宮廷料理官は溺れるほど愛される~落ちこぼれ料理令嬢は敵国に売られて大嫌いな公爵に引き取られました~

山夜みい

文字の大きさ
5 / 34

第五話 新天地の目覚め

しおりを挟む
生まれ育った家にシェラはいた。
オーク材の長机に母と二人で座っている。
刺繍をする母に糸を差し出すと、母はぶっきらぼうに頭を撫でててくれる。

長年料理に携わる彼女の手は荒れていて、少し痛い。
けれどその痛さより、指先から伝わってくる温もりのほうが遥かに気持ちよくて。
こつん、とおでこを弾かれたら「もうお行き」の合図だ。

シェラは暖炉のそばで本を読む父の膝に乗り、なでなでを要求。
父は仕方なさそうにしながら、シェラの頭に触れてくる。

(あぁ……これは夢か)

在りし日の夢。
まだ父と母が名前を呼んでくれていた頃の夢。

──別に虐待されているわけではなかった。

ご飯はちゃんと食べさせてくれたし、ベッドの毛布はふかふか。
教えることはちゃんと教え、初等学校にだって通わせてくれた。
二人は言葉足らずだけれど、ちゃんと愛してくれていたと思う。

だからこそ辛かった。
姉と比べられて期待に応えられない自分が。
役立たずでなんにもできない自分が大嫌いだった。

いつかもう一度、両親に名前を呼んでほしくて。
ただ、それだけで自分は──


「シェラ」



窓の外から声が聞こえた。
シェラは父の膝から立ち上がり、玄関を出る。
白いもやが立ち込める、川のほとりにシェラはいた。


「お姉ちゃん」


姉のアリシアは川の向こう岸に立っている。
優しく微笑む姉の姿に、シェラは感情が決壊して走った。

「お姉ちゃん!」

川の水は冷たい。どんどん深くなっていって溺れそう。
構うものか。シェラは川を進み、姉に向かって手を伸ばした。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

シェラが迷子になった時、姉はいつだって駆けつけてくれた。
おんぶを要求すると、「シェラは甘えただなぁ」と嬉しそうに笑った。
その優しい微笑みが大好きだった。

「あのね、あのね、私──!」
「だーめ」

姉が、寂しそうに笑った。

「ダメだよ、シェラ」
「おねえちゃ」

濁流が押し寄せた。
空気も風も花びらも鳥の囁きもすべて押し流す。
シェラの身体は溺れ、姉の姿はどんどん遠ざかる。

「おねえちゃああああああああああん!」

流されていく。どこまでも、どこまでも。
どこに続いているとも知らない川を流されていく。

(ねぇお願い。私も、一緒に)

シェラは必死に手を伸ばした。
伸ばして、伸ばして、伸ばして、そして──













「お姉ちゃんっ!!」

シェラは跳ね起きた。
はぁ、はぁ、と荒立つ息を整え、肩の力が抜けていく。

「夢……?」

呟くと、額から頬にかけて汗が滴り落ちた。
どうやらどこかのベッドに寝かされているようだ。
寝汗にまみれた服がびっしょりと濡れていて気持ち悪い。

「起きたか」

声の方に目を向けると、こちらに背を向ける男が居た。
水桶に手を突っ込んでいた男がこちらに振り向く。
銀色の髪がはかなげに揺れる。

「あなたは……」

シェラは目覚める前の記憶を思い出す。
姉を殺した男だ。すぐに分かった。
シェラはぐっと拳を握った。

「……私を助けたんですか」

そう思ったのは、殺すつもりなら既に殺しているだろうからだ。
あるいは兵士に引き渡すなりすればすぐに処分されるはず。
問いかけるシェラに、男は冷たく言った。

「助けたつもりはないが」
「じゃあどうするつもりです」

男は肩を竦めた。

「ちょうど料理官が一人辞めたのでな。代わりを探していたところだ」
「……だからあそこに?」

料理官を探していたから火の宮まで赴いた。
確かに理屈は分かるが、シェラが抜け出したのは真夜中だ。

人員の補充なら昼間に事務官を通せばいいはずだし、将軍自ら火の宮を訪れる意味が分からない。しかも時間は真夜中だ。シェラは疑念を隠さず見つめるが、男は答えるつもりがないようだった。

「君には今日から俺の屋敷で働いてもらう」
「は?」
「食事は一日三回。部屋はここをやる。朝から昼は月の宮で下働き、夜はこの家で俺の夕食を担当してもらう。詳しい仕事内容については月の厨房で聞け。必要ならものがあれば言えば買ってやる。以上だ」
「いや、ちょ」

まくしたてるように告げられた内容に理解が追いつかなかった。

あの地獄から解放された。
また仕事。
イシュタリア貴族の家。
いや待って。
今、俺の家って言った? 一緒に住むってこと?

──お姉ちゃんを殺した人と、一つ屋根の下で?

シェラの目から光が消えた。

「……」

男は今、背を向けている。
腰に佩いている刀であればシェラでも扱えるだろう。
そっと近づいて、刀を抜き、背中を刺せば……。

男はシェラに振り向き、

「そう言えば、名を聞いてなかった」
「……シェラザード」
「そうか」

男はにやりと口の端を上げる。

「俺の名はリヒム・クルアーン。せいぜい俺を殺せるように・・・・・・・・頑張るんだな」

仕事は明日からだ。リヒムはそう言って去っていた。
シェラは奥歯を噛み締め、拳をぐっと握った。

(なによ、なによなによ、あいつ!)

殺せるように、と言った。
シェラが何を考えているのか全部分かっているのだ。
分かったうえで自分を傍に置く、その精神性が信じられない。

(あんたなんか、大っ嫌い!)


しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

婚約者は冷酷宰相様。地味令嬢の私が政略結婚で嫁いだら、なぜか激甘溺愛が待っていました

春夜夢
恋愛
私はずっと「誰にも注目されない地味令嬢」だった。 名門とはいえ没落しかけの伯爵家の次女。 姉は美貌と才覚に恵まれ、私はただの飾り物のような存在。 ――そんな私に突然、王宮から「婚約命令」が下った。 相手は、王の右腕にして恐れられる冷酷宰相・ルシアス=ディエンツ公爵。 40を目前にしながら独身を貫き、感情を一切表に出さない男。 (……なぜ私が?) けれど、その婚約は国を揺るがす「ある計画」の始まりだった。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】貴方をお慕いしておりました。婚約を解消してください。

暮田呉子
恋愛
公爵家の次男であるエルドは、伯爵家の次女リアーナと婚約していた。 リアーナは何かとエルドを苛立たせ、ある日「二度と顔を見せるな」と言ってしまった。 その翌日、二人の婚約は解消されることになった。 急な展開に困惑したエルドはリアーナに会おうとするが……。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

余命わずかな私は、好きな人に愛を伝えて素っ気なくあしらわれる日々を楽しんでいる

ラム猫
恋愛
 王城の図書室で働くルーナは、見た目には全く分からない特殊な病により、余命わずかであった。悲観はせず、彼女はかねてより憧れていた冷徹な第一騎士団長アシェンに毎日愛を告白し、彼の困惑した反応を見ることを最後の人生の楽しみとする。アシェンは一貫してそっけない態度を取り続けるが、ルーナのひたむきな告白は、彼の無関心だった心に少しずつ波紋を広げていった。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも同じ作品を投稿しています ※全十七話で完結の予定でしたが、勝手ながら二話ほど追加させていただきます。公開は同時に行うので、完結予定日は変わりません。本編は十五話まで、その後は番外編になります。

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

処理中です...