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シーズン2

10 地獄へ道連れ 1

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 野原の中央は、ひどい有様になっていた。
 広範囲の地面が崩れ落ち、底知れぬ暗く巨大な穴が口を開けている。ときに、地底で遺跡が自然に大きく崩れた結果、こういう現象が起こることがあった。
 大騒ぎにはなるが、幸いにも地底の奥底に住むおぞましい危険生物は地上を嫌うらしく、穴から這い上がってくることはない。

 しかし、今夜のこれは、自然現象などではなかった。
 地底から隆起した数十本もの鉱石木が、極太のねじれた身体を絡み合わせ、巨大な鳥籠のように穴へ覆いかぶさっている。

「うおっ、マジですかー」

 ドミニク・ローアンは十騎の部下とともに、慎重に馬を歩かせて、鳥籠めいた鉱石木の要塞へと近づいた。
 はるか西の国で、暗殺者として生まれ育った彼は、今では組織内でもかなりの地位を得て、自由きままに仕事をこなしながら、世界を旅することもできるようになっていた。
 吸血鬼と手を組んだのも、キルラクルシュというものに、興味を引かれたからだ。
 もし吸血鬼たちが彼女を手に入れた後、再びどこかの国を支配しようと、ドミニクの知るところではない。
 報酬はきちんともらった。あとは伝説の女吸血鬼をこの目で見て、好奇心を満足させてくれればいい。

「……ありゃま」

 ドミニクがふと頭上を見上げて眼を凝らすと、曲がりくねった鉱石木の高い部分へ、見覚えのある姿が引っかかっていた。
 カンテラをかざせば、やはりクロッカスだ。だらりと下がった九尾は、全てが真っ白くなっていた。

「……せっかく、一つは残しといたんですがねー」

 どうやら吸血鬼たちが、クロッカスを人質にする計画は、失敗したようだ。
 まぁ、こんな予感はしていた。あの男が人質に甘んじるわけがない。

 ―― 俺に殺られるなんて、兄さんはマジで、腑抜けちまったんですねー。

 兄といっても、魔物のクロッカスと人間のドミニクに、本当の血縁などない。いわゆる絆でつながった義兄弟というやつだ。
 裏切ったり裏切られたりは日常茶飯事の、過酷な暗殺集団の中で、唯一の信頼関係である。
 しかし、それだって絶対ではない。
 弟分が兄貴分を殺す下克上だって、たまには起こるし、その逆もまたしかりだ。ようは、本当に信じられるものなど、何もない。

 特に、暗殺組織から強引に抜けたクロッカスを、旧知のよしみで呼び出し、騙しうちにしたところで、なんの罪悪感も抱かなかった。
 むしろ苛立ちさえ覚えたほどだ。

 昔、俺の憧れたアンタはどこに行っちまった? 
 クソつまんねぇ街の店主で満足してる、アンタの抜け殻なんざ、見たくねーんですよ。 


 そんならいっそ、マジで死んじまえ。


「ぐっ!?」

 一瞬、鋭い夜風が吹き抜けたと思うと、ドミニクの背後でくぐもった悲鳴があがった。
 ドミニクがとっさに腰の剣を抜いて振り返ると、すでに部下たち全員の喉が切り裂かれ、血の噴水をあげて、馬から転落していくところだった。

「ったく。お前だから信用したんだが、あそこに居続ける時点で腐ってると気づくべきだった。高い勉強代だ。大事な命を三回・・・も消費しちまったぜ」

 ドミニクの耳元で、低い中年男の声が囁く。いつの間にか、馬の後ろ側に飛び乗っていた男の声は、もうこの世で聞くはずのないものだった。
 ドミニクのうなじに、ブスリと鋭い爪が刺さった。
 刺されているのに、不思議なことに痛みはまるで感じない。だが、身体中が強張り、指一本動けなかった。動かせば死ぬのを知っていた。
 この光景を、幼いころから何百回も見てきたのだから。

