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第八話 悪徳契約

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「お金がない……? どういうことよ」
「そのままの意味だよ。俺に使える金はねぇ」
「実家に頼りなさいよ」
「俺は嫌われ者だから無理」

 悪ぶって肩を竦めるジャックに毒薬をぶちまけたくなる。
 ──いや、落ち着こう。
 患者相手に感情的になるのはツァーリの女の矜持に反する。

「お前、貴族でしょ。お金なんていくらでもひねり出せるんじゃないの」
「貴族を何だと思ってんだ。テメーなら分かるだろうが。実家から嫌われた令息が自由に出来る金なんてねぇってことがよ」
「え。分かんないけど」
「は?」

「は?」はこっちの台詞よ。何言ってんの?

「お金は自分で稼ぐものでしょ。成人の儀を終えた良い大人が何言ってんの? 自由にできるお金がないなら働けばいいじゃない。ちょっとは平民を見習いなさいよ。彼らは七歳から働きに出て家にお金を入れてるのよ? それをお前……令息だから金がないって甘えてんじゃないわよ。愚かね、死ぬの?」
「い、いやテメ、それはテメーが」
「自分の怠慢を棚に上げて人を特別扱いしてんじゃないわよ。それでもバラン家の男なの?」
「それは……」

 めんどくさい、と思った。
 どうせここからジャックが言うことは決まっている。
 私はかつて同年代の令嬢令息に言われた言葉を思い出した。

『さすがはツァーリ家の天才令嬢ですわね。尊敬しますわ』
『あなたは特別だからそんなことが言えるんだよ。僕ら凡人には無理なのさ』
『ラピス様は強いですわね。とても……お強いです』

 彼らは愚かだ。私がどんなに苦労してお金を稼いだかも知らないで、さも最初から才能を持っているみたいに言って遠巻きに指差し、仲間を作って自分は一人じゃないって彼らは安心する。自ら一線を引いたくせに、輪の中から外れた者を『異常者』と言って蔑んで私を爪弾きにする。社交界で嫌というほど見て来た光景。

 ふん。そんなものに私は負けないわ。
 私は私が正しいことを言っている自信と自負がある。
 はみだし者になろうが何だろうが、この生き方だけは絶対にやめないと決めたのよ。

「それは……」

 遠縁の親戚であるコイツも、どうせ同じに決まってる──

「それは……テメーの言う通りだな」
「は?」

 今度はこっちが「は?」という番だった。
 私たちは何回この「は?」を繰り返せばいいんだろう。
 まるで「は?」しか言えない毒でも飲まされたみたいだった。

「いや、マジでその通りだわ。ダセェな。俺」
「……」

 ジャックはガシガシと頭を掻いている。

「自分の怠慢棚に上げてテメーのこと特別扱いしてた。やっぱすげーな、ラピス・ツァーリ……昔から変わんねぇ」
「昔?」
「なんでもねェ」

 ……もしかしてコイツと私ってどこかで会ってる?
 記憶力は良いだし、こんな目つきの悪い男が居たら覚えてると思うんだけど……。

「だがどうしたもんかな。金はねぇし、実家には頼れねぇ」
「だから働きなさいよ」
「バラン家の令息を雇ってくれる所なんてあんのかよ」
「……」

 まぁ、ないだろうな。と思う。
 バラン家はツァーリと並ぶほどの名家だ。こいつの嫌われ具合がどの程度か知らないけど、血縁なのは事実で、そんな奴を雇ってバラン家の不興を買ったらと思うとゾッとするだろうし、雇ったとしても万が一のことを考えればリスクが大きすぎる。身分を隠したとしても、いつバレるか分からないのだし。

「いっそ裏町の悪党をぶっ飛ばして金を巻き上げるか……いやでもそれは元は平民の金だしな……」

 顎に当てて考え込むジャック。
 かなり真剣に考えている侯爵令息を意外に思った。

(こいつ、治療費をタダにしてくれとは言わないのね)

 そこに少しだけ感心する。普通の人だったら今回はタダでとか言い出すところだもの。お前が勝手に助けたんだろとか、助けてくれとは言ってないとか、そんな論法で攻めて来るんだと思ってた。私としては治療費を払ってくれれば別に闇金融だろうが内蔵を売った金だろうが構わないけど。

 ……実家から嫌われている。ねぇ。
 まるでどこかの誰かみたいな話だ。
 いや別に、私はお父様と仲が悪かっただけで、お兄様には愛されてたらしいけど。

「ちなみにお前、どうして実家から嫌われているの」
「……つまんねぇ話だよ」

 つい、と目を逸らし、ジャックの蒼氷色の瞳に影が過る。

「ただ、やり方が気に入らなくて反抗した。バラン家の誇りを忘れたクソジジイに拳骨食らわせたら勘当されちまってな。それだけだ」
「……それって」

 同じだ、と思った。
 王子から身を守った娘を守ろうともしないお父様と口論した、私と……。

 別に共感したわけじゃない。同情もしない。
 私とジャックは何もかもが違っているし、理念も信念も違うのだろう。

 ただ、気に入らない者に対するスタンスに連帯感を覚えるというか……。
 気に入らないことを気に入らないと言って社会から弾かれた、その度胸には誰かが報いてやるべきだと思う。少なくとも、同じ境遇の私にはそれが出来る力がある。

「……よく見ればお前、体格は良いのよね」
「あ? んだよ」

 腕を組んてジ、とバラン家の嫌われ者を見下ろす。
 体格よし。健康状態よし。顔は普通。性格残念。怪我はご愛敬。
 ついでに目つきも最悪。命の恩人に対する態度もなっていない。

(ま、贅沢言ってらんないか)

 ため息をつき、私は決断した。

「事情は分かったわ。ならお前、私の下僕になりなさい」
「…………は?」
「聞こえなかった? 私の下僕に」
「いやいやいやいや! 待て! なんでそうなる!」
「は? だってお金ないんでしょ?」

 ジャックはいきり立った。

「そこは普通「ここで働かないか」って聞くべきところだろうが!」
「もしかして期待してたの? 愚かね。恥を知りなさい」
「テメー……!」
「雇用関係というのは相応しき対価があって初めて成立するの」

 元気よくきゃんきゃん吼える犬を正論で躾ける。
 ここはちゃんと言い含めておかないと、勘違いされたら困るもの。

「無銭患者のお前は既に対価を受け取ってる。分かる? 既に貰っている分を返すだけなのに、労働とか言わないでほしいわ」

 私は決して、こいつに共感したり同情したわけじゃない。
 ただ治療費の対価として相応しき立場を与えてあげようというだけ。

「お前はこれから私の下僕として、手となり足となり仕えるのよ。いいこと? 私が「お手」と言ったら手を差し出し、私が「お茶」と言ったらコーヒーを用意し、私が命じたら「ワン」と叫びなさい。忠犬と呼ぶにふさわしい犬になれたら雇用契約を結ぶことも検討するわ」
「せめて人間扱いしろよ……!」
「無銭患者に人権はないのよ。治療費を返すまで犬として働きなさい。返事は?」
「………………しゃーねぇな」

 まだ分かっていないようね。
 私はさっきのナイフを掲げてにっこりと笑う。

「返事は?」
「…………………………ワン」
「よろしい」

 ふぅ、やれやれ。これは調教が大変そうね。
 まぁ体格も良いし、側に置いておけば何かと役立つ時が来るだろう。

「とりあえず食材買ってきてくれる? 今日の夕食何もないから」

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