キラキラ狼は偏食の吸血鬼に喰らわれたい

小桜けい

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シーズン2

8 世界で一番、許せない

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 声を張り上げた吸血鬼青年が、その口を閉じるより早く、アーウェンは唸りをあげて彼に飛び掛った。
 吸血鬼は森で不意打ちを喰らったり、複数を相手にすると厄介だが、本気で怒り狂った人狼の前には、貧弱な獲物でしかない。
 虹彩のぎらつく人狼の目は、オリヴァルスタインの顔が驚愕に歪むのさえ、ゆっくりと見えた。

 ラクシュを裏切り傷つけておきながら、のうのうと頼ってきた恥知らず。
 そのくせ、まるで自分こそが彼女に愛されるべき存在だとほざいた。許せるものか!!
 皮膚を食い破り肉を裂き、腸をえぐり出してやる!!

 しかし……。


「だめ」

 抑揚のない声が聞こえたかと思うと、吸血鬼青年の頭を噛み切る寸前だったアーウェンは、いつのまにか地面へ伏せるような姿で、ラクシュに押さえつけられていた。
 弾みでラクシュのゴーグルが落ち、金属音をたてて、アーウェンの目の前に転がる。

「ラクシュさ……ん……?」

 アーウェンは一瞬、何があったのかさえも、理解できなかった。
 アップルグリーンの薄布を重ねたスカートが、地面にふわりと広がっている。ラクシュはちょこんと地面に膝をつき、やすやすとアーウェンの背を両手で押さえていた。
 アーウェンなら指先で折れそうなほど華奢な手首なのに、まるで鋼鉄の枷にでも挟まれているように、まったく動けない。

「は、ハハ……助かったよ。キルラクルシュ」

 オリヴァルスタインが冷や汗を拭き、アーウェンを眺め降ろしてニタつく。

「っ!? この……ラクシュさん! 離してください!!」

 必死でアーウェンは怒鳴ったが、ラクシュは首を振る。

「だめ。アーウェン……強い……皆を、殺しちゃう」

「やりますよ! この恥知らずどもは、俺が殺します!!」

 吸血鬼が襲ってきた時に、ラクシュに手を下させる気など、最初から毛頭もなかった。
 自分を裏切った同族にまで、まだ情を持っている彼女には、絶対にやらせたくない。
 悪逆非道どころか、本当は誰よりも優しい彼女を、もう二度と戦わせたくない。
 でも、自分なら平気だ。いくらでもこの手を血に染めてやる。

「俺は、俺は……そのためにっ!!」

 星祭りの願い札に書いた。

『いつでも、ラクシュさんの代わりに戦えますように』

 引きつった声で抗議しながら、アーウェンは涙が零れそうだった。
 ラクシュはどうして邪魔をするのか。彼らの言いなりにはならないと、たった今、宣言したばかりなのに!

「こいつらはラクシュさんを、また利用したいだけです!」

 アーウェンが震え声で怒鳴ると、吸血鬼たちは顔を見合わせあい、クスクスと忍び笑いを交わした。

「なんて酷い言いがかりかしら。さすがは知能の欠片もない野蛮な人狼ね」

 プラチナブロンドをかきあげながら、妙齢美女の吸血鬼が微笑んだ。

「新たな根城を手に入れるために、彼女が必要なのは事実だ。だが、僕たちはずっとキルラクルシュの身を案じていた。また一緒に暮らしたいと望んでいたよ」

 黒髪の少年吸血鬼が、赤い唇をニンマリと歪めた。

「今更、何を言って……っ! だったら、ラクシュさんが出て行くときに、なぜ引き止めなかった!!」

 首を精一杯あげて、アーウェンは彼らを睨んだ。
 最も許せないのはそこだ。吸血鬼の全員が、同じ意見を持つとまでは思っていない。何百人もの吸血鬼がいれば、中にはラクシュを嫌悪するものがいても、不思議ではない。
 だが、彼らは誰一人として、ラクシュを引き止めなかったのだ。
 二度と戻らないと宣言した彼女に、あっさりと金を渡して、そのまま立ち去らせた。

「どうして……彼女に出て行く理由も聞かず、今まで探しもしなかった!?」

 アーウェンの脳裏に、もう十年も昔の光景が蘇る。
 どんより濁った曇り空の街角。
 まだ警戒でいっぱいの少年だった自分と、ボロボロの室内スリッパを履いたラクシュ。

『今日から……君がいる』

 すすり泣くように聞こえた声が脳裏に蘇り、アーウェンの目から涙が溢れた。
 彼女はせっかく買った『ゴハン』を前に、血飢えに苦しみながら、瀕死の限界まで血を吸おうとしなかった。

