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シーズン2
7 狼と七人の吸血鬼
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ディキシスとレムナは、まだ人で賑わう広場の入り口にいた。
もう時刻は夜の十時。
家路を急いで市街地の方へ歩いていく人々も、星祭りを締めくくる花火が上がると、思わず足を止めて空を振り仰ぐ。
本音を言えば、ディキシスはさっさと広場から離れたかったが、レムナが花火を楽しみにしていたのを思い出して歩みを止めたのだ。
レムナが夜空を仰ぎ、感嘆の溜め息を漏らす。
夜空を昼間のように照らした花火は次々と打ち上げられ、最後に盛大なきらめきを放って終わった。
「綺麗だったね」
「そうだな」
ディキシスは頷く。
はしゃぐレムナに返した自分の声は、舌打ちしたくなるほど無感動で無愛想だった。いつだって本当は、もう少し温かみのある言葉をかけたいと思っているのだが。
昔はもっと、普通に話せて笑えていたはずなのに、いつのまにかすっかり、やりかたを忘れてしまった。
華やかな祭りや花火を見ても、ディキシスの心は、腐って干からびかけた泥沼のように澱んだままだ。
「ディキシス……本当に大丈夫? 真っ青だよ?」
レムナの黄色い瞳が、おずおずとディキシスを見上げる。
遠慮がちに声をかける彼女の短い髪を、無言で軽く撫でた。きっと自分は今、いつもより輪をかけて酷い顔つきをしているのだろう。
愛用している暗緑色の外套は、隠しポケットも多く便利だが、この季節になると、さすがに少し暑い。だが、背中や首筋が汗でじっとりと湿っているのは、ラクシュの顔を見たからだ。
ディキシスが必死で探している女。
思い出しただけで身震いするほど憎悪している吸血鬼。
キルラクルシュと、彼女は瓜二つの顔をしていた。
「気にするな。危うく人違いで失礼な真似をする所だったから、少し落ち込んでいるだけだ」
そうだ、人違いだったじゃないかと、ディキシスは必死で自分へ言い聞かせる。
背格好は似ていても髪の色は違い、彼女が本当に血肉を受けつけない体質だという証言まであった。そんな体質で、人の血を吸う吸血鬼のはずはない。
それにラクシュは、とても風変わりで理解しがたい部分はあっても、どこか好感を持てる相手だった。
―― 彼女が姉の仇であるはずは……何万もの人間を虫けら同然に殺した、悪逆非道な女吸血鬼のはずはない。
十二年前。
ディキシスのたった一人の肉親である姉は、吸血鬼へ生贄の供物として差し出されて死に、ディキシスも殺されかけたあげく、赤い泉に落ちて全身を焼け溶かされた。
本当ならば彼も、そこで死んでいたはずだった。
だが、ディキシスは虫の息になりながらも、泉の底へ……鉱石木に囲まれた不思議な地底の空間まで、かろうじて生きたまま着いたのだ。
そして『泉の番人』を名乗る奇妙な人物に治療をされ、命を救われた。
性別も年齢もはっきりしない番人に、ディキシスは魔物の泉を壊してくれと訴えたが、聞き入れられなかった。
吸血鬼への供物を建前に民から血税を搾り取り、供物の選抜までも不平等に行っていたラドベルジュ王家と、なによりの元凶である女吸血鬼キルラクルシュを、ディキシスはどうしても許せなかった。
すると番人は、泉を壊すことこそ拒否したが、ディキシスの復讐心には興味を持った。
今までまともな教育も受けず、剣の握り方さえも知らなかった貧相な少年が、はたして王家と最強の女吸血鬼に、どこまで立ち向かえるか。
正義感ではなく好奇心から、番人は協力を申し出てくれた。
ディキシスの身体は何度も手術を施され、人の限界を超える力を与えられた。あらゆる知識を習い、戦闘技術を習得した。
そして番人は最後に『武器』として、漆黒の剣と、レムナをくれたのだ。
彼女は普通のハーピーと違い、闇夜でもよく目が見え、身体能力も各段に引き上げられている。
だが、番人がレムナを寄越した本当の理由は、ディキシスの精神的な弱さを――覚悟の足りなさを補う目的だった。
番人の判断を非情だと思いつつ、レムナを受け取ったのは正解だった。
――否、あそこで無関係のハーピー少女を巻き込むことさえできなければ、ディキシスは結局何も出来なかっただろう、
自分は世の為に悪党へ正義の鉄槌を下す善人ではない。何を犠牲にしても個人的な憎悪で恨む相手を殺害しようと誓う、復讐の鬼だ。
レムナを受け取るまで、理屈では解っていたつもりでも、その覚悟が足りなかった。
そのうえ、数ヶ月前に黒い森の吸血鬼たちを壊滅させた後も、ラドベルジュ王を殺害した後も、ディキシスは言いようのない虚無感に押し潰される寸前だった。
復讐の為に、幸せな家族がいるかもしれない無関係なラドベルジュの兵を、指名手配された後で警備兵の追っ手を、自分は何人斬り殺した?
