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第六話 宝石の原石
しおりを挟む「失礼します」
リヒムと入れ替わるようにやってきたのは黒髪褐色の女だった。
上等なシルクの使用人服に身を包み、怜悧な瞳がシェラを見る。
「今日からあなたの世話係になりました。侍従頭のルゥルゥと申します」
「……世話係」
シェラはベッドの端に寄って訪問者を警戒していた。
まるで借りて来た猫のようだとルゥルゥは思った。
「戸惑いはあるでしょうが旦那様は慈悲深い方です。悪いようには……」
「お姉ちゃんを殺したのに?」
「……」
ルゥルゥは口を閉じた。
深い絶望と悲しみをたたえた瞳に告げる言葉を彼女は持たなかった。
(『アナトリアの悲劇』の生き残り、か)
ため息をつき、顎をしゃくる。
「まずお風呂に入ってください。あなた、臭いますよ」
「……」
シェラは服を摘まんで匂いを嗅ぎ、顔を顰めた。
◆
リヒムの邸宅はちょっとした離宮のような広さがあった。
東西二つに棟が分かれていて、東棟は使用人用の部屋が連なり、使用人の部屋や備品倉庫、事務室、厩舎、大浴場などがある。ルゥルゥは東棟を案内しながらシェラに語った。
「本日よりあなたはクルアーン将軍専属の料理官となります。階級は下級。本来なら最高料理官(アルフ・ヤディカ)の仕事です。専属の名に恥じない仕事をしてください」
「……誰があんな男」
イシュタリア帝国のために働くこと自体が嫌だというのに。
よりにもよって姉を殺した男の下で働かなければならないなんて。
気持ちが前面に出ていたシェラにルゥルゥは肩を竦めた。
「アナトリアの女は食に対して誠実だと聞いていましたが、違ったようですね」
「は?」
「確かにあなたでは実力不足。私も閣下にあなたの不採用を進言しましょう」
かちんと来た。
一年前まではアナトリア人であることの誇りを持ったことなどなかった。
しかし、故国を滅ぼしたイシュタリア人に馬鹿にされるのは我慢ならない。
「分かった、分かったわよ、やってやるわよ! やればいいんでしょ!?」
「……チョロ」
「何か言った?」
「あぁ、閣下に食べられようとはしないでくださいね。殺されますから」
「食べられる?」
その意味を遅れて理解して、シェラの顔は真っ赤になった。
「誰があんな男っ!!」
「冗談です」
ルゥルゥは真顔で言った。
笑えない冗談にシェラはため息を隠せなかった。
大浴場は東棟と西棟と西塔の間にあった。
どうやらクルアーン邸は上から見ると四角い形をしているらしい。
石造りの広い部屋の床から湯気が立ちのぼり、室内を白く染めている。
風呂釜役女官の女二人がシェラを迎えた。
「いらっしゃいませ。ルゥルゥ様。おや、その方は?」
「新入りです。今日から将軍直属の料理官を務めてもらいます」
「赤髪……もしや?」
「お察しの通り、アナトリア出身です」
「……なるほど」
風呂釜役女官長、名をスィリーンといった。
肉付きのいい体躯をした金髪の女性で、既に結婚して子供が三人もいるという。とても母親とは思えぬほど若々しさをまとっていた。
「あなた、お名前は?」
スィリーンは膝を曲げてシェラと視線を合わせた。
シェラはそっぽを向いて言う。
「シェラザード」
「そう。よろしくね、シェラ」
「よろしく」
「……」
穏やかに微笑む風呂釜役女官の二人にシェラはゆっくりと頷いた。
どの道行く当てのない身だ。
あの将軍が姉の仇である以上、放置してここから逃げることも出来ない。
シェラはしばらくこの屋敷に残ることを決めていた。
女官二人は自分たちの服を脱ぎ捨て、シェラの服に手をかけた。
「え、ちょ」
「私たちの仲間になるからには綺麗にしちゃいますからねぇ」
「姉さまに同意」
またたく間に裸にされたシェラは二人に浴場へ連れていかれる。
痩せ細った自分の身体と彼女たちの身体を比べて、少し悲しくなった。
目ざとくシェラを見たスィリーンは言った。
「大丈夫よ。シェラちゃんもすぐによくなるから」
「ここでちゃんと食べれば余裕」
「……食事を作るのは私らしいですけど」
「細かいことは気にしないの。それっ!」
「きゃ!?」
頭からお湯をかぶったシェラは悲鳴を上げる。
冷たい水以外を被るのはいつぶりだろうか。
芯から冷えた身体がぽかぽかの湯気に包まれ体温が上がり始める。
「……あったかい」
一年間、溜まりに溜まった汚れはお湯程度で落ちはしない。
だが、表面的な汚れが落ちるだけでシェラの素材の良さは浮き彫りでる。
「あら。これは……」
「ん。良き」
「久しぶりに磨きがいがあるわね」
「旦那様の愛妾候補?」
「どうかしら……でも、とびっきり綺麗にしましょ。皇帝の夫人に負けないくらい」
「同意」
「あの、一体何を話して」
「シェラちゃんはここに座っててね。はい。行くわよ~」
シェラはスィリーンたちの玩具のように丁寧に丸洗いされた。
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