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1.11〈草花の栄光《グローリー・イン・ザ・グラス》〉
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「最近2人とも誰か一緒に冒険する仲間ができたみたいで、あまり一緒に冒険に行けないんですよ。せっかく許可証もゲットしたのにギルドの名前も決全然決まらないし……」
赤髪の[戦士]ゼノビアこと萌花は、おごってもらったラムネをストローでずずずっと飲みながら、小さなテーブルの向かい側に座っている[侍]ケンタ向かって愚痴をこぼした。
ケンタはとっくに空になっているラムネの瓶をテーブルに置いて「そうなんすか」と大人しく話を聞いている。
傍から見ればそれは、酔ってくだをまく先輩と、それに付き合わされている後輩のように見えた。
もちろん、実際の年齢は萌花の方がずっと下だ。10歳ほどの歳の差が有る。
それでも萌花は、この頼りなさそうな[創世の9英雄]の一人である先輩を『話しやすい同級生の男子』程度に思っていた。
「ケンタさんは最近冒険してます? 一緒に行く友達の都合がつかないと、良いレベル帯の冒険って途端に難しくなっちゃうでしょ? あ……60レベルまでカンストしちゃうと逆にやること無くなっちゃうんじゃないですか?」
まるでケンタが最高レベルの冒険者だということを今思い出したかのように、萌花は疑問を投げかける。
ラムネをもう一本注文したケンタは、ぷしゅっと音を立ててフタを開けると、溢れそうになるその泡立つ液体を一気に半分ほど喉に流し込んだ。
「……ふぅ。いや、逆にレベルが上がりきってからの方が忙しいっすよ。レアアイテムとか強化素材の狩場に居るモンスターはLV60にならないと数狩れないんで、時間帯によって出てくるモンスターのスケジュールに合わせてあっちこっち飛び回ってるっす。運営が上限解放しないかぎり自分自身はこれ以上強くならないっすから、武器や防具を強くするしかないんすよ。またそれが自分のレベルアップより時間もかかるし、運任せなところも多くて時々嫌になるっす」
「そっかぁ。私から見たらみんな『強い人』ってだけで、そこから更に上なんて違いはよくわかんないけど大変なんだぁ」
「でもまぁ楽しくてやってるんすけどね。楽しくなければゲームじゃないっす。やってて苦痛なことがあったら、それはやらなくていいことなんすよ」
そう言い切ったケンタの朗らかな笑顔を、萌花は尊敬の眼差しで見つめる。
最近の萌花は、なんだか良くわからない義務感に後ろから煽られてでも居るように冒険をしていた。別に暇なわけでも無いし、一人でやる冒険が特別楽しいわけでもない。今日だって労力と時間ばかり掛かる割には見返りの少ない狩場で、流れ作業のように黙々とモンスターを狩っていたのだ。
ポーションを補充に戻ったウェストエンドの街でケンタに声をかけられなければ、たぶん今も少しの苛立ちを抱えながら狩り続けていただろう。
「もしかして私……楽しくなさそうだった?」
そうだったのだ。そうでなければ、時間に追われるように忙しいと言っていたケンタが、2~3回顔を合わせたことがあるに過ぎない自分をわざわざ誘って、こんな所でだらだらと過ごしているわけがない。なにしろこう見えてケンタは社会人なのだ。社会人がゲームに使える時間など、学生である萌花たちと比べたら微々たるものだと言うことくらいは、中学生である彼女にもよく分かっていた。
「まぁ……。余計なお世話だってのはわかってるんすけど、どうしても放っておけなかったんす。義務でゲームをしちゃダメっす。この世界は、みんなが楽しく幸せになるための世界なんすから」
照れたように「まぁ俺の尊敬する人の受け売りなんっすけどね」と笑ったケンタは残りのラムネも一気に飲み干す。
その言葉に、まるでいきなり頭を殴られでもしたかのような衝撃を受けた萌花は、テーブルに両手を突きガタッと音を立てて立ち上がると、瓶を持っていない方のケンタの手を両手で掴み、ぎゅっと目を瞑った。
「どうしたんすか?」
「ケンタさんって……思ってたより――」
そこで「大人なのね」と言いかけて、流石にそれは思い止まる。人によっては侮辱の言葉と取る人が居るのを彼女は経験則で知っていたからだ。
「――ずっと……かっこいいのね!」
萌花にとって『大人』と『かっこいい』はほぼ同義語だ。彼女は改めて一人の男性としてケンタを見分した。
ゲームの中だから実際はどうか分からないけど、背も高くて見た目も悪く無い。
とっても優しいし、知識もあるし、言葉遣いは好みではないけれど、その落ち着いた立ち居振る舞いは伊達にあの『GFO事件』を解決した伝説のギルドの一員ではないと思わせるに十分な物があった。
「はは、そう言ってもらえて嬉しいっすけど、今のは本当に全部受け売りの話っすから」
「ううん、かっこいいよ! ……決めた! 私――」
ケンタの手を握ったまま興奮気味にそう言った萌花が、何かに驚いたように手を離す。
そのまま「ちょっとごめんなさい」と空中に手を滑らせメニューを開いた彼女は、頭上に[DCOM]と言う文字を浮かべてコソコソと話しだした。
その表示は、イマース・コネクターを通じて現実世界との通信をしていると言う印だ。
「ごめんなさい。もう遅いからお風呂入って寝なきゃ」
名残惜しそうにちょっと目を伏せた萌花は、さっきまでケンタの手を握っていた両手を背中で組み、もじもじと体をよじる。
ふーっと息を吐き、顔を伏せたままチラリと目だけを上げたが、ニコニコしているケンタと目が合うと、慌てたようにまた目を伏せた。
「……俺ならだいたいこの時間にはログインしてるっすよ」
「あ……うん。それじゃあまた色々お話きかせて欲しいな」
助け舟を出したケンタの「お安いご用っすよ」と言う返事を待って、彼女は嬉しそうに手を振ってログアウトしていった。
「……うまくやったみたいねー」
萌花を見送り、小さく手を振っているケンタの後ろから、間延びしたしゃべり方の女性が声をかける。
ケンタは振り返りもせずにラムネの空き瓶をゴミ箱に放り込んだ。
「そんなんじゃないっすよ、ありさ姉……じゃない、ヘンリエッタさん。俺はただ友達の相談に乗ってただけっす」
少々の苛立ちがその言葉には漂っている。
エプロンドレス姿のヘンリエッタは、笑顔を崩さないままケンタの前まで回り込み、彼の顔を見上げた。
「別にどんなんでもー、いいのよー。ただケンタにはー、あの娘を監視しておいて欲しいだけー。[追跡者]が無効化されてるのよー。絶対に怪しいと思わないー?」
「あつもりさんの作ったトレイサーが故障してるだけなんじゃないっすか? ……とにかく俺は