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第七話 毒花王子

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「……ふぅ。ひとまずこれでいいか」

 なんとか一階の調合室に運び込び、ソファの上に寝かせた。
 休憩用に買っておいて良かったわね。ちょっと汚れるのは仕方ないか。

「それにしても……」

 ジ、と男の頭の先から足先まで眺めてみる。
 二十歳もいかないくらいかしら。横を完全に刈った黒い短髪にまつ毛が長い。
 私よりも背は高くて、たぶん一八〇セルチくらいはあると思う。

 気になるのは服装だ。
 この男が着ているのは貴族服だった。

「どこかで会ったことがあるような……」
「ん、ぐ……」

 ーーあ、起きた。
 長いまつ毛がぴくりと動き、瞼が震えてゆっくり持ち上げられる。

「ここは」
「起きたの」
「!?」

 男はギョッとしたように跳ね起きた。
 まるで尻尾を踏まれた犬みたいな反応ね。犬より可愛くないけど。

「て、テメー、なんで」
「店の前で倒れてたから助けたわ。命の恩人に向かってなんて言い草なの」

 男は目を見開き、理解したように脱力した。
 そしてあろうことかそっぽを向いて悪態をつく。

「……誰も助けてくれなんて頼んでねーし」
「はぁ?」
「テメーなんぞに助けてもらわなくても……待て、何を持ち出してやがる!?」
「何って、ナイフだけど」

 こういう命を軽視する奴、大っ嫌い。
 人間、死んだら戻らないのに。
 どうせ無駄にするなら私の研究の糧になってほしい。

「それで何をするつもりだよ!?」
「お前の瘡蓋かさぶたを一枚一枚剥がしていくのよ」

 ナイフの腹に指を滑らせて口の端をあげる。
 きらりと輝く切先をかかげて見せれば、男の顔は見る見るうちに蒼褪めていく。
 命を軽視するくせに痛いのは嫌なんて贅沢なやつね。

「せっかく塞いでやったのに要らないっていうんだから当然でしょ? 安心なさい、剥がした瘡蓋は成分分析して薬の改良に役立ててあげるから」
「一ミリも安心できねーんだが!?」
「恩人に対して口の利き方がなってない愚図には相応しい末路よ」
「末路って言ってるじゃねーか!」
「で?」
「……悪かった。だからそのナイフを下せいや下ろしてください」
「最初からそう言えばいいのよ」

 私に無駄な手間を使わせないでほしいわね。

「で? お前はどこの誰なの。名前は」
「……ジャック・バランだ」

 …………バラン?

「もしかしてあのバラン?」
「あぁ」
「……へぇ」

 ジャックはいかにも渋々って感じで名乗ってるけど……
 バラン家はツァーリ家と双璧をなす歴史ある名家だ。

『智のツァーリ』『武のバラン』とも言われていて、建国戦争の折に一万の軍勢を破ったのは両家の尽力が多いと言われている。先々代までは両家の間で婚姻を結ぶほど仲が良かったのだけど、先代の当主同士が仲違いしたせいで今は絶縁状態。たぶん私とは遠縁の従兄に当たるのだろうけど、顔を見たことすらない。ないのだけど、話だけは聞いていた。

「お前、もしかしてバラン家の毒花王子?」
「誰が王子だぶっ殺すぞ!」
「……へぇ。そういうこと言っちゃうんだ」

 私はすっとナイフをあげる。
 ジャックは途端に怯んで口をもごもごさせた。

 ………花がないわねぇ。

 社交界の毒花王子。

 それが今、私にきゃんきゃん吼える男の正体だった。

 曰く、見ている分には綺麗で楽しい社交界の花。
 曰く、とびっきりの美形なのに触れたら凶暴になる。
 曰く、近づく相手に暴力を振るおうとするモラハラ野郎。

 曰く、曰く、曰く。 

 ──見た目は綺麗で中身は終わってる毒花のような男。

 色々噂はあるにせよ、火のないところに煙は立たないのは確かだ。
 現に今、命の恩人に対してとった態度はあまりにも花がなかった。
 毒花どころか毒男の間違いじゃないの? 誰が言い出したの王子って。

「で、なんでその毒男が私の店の前で血まみれで倒れてたの」
「なんかすげー誤解を生むような言い方なんだが」
「答えなさい」

 ジャックはそっぽ向いた。

「……言いたくねー」
「は?」
「死んでも言わねー。かさぶた取るなり何なりしろや」
「……」

 私は無言でかさぶたにナイフを当てた。
 ジ、と観察してみるけど、ジャックの顔に恐怖は微塵も見られない。 
 蒼氷色スカイブルーの眼差しは鋭く、むしろ噛みつくように私を睨みつけている。

 なんだかお父様がお母様に張り合った時に似ている。
 こう言う手合いには何を言っても無駄なのよね……。

「テメーのほうこそどうなんだよ」
「?」
「まだ名乗ってねぇぞ。人に名前を聞いたら名乗り返せって母親に教わらなかったか」
「ふん。生意気ね」

 私は髪を払って胸を張る。

「ラピス・ツァーリよ。これで満足?」
「……」
「何よ。何か言いなさいよ」
「別に」

 何なのそのあからさまに視線を逸らす態度は。
 なんかもっと言うことあるでしょ。
 あのツァーリ家の令嬢なのとか、あの天才薬師令嬢なのだとか。
 それが命の恩人に……いえ、もういいわ。まともに相手するの疲れるし。

「ところでお前、起きれるようになった?」
「あぁ。世話になったな」
「そ。なら」

 私は手を差し出した。

「お金、貰える?」
「は?」

 ぽかんとした表情が気にくわないけど、私は努めて落ち着いた声音で続ける。

「は? じゃないわよ。治療費よ、治療費。まさかタダで治してやったと思ってるの? 道端で倒れて担ぎ込まれた人間だって治療費は必要なのよ。バラン家ってくらいだしお金は持ってるでしょ。はい。出して」

 記念すべき初めての患者だから、少々値引きしてあげなくもない。
 ただ、お金を貰うのは絶対だ。
 無償で助けるなんて聞こえは良いけど技術の安売りはいずれ破滅を呼ぶ。

 今時、平民でさえ治療院に運ばれたら金を払うのは常識。
 それもあって運ばれるのを拒否する平民もいるらしいけど、命あっての物種だ。大抵は払う。

 出血死寸前だったことに加え薬の貴重さから、まぁ二万ギルくらいが妥当だろう。我ながら極めて良心的だわ。感謝してほしいくらい……だと思うんだけど。ジャックは不愛想に口を開いた。

「金なんざ持ってねぞ」
「………………は?」

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