「ハ……兄さん、九尾は真っ白のはずじゃ?」

 全身に冷や汗を流しながら、ドミニクは引きつった笑みを浮かべた。
 背後でクロッカスが喉を鳴らして笑う。獲物にトドメを刺す寸前の、残酷な猫の笑いだ。

「奥の手はいつでも隠しもっておけと、一番に教えただろう? 人間のお前は、一回こっきりなんだから、命は大事にしろってな」

 ツプリと、爪がわずかに深く押し込まれた。

「……それを俺に消させやがって。バカが」

 目視できないほどの速さで、九尾ネコのもう片手がドミニクを抱え込むように、前面へと回される。
 鋭く伸びた爪に喉笛を切り裂かれる瞬間、ようやく激痛が走った。
 ドミニクは後ろ向きに落馬しながら、冷ややかな眼をした青紫の九尾ネコを見上げる。
 激レアな雄ネコの魔物。
 あの腐りきった場所で、ドミニクに生きる術を教えてくれた兄貴分。
 誰にでも人当たりよく、誰よりも冷酷だった、『笑顔で挨拶しながら、相手の喉を切り裂ける男』。
 憧れていた。いなくなったのが耐えられなくて、それなら自分がなろうと思ったほど。

 ―― なぁんだ。兄さん。アンタ、ぬけがらじゃなくて、まだ、ちゃーんと、いきてたじゃないですか。 ああ、よかった……。

 切り裂かれた器官から、ゴポリと空気の抜ける音がする。声が出ないのが残念だった。

 ―― さきに、じごくで、まってます……アンタなら、ぜったい、きてくれるでしょ……。

 ***

(二十メートルくらいは落ちたかな……?)

 落下の時間などから、アーウェンはだいたいの距離を測る。
 アーウェンに絡んだツル草は、落下の途中で外れたから、突き出ていた鉱石木や壁を蹴って衝撃を和らげながら落ち、傷一つ負わずに、ザラザラした硬い床へ着地できた。
 自分の落ちてきた穴を見上げると、ラクシュに操られた鉱石木はようやく動きを止め、土埃がときおり、パラパラ落ちてくる。
 鉱石木を伝って慎重に昇れば、地上に出るのは可能だろう。……人狼のアーウェンでも、かなり苦労はしそうだが。

 地底へ完全に埋まっていた古代遺跡は、絡み合う鉱石木から放たれる、薄ぼんやりとした光りに照らされていた。一緒に落ちた者たちの姿も見えない。
 しかし、いずれも魔物の類なのだから、よほど運が悪くなければ、あれしきの落下くらいで死にはしないだろう。
 レムナも落下途中でツル草から翼を開放され、何とか体勢を整えていたのが、一瞬だけ見えた。
 アーウェンが踏んでいる床は、ほんの数歩先で途切れており、その先にはもっと深い穴があった。
 地面に空いた穴は広く、自分はまだ随分と浅い位置で止まれた方らしい。

(ラクシュさん……)

 心臓を握り潰れるような苦しさに、アーウェンは歯軋りをした。
 粉塵の中にチラリと見えたラクシュは、無表情で泣いていた。
 間違いなく、自分は吸血鬼たちと共に、彼女を激怒させたのだ。

 でも……それなら一体、どうすれば良かった?
  彼女をまた、吸血鬼たちの奴隷も同然に、引き渡せば良かったのか?

 違う……きっとラクシュ自身も、どうしたら良いか解らなかったのだろう。誰もが自分の主張を叫ぶだけで、相手の主張を受け入れられはしない。
 だから彼女は、とにかく必死で止めようとした。
 その結果、全員を残らず平等に、奈落へ落とすことになってしまったのだ。
 この惨状は、ラクシュだけのせいではない。あの場にいた全員が引き起こしたも同然だ。

 狼の鼻をひくつかせても、広すぎる地下空間の中で、ラクシュの匂いは感じられない。

「!」

 代わりに背後から獣の匂いがして、アーウェンは振り返る。
 ひび割れた壁の向こうから、山羊のような角を持ち、腕を六本も生やした巨大な白猿が顔を覗かせていた。
 古代遺跡に住みつく、複数の獣を合わせた身体を持つ、合成獣キメラの一種だ。
 ここは猿の巣らしく、よく見れば床には、硬い甲蟲の殻や大ネズミの尻尾などが散らかっている。
 白猿は涎を垂らしながら、地底におちてきた獲物へ、嬉々として襲い掛かってきた。

