キラキラ狼は偏食の吸血鬼に喰らわれたい

小桜けい

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シーズン2

6 約束は守るためにある

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****
 ――十二年前の夜。
 ラクシュはまだキルラクルシュであり、黒い森の城に住み、仲間と一年に一度だけの交流をする夜を、とても楽しみにしていた。

 彼女は城の最上階にある八角形の部屋で、窓を少しだけ開いた。
 夜の闇が黒い森の木々を、さらに黒い影にし、夜風が背の高い針葉樹をそよがせている。
 馬車の音が聞こえ、黒い森の入り口まで供物を受け取りに行った同族たちが、馬に台車を引かせて戻ってくるのが見えた。

 小麦などの農作物に、肉類、酒類、布、金貨に銀貨。そして生き血を啜らせるために人間が十人。
 供物として贈られた人間は、緊急で生き血が必要になった時にそなえ、念のために一人か二人だけは牢に入れて生かすが、大半が今夜で血を吸い尽くされて絶命する。
 十人だけしか寄越されない人間で、黒い森に巣住む吸血鬼たち全員が、一度に血飢えを満たそうとすれば、供物の死亡は当然の結果だった。

 黒い森の吸血鬼たちも、以前なら人間を殺すまで血を吸う事は、滅多になかった。
 面倒で危険も多かったけれど、多数の人間から小まめに少しずつ何度も吸っていたからだ。

 でも、人間達はそれよりも、毎年十人殺される方が、ずっと良いらしい。

 講和条約を持ち出された時、キルラクルシュはそう解釈した。
 そして、怖くてたまらなかった日々が終わるのが、とても嬉しかった。


 月の照らす城の中庭には、大理石の大きな円テーブルが置かれ、いくつものベンチが取り囲んでいた。供物はテーブルにまとめて積み上げられ、後ほど厨房や倉などに収納される。
 キルラクルシュはいつも、他の吸血鬼たちの食事を邪魔しないように、彼らが供物の血を吸い終わってから中庭へ行くことにしていた。

 しかし、どうやら今年は、少し早すぎたらしい。
 中庭では、まだ人間の供物たちが血を吸われている真っ最中だった。
 魅了の魔法をかけられた人間たちは、どれも恍惚と苦悶の入り混じった表情を浮かべて喘ぎ、数人の吸血鬼たちに代わる代わる犯されながら血を吸われていく。
 半分ほどはすでに絶命したらしく、キルラクルシュの足元にも、真っ白になった若い女の屍が転がり、虚ろな目でこちらを見上げていた。

「離せ!」

 供物たちの奏でる淫猥な濡れ音と喘ぎ声に、吸血鬼たちの笑い声が混ざりあう中庭で、一人だけ大声で怒鳴っている人間の少年がいた。
 赤褐色の髪をした少年は、背も低くとても貧弱にやせこけていた。骨と皮ばかりのようなあの小さな身体から、よくもあんな大声の罵声が出るものだ。
 ツル草に縛られて仲間に囚われている少年は、どうやら吸血鬼たちが供物の血を吸ったことに激怒しているらしい。

 ――どうして怒るの?

 キルラクルシュは驚きを禁じえなかった。
 講和条約を言い出したのも、供物を選んで差し出してくるのも、人間のほうだ。
 供物になった人間は、進んで我が身を差し出しているのでは? 
 