誰を殺しても何をしても、ディキシスの姉は帰ってこない。自分のように大切な人を殺された人間を増やすだけ。
いっそ復讐を止めて自分も死んでしまいたいと何度も思いかけたが、刷り込み効果で無邪気にディキシスを慕うレムナの存在が、それを選ばせない。
通常、ハーピーは刷り込み効果で好きになった相手が死ねば、そこで歪な恋心もすっかり消える。
だが番人はレムナの身体に手術を施し、本能もいじったというのだ。ディキシスが何もかも投げ捨てて死んでも、彼女は忘れて新しい恋を見つけることはなく、絶望して生きる意味を失うだろうと……。
「……それよりレムナは、あの人狼とずいぶん仲良くなったようじゃないか」
ディキシスは、ややぎこちなく話題を変えた。
レムナはとても人懐こく明るい少女だ。ディキシスに付き従い、街を転々としていたから、その場で誰かと親しげに話せても、すぐに去らなくていけないのが不憫だった。
「うん! アーウェンって面白いし、優しいよ」
「……そうか」
オリーブ色の髪と目をした凛々しい人狼青年が、ディキシスの脳裏に浮かぶ。
人狼にしては珍しいほど丁寧な言葉遣いと柔らかい物腰で、ああいうのを好青年と呼ぶのだろうか。
……ただ、彼のラクシュに対する盲目的な溺愛ぶりには、唖然としてしまったが。
そんな事を思いながらふと気づくと、レムナの大きな瞳が、わくわくした色をいっぱいに浮かべてディキシスを見上げていた。
「ね、ねぇ! もしかして、もしかして、やきもちっ!?」
期待に満ちた声に顔をしかめ、そっぽを向いた。
「違う」
普通は誰だって、こんな無愛想な男よりも、爽やかな好青年の方を好むだろう。
それでもレムナは、ディキシスを無条件に選んでしまうのだ。
彼女が最初に彼を見たという、ただその本能に従って。愛されれば愛されるほど、ディキシスは虚しくなっていく。
「はぁ~……うん。そうだよね……言ってみただけ」
がっくりとうな垂れるレムナの髪を、くしゃくしゃと撫でた。
「お前に裏切られるとは思っていない。だから、そんな必要はないだけだ」
「ディキシス……?」
「急ぐぞ」
ディキシスは赤くなった顔を見られないように、急いで先に歩きだした。
後ろからレムナが、黄色いレンガ道を弾むような足取りで飛び跳ねている。きっと顔中でニマニマしているのだろう。
困ったものだと、自分とレムナのどちらに憤っていいのかわからぬまま、ディキシスは早足に歩きだす。
(あいつが、吸血鬼の討伐隊だと?)
