亀姫様のお輿入れ

小桜けい

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6 祝宴にて

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 大広間には真っ白なクロスをかけた丸テーブルが幾つも並べられ、狼に兎、猪といった多様な獣人が招かれている。
 シェンリュは婚礼の儀を執り行うべく、ベルノルトと並んで、大広間の一番大きなステンドグラスの窓の前に立った。
 差し込んだ陽光が硝子を通して様々に色づいては、二人を美しく照らす。

 婚礼の儀は、ラングハイムのやり方で行われたが、そう難しくもない。
 夫婦となる二人は陽の当たる場所に立ち、結婚証人を務める者に『この相手を伴侶とするのを太陽にかけて誓うか』という問いに了承を答えるだけだ。

 本日の証人はラングハイム国王レオンが務め、朗々たる美声で尋ねられた決まり文句に、シェンリュはかなり緊張しながら「誓います」と答えた。
 実は大広間に入る前、シェンリュはこっそりとエルケに、先ほどのベルノルトへの挨拶に拙い所があったなら教えて欲しいと尋ねたのだ。
 しかし、エルケはとくに粗などなかったと言い、ベルノルトは単に緊張したのだろうと朗らかに笑った。

『旦那様はお身体が大きくとも純情な方ですから。綺麗な女性を前に動揺なされたのですよ。あの方の数少ない欠点ですから、どうかお許しください』

 そんな事を言われ、まさかと仰天してしまった。
 エルケは優しいからお世辞でも言ってくれたのかと思ったが、広間に向かうよう急かされて、それ以上は聞けずに話を終えたのである。

(今度は大丈夫かしら?)

 不安になったが、シェンリュが誓いの言葉を述べ終えると、レオンは満足そうに微笑み、列席する獣人からも笑顔で盛大な拍手があがる。
 ベルノルトは生真面目な表情を崩さなかったが、それでもシェンリュの片手を恭しくとって、新婚夫妻の為の二人掛けテーブルへといざなってくれた。
 どうやら合格らしいと、ホッとしてシェンリュは胸をなでおろす。

 礼装用の手袋をはめたベルノルトの手は大きい。シェンリュの手など簡単に握りつぶしてしまいそうだが、まるで繊細な薄い貝殻細工でもあるかのようにそっと扱われる。
 ドキドキと、嬉しくて胸が高鳴るのを感じた。

 幼い頃は世話係の召使に、獣人は野蛮な乱暴者ばかりと教えられた。
 獅子や狼に剛力の熊などは特に最悪で、罪もない海人を無残に引き裂いたという昔話を聞いては、姉姫達と震えあがったものだ。
 けれど大きくなるにつれ、本当に獣人が非道な者ばかりなら、尊敬する父王がラングハイムと和平を結ぶなどおかしいと思うようになった。
 そして竜宮で蔑まれる居心地の悪さに耐え兼ね、陸の陰でひっそりと獣人を眺めていると、獣人にも海人と同じく様々なものがいると解った。

 心優しい者、意地悪な者、気の強い者、弱い者……。

 時にケンカをしながらも、陸と海の産物を生き生きと取引する海人と獣人を見て、二つの国に和平を結んだ両国の王は偉大だと、心から感心した。
 ただ、シェンリュの言葉に耳を傾けてくれる者は竜宮にいなかったから、しばらくぶりに父王と二人になれた時にそう話し――その数週間後に、ベルノルトとの婚姻がもたらされたのだった。


 二人が席に着くと、壁際に控えていた楽団が楽し気な曲を奏で始めた。
 ここからは無礼講の祝宴となるそうで、料理と酒が運ばれてくると、それぞれのテーブルで好き勝手に乾杯の声が上がる。

「ラングハイムと竜宮に末永い祝福を!」

 野太い豪快な笑い声をあげてレオン国王とグラスを傾け合っているのは、灰色の狼獣人の男性。まだシェンリュは直接に話したことはないが、ベルノルトの兄であるアイヒヴェルガー公爵だろう。
 賑やかな大広間の様子を眺めているうちに、シェンリュの前に置かれたグラスにも、深紅の葡萄酒がトクトクと注がれた。

「……王女殿下」

 唐突にベルノルトから声をかけられ、シェンリュは椅子から飛び上がらんばかりにそちらを向く。

「はい!」

 慌てて返事をすると、ベルノルトが微笑んで自分のグラスを手に取った。

「両国の結びつきに、我々も乾杯いたしませんか?」

 シェンリュへ向けられる、彼の落ち着いた声音と穏やかな笑みは、有頂天になりそうなほど魅力的に思えた。まだ酒を飲んでいないのに、頬がポワンと桜色に染まる。

「えっ、ええ……嬉しゅうございます」

 持ち手の細いグラスは、竜宮での一般的な杯とは随分と違うものだが、シェンリュは戸惑うことなくそれを手に取る。
 嫁ぐと決まってから、シェンリュはラングハイムの食事作法などを猛特訓したのだ。

