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中柱 樹(なかばしら いつき)の場合(◇ホラー◇ヒューマンドラマ)
中柱 樹(なかばしら いつき)の場合(3/5)
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人数は2人。
僕と同年代、10代後半から20代前半くらいの男女。
ニット帽、サングラス、無精ひげ、袖なしのジャケット、デニムパンツ、スニーカー。そして金属バット。
男は近づいてくるゾンビの頭部に向けて、何の躊躇もなくバットを振りぬき、打ち倒す。その顔には本当に心の底から楽しそうな笑顔が浮かんでいた。
男の足元に倒れたゾンビがびくりと痙攣して動きを止める。
僕はそのゾンビの姿に両親の姿を重ね、こみ上げてくる嫌悪感に酸っぱくなった口を押えた。
「どうよ? 俺ツエーだろ!」
「うん、ねぇ、もうわかったから……帰ろう?」
「バァカ杏子、迎えの船は明日の朝にならねぇと来ねぇつったろ。朝9時にフェリーふ頭に行くんだ。だから今日はその辺の気に入った家に勝手に泊まんだよ」
「えぇ? 本気だったの? いやよ、怖いもん」
「怖くねぇだろうが! 俺が一晩中可愛がってやっからよ!」
下品に笑った男は、今度は太ったゾンビに目標を定めて走り出し、バットを振り回す。
不安げにそれを眺めていた女は、真っ白なブランド物のバッグからスワロフスキーで飾られた鏡を取りだし、不安を紛らわせるようにリップを塗りなおし始めた。
その一瞬、鏡越しに女と目が合う。
僕との距離はわずか1メートル。彼女は日陰になったブロック塀の陰から覗く僕の目を恐る恐る振り返り、リップと鏡をバッグにしまった。
「だ……だれ?」
少しずつ、ゆっくりと、杏子と呼ばれた女は僕から距離をとる。
その背後で突然男の悲鳴が上がり、僕はバットを持った男が複数のゾンビに囲まれ、肩から首筋にかけての肉を食いちぎられる風景を見た。
杏子は慌てて振り返り、男の状況を認識する。
「……ええぇ~? うそぉ~?」
力が抜けたように生足でその場にへたり込む杏子の声を聞いたゾンビが何匹か、のそのそと彼女の方へ向かって歩き始めるのが見えた。
それを呆然と見つめる彼女は、まったく逃げるそぶりも見せない。
不思議に思った僕は、塀の陰から声をかけた。
「キミ、殺されるよ? どうして逃げないの?」
まるでゾンビのように、杏子はゆっくりと僕の方へ目を向ける。
涙がたっぷりと溜まったつけまつげが揺れ、そこから一気に大量の涙が流れるのが見えた。
「無理よぉ~。あたしバカだし、足遅いもん。ねぇ、助けて」
彼女は四つん這いになって僕に近づいてくる。
腰が抜けているのかもしれない。動物のように地面を這い、自分をバカだと断じ、運動能力も低いと公言してはばからないその姿は確かに哀れだとも言えるが、僕の心にわきあがったのは、庇護欲以上の苛立ちだった。
――人間なのに。
ただそれだけで存在を許され、日本と言う大きな枠組みで守られていると言うのに、ゾンビに成り果ててしまったかつての同胞を、好き好んで殺しに来たくせに。
ゾンビと人間の中間の存在になり、人間の世界へも戻れず、ゾンビのように本能だけで生きることもできない僕に助けを求めている。
自らの命を救おうと言う努力も放棄して、ただ他人に全てを丸投げしているこんな人間は、このままゾンビになってしまえばいいと僕は思った。
「……ねぇ、なんでも言うこときくから。お願い」
ブロック塀にたどり着いた彼女は、ブロックの穴に指を掛け、僕に懇願する。
穴から覗く彼女のカラフルなネイルは、白く細い指を引き立たせ、その向こうから僕の顔を覗く顔は、雑誌で見るモデルのように整っていた。
かすかに、甘いフローラルの香りが漂う。
そしてその香りを上回り、僕の心の奥底の「食欲」をかき乱す、人間の肉の匂い。
僕はごくりと唾を飲みこんで、慌てて立ち上がった。
塀の上から彼女の方を覗くと、座り込んでいるそのすぐ向こうに、もうゾンビが2体迫っている。
このまま放っておけば、彼女はゾンビにすぐにでも食べられてしまうだろう。
そう思った瞬間、僕は塀を回り込み、座っている彼女の手を引いて抱き上げると、躓きそうになりながらも久しぶりに地面を蹴り、人間だったころで言うと早歩きくらいの速度で走り出した。
……ゾンビになってしまえだなんて、僕はなんて事を考えていたんだろう。
目の前で助けを求める人を救わないのは、人間ではない、獣かバケモノのすることだ。
きっと彼女は自分の「なんでも言うことを聞くから」と言う交渉が功を奏したのだと思っているだろう。
それはちょっと訂正したかったけど、今ここで弁解している暇はなさそうだった。ただ僕は自分が人間でいるために、良心に従って行動をするだけだ。
「あ、ありがと……」
杏子の体は羽根のように軽い。
レヴナントになってから、人間の時とは比べ物にならないほど力が強くなっているのは気づいていたけど、人一人をこんなに簡単に持ち上げられるとは思わなかった。
「黙って。しゃべるとゾンビが寄ってくるから」
彼女をなるべく見ないように、食欲をそそる彼女の匂いをなるべく嗅がないように、顔をそむけながら僕は走る。