 考えてみれば、荷台で運ばれてくる人間達は、いつも眠っていたようだ。
 そして、キルラクルシュが部屋から降りてくる時にはもう、彼らは死んでいるか、魅了の魔法をかけられ過ぎて正気をなくしていたから、まだ理性を保っている供物を見たのは、これが初めてだった。

 もしかしたら、ここに転がっている、少年と同じ赤褐色の髪をした女性も、あんな風に怒鳴り泣き叫んだのだろうか……。

 足元に転がる屍を茫然と眺めているうちに、不意に吸血鬼たちがどよめいた。あの少年が、隙をついて逃げたのだ。
 少年は腕をつる草で拘束されたまま、中庭の石畳を必死に駆けて逃げていく。
 吸血鬼たちはクスクス笑いあい、よろめき走る少年をじわじわと追いかける。だが、狩りを楽しもうと取り囲むだけで、すぐに捕まえようとはしなかった。

 キルラクルシュは、黙って中庭の追いかけっこを見ていた。
 供物となった人間がどんな感情を持っていようと、約束は約束である。
 少年は供物になったのに、約束を破るのは良くないと思った。

『……?』

 しかしふと、中庭を見渡して、妙なことに気づいた。

 ――じゅう……いち?

 あの少年を入れると、何度数えても人間の数は十一人。
 一人、多いのだ。
 それを仲間に尋ねると、少年は本当の供物ではないと教えられた。供物になった姉の身代わりになろうと、荷物に忍び込んでいたのだという。

『わざわざ供物を増やしてくれるなど、愚かで可愛い人間だ。気にするな、キルラクルシュ。姉の方はとっくに死んだし、あれもすぐに後を追う』

 そういった仲間に、キルラクルシュは首をふった。

『……だめ。返そう』

 供物が約束で提供されたものなら、条約で決められた数以上の人間を襲わないと、黒い森の吸血鬼一族だって約束したのだ。
 姉の身代わりになることが少年の望みだったといっても、その姉は死んでしまったらしい。
 それなら、彼がここにいる理由はなにもない。
 供物は一年に十人という約束だから、それ以上に傷つけてはいけない。

 『お、おいっ!?』

 驚く仲間を残し、キルラクルシュは滑るように中庭を走りはじめた。
 少年はすでに中庭を出て、小道を駆け出している。その先は、吸血鬼たちの産まれ出る赤い泉のある場所だった。

 月光の下に無数のスズランが咲き乱れ、十数個ある丸い小さな泉は、乳白色の石に縁取られて不透明な赤い水をたたえていた。
 少年は泉の間に敷かれた石の道を、今にも倒れてしまいそうな足取りで、ふらつきながら走っている。
 キルラクルシュは、やすやすと少年との距離を縮めた。赤褐色の汚れた短い髪が、すぐ目の前で揺れている。

 ――心配ないよ。君は、ちゃんと返してあげるから。

 そう呼びかけたが、ボソボソとした小声にしかならず、少年にきちんと届かなかったらしい。
 少年が走りながら振り返り、間近に迫ったキルラクルシュを見て、夕陽色の瞳に恐怖がいっそう濃くなった。

 ――止まって。そんなによろけて走ったら、危ないよ。泉に落ちたら……

 キルラクルシュは少年へ手を伸ばしたが、少年は身体をひねって避け、勢い余って泉に飛び込んでしまった。
 水しぶきをあげて、赤いとろみのある水が少年を飲み、じゅうじゅうと白煙が上がる。

 泉の水に触れて無事な者は、そこから産まれた者だけだ。
 魔物ですら、自身の産まれた以外の泉に触れれば、皮膚が焼け爛れてしまう。

 赤い泉の水は、すぐさま少年を焼き溶かし始め、彼の口から苦痛の悲鳴と、血なのか泉の水なのかもわからない赤が吹き上がった。
 少年は咽こみ、何度も赤い水を口から噴き上げながら、鼓膜をつんざくような声で叫んだ。

