだろ?だから、仮面をつけて更に分からなくして、「あなたは誰ですか?」ってふざけて聞きあったのがはじまりと言われてる。その瞬間は身分も地位も何もかも忘れて、楽しくみんなで踊ろうっていう昔からの慣習なんだ」
「…ふーん」
イブリンが話しながら仮面をつけていたので、俺も貰った仮面を言われるまま着用した。
そしてまた街中へ引っ張られると、確かに周りの人々はみな揃って仮面を付け始めていた。
ところどころでは、ふざけた様子で「あなたは誰ですか?」と尋ね合ってはペアになって踊っている人々の様子も見えた。
1番街の真ん中と思われるところまで来ると、楽器を演奏する人達も仮面を被っており、その音に合わせて踊っている人達は床に書かれている円を中心にして纏まっていた。
「俺たちも踊ろ」
「そんなこと言われたって…俺踊りなんてしたことないぞ」
「大丈夫、ここの人たちも適当に踊ってるだけだから。とにかく、何も考えずに体動かしてみて」
そう言われて、俺は音楽の音をなるべく聴きながら体を思うままに動かしてみた。しかし、上手く踊れているかは分からない。
「シアン」
呼ばれたのでイブリンを見ると、手を差し出された。俺は何となく彼の手を掴むと、体を引っ張られて一緒に踊ることに。
2人でなんて無理だと思っていたが、イブリンは驚くことに誘導するのが上手くて、俺はされるがままにただ手足を動かした。
そして刻刻と日は沈んでいき、辺りは暗くなってくる。
完全に日が落ちると、楽しい音は静寂に変わり、街中でポッポッと灯りが点されると仮面を付けた人たちはいなくなり、元の風景に戻っていた。
あの数十分の踊る時間は思いの外呆気ないものだったが、不思議と悪い気はしなかった。
「割と楽しかったでしょ?」
「…あぁ。不思議な慣習だけど、こういうのも悪くない」
俺は正直にそう答えた。
この流れに乗ろうと、俺は再び口を開いた。
「……しばらく、ここにいようと思う」
「ほんとに!?」
「あぁ。でも、予定通り休みの間だけ。その後は、普通に学園に戻る。エルネに住むっていう話は悪いけど、断る」
「……どうして?もっと、考えてみても…」
「考えたよ。考えたから、そう決めた。お前、言っただろ?少しの勇気が必要だって。だから、勇気を持って元いた場所で自分とちゃんと向き合う。知らない場所じゃなくてさ。そうやってちゃんとケリをつけないと、ダメな気がしたから」
「そっか…分かった。俺も手伝うよ。必要ないって言われてもね」
「……ほんとお前って」
どこまでも平常運転のイブリンを見て、俺は少し呆れて返した。しかし、彼はやはりいたずらっ子のように笑うのだった。
灯りが点った今、あなたは誰かと尋ねる者はもういなかった。
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