「お前たちが、誰か一人でも……ラクシュさんを引き止めてやれば、良かったんだ!!」

 そう叫ばずにいられなかった。
 吸血鬼の同族が、誰かたった一人で良いから、行かないでくれと彼女を引き止めれば、未来はきっと違っていた。彼女は黒い森に残り、アーウェンと会う事もなかっただろう。

 ……ラクシュが心にあんな傷を負わずに済むなら、それでも良かった。

「我々は、キルラクルシュの自由を尊重しただけだ。それのどこが悪いのかね?」

 銀色のひげを生やした吸血鬼が、心外だと言わんばかりに咳払いをした。

「な……」

「ああ、これだから他の種族は気味悪い! 愛とか恋とか、理由をつけて束縛するのが、正しいと思っているんでしょう?」

 絶句するアーウェンへ向けて、赤い巻き毛の吸血鬼少女が舌を突き出す。栗色髪の吸血鬼青年が、その傍らで肩をすくめた。

「仕方ないよ、マリアレナーシュ。人狼は特にしつこい性格なのだから」

「まさにその通り、種族の埋められない溝というところか」

 オリヴァルスタインが大袈裟に拍手をして、勝ち誇った表情を浮かべた。

「これで納得してくれたかな? 飼い犬くん。他種族の言う所の『愛』で、我々なりにキルラクルシュを大切にしていたのだよ。彼女もそれを理解しているはずだ」

「そんな……っ!」

 アーウェンは再び怒鳴ろうとしたが、声が知らずに細くなる。
 吸血鬼は、他の種とあまりにも価値観が違う。そう言われてしまえば、反論できなかった。
 何より、しっかりとラクシュに押さえつけられている事実が、アーウェンの心を暗く蝕む。

「オリヴァルスタイン……違うよ」

 不意に、ラクシュがボソリと呟いた。

「森を出る時……わたし、悲しかった」

「ラクシュさん……」

 驚いて見上げるアーウェンの視界で、胡乱な赤い瞳が微かに潤んで、こちらを見つめていた。

「アーウェン……きみに、嫌われるより……飢えて、死ぬのがいいと、思った……。でも、きみは………私が出て行く、言ったら……怒って、くれた」

 白い手が片方だけ外され、アーウェンの額を愛しそうに撫でる。

「きみは、ずっと一緒にいて……私を、引き止めてくれる……それが、嬉しいんだ」

 吸血鬼たちが肩をすくめ、オリヴァルスタインは、引きつった苦笑いを浮かべた。

「やはり、お前は変わり者だな。だが、躾けのなっていない犬でも、お前が飼い続けたいなら、一緒に連れてくるが良い。……ついでに猫も一緒に飼えば、文句はあるまい?」

「ネコ……?」

 嫌な予感に、アーウェンの背筋の毛が逆立った。

「人間の町って、どこも便利だわ。お金があってやり方さえ心得ていれば、なんでも買えるし出来るのよね」

 プラチナブロンドの吸血鬼美女クリステルライーナが、口元に手を当てて高笑いをした。

「黒い森を後にした時、宝物庫からありったけの財宝を持って出たのよ。白い髪に赤い目の変わった女が、ラクシュと名乗ってここに住んでいる情報も、お金で買えたわ。それに、人を雇ってこいつを誘き出すことだって出来たしね」

 彼女がしゃべり終わると、栗色の短髪をした吸血鬼青年が、鋭い口笛を吹いた。
 人間の立てられる音よりはるかに鋭いそれは、平坦な野原を遠くまで吹き抜けていく。すると口笛の合図に応えて、野原の端にある林から、騎馬の一団が駆けくるのが見えた。

「討伐隊……?」

 信じられない思いで、アーウェンは呟く。
 草と泥を跳ね上げて駆けてくる騎馬団は、間違いなくついさっき、広場で吸血鬼退治を高らかに宣言していた討伐隊だった。
 ただし、明らかに人数が少なく、指令の男を先頭にした討伐隊の騎馬は、たった十騎ほどだ。

「どうどうもー。ご依頼どおり、二回殺して・・・・・から、運んできましたよー」

 指令官が相変わらずのおどけた口調で、鞍の後ろに積んでいた大きな麻袋を投げ下ろす。
 吸血鬼たちはいっせいに麻袋へ群がり、オリヴァルスタインが金袋を指令に放った。

「毎度あり」

 金袋を掴んだ指令はニヤリと笑い、素早く馬を返す。吸血鬼討伐隊のはずだった一団は、あっという間に野原を駆け戻っていった。

「……!! ……!!」

 地面に放られた麻袋はモゾモゾ蠢いて、くぐもった呻きを発している。吸血鬼の一人が爪を鋭いナイフの形に変え、麻袋を切り開いた。

「クロッカスさん!?」

 袋から引きだされた九尾猫の姿にアーウェンは驚愕する。

「ぐっ……はぁ、あの餓鬼っ! せめてもうちっと、丁寧に降ろせ」

 顔をしかめて悪態をつくクロッカスは、酷い有様だった。
 麻のロープでがんじがらめに縛られ、いつもパリっと小奇麗にしている服はタイも解け、首元から前面が血まみれになっている。
 外傷はないが、服を染める血の量からして、喉首でも切断されたに違いない。
 三本は青紫色だったはずの彼の尾は、すでに八本が真っ白になっていた。

