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第三十一話 かくて黒幕は動き出す
しおりを挟むプロポーズから少し経ち、お互いにテンションも落ち着いた頃。
わたしは執務室に赴いてアルと話をしていた。
「ジェレミー殿下は一人で此処に来たのでしょうか?」
「守衛の話では、そうみたいだね」
「……なるほど」
王太子であるジェレミー殿下が護衛もつけず、ただ一人で。
王都から公爵領まで乗合馬車に乗って来たわけじゃないだろうし……。
「まぁ大丈夫でしょ。君のおかげで彼の弱みは握ったし」
「……いえ、不味いかもしれません」
録音水晶をひらひらと振るアルにわたしは首を横に振る。
わたしの予想が正しければ、もう……。
「オルロー騎士団に連絡を。今すぐジェレミー殿下に護衛を付けてください!」
「分かった。急いで手配しよう」
わたしの真剣な声に迷わず頷いてくれるアル。
本当にこの人のこういうところは……うん、好ましく思うわ。
と、その時だ。
「公爵閣下! ご報告申し上げます! 実は……!」
騎士の一人が執務室に駆けこんできた。
◆◇◆◇
血のように赤い夕陽が石造りの街並みを不気味に染め上げる。
カァ……カァ……と飛び立つ鴉の鳴き声が、一人の男を追い立てていた。
「クソ、クソ、クソ……っ! 早く、早く逃げないと……!」
公爵家で醜態を晒したジェレミーは城下町で乗合馬車を探していた。
王家の馬車が待っていたはずなのに、どこにも見当たらなかったからだ。
今すぐにここを離れ、王都でレノアと合流、その後、宮廷魔術師のオズワルドに会いに行き、事情を説明する。
「必要なのは腕のいい護衛と、当分の資金、身を隠せる場所」
ぶつぶつと独りごちるジェレミー。
もはや彼の中に公爵家やベアトリーチェのことなど頭にはない。
確かに連れ戻せなかったことは残念だし、恥をかかされたのも事実だ。
しかしそんなもの、生きていればいくらでもやり直せる。
今はそれ以上の危機が迫っている。じっとなんてしていられなかった。
「馬車を手に入れよう。寝泊まり出来る奴を。それから、」
必要なものを頭の中にメモしながら歩く彼は、ふと気づいた。
彼が乗合馬車を探し始めてから一時間が経つ。
しかし、一向に馬車が帰ってこない。
それだけではなかった。
いくら夕暮れで町民たちが家に帰る頃合いとはいえ……
静かすぎる。
「……っ」
それは本能的な直感だった。
固まっていた足をほぐすためにたまたま足を上げたような、奇跡といってもいい。そうしてジェレミーが足を退けたところには、短剣が刺さっていた。
しかも、刃先は何やら透明な液体が滴っていて……。
「ひッ!?」
悲鳴を上げたジェレミーはすぐにその場から走り出した。
カァ、カァ、と鴉が鳴く。
後ろから足音が聞こえる。
幻聴ではない。現実の人間。それも複数。
「ハァ、ハァ、ハァ。嫌だ、嫌だ、嫌だ……誰か、俺を助けろぉ!」
大通りまで出よう。人を呼べば助かるはずだ。
大声で叫ぶジェレミーは路地裏をひた走り、そして。
(見えた……大通りだ!)
数十メルト先に見えた大通り。そこに大勢の人が行き交っている。
その出口が塞がれた。何の紋章もついていない、高級な馬車によって。
どす、と。
背中に熱いものが突き刺さった。
「あ、ぇ……?」
猿轡を噛まされ、悲鳴を封じられたジェレミーは地面に倒される。
地面に沁み込んでいく赤い液体が自分の命だと、彼は理解できない。
刺し傷から入り込んだ猛毒が彼の舌から言葉を奪う。
「もう少し見込みがあるかと思っていたけれど、お前は本当に出来損ないでしたわね」
声が、聞こえる。
馬車の窓から響く声。感情のない淡々とした声音。
いつだってこの声に踊らされてきた。この声が自分を縛ってきた。
そこから自由になりたくて。
もがいて、もがいて、もがいて、その末路が──これか。
「は、は、う、え……」
「あなたに生きて居られると困るのよ。愚かなあなたは弱みをたくさん作ってしまったし……」
まるで遊び飽きたおもちゃを捨てる時のように、彼女は言った。
「不肖の子といえど、あたくしの息子なわけだしね。今、あたくしが立場を危うくすれば国が傾く。だからジェレミー。国のために死んで頂戴? それが王族としてあなたの出来る、唯一の償いよ」
「ぁ」
馬車の窓が閉じられ、嘶きをあげた馬が走り出す。
声はもう聞こえない。
大通りから人がやってきて、ジェレミーを発見した彼らは騒ぎだす。
感覚のない彼には知るよしもないことだが、背中にはたくさんの刺し傷があったのだ。もしかしたらそれは腹を痛めて生んだ息子への、彼女の唯一の慈悲だったのかもしれない──
尤も、彼がその真意を知ることは二度となかった。
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