 竜宮でも結界内の建物には、魔法で常に新鮮な空気が供給される。
 さらに海人は結界内に限り、生活に便利ないくつかの魔法が仕えた。
 例をあげれば、水を暖かな湯に変える事や、濡れた身体や衣服から余計な水分を抜き出して乾かすなどだ。
 陸上に生きる者と同様に、海人も家の中では火を使って料理をし、柔らかな乾いた寝台で眠るのだ。
 ただ、竜宮で食事に使うのは基本的に箸と匙だけなど、慣習の違いはどうしてもある。
 浜辺で行き交う獣人を見ているだけでは、流石にナイフとフォークを使う上品な食事作法までは習得できないから、シェンリュは父王に取り寄せてもらった作法の教法をじっくり読んでは毎日励んでいた。

「では、竜宮とラングハイムの平穏を祝して」

 ベルノルトが言い、二人で軽くグラスを傾けあう。
 それから彼は自分の酒を大きく一口飲んだが、葡萄酒が初めてのシェンリュは、まずはちょっとだけ口に含んだ。
 適度な渋みと甘みがふわりと口内に広がり、思わず顔を綻ばせて呟く。

「美味しい」

 シェンリュはそう酒に強い性質ではないが、初めて飲んだ果物の酒はとても美味しく、幾らでも飲めてしまいそうだ。今度はしっかりと、もう一口飲む。

「領地の果樹園で産したもので、御口に合えば光栄です」

「まぁ、どうりで。エルケさんから、こちらはお酒と果物好きの楽園とお聞きしました」

 にこりと笑うベルノルトに、シェンリュも笑顔で答えた。
 酒と共に運ばれてきた料理は、どれも食用花や飾り切された果物が添えられて、まさに婚礼の宴に相応しい可憐な盛り付けだった。
 いっそう賑やかになってきた広間の雰囲気と、濃く漂う酒の香りのせいか、随分と緊張がほぐれてくる。

「王女殿下は酒と果物がお好きなのですか」

「お酒は少々たしなむ程度ですが、果物は大好きです。竜宮で果物はとても高価な嗜好品ですので、果樹園のお話を聞いてこちらへ来るのがいっそう楽しみになりましたの」

「それは嬉しいですな。毎日でも極上の果物を用意させましょう」

 和やかな会話をしながら二人で酒をゆっくりと口に運んでいると、不意にぬっと大きな影がシェンリュを覆った。
 見れば、灰色の狼耳と尻尾を上機嫌に振ったアイヒヴェルガー公爵が、満面の笑みでテーブルの脇に立っている。

「あっ」

 急いで立ち上がったシェンリュに、深々と公爵が礼をした。

「私はベルノルトの兄にて、アイヒヴェルガー公爵位を預かるエメリヒと申します。シェンリュ王女。弟を宜しくお願いいたします」

 公爵は、壮年に近い年頃だろううか。やや鋭い目つきの精悍な顔立ちながら、どこか優しそうな雰囲気で、やはりベルノルトと兄弟なのだと思わせる。

「こちらこそ、不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 シェンリュが礼を返すと、公爵は鋭い目を嬉しそうに細めて弟に向けた……と、腕で目元を覆い、肩を震わせ始めた。

「ベルノルトおぉ! 兄は嬉しいぞ!」

「公爵閣下っ!?」

 唐突に号泣し始めた公爵は、驚愕するシェンリュにズイとにじり寄る。

「シェンリュ王女! こやつは少々無骨な所もありますが、決して悪い男ではないのです! 先ほど貴女と楽しそうに話している姿に、私は心より良かったと感激して……」

「これ、エメリヒ。お主はまた泣き上戸になりおって」

 力説しはじめた公爵を、レオンががっしりと後ろから羽交い絞めにしてズリズリと休憩室へひきずっていく。
 気づけば客達はテーブルから立ち上がって、陽気に乾杯しあっていた。
 レオンと兄を見送ったベルノルトが溜息をついた。

「申し訳ございません、王女殿下。驚かせてしまったでしょう。兄は酔うと極端に涙もろくなりまして」

「い、いえ……とてもお兄様と仲が宜しいようで、羨ましく思います」

 シェンリュは笑顔で首を振る。
 これが形だけの結婚だと、公爵も承知のはず。
 それでもシェンリュと話すベルノルトの姿が楽しそうで良かったと思うのは、弟の幸せを心底から案じているに違いない。
 そしてまた、シェンリュは自分の為にも嬉しかったのだ。

(自惚れては駄目だと解っているけれど……少しでも、ベルノルト様と仲良く見えたなら嬉しいわ)

 胸がまたきゅんと疼いて、シェンリュはベルノルトを見上げる。
 すると、ちょうど彼と視線がかちあった。吸い寄せられるように、シェンリュはこげ茶色の目から視線が離せなくなる。

「……」

 ベルノルトも、そのままシェンリュを見つめていたが、急にハッとした様子で視線を逸らした。
 いつのまにかテーブルの周りには、本日の主役を祝おうとばかりに獣人達が集まっていたのだ。

(い、今の、何だったのかしら……)

 周りが見えないくらい見惚れてしまった事に驚きつつ、シェンリュも口々に祝いを述べてくれる獣人達へ笑顔で応対する。
 それでも心の奥には、今しがたのドキドキがずっと残っていてシェンリュを落ち着かなくさせていた。
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