そんな僕の努力にも気づかず、僕の体がゾンビに近いものであることにも思い当たらない様子で、彼女は僕の首に両手を回し、体をぎゅっと押し付けた。
僕と同年代、10代後半から20代前半くらいの男女。
ニット帽、サングラス、無精ひげ、袖なしのジャケット、デニムパンツ、スニーカー。そして金属バット。
男は近づいてくるゾンビの頭部に向けて、何の躊躇もなくバットを振りぬき、打ち倒す。その顔には本当に心の底から楽しそうな笑顔が浮かんでいた。
男の足元に倒れたゾンビがびくりと痙攣して動きを止める。
僕はそのゾンビの姿に両親の姿を重ね、こみ上げてくる嫌悪感に酸っぱくなった口を押えた。
「どうよ? 俺ツエーだろ!」
「うん、ねぇ、もうわかったから……帰ろう?」
「バァカ杏子、迎えの船は明日の朝にならねぇと来ねぇつったろ。朝9時にフェリーふ頭に行くんだ。だから今日はその辺の気に入った家に勝手に泊まんだよ」
「えぇ? 本気だったの? いやよ、怖いもん」
「怖くねぇだろうが! 俺が一晩中可愛がってやっからよ!」
下品に笑った男は、今度は太ったゾンビに目標を定めて走り出し、バットを振り回す。
不安げにそれを眺めていた女は、真っ白なブランド物のバッグからスワロフスキーで飾られた鏡を取りだし、不安を紛らわせるようにリップを塗りなおし始めた。
その一瞬、鏡越しに女と目が合う。
僕との距離はわずか1メートル。彼女は日陰になったブロック塀の陰から覗く僕の目を恐る恐る振り返り、リップと鏡をバッグにしまった。
「だ……だれ?」
少しずつ、ゆっくりと、杏子と呼ばれた女は僕から距離をとる。
その背後で突然男の悲鳴が上がり、僕はバットを持った男が複数のゾンビに囲まれ、肩から首筋にかけての肉を食いちぎられる風景を見た。
杏子は慌てて振り返り、男の状況を認識する。
「……ええぇ~? うそぉ~?」
力が抜けたように生足でその場にへたり込む杏子の声を聞いたゾンビが何匹か、のそのそと彼女の方へ向かって歩き始めるのが見えた。
それを呆然と見つめる彼女は、まったく逃げるそぶりも見せない。
不思議に思った僕は、塀の陰から声をかけた。
「キミ、殺されるよ? どうして逃げないの?」
まるでゾンビのように、杏子はゆっくりと僕の方へ目を向ける。
涙がたっぷりと溜まったつけまつげが揺れ、そこから一気に大量の涙が流れるのが見えた。
「無理よぉ~。あたしバカだし、足遅いもん。ねぇ、助けて」
彼女は四つん這いになって僕に近づいてくる。
腰が抜けているのかもしれない。動物のように地面を這い、自分をバカだと断じ、運動能力も低いと公言してはばからないその姿は確かに哀れだとも言えるが、僕の心にわきあがったのは、庇護欲以上の苛立ちだった。
――人間なのに。
ただそれだけで存在を許され、日本と言う大きな枠組みで守られていると言うのに、ゾンビに成り果ててしまったかつての同胞を、好き好んで殺しに来たくせに。
ゾンビと人間の中間の存在になり、人間の世界へも戻れず、ゾンビのように本能だけで生きることもできない僕に助けを求めている。
自らの命を救おうと言う努力も放棄して、ただ他人に全てを丸投げしているこんな人間は、このままゾンビになってしまえばいいと僕は思った。
「……ねぇ、なんでも言うこときくから。お願い」
ブロック塀にたどり着いた彼女は、ブロックの穴に指を掛け、僕に懇願する。
穴から覗く彼女のカラフルなネイルは、白く細い指を引き立たせ、その向こうから僕の顔を覗く顔は、雑誌で見るモデルのように整っていた。
かすかに、甘いフローラルの香りが漂う。
そしてその香りを上回り、僕の心の奥底の「食欲」をかき乱す、人間の肉の匂い。
僕はごくりと唾を飲みこんで、慌てて立ち上がった。
塀の上から彼女の方を覗くと、座り込んでいるそのすぐ向こうに、もうゾンビが2体迫っている。
このまま放っておけば、彼女はゾンビにすぐにでも食べられてしまうだろう。
そう思った瞬間、僕は塀を回り込み、座っている彼女の手を引いて抱き上げると、躓きそうになりながらも久しぶりに地面を蹴り、人間だったころで言うと早歩きくらいの速度で走り出した。
……ゾンビになってしまえだなんて、僕はなんて事を考えていたんだろう。
目の前で助けを求める人を救わないのは、人間ではない、獣かバケモノのすることだ。
きっと彼女は自分の「なんでも言うことを聞くから」と言う交渉が功を奏したのだと思っているだろう。
それはちょっと訂正したかったけど、今ここで弁解している暇はなさそうだった。ただ僕は自分が人間でいるために、良心に従って行動をするだけだ。
「あ、ありがと……」
杏子の体は羽根のように軽い。
レヴナントになってから、人間の時とは比べ物にならないほど力が強くなっているのは気づいていたけど、人一人をこんなに簡単に持ち上げられるとは思わなかった。
「黙って。しゃべるとゾンビが寄ってくるから」
彼女をなるべく見ないように、食欲をそそる彼女の匂いをなるべく嗅がないように、顔をそむけながら僕は走る。
そんな僕の努力にも気づかず、僕の体がゾンビに近いものであることにも思い当たらない様子で、彼女は僕の首に両手を回し、体をぎゅっと押し付けた。
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