広場で素っ頓狂な声をあげていた討伐隊のリーダーを思い浮かべ、ディキシスは眉間に皴を寄せる。
灰色がかった金髪と赤紫の目をした男は、間違いなくドミニク・ローアンだ。
直接の面識はないが、何度か遠目に見たことはある。
裏社会ではかなり名の知れた暗殺者で、『笑顔で挨拶しながら、相手の喉首を掻っ切れる男』と言われていた。
報酬金と個人的な興味がつり合えば、どんなに汚い仕事も引き受けることでも有名だが、あの男が吸血鬼の討伐隊を仕切るなんてあまりにも似合わない。
(広場でのチェックもいい加減だった。本当は、何か別の目的があって各所の住人を探っていると見るべきだろうな)
いきなり出現したドミニクの真意など知るまいが、あの男の必要以上に歪んで残虐な性格は普通に不快だ。
できるだけ関わらないことを祈りつつ、ディキシスは暗緑色の外套を翻し、レムナとまた歩き出した。
***
静かな夜風が吹き抜ける野原の道を、アーウェンはラクシュの手をしっかり握って歩く。
もう街の明かりは遥か後ろで、野原を照らすのは月星だけだ。
しかし、人狼と吸血鬼の二人には、カンテラも松明も必要ない。ラクシュはゴーグルを額に押し上げて、暗い夜道を満足そうに歩いている。
(やっぱり、行って良かったな)
実を言えば、ラクシュが元気になっても、星祭に誘うべきか、アーウェンはかなり悩んだ。
いつも願いことを書かずに、真っ白な紙札を黙って吊るす彼女は、星祭りがあまり好きではないのかと思っていたから。
あの奇妙な願い事には驚いたけれど、ラクシュなりに何か思う所があるのだろう。
結局アーウェンは、ラクシュのそんな風変わりな部分すら、愛しているのだ。
「クロッカスさんも、誰かとデートしているのかもしれませんね」
広場からの帰りに鈴猫屋の前を通ったが、店舗兼自宅は真っ暗だったのを思い出し、アーウェンは何の気なしに呟いた。
広場で別れた彼は、誰かと待合わせだと言っていたし、エロ猫おっさんが、街のご婦人方から大人気なのも知っている。
「ん」
ラクシュは短く頷いたが、ふと歩みを止めた。周囲を見渡して、アーウェンの手を離す。
「……アーウェン。心配ないよ」
とても真剣な声だった。
「ラクシュさん……?」
驚いたアーウェンの耳に、草花の動く音が聞こえた。
次の瞬間、アーウェンは靴を脱ぎ捨て、すばやく半獣の姿をとっていた。オリーブ色の毛皮が全身を覆い、瞳が虹彩に覆われる。手足の爪が鋭く伸びる。衣服の中いっぱいに筋肉が膨張し、頭は狼のそれになった。
野原の中を、影のように緩やかに忍び寄ってくる者たちがいる。
1,2,3,4……六人はいるだろう。彼らの動きは流れるように緩慢でつかみ所がなく、はっきりと居場所をつかませない。
足元までの長い黒マントで全身を覆い隠し、黒いフードを目深に被った者たちは、ゆらゆらと波のように揺らめきながら、アーウェンたちを取り囲んだ。
「久しぶりだね、キルラクルシュ」
美しい旋律めいた男の声が、背後からかけられた。
アーウェンが牙を剥いて振り向くと、背後の男はもう移動しており、他の黒マントたちから高笑いが聞こえた。
「やだわぁ。貴女が獣と暮らしていると聞いたけれど、まさか本当に、それの血を吸っているなんてね」
「なんだ。他の魔物でも良いのなら、もっと早く教えればよかったのに」
「知っていれば、お前のために、魔物を好きなだけ買ってきてやったよ」
「まったく、昔から言っているだろう。お前は言葉が足りないのだと」
「貴女が出て行った後、わたし達がどんなに悲しんだか、解らないでしょうね」
吸血鬼たちは、周囲を踊るようにぐるぐると回り囲みながら、勝手な言い分を口にした。
そしていっせいにさえずる。
「さぁ、迎えに来たよ。同じ泉より生まれし我が同胞。もう一度、我らの王国を作ろう」
「黙れ!!」
アーウェンは怒鳴り、姿勢を低くして飛び掛る体勢をとる。
