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第三十五話 芽生えた自覚

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 カチャ、カチャ……トン、と。
 アッシュロード邸の食卓にフォークとナイフを動かす音がする。

「とっても美味しいですね。旦那様、大奥様!」
「あぁ」
「そうね」

 ことさらに明るいリーチェの声が食堂に響く。
 三人とも黙っていれば喋らないから、彼女の明るい声は場の華だ。

「いやぁ、さすがは王都のお菓子です。若奥様のおかげですね! みんな大喜びでしたですよ!」
「ふ。我が妻は気遣いが出来る女だからな」
「まぁ私の義娘たるもの、それくらいは当然ね」

 二人がそう言ってくれるけど、私は顔があげられなかった。
 でもさすがに失礼だと思ったから、ちらりと顔をあげる。

「どうしたアイリ、熱でもあるのか? 顔が赤いぞ」
「~~~~~っ、ぁ」

 シン様と目があって、私は慌てて目を逸らした。
 右を向けばお義母様が、左を向けばリーチェが。
 結局どこも見れなくて下を見てしまう私は顔を覆った。

(ど、どうしたの私。シン様の顔が見れないわ……!)

 これじゃあまるっきり恋する乙女みたいではないか。
 別にシン様が褒めてくれるのは今までもあったし特別なことじゃない。
 なのになんで、こんなに……胸がドキドキするんだろう。

「シン」

 お義母様が顎をしゃっくったような気がした。
 うぅ。そうよね。デザートの席で俯いてしまう私は夫人らしくないわよね……。
 しっかりしないといけないのは分かっているのだけど……。

「ご、ごめんなさい、無理です……!」
「アイリ!?」

 私はその場から逃げ出した。


 ◆


「うぅ、どうしようシィちゃん。私、おかしくなっちゃった……!」
「きゅー?」

 あの夜もこんな風に逃げ出した気がする。
 私はシィちゃんのもふもふに顔を埋めて泣きべそをかいていた。
 シィちゃんは私を包み込むように癒してくれて、尻尾で頭を撫でてくれる。

「シン様の顔が見れないの……なんだかいつもよりカッコよく見えるし、かけてくれる言葉の一つ一つに喜んじゃってる自分がいる……ねぇ、これって何かの病気かな」
「きゅぁ!」

 し、シィちゃんが私の頭をぶった!
 尻尾だからもふもふでむしろ気持ちいいけど、シィちゃんが!
 これが反抗期……!? 少し早すぎないかしら!?

「分かってるもん……逃げちゃダメだって。だけど」

 もう、何がなんだか分からない。
 リーチェは『一緒に居たい』=『好き』ってことだと言っていたけれど。
 人を好きになったら好きになった分だけ、結局裏切られるだけだもの。

 私が王子を好きだったかと言われれば疑問が残るけれど。
 それでも、人を信じて裏切られるのは、もう嫌なの……。

「う~~~~~、もう分かんないよぉ!」

 もふもふの身体に顔を押し付けて泣きわめく私。
 シィちゃんが迷惑そうに鳴くけど今は癒してほしい。

 でも、このままじゃダメなのよね。
 せめて偽の妻らしく振舞わなければ契約違反になる。
 家族を助けてもらったし、それからずっと私はシン様に守られている。

 さぁ、立つのよアイリ。
 大丈夫な振りをするのは得意でしょ。
 いつも通りにやればいい。まずは笑顔を浮かべて──

「──アイリ?」
「ひゃい!?」

 突然聞こえた声に私は飛び上がった。
 振り返れば、部屋の扉を開けたシン様が立っている。
 私は慌てて隠れた。

「にゃんでしょうかっ!? シィちゃんの毛づくろいで忙しいのですがっ」
「キュァッ!!」
「びゃう!?」

 シィちゃんの怒りの尻尾が私の背中を弾き飛ばした。
 前のめりになった私はシン様の胸に抱き留められる。
 し、シィちゃん~~~~!

「大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶれす。もーまんたいですから」
「そうか」

 うぅ、やっぱり顔が見れないよ……。
 このままじゃ失礼だと分かってるけど、でも……。

「ところで、だ」
「は、はひ」
「俺は君に何かしてしまっただろうか?」
「へ?」

 その言葉が意外すぎたから、私は思わず顔を上げた。
 見れば、シン様は不安そうに私の顔を覗き込んでいる。

「君は昨日から、ずっと目を合わせてくれない」
「いや、それはそのぉ」
「以前のように傷つけてしまったなら許してほしい。今後は改めると誓う」
「ち、違うんです! シン様は悪くありません!」
「……そうなのか?」

 ぱちぱち、と目を瞬くシン様に私は何度も頷く。

「ただ、考えを整理をしたくて……」
「整理」
「はい。ほら、色々あったじゃないですか」

 私の噂とか、婚約披露宴とか、宰相のこととか。
 別にそんなに気にしていないことをあげつらって私は言い訳する。
 と、とにかくなんとか誤魔化さないと。
 あなたのことを考えてましたなんて口が割けても言えないわ……!

「そうか。俺が何かしたわけではないのだな? 体調が悪いとかでもなく」
「もちろんです。シン様は大変良くしてくださっています」
「そうか」

 シン様が私の頭を撫でて、ほっとしたように息をついた。
 おそるおそる顔を上げると、

「よかった。嫌われたかと思ったぞ」
「……っ」

 最強の暗殺者さんが、少年のように笑った。

 どくんっ、と心臓が高鳴る。

(……あぁ、もうだめ。認めないと)

 いつからだろう?
 命を救われてから? 
 それとも一緒に過ごした日々の中だろうか。

 この人の優しさに、強引さに、頼もしさに、少しずつ惹かれていた。
 好きだと言ってくれる好意に応えられない。
 私はこの人を、ううん、人間を完全に信じることが出来ない。


 それでも。


 ──きっと私は、暗殺者この人に恋をしている。


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