 オリーブ色の毛並みをした人狼は、床を蹴って大きく跳躍する。
 数多い腕に掴まれるより早く、獣と人が混ざったようなアーウェンの爪が、猿キメラの頚動脈を引き裂いた。
 続けざまに顔面も切り裂くと、猿キメラは悲鳴をあげて暴れ狂う。赤黒い血飛沫が巻き散らかされ、すでに半壊していた床や壁がどんどん崩れていく。
 アーウェンは急いで、猿キメラが現れた奥壁の方へと避けた。
 しかし、さんざん暴れ狂ったあげくに、出血多量で猿キメラがようやく床に倒れると、周囲の壁の隙間からざわざわと音がし、平べったい多足の蟲が何百匹も現れ、動けなくなった猿キメラに群がる。
 白い巨体が、あっという間に蟲で覆い尽くされ、無数の小さな口が肉を食む音を立て始める。

「いっ!!」

 遺跡で蟲に会ったことくらい、アーウェンにもあったが、これは流石にぞっとした。
 這いよってきた蟲の一匹を蹴り飛ばし、さらに深い遺跡の奥へと駆け込んだ。
 どうやらここは大きな広い建物だったらしい。天井は高く、鉱石木があちこちから生えて、迷路のようになっている。

「ラクシュさああん!!!!!」

 不用意な大声は危険だと承知だが、仕方なく叫んだ。
 しかし、周囲からは正体不明の不気味な這いずり音が聞こえるだけで、返事はない。
 床には瓦礫が散乱し、鉱石木の光りが、元はなんだったのかも解らない骨を照らしている。

 アーウェンは牙を噛み締め、斜め後ろに拳を振るった。
 背後から針を突きたてようと飛んできた顔大の羽虫が、潰されて壁にベチャリと張り付く。
 手についた緑色の体液が気持ち悪い。アーウェンは壁に拳をなすりつけて拭い、瓦礫と骨を踏みつけながら、さらに奥へと進み始めた。
 死骸、瓦礫、朽ちた木肌……視界に入るのは、ひたすらそればかりだ。
 地獄という場所は信じていなかったが、ここはその名に相応しいのではないかと思った。


 遺跡をひたすら彷徨い、数時間は歩き続けただろうか。

 アーウェンは振り向きざま、後ろから忍び寄っていた吸血鬼の腹へ、爪を食い込ませた。
 奥深くまで爪を押し込んで、一気に横へ引き裂く。真っ赤な血飛沫が飛び散り、アーウェンの毛皮を汚した。
 黒髪の少年吸血鬼が絶叫をあげ、引き裂かれた腹を押さえた。秀麗な美少年も、腹の傷から零れた臓物を、あわてて両手ですくう姿は、あまり様にならない。

「死ね」

 アーウェンはそれだけ呟き、吸血鬼の黒髪を掴んで、首を胴から引きちぎる。皮膚と肉と神経の千切れるブチブチとした感触が伝わった。
 何の高揚も感じず、ひどい苛立ちと嫌悪感が増すだけだった。
 いくら人狼といえど、ずっと休息もとれずに、地下をさまよいながら十数匹のキメラとも戦えば、かなり疲労が溜まる。さっきキメラに一撃くらった肋骨がひどく痛む。ヒビでも入っているのだろう。
 ラクシュは一向にみつからず、焦りから神経もささくれる一方だ。

 吸血鬼が絶命したのを確認し、首と死体を別々に放り捨てる。あれもすぐに、地底に住まう生物たちの餌になるだろう。

(ラクシュさん……すみません……)

 恥知らずの見本のような吸血鬼にではなく、ラクシュに対して、アーウェンは心の中でわびる。
 所詮、彼女のために戦う本当の武器になど、なれるはずがなかったのだ。
 なぜなら、すでに彼女自身が最強なのだから。
 ラクシュの身を案じるふりをして、彼女につきまとう者を勝手に選別し、自分勝手な判断で始末することしか、アーウェンには出来ない。

 ついさっき、栗色髪の青年吸血鬼も殺したから、これであと吸血鬼は二人か。もし、他の存在に殺されていなければの話だが。
 残りも近くに潜んでいるのかも知れないと、アーウェンは深く息を吐いて、気を引き締める。

 甲高い少女の悲鳴が聞こえてきたのは、その時だった。
 慎重に、声のしたほうに駆けつけると、絡み合った鉱石木の向こうで、発光鉱石の独特な光がゆらめいていた。
 埃っぽい空気のなかで、鋭い嗅覚が覚えのある匂いを捕らえる。

