傲慢猫王子は落ちぶれ令嬢の膝の上

小桜けい

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29 悪夢

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 その晩、エステルは久しぶりに悪夢を見た。

 二年前のあの日。両親を屋敷から送り出す日の夢だ。

 遠出の支度をした懐かしい両親の姿を前に、もどかしい気持ちがせりあがるも、エステルの身体は自由に動かない。



『では、行って来るが……本当に良いのだね?』



『ええ。いってらっしゃいませ、お父様。お母様』



――行かないで! 行っては駄目!



 心の中で必死に叫んでいるのに、エステルは実際に行ったように笑顔でそう両親に声をかけ、二人を送り出す。



――駄目! 駄目よ‼ だって、このままでは……っ‼



「――エステル、エステル!」



 ペチペチと頬に柔らかな感触が当たり、エステルは目を覚ました。

 涙でぼやけた視界に、薄暗い寝室と綺麗な金色の毛並みがぼんやりと映っている。



「随分とうなされていたから気になって起こしたが、大丈夫か?」

 枕元にいたアルベルトの、深い緑の瞳にじっと見つめられ、エステルは気まずい気持ちのまま身を起こし、頬の涙を手で拭った。



「少し、悪い夢を見て……起こしてしまって申し訳ございません」



「まったくだ。驚いた」



 プイとアルベルトは顔を背けたが、一瞬のちにチラリと横目でエステルを見た。



「……しかしだな、こんな深夜に起きて時間もあることだし、心につかえているものでもあるのなら、聞くのもやぶさかではないぞ?」



「え……?」



「うなされながら、何度もご両親に謝っていた」



 そう指摘され、ギクリとした。



「そ、そうでしたか……」



「ああ。常に能天……いや、前向きで明るいそなたの姿にしては意外で驚いた」



 アルベルトはそこまで言うと、エステルの方に顔を向け、じっと目を合わせて見上げてきた。



「だから、もしかしたらよほど何か思いつめている事柄があるのではないかと思ったのだが……余計な詮索だったらすまない」



「いえ……殿下の仰る通りです」



 エステルは力なく項垂れ、頭を振った。

 カーテンの隙間から青白い月明かりが差し込む、深夜の静寂に寂しさを煽られたのだろうか。

 二年前からずっと、メイドとして忙しく過ごす日中はむしろありがたかった。目の前のこと以外を考える暇がなかったからだ。

 でも夜には時おりこうして、悪夢を見て起きては泣き崩れることが幾度もあった。

 呪いに困っているアルベルトを、自分なんかのことで煩わせてはいけないと思うのに、じっとこちらを見上げる優しい色の瞳に縋りたくなる。



「っ……両親と最後に別れた日の夢を見るのです。あの日……私のせいで両親が殺されてしまったのだと思うと……二人に申し訳なくて……」



 しゃくりあげながら訴えると、アルベルトが目を零れ落ちんばかりに見開いた。



「そなたのせい? だが、確かそなたの両親は……」



「はい。両親は野盗に殺されました。ですが領地に出立する直前まで、両親は風邪を引いた私を一人で残していくのを案じ、領地行きを延期しようとしていたのです。もしあの時、私が素直にそれを受け入れて延期してもらっていれば……」



 悔やんでも悔やみきれない。

 時間を巻き戻せるのなら、あの日に戻ってやり直したい。

 あの日、エステルが風邪を引いて領地に行けなかったのは、運命の思し召しだったのかもしれない。

 もう子どもではないのだからと強がったりせず、心配してくれた両親の思いを素直に汲み、一人で留守番は嫌だと駄々をこねて出立を遅らせてもらえばよかった。

 そうすれば両親は野盗に遭遇したりせず、あんな最期を迎えたりしなかっただろうに……。



「……なるほど」



 聞き終わるとアルベルトは、パタリと尻尾を揺らして敷布を軽く叩いた。



「も、申し訳……ござ……っ……こんなっ……話を……してしまって……」



「いいから、とりあえずそのベタベタの顔を何とかするように」



 ビシっと前足でチリ紙の入った籠を示され、エステルは慌てて寝台脇にあったそれに手をのばす。

 柔らかなチリ紙で涙を拭い、鼻をかんだ。

 エステルが落ち着いたのを見計らったように、アルベルトが立ちあがる。エステルの膝の上に、金色の前足がポンと置かれた。



「そなたの後悔は解った。だが、他人の私が言うのもおこがましいかもしれないが、ご両親はそのように苦しむのを望まないと思う」



「殿下……?」



「私も、父が私にかけられた呪いのことで苦しむのを見て辛かった。父には何の責任もないのに、どうしてあんなに苦しまなければいけないのかと……大切な相手が自分のことで苦悩するのを見るのは何よりも辛い。だからどうか……自分を許してやれないか? 仕方のなかった災厄だと、非難の矛先を自身に向けるのを止める事はできないか?」



 目を伏せたアルベルトの、しんみりとした声は、エステルの心にストンと落ちた。

 最愛の息子に、自分への恋慕が原因で呪いをかけられてしまった国王の苦悩は如何ほどだっただろうか。



 何か事前に対策ができたのではなかったか。

 他に回避する道があったのではないか。



 そう悩み、苦しみ抜いただろうことは想像に難くない。

 でも、そうして息子を思い悩む父王の姿に、アルベルトもまた苦しんでいたのだ。



「で、殿下ぁ~……」



 せっかく収まった涙が再び溢れだすのを止められなかったが、アルベルトはエステルが泣き疲れて眠ってしまうまで、ただ黙って寄り添ってくれた。

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