『ギ、キルラ、グルシュゥゥ!!! ガッ……おまえ、がぁっ!!』

 すでにもう顔全体が焼け爛れて、目も塞がり、口元も溶けて裂けて焼けて……。喉からあがる声も、やっと聞き取れるほどの酷い声音だ。

『お、お前ざえ、いなければ……っ!! 生贄、制度なんがぁっ! 出来なが……っだ!!』

 その絶叫を最後に、少年は沈んだ。
 泉の表面はすぐに静かになり、不透明な赤い水の中は、もう何も見えなかった。

*****

 ―― ディキシスは、あの時の少年だ。

 ラクシュがそう気づいたのは、人混みの中に突き出た彼の頭部だけを見たからだ。
 十二年前の貧弱でやせこけた少年と、立派な長身の青年になった彼は、あまりにも違っていて、気づかなかった。
 しかし、一度気づいてしまえば、暗い夕陽色の目は、確かにあの夜、吸血鬼たちへの憎悪をたぎらせていた目だ。
 彼は、どうやってあの泉から生きて戻ることが出来たのだろうか……。

「――ラクシュさん?」

 回想に耽っていたラクシュを、アーウェンが覗き込む。

「ディキシスさんと知り合いだったんですか? でも、生きてたって……」

 アーウェンは、とても心配そうな声と表情だった。

「ん……」

 ラクシュは少し戸惑った。
 自分の顔を見たディキシスの反応から、彼の探し人は恐らく『本物のキルラクルシュ』なのだろう。
 つまり彼は、新聞に載っていた討伐記事の死体が贋物だと、知っているようだ。

 このとても長い経緯を、アーウェンにどうやって伝えようかと思案していると、不意に大砲のような音が轟いた。
 同時に夜空へ、色とりどりの無数の星が打ち上げられる。広場の人々が、いっせいに歓声をあげた。
 星祭の最後を飾る花火だ。

「あ」

 久しぶりに見た花火は、夜空に大輪の花が散ったようで、例えようもなく美しかった。
 一瞬で消えてしまう華やぎだからこそ、こんなにも美しく惹きつけられるのだろうか。

「綺麗ですね」

 弧を描いてキラキラと舞い落ちていく火の粉を眺め、アーウェンが笑う。彼は慈しむようにラクシュの手を両手で包みこんだ。

「ラクシュさんが元気になってくれて、本当に良かった。また一緒にこれを見られて、嬉しいです」

「……ん」

 緑色のレンズ越しに、花火よりももっと綺麗な光の粉が、キラキラと舞い散って見える。
 このゴーグルは我ながら傑作だと、ラクシュは心の中で深く頷いた。
 こんなにキラキラしているアーウェンを前にしたら、とても目をあけていられない。

 ―― アーウェン、嬉しそうだなぁ。

 彼は普段、ラクシュの事ばかりを気にかけていて、自分の事は常に後回しにしている気がする。
 身体を重ねるようになってから、そっちの面では暴走しがちだが、それだって最近はかなり我慢をしているようだ。
 もう、うっかり服を破いたり物を壊したりすることもなく、非常に気を使いながら慎重にラクシュへ触れる。
 そんなアーウェンにとって星祭がこんなにも喜べるものであれば、来年もきっと来たいと思った。

「ん。来年も……これ、見よう」

 そう言ったら、アーウェンはポカンと驚いたような表情を浮かべ、唐突にラクシュを抱きしめた。

「すみません……人前でこういうの……あんまり良くないって、解ってますけど……」

 ラクシュの首筋に顔を埋めて、アーウェンが感極まった声で呟く。
 近くから冷やかすような声があがったが、広場には他にも似たような事をしている恋人たちがたくさんいるから、そう目立ちもしない。
 ラクシュもそっと手を伸ばして、アーウェンの広い背中に抱きついた。彼のオリーブ色の髪が頬をくすぐる。

「アーウェン。私……君が、大好きだよ」

 もう十年も昔。
 この街で、彼の髪と同じ色の靴を買った帰り道にも、ラクシュは確か同じ事を言ったけれど、まったく同じ言葉なのに、どこか違う気がする。

「ラクシュさん、もう一個だけ、ワガママさせてください」

 アーウェンが、ラクシュのゴーグルを額に押し上げた。途端に襲われた眩しさに目を瞑ると、唇が柔らかいもので、そっと塞がれた。

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