しかし、ラクシュの白い手が、すっとそれを遮った。
「アーウェン……だめ」
ラクシュの赤い胡乱な瞳は、夜闇の中ではいつもより輝いているように見えた。宝石のようなと言うより、真っ赤に焼けた石炭のような色だ。
彼女はかつての仲間たちを見渡し、無表情のまま、ゆっくりと抑揚のない声を発した。
「私の名前、これからずっと、ラクシュ。皆の、番犬には、もうならない……」
低くボソボソとした声だったけれど、アーウェンが今まで聞いた彼女の言葉で、一番きっぱりとしたものだった。
しかし吸血鬼たちは、この返答も予想していたらしい。驚き怒るどころか、クスクスと忍び笑いを交し合った。
「やはりそうか。お前は馬鹿な連中のたわごとに、深く傷ついたんだね」
ラクシュの前でピタリと止まった黒いマントは、最初に声をかけた男だった。六人の中で一番背が高く、マントの襟元を三日月型の金ブローチで留めている。
「お前がなぜ急に出て行ったのか、我々は後で知った。一族に、お前を恐れる者がいたのは事実だ。すまなかったね。条約後に産まれた彼らは、お前の偉業を理解しきれていなかったのだよ」
黙っているラクシュへ、男は甘く囁きかけた。
「だが、その連中も死んだ。突然やってきた男とハーピー女に、皆殺しにされてしまったよ……お前が必死で戦った末に人間から申し込まれた条約は、今度は一方的に破られたのだ」
男は実に絶妙に声のトーンを落とし、悲しみを表現してみせた。
「それ、知ってる……でも……」
口を開きかけたラクシュを、男は片手で制止した。
「我等を忘れたりはしないだろう? お前を傷つけた若い者とは違う。百年間の戦いを共にした我等の声を、一人残らず覚えている。そうだろう?」
「……クリステルライーナ」
ラクシュがローブの一人を指してボソリと呟くと、その吸血鬼がフードを脱いだ。
プラチナブロンドの長い髪を波打たせた、妙齢の美しい女吸血鬼が、真っ赤な唇で優美な弧を描く。
「……エンゲルブレークト……グレゴリシュノルチ……イェレシュラルフ……マリアレナーシュ」
長い異国の名が呼ばれるたびに、吸血鬼たちが一人ずつ顔を露にする。
栗色の短髪の青年、豊かな銀色のひげを蓄えた壮年の男、黒髪をした少年、赤い巻き毛のあどけない少女……タイプに違いはあれど、どれも整いすぎるほど整った顔立ちだった。
吹きつける夜風が、やけに生ぬるく不快に感じる。
奴らの喉を残らず引き裂いてやりたいのを、アーウェンが必死で堪えている傍らで、ラクシュは最後に、目の前の男を見据えて呟いた。
「……オリヴァルスタイン」
黒いフードが払い除けられ、黄金色の髪とスミレ色の瞳をもつ青年の顔が現れた。まるで名匠の彫り上げた美神のように、身震いするほどの美しさをもつ細身の青年だ。
白いミルク色の星河と月が、人狼と七人の吸血鬼を、静かに青白く照らしている。
「ああ、嬉しいよ。今夜は本当に素晴らしい夜だ」
オリヴァルスタインは夜空を仰ぎ、芝居がかった気障な仕草で両手を広げ、高らかに声をはりあげた。
「私がお前を泉から抱き上げたのも、こんな夜だった。覚えているだろうね! お前が最初に飲んだのは、私の血だった! 可愛い、私のキルラクルシュ!!」
もう時刻は夜の十時。
家路を急いで市街地の方へ歩いていく人々も、星祭りを締めくくる花火が上がると、思わず足を止めて空を振り仰ぐ。
本音を言えば、ディキシスはさっさと広場から離れたかったが、レムナが花火を楽しみにしていたのを思い出して歩みを止めたのだ。
レムナが夜空を仰ぎ、感嘆の溜め息を漏らす。
夜空を昼間のように照らした花火は次々と打ち上げられ、最後に盛大なきらめきを放って終わった。
「綺麗だったね」
「そうだな」
ディキシスは頷く。
はしゃぐレムナに返した自分の声は、舌打ちしたくなるほど無感動で無愛想だった。いつだって本当は、もう少し温かみのある言葉をかけたいと思っているのだが。