「オリヴァ……っ」

 ラクシュが黄金色の吸血鬼青年を、引きつった声で呼んだ。
 オリヴァルスタインは縛られたクロッカスの喉元に、鋭い刃の形にした指を押し当てて、優雅でぞっとするほどような微笑みを浮かべる。

「言っただろう、キルラクルシュ。お前が望むなら、犬も猫も飼って良いと。そのために、広くて素敵なおうちを手に入れよう。そこでお前は、また同族と幸せに暮らせるのだよ」

 ククっと喉を鳴らしてオリヴァルスタインは笑い、ラクシュを見つめる。

「キルラクルシュ。お前も本当は、また同族と暮らしたかったはずだ。
 そんな犬を飼ったのは、寂しかっただけだね? だから今、そうして抑えてくれているのだろう?」

「ラクシュさん!! 離してください!」

 アーウェンは、片手で自分をやすやすと抑えるラクシュに懇願した。
 しかし、ラクシュは悲しそうな顔でアーウェンと吸血鬼たちを見比べ、ゆるゆると首をふる。

「ラクシュ……まさか、お前さんがキルラクルシュだったなんてな」

 自慢の顎ひげや髪を血で汚したクロッカスが、ラクシュを眺めて口をひらいた。

「うん……隠してた……ごめん」

 ラクシュが俯き、ボソリと告げる。

「気にすんな、俺も聞かなかった。それにな、都合の悪いことを、やたらベラベラ喋るのは、正直者を通り越した、ただの馬鹿だ」

 クロッカスは視線だけを動かし、オリヴァルスタインを横目で見る。

「よぉ、色男の兄ちゃん。俺を罠にかけたクソったれのドミニクから聞いたぜ。お前らは、俺とアーウェンを人質に確保して、ラクシュをまたこきつかおうって腹だそうだな。……ったく、恥知らずが」

 オリヴァルスタインが、にこりと笑った。

「黙れ、下等な半獣め。最後の命はせいぜい大切にするものだ」

 野原の地面に這っていたツル草が持ち上がり、クロッカスの喉に絡みつき締め上げる。

「ぐ、う!」

「オリヴァルスタイン……だめ」

 ラクシュが抑揚のない声をあげ、アーウェンを押さえていない片手を、クロッカスの方へ向けた。彼の喉を締め上げていたツル草が離れ、まるで見えない手で取り合いされているように、うろうろと宙で蠢く。

「お願い、オリヴァルスタイン。もう、私のこと、忘れて……皆の所にはもどらない。でも、好きだよ……だから、喧嘩したくない……」

 あいかわらず、ラクシュの顔は表情を浮かべることもなく、抑揚のない平坦な声だ。
 それでもアーウェンの背中を押さえる手は微かに震え、伝説の女吸血鬼の全身から、どうしようもない悲しみが伝わってきた。

「まぁ、キルラクルシュ! 仲間よりも薄汚い犬や猫の方が良いなんて、あんまり酷すぎるじゃない!」

 赤毛の幼い少女の姿をした吸血鬼が、腰に両手をあてて甲高い声を放った。

「窮地に陥った私たちを、貴女は見捨てるの? 百年も貴女に血を与えてきた私たちを! あんなに辛い苦痛を堪えてまでも、貴女に血を与えて続けたのに!?」

「マリアレナーシュ……私……」

「貴女さえ協力してくれれば、私たちは、この犬も猫も一緒に飼わせてあげると言っているのよ!? 貴女はなんて冷たいの! 私、悲しくてたまらないわ!」

 赤毛の吸血鬼は、肩を震わせて両手で顔を覆い、しゃくりあげはじめた。
 ラクシュはいつもよりずっと白く血の気の引いた顔で、黙って唇をかみ締めている。
 その顔をじっと見ていたクロッカスが、深いため息をついた。彼の首周りでは、あいかわらずツル草が絡んだり離れたりと、見えない手で取り合いをされている。

