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第三十一話 変わっていく世界

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 アイリ・ガラントが死んでから三ヵ月経った。
 自分が死んだというとなんだか変な感じがするけれど、生まれ変わったという意味では間違ってはいまい。アイリ・アッシュロードとして生まれ変わった私は夫人教育を終えて本格的に領地の運営に携わることになった。

 領民からの苦情、税金の横領を是正、各種公文書の処理、
 裁判所への出席、お客様の対応、商人との交渉……。

 ガラント子爵領の時も思ったけど、領主の仕事って結構忙しい。
 平民の時は税金にあぐらをかいてふんぞり返っているだけと思っていたけど。
 そんなわけで、私は今、辺境伯夫人として領地の人たちに挨拶に回っていた。

「はぁ~~これが領主さまの奥様ですか。綺麗な方ですなぁ」
「あぁ、自慢の妻だ。よろしく頼む」
「そりゃあもう……! 領主様にはいつもお世話になっておりますんで」
「アイリです。よろしくお願いいたします」

 ニコニコ、ニコニコ。

 シン様の横で笑って立っており、時折話を聞くお仕事である。
 アッシュロード領は荒れ地が多く、農作物が育ちにくいわりに魔物被害は多いため、時々シン様も出張って魔物を対処しているらしい。収穫物が少ない時は領地の税金から補填して食糧を配っていくなど、かなり良心的な領主みたいだ。

(あぁ、だから使用人の数を少なくしてるのね)

 ぶっちゃけ領地の運営はギリギリなのだろう。
 辺境伯としての見栄で服は高級なものを使わないといけないし、国境での軍を運営する資金も必要だ。その上で領地がこの状態であれば、収入など多くは見込めない。

(暗殺貴族をやっているのも、そういう背景があるのかもね)

 国から補助を受けてるとか、もしくは報酬があるとか。
 いずれにせよ、領地の状況が芳しくないのは今日一日で分かった。
 これも臣下に力をつけさせまいとする国のやり方なのだろう。

(私に出来ることもありそうだわ)

 密かにそう思っていると、シン様が不本意な視線を送って来た。

「アイリ。またぞろ妙なことを考えていないだろうな?」
「……考えてませんよ?」
「ふむ。では言ってみろ」
「とりあえずアッシュロード領を緑豊かな農作地に変えようと思いまして」
「また君は……」
「そ、そんなことが出来るんですか!」

 頭を抱えるシン様をよそに、領民の方は目を輝かせている。
 期待の眼差しで見られると応えたくなっちゃうわね。
 よし、張り切るわよ。

「大丈夫です。出来ます」
「こんなに荒れ果ててるのに……!?」

 領民の方があたりを見回すと、そこには荒野にも似た風景があった。
 麦の収穫を終えたばかりというのもあるけど、まばらに草が生えてるだけの荒れ地だ。

「大丈夫です。私が裏庭で試しましたから」
「だけどここには魔物がいっぱい……ひぃ、出たぁ!」

 領民の方が指差すと、こちらに向かってくる魔物がいた。
 B級魔物の一種、牛みたいな見た目をしたやつだ。
 獅子のようなたてがみを持ち、尻尾の先は蛇の頭になっている。

 確か名前は、『蛇牛』だったか。

 領民たちは一目散に家の中に逃げ込み、ばたん、ばたん、と扉が閉まっていく。
 すぐに村の中心からカンカンカンと鐘の音が響きわたり、兵士たちが駆けつけてきた。

「シン様、ここは私に任せていただけませんか」
「構わないが、どうするつもりだ?」
「簡単です──シィちゃん!」
「キュオオオ!!」

 馬車の中から飛び出してきたのは私の可愛いもふもふである。
 三か月経っただけで私と同じくらいの体長まで成長したシィちゃんは元気よく鳴いて蛇牛を威嚇する。

「「「ぎ、銀魔狐!?」」」」

 周りの人たちが何やら騒がしいけれど、今は無視だ。
 人命最優先。蛇牛が人の味を覚える前に対処する。

「シィちゃん、死なない程度に『分からせて』」
「キュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 シィちゃんは目にも止まらない速さで飛び出した。
 蛇牛とシィちゃんが真正面からぶつかり合う。
 牛の突進はすごいと聞くけれど……うちのシィちゃんはもっとすごい。
 直前で反転して尻尾をひらめかせ、なんと蛇牛を地面に転がしてしまった。

「グォオオオ!?」
「きゅう!」

 勝ち誇った顔で蛇牛の胴体を押さえ、首元に噛み付くシィちゃん。
 蛇牛はもだえ苦しむけれど、シィちゃんはすんでのところで牙を止めている。
 あら偉い。私の言いつけを守ってるんだわ。

 本当になんていい子なのかしら。
 あの子と出逢えたことを神に感謝すべきかもしれない。

「キュルル……」
「グル……」

 魔物同士で何やら分かり得ない鳴き声を発している。
 やがてシィちゃんが蛇牛の上から退くと、蛇牛はのっそり歩き出す。
 え、こっち向かってる?

「アイリ」

 シン様が私を庇うように立ってくれる。
 民家の窓からごくりと唾をのむような音が聞こえた気がした。
 人間たちの緊張した視線にさらされる蛇牛は、私の前で頭を下げる。

「きゅ!」
「えっと、シィちゃん?」
「きゅーーきゅ!」

 もしかして『手下にしたからもう大丈夫』って言ってる?
 いや確かに私は死なない程度に分からせてって言ったし、もう人間を襲わないように格の差を見せつけてほしいとは思ったけれど……まさか従えてしまうなんて。

「ぐるる」

 蛇牛が私を見上げて怯えたように瞳を潤ませる。
 尻尾の蛇も心なしか私をじっと見ている気がした。
 し、仕方ないわね。
 他ならぬシィちゃんのやったことだもの。私が責任を取りましょうとも。

「これからは悪さをしちゃだめですよ。人間と仲良くするように」
「ぐるる!」

 私が蛇牛の頭を撫でると、蛇牛は了承したように身を引く。
 ふう、これでなんとかなったわね。

「なんてことだ……」

 あら? 家に引っ込んだ領民たちだわ。
 なんであんな目で私を見ているんだろう。
 まるで神様にでも出会ったみたいな……。

「このアッシュロード領で魔物を従えちまうなんて」
「我らのために、なんとお優しい方だ……」
「女神様だ。辺境伯様は女神の化身を嫁にしちまった!」

 はい?

「アッシュロード夫妻に栄光あれ!」
「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 ちょ、ちょっと待って。どういうこと?
 めちゃくちゃ盛り上がってるけど本人置いてけぼりだからね!?

「し、シン様」

 助けを求めてシン様を見ると、彼はなぜか満足げに頷いていた。

「そうだろう。俺の妻は女神のように優しいんだ」
「シン様、お世辞はほどほどに。領民たちが引いてしまいます」
「お世辞ではない」

 またまたそんな。

「……そういうところが直ればなぁ」

 シン様は遠い目をして言った。
 何を言ってるのかさっぱり分からず、私は首を傾げた。
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