「レムナさん?」

「アーウェン……生きてたんだ」

 鉱石木の向こうから、レムナが姿を現した。
 彼女も苦労したらしく、身体を守る衣服の鉱石ビーズは、すでに半分も光っていない。
 細かな擦り傷や打ち身がそこかしこにあり、黄緑色の翼も、片方がひどく傷んでいるのが、一目でわかった。あれでは満足に飛べるかも怪しいものだ。

 手甲ナイフは血に染まり、足元には赤毛の吸血鬼少女が、首と胴を分断されていた。
 レムナは手甲の血を振り落とし、ため息をついて額の汗をぬぐう。

「ちょっと休戦しない? この地下ってば、最悪すぎ」

「……はい」

 アーウェンも頷いて、手近な瓦礫に腰掛ける。床に倒れている吸血鬼少女の死体へ、チラリと視線を走らせた。

「俺も吸血鬼を二人、殺しました。黒髪と茶色髪です。」

「ふぅん……じゃぁ後は、金髪キザ男だけだね」

 レムナもアーウェンから少し離れた瓦礫に腰かけ、ずれかけていた胸帯の位置を直した。
 しばし、二人とも無言で息を整えていたが、やがてアーウェンは口を開いた。

「ディキシスさんは……なぜ、ラクシュさんが、お姉さんの仇だと?」

 尋ねられたレムナは、困惑の表情を浮かべた。

「勝手に教えるのも、なんだけど……」

 しかし彼女は結局、ディキシスの姉が生贄制度の犠牲になったことや、キルラクルシュをその元凶として復讐を誓ったことを、教えてくれた。
 アーウェンは聞き終わると、ため息をついた。

「ラクシュさんは、吸血鬼に利用されていたようなものですよ」

 レムナは頷き、あっさりと返答を返す。

「うん。ごめんね、実はこっそり聞いてたんだ」

「彼女は人の血を受け付けませんし、俺の血ですら、ためらいながらやっと飲むくらいです」

 できれば彼女たちに、ラクシュを責めないよう思い直して欲しいと思いながら、告げてみた。
 しかし、レムナは困ったようにため息をつく

「私はラクシュが好きだし、気の毒だと思う。でも、ディキシスはきっと止めないよ……」

 アーウェンもため息をついた。
 ラクシュが利用されていただけだと知っても、なお復讐を決行しようとするなら、説得しようとしても無駄だろう。

「なら、俺からはもう言いません。でも、貴女はディキシスさんを止めたほうがいい。この惨状を見てわかるでしょう。ラクシュさんに勝てるはずがないんです」

 きっぱり言ってやれば、レムナは心外だとばかりに頬を膨らませた。

「ディキシスが負けるはずないよ。まだ見つけられないけど、この地下のどこかで、絶対に生きて、キルラクルシュを追いつめてるはずなんだから」

 そして、レムナは瓦礫からひょいと立ち上がる。

「それにね。私、すごく良いこと思いついちゃった」

「え?」

「アーウェンを殺しちゃえば、ラクシュはもうきっと、誰の血も飲めないよね?」

 満面の笑みを浮かべる彼女は、獲物をまっすぐに見つめていた。

「アーウェンは好きだよ。だけど、ディキシスの武器であることが、私の生きる意味なの。だから……殺しちゃうけど、ごめんね?」

「レムナさん……」

 アーウェンも立ち上がり、半狼の姿なりに、精一杯の笑みを浮かべる。
 陰気な暗い遺跡の中で、フフフ、と笑い合った。

 ―― 本当に、彼女と自分は似たもの同士だ。

 自分がレムナの立場だったら、絶対に同じことをしていた。

「……貴女が、うらやましいですよ」

 愛する者の武器になれた貴女が、本当にうらやましい。
 ラクシュはきっと、ディキシスやレムナを殺すことさえも嫌がるのだ。もう、どうしたらいいか解らない。

(すみません。ラクシュさん……)

 だから……自分は勝手に、レムナたちを殺すことにしよう。
 きっとそれこそが、ラクシュをまた傷つける行為なのだろうけれど。
 ラクシュを傷つける奴らなんか、俺も含めて、全部、死ね。

 ――この地獄の底で、みんな道連れにしてやる。


 手甲ナイフを光らせたハーピー少女と、牙を剥いた人狼青年は、暗く入り組んだ遺跡の中で、互いの息を止めようと襲い掛かった。

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