「……アーウェン。自分の身は、てめぇでなんとかしろ」

 不意にクロッカスから声をかけられ、アーウェンは驚いた。

「俺が世界で一番許せねーのはな、こういった時に、足手まといになるやつだ」

「クロッカスさん……?」

「それからな、ラクシュを一番理解してるのは、お前だろうが。この悪いダチと手を切るように、死に物狂いで説得しろ」

 九尾猫の激レアな男は、口元にいつもの人を食ったシニカルな笑みを浮かべた。

「な? オジサンを、がっかりさせてくれるなよ」

 次の瞬間にクロッカスは、大きく頭を振って反動をつけ、ツル草の主導権を取り戻そうと必死になっていたオリヴァルスタインの方へ倒れこむ。
 ナイフのようになっていた指が、クロッカスの喉を切り裂き、赤黒い噴水が噴きあがった。

「――っ!!」

 アーウェンが声もあげられずに見つめる中、最後の尾が、見る見るうちに色を失っていく。
 赤黒い血溜まりに崩れていくクロッカスの身体は、何度か痙攣した後で、完全に動きを止めた。

「あ、あ……」

 ラクシュがブルブルと身を震わせて、アーウェンを押さえる手が離れた。

「ラクシュさん、すみません!!」

 アーウェンは飛び起き、両手も使って思い切り跳躍する。
 今度はラクシュに取り押さえられず、驚愕にうろたえる吸血鬼たちへの距離を一飛びで半分まで縮めた。
 もう一度、手足に力を込めて地面を蹴る。一番近くに手前にいた、銀色ひげを蓄えた吸血鬼の首へめがけ、口を大きく開けて跳びかかった。

「!!!!!!」

 アーウェンの牙で首を大きく食いちぎられた吸血鬼は、悲鳴のかわりに口から鮮血の噴水を吹き上げて、絶命した。
 着地したアーウェンは、次の標的をめがけて血に染まった牙を剥く。
 リーダー格であるオリヴァルスタインめがけて跳躍しようと、姿勢を低くした。
 
 しかしその瞬間、大きな鳥の羽ばたきが聞こえたかと思うと、不意にアーウェンの目の前で、煌く星空の一部が落ちてきた。

「!?」

 全身の魔道具を輝かせたレムナが上空から急降下し、プラチナブロンドの吸血鬼美女の脳天を、手甲から伸びた刃で貫いたのだ。

「が、ぐ、ぐう、う……」

 顎から刃の切っ先を覗かせた吸血鬼美女は、立ち尽くしたまま血走った目をせわしなく動かしていたが、レムナが顔色一つ変えずに刃を引き抜くと、ぐるんと白目を剥いて後ろに倒れた。その身体が地面につく前に、レムナは反対側の手甲の刃を一閃し、首と胴体を分離する。

「レムナさん? どうして……」

 なぜ彼女が突然現れたのか解らず、アーウェンが尋ねるより早く、オリヴァルスタインがレムナを指差して絶叫した。

「キルラクルシュ! こいつだ! こいつを殺してくれ! このハーピー女が、我々の仲間を皆殺しにしたのだ!!」

「え……」

 驚くアーウェンを、レムナは広場であった時とは打って変わったように、冷ややかな目で見つめ返した。
 彼女が髪と同じ、黄緑に赤の混じった極彩色の翼を伸ばしている所を、アーウェンは初めて見た。
 褐色の身を包む露出の高い衣服は、星空を切り取って衣服にしたように煌いている。
 手甲の血を一振りして身構える彼女は、華奢な外見とは裏腹に、まるで隙が無い。
 それにハーピーは、暗がりでは殆ど目が見えないはずなのに、レムナの黄色い瞳が視力を微塵も落としていない事を、先ほどの行為が証明していた。

――彼女が、黒い森の吸血鬼たちを……?

 アーウェンは、ひりつく喉へ唾を飲み込む。

「じゃあ……黒い森で、偽者のキルラクルシュを倒したのは……」

「――俺だ」

 低い声が響き、いつのまにかディキシスが、真っ青になって震えているラクシュの背後に立っていた。
 遮蔽物の少ない野原で、彼は魔物たちの誰にも気づかれず、忍び寄ってきたのか。

 アーウェンは広場でラクシュから、ディキシスに会った覚えがあるとは聞いていた。
 しかし、妙に神妙な声音で、家に帰ってから話すと言われてしまい、まだ詳しいことは聞いていなかった。

「私、きみを……思い出した。十二年前……生きてたんだね……」

 ボソリと、振り向きもせずにラクシュが呟いた。

「……そうだ。お前に殺されかけて、泉に飛び込んだガキだ。まさか、覚えているとは思わなかった」

 ディキシスが腰の剣を抜き、夜よりも黒い禍々しい漆黒の刀身が姿を現す。

「俺が泉の底から戻ったのは、姉さんの仇を……お前を殺すためだ! キルラクルシュ!!」

 漆黒の剣が、振り上げられた。


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