昔はもっと、普通に話せて笑えていたはずなのに、いつのまにかすっかり、やりかたを忘れてしまった。
華やかな祭りや花火を見ても、ディキシスの心は、腐って干からびかけた泥沼のように澱んだままだ。
「ディキシス……本当に大丈夫? 真っ青だよ?」
レムナの黄色い瞳が、おずおずとディキシスを見上げる。
遠慮がちに声をかける彼女の短い髪を、無言で軽く撫でた。きっと自分は今、いつもより輪をかけて酷い顔つきをしているのだろう。
愛用している暗緑色の外套は、隠しポケットも多く便利だが、この季節になると、さすがに少し暑い。だが、背中や首筋が汗でじっとりと湿っているのは、ラクシュの顔を見たからだ。
ディキシスが必死で探している女。
思い出しただけで身震いするほど憎悪している吸血鬼。
キルラクルシュと、彼女は瓜二つの顔をしていた。
「気にするな。危うく人違いで失礼な真似をする所だったから、少し落ち込んでいるだけだ」
そうだ、人違いだったじゃないかと、ディキシスは必死で自分へ言い聞かせる。
背格好は似ていても髪の色は違い、彼女が本当に血肉を受けつけない体質だという証言まであった。そんな体質で、人の血を吸う吸血鬼のはずはない。
それにラクシュは、とても風変わりで理解しがたい部分はあっても、どこか好感を持てる相手だった。
―― 彼女が姉の仇であるはずは……何万もの人間を虫けら同然に殺した、悪逆非道な女吸血鬼のはずはない。
十二年前。
ディキシスのたった一人の肉親である姉は、吸血鬼へ生贄の供物として差し出されて死に、ディキシスも殺されかけたあげく、赤い泉に落ちて全身を焼け溶かされた。
本当ならば彼も、そこで死んでいたはずだった。
だが、ディキシスは虫の息になりながらも、泉の底へ……鉱石木に囲まれた不思議な地底の空間まで、かろうじて生きたまま着いたのだ。
そして『泉の番人』を名乗る奇妙な人物に治療をされ、命を救われた。
性別も年齢もはっきりしない番人に、ディキシスは魔物の泉を壊してくれと訴えたが、聞き入れられなかった。
吸血鬼への供物を建前に民から血税を搾り取り、供物の選抜までも不平等に行っていたラドベルジュ王家と、なによりの元凶である女吸血鬼キルラクルシュを、ディキシスはどうしても許せなかった。
すると番人は、泉を壊すことこそ拒否したが、ディキシスの復讐心には興味を持った。
今までまともな教育も受けず、剣の握り方さえも知らなかった貧相な少年が、はたして王家と最強の女吸血鬼に、どこまで立ち向かえるか。
正義感ではなく好奇心から、番人は協力を申し出てくれた。
ディキシスの身体は何度も手術を施され、人の限界を超える力を与えられた。あらゆる知識を習い、戦闘技術を習得した。
そして番人は最後に『武器』として、漆黒の剣と、レムナをくれたのだ。
彼女は普通のハーピーと違い、闇夜でもよく目が見え、身体能力も各段に引き上げられている。
だが、番人がレムナを寄越した本当の理由は、ディキシスの精神的な弱さを――覚悟の足りなさを補う目的だった。
番人の判断を非情だと思いつつ、レムナを受け取ったのは正解だった。
――否、あそこで無関係のハーピー少女を巻き込むことさえできなければ、ディキシスは結局何も出来なかっただろう、
自分は世の為に悪党へ正義の鉄槌を下す善人ではない。何を犠牲にしても個人的な憎悪で恨む相手を殺害しようと誓う、復讐の鬼だ。
レムナを受け取るまで、理屈では解っていたつもりでも、その覚悟が足りなかった。
そのうえ、数ヶ月前に黒い森の吸血鬼たちを壊滅させた後も、ラドベルジュ王を殺害した後も、ディキシスは言いようのない虚無感に押し潰される寸前だった。
復讐の為に、幸せな家族がいるかもしれない無関係なラドベルジュの兵を、指名手配された後で警備兵の追っ手を、自分は何人斬り殺した?
誰を殺しても何をしても、ディキシスの姉は帰ってこない。自分のように大切な人を殺された人間を増やすだけ。
いっそ復讐を止めて自分も死んでしまいたいと何度も思いかけたが、刷り込み効果で無邪気にディキシスを慕うレムナの存在が、それを選ばせない。
通常、ハーピーは刷り込み効果で好きになった相手が死ねば、そこで歪な恋心もすっかり消える。
だが番人はレムナの身体に手術を施し、本能もいじったというのだ。ディキシスが何もかも投げ捨てて死んでも、彼女は忘れて新しい恋を見つけることはなく、絶望して生きる意味を失うだろうと……。
「……それよりレムナは、あの人狼とずいぶん仲良くなったようじゃないか」
ディキシスは、ややぎこちなく話題を変えた。
レムナはとても人懐こく明るい少女だ。ディキシスに付き従い、街を転々としていたから、その場で誰かと親しげに話せても、すぐに去らなくていけないのが不憫だった。
「うん! アーウェンって面白いし、優しいよ」
「……そうか」
オリーブ色の髪と目をした凛々しい人狼青年が、ディキシスの脳裏に浮かぶ。
人狼にしては珍しいほど丁寧な言葉遣いと柔らかい物腰で、ああいうのを好青年と呼ぶのだろうか。
……ただ、彼のラクシュに対する盲目的な溺愛ぶりには、唖然としてしまったが。
そんな事を思いながらふと気づくと、レムナの大きな瞳が、わくわくした色をいっぱいに浮かべてディキシスを見上げていた。
「ね、ねぇ! もしかして、もしかして、やきもちっ!?」
期待に満ちた声に顔をしかめ、そっぽを向いた。
「違う」
普通は誰だって、こんな無愛想な男よりも、爽やかな好青年の方を好むだろう。
それでもレムナは、ディキシスを無条件に選んでしまうのだ。
彼女が最初に彼を見たという、ただその本能に従って。愛されれば愛されるほど、ディキシスは虚しくなっていく。
「はぁ~……うん。そうだよね……言ってみただけ」
がっくりとうな垂れるレムナの髪を、くしゃくしゃと撫でた。
「お前に裏切られるとは思っていない。だから、そんな必要はないだけだ」
「ディキシス……?」
「急ぐぞ」
ディキシスは赤くなった顔を見られないように、急いで先に歩きだした。
後ろからレムナが、黄色いレンガ道を弾むような足取りで飛び跳ねている。きっと顔中でニマニマしているのだろう。
困ったものだと、自分とレムナのどちらに憤っていいのかわからぬまま、ディキシスは早足に歩きだす。
(あいつが、吸血鬼の討伐隊だと?)
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直接の面識はないが、何度か遠目に見たことはある。
裏社会ではかなり名の知れた暗殺者で、『笑顔で挨拶しながら、相手の喉首を掻っ切れる男』と言われていた。
報酬金と個人的な興味がつり合えば、どんなに汚い仕事も引き受けることでも有名だが、あの男が吸血鬼の討伐隊を仕切るなんてあまりにも似合わない。
(広場でのチェックもいい加減だった。本当は、何か別の目的があって各所の住人を探っていると見るべきだろうな)
いきなり出現したドミニクの真意など知るまいが、あの男の必要以上に歪んで残虐な性格は普通に不快だ。
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もう街の明かりは遥か後ろで、野原を照らすのは月星だけだ。
しかし、人狼と吸血鬼の二人には、カンテラも松明も必要ない。ラクシュはゴーグルを額に押し上げて、暗い夜道を満足そうに歩いている。
(やっぱり、行って良かったな)
実を言えば、ラクシュが元気になっても、星祭に誘うべきか、アーウェンはかなり悩んだ。
いつも願いことを書かずに、真っ白な紙札を黙って吊るす彼女は、星祭りがあまり好きではないのかと思っていたから。
あの奇妙な願い事には驚いたけれど、ラクシュなりに何か思う所があるのだろう。
結局アーウェンは、ラクシュのそんな風変わりな部分すら、愛しているのだ。
「クロッカスさんも、誰かとデートしているのかもしれませんね」
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広場で別れた彼は、誰かと待合わせだと言っていたし、エロ猫おっさんが、街のご婦人方から大人気なのも知っている。
「ん」
ラクシュは短く頷いたが、ふと歩みを止めた。周囲を見渡して、アーウェンの手を離す。
「……アーウェン。心配ないよ」
とても真剣な声だった。
「ラクシュさん……?」
驚いたアーウェンの耳に、草花の動く音が聞こえた。
次の瞬間、アーウェンは靴を脱ぎ捨て、すばやく半獣の姿をとっていた。オリーブ色の毛皮が全身を覆い、瞳が虹彩に覆われる。手足の爪が鋭く伸びる。衣服の中いっぱいに筋肉が膨張し、頭は狼のそれになった。
野原の中を、影のように緩やかに忍び寄ってくる者たちがいる。
1,2,3,4……六人はいるだろう。彼らの動きは流れるように緩慢でつかみ所がなく、はっきりと居場所をつかませない。
足元までの長い黒マントで全身を覆い隠し、黒いフードを目深に被った者たちは、ゆらゆらと波のように揺らめきながら、アーウェンたちを取り囲んだ。
「久しぶりだね、キルラクルシュ」
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「やだわぁ。貴女が獣と暮らしていると聞いたけれど、まさか本当に、それの血を吸っているなんてね」
「なんだ。他の魔物でも良いのなら、もっと早く教えればよかったのに」
「知っていれば、お前のために、魔物を好きなだけ買ってきてやったよ」
「まったく、昔から言っているだろう。お前は言葉が足りないのだと」
「貴女が出て行った後、わたし達がどんなに悲しんだか、解らないでしょうね」
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しかし吸血鬼たちは、この返答も予想していたらしい。驚き怒るどころか、クスクスと忍び笑いを交し合った。
「やはりそうか。お前は馬鹿な連中のたわごとに、深く傷ついたんだね」
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「お前がなぜ急に出て行ったのか、我々は後で知った。一族に、お前を恐れる者がいたのは事実だ。すまなかったね。条約後に産まれた彼らは、お前の偉業を理解しきれていなかったのだよ」
黙っているラクシュへ、男は甘く囁きかけた。
「だが、その連中も死んだ。突然やってきた男とハーピー女に、皆殺しにされてしまったよ……お前が必死で戦った末に人間から申し込まれた条約は、今度は一方的に破られたのだ」
男は実に絶妙に声のトーンを落とし、悲しみを表現してみせた。
「それ、知ってる……でも……」
口を開きかけたラクシュを、男は片手で制止した。
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「……クリステルライーナ」
ラクシュがローブの一人を指してボソリと呟くと、その吸血鬼がフードを脱いだ。
プラチナブロンドの長い髪を波打たせた、妙齢の美しい女吸血鬼が、真っ赤な唇で優美な弧を描く。
「……エンゲルブレークト……グレゴリシュノルチ……イェレシュラルフ……マリアレナーシュ」
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吹きつける夜風が、やけに生ぬるく不快に感じる。
奴らの喉を残らず引き裂いてやりたいのを、アーウェンが必死で堪えている傍らで、ラクシュは最後に、目の前の男を見据えて呟いた。
「……オリヴァルスタイン」
黒いフードが払い除けられ、黄金色の髪とスミレ色の瞳をもつ青年の顔が現れた。まるで名匠の彫り上げた美神のように、身震いするほどの美しさをもつ細身の青年だ。
白いミルク色の星河と月が、人狼と七人の吸血鬼を、静かに青白く照らしている。
「ああ、嬉しいよ。今夜は本当に素晴らしい夜だ」
オリヴァルスタインは夜空を仰ぎ、芝居がかった気障な仕草で両手を広げ、高らかに声をはりあげた。
「私がお前を泉から抱き上げたのも、こんな夜だった。覚えているだろうね! お前が最初に飲んだのは、私の血だった! 可愛い、私のキルラクルシュ!!」
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