宮廷料理官は溺れるほど愛される~落ちこぼれ料理令嬢は敵国に売られて大嫌いな公爵に引き取られました~

山夜みい

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第十話 少女の真価

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「さて、何時間・・・かかるかな」

 包丁を手に取ったアナトリアの少女を見て食聖官はその場を離れた。
 すかさずついて来た教育係のリーネがこそこそと話しかけてくる。

「ちょっとガルファン爺、いくら生意気だからって性格悪すぎない?」
「なにがだ?」
「新入りのことだよ! 恐魚の解体なんて本気!? 最高料理官アルフ・ヤディカでも難しい仕事だよ!?」
「そうだな」

 恐魚は難しい魚だ。何より個体差が大きすぎる。
 一般的な魚は三枚おろしか二枚おろしを覚えておけば大抵捌ける。
 背骨に沿って包丁を入れて出来るだけ骨に身がつかないようにすればいい。

 だが恐魚は違う。
 個体によって内臓の位置が異なり、少しでも内臓を傷つければ強烈な臭み成分が個体全体に広がって食材をダメにしてしまう。しかも骨が硬い。並みの腕では頭と胴体を切り離すことすらままならないだろう。恐魚を捌くという点において、非力さは致命的だ。

「ましてやあの細腕だしなぁ」
「じゃあなんでやらせてんだよっ?」
「ま、恐魚ってのは料理官としての全てが試されるからな」

 食材を見極める観察眼、魚を捌く段取り、手際の良さ、丁寧さ。
 恐魚のおろしを見るだけで料理官としての実力が分かるとはよく言ったものだ。
 熟練の職人でさえ恐魚の解体には一時間以上かかる。

(失敗することは恥じゃねぇ。そこまでの過程が大事だ)

 無理難題に対してどういう姿勢で取り組んでいるのか。
 食聖官ウレマーガルファン・バサムが見ているのはそこだ。

 しかし無茶を言っているのは間違いない。
 周りで様子をうかがっていた者達も、シェラに気の毒そうな目を向けていた。

「まーた始まったよ、ガルファン爺の新人試し」
「月の宮に入った奴は全員やらせられんだよなー俺もやらされた」
「私、結局できなくて泣いちゃった……忘れたい黒歴史だわ」
「俺なんて一匹まるごとダメにしたしな。あの子には無理だろ。可哀そうに」

 周りの声を聞いたリーネが声を上げる。

「ほらみんなもこう言ってるし! あの子には無茶なんだって!」
「なんだお前、生意気とか言ってた割りに優しいじゃねぇか」
「あたいは別に虐めたいわけじゃないんだよ! ただ適度に先輩としてちやほやして欲しかっただけなんだ!」
「がっはは! 面白いぐらい庶民派だな」

 なんだかんだと世話焼きなのだ、このリーネという女は。
 だからこそシェラの教育係に任命したのだが。

「ていうかシェラザードって……どっかで聞いたことある気が……」
「ぐだぐだ言ってねぇで仕事しろ! 今度こそ火の宮の連中にほえ面かかせんだからな!」

 月の宮と火の宮は犬猿の仲だ。
 月の宮が魚料理や冷製料理を得意とするのに対し、火の宮は肉系のがっつりとした料理を好んで皇帝に出している。今代の皇帝は肉料理が好きで、火の宮はますます力をつけているのだ。特に一年前から彼らの料理は格段に進化し、その料理は国外にまで名が轟くほどになっている。一説では、先のアナトリアの悲劇の際にゴルディアスの秘宝を秘密裏に探し当てたのではという話だが……それはさておき。

「リーネ、あいつが解体出来ねぇならちゃんと教育してやれよ。そのためにお前をつけたんだ」
「わぁってるよ! まぁあたいも鬼じゃないし? ちゃんと先輩って呼ぶなら教えてやらなくも……」
「あの」

 突如、二人の後ろから声がかかった。
 彼らが振り返ると、仏頂面のシェラが佇んでいる。

「なんだチビ助。諦めたのか」
「しょうがねぇだろガルファン爺。恐魚の解体は知識がなきゃ無理だし。この前まで火の宮にいた見習いに出来る訳が──」
「いや、普通に終わりましたけど」
「諦めんのはまだ早ぇぞ。何事も挑戦ってのがだな──」
「そうだろそうだろ、やっぱあたいが教えて──」

 二人は同時に固まった。

「「は?」」
「だから、終わりましたけど」

 シェラはこともなげに言った。

「いやお前、いくら冗談でも言っていいもんと悪いもんが」

 ガルファンの言葉は途切れた。
 シェラの向こうにあるはずの、恐魚の姿が綺麗におろされていたのだ。
 腹身、背身、内臓、骨、頭、すべて綺麗に分けられている。

「は!?」

 ガルファンは慌ててまな板へ駆け寄った。
 恐魚の身に顔を近づける。
 間違いない、先ほど自分がさばくように指示した魚だ。

 身に余計な傷は一つもなく、また内臓は綺麗に取り除かれている。
 しかもなんだ。この、身の輝き具合は!

「う、嘘だろ……」

 リーネが戦慄したように言った。

「あ、あたいだって三十分以上かかんのに」
「たった五分で解体したってのか!?」
「はぁ?」

 驚く二人に対してシェラは怪訝そうに眉根を寄せた。

「仮にも宮廷料理官を名乗るなら、これくらい出来て当然でしょ」
「「……」」
「私のお姉ちゃんなら、もっと早くできる」

 シン、とその場が静まり返っていた。
 二人だけではない。シェラの様子を見ていた全員が言葉を失っていた。
 最高料理官でさえ調理が難しい恐魚の解体。
 それを、下級ですらないただの新入りが圧倒的な速度でやってのけたのだ。

「がっははは! 頼もしい新人が入って来たじゃねぇか!」

 ガルファンは恐魚の切り身を見て頷いた。

「びっくりするぐれぇ丁寧な仕事だ……これは能力の問題じゃねぇ。食材をいたわる心、食べる奴に配慮した愛情ってやつがある。料理官としての誇りってやつか? おいテメェら、シェラを見習えよ!」
「ま、待って。思い出した、思い出したよ! シェラザード!」

 リーネがシェラに指を差しながら、

「あんた、!?」
「…………え?」

 と、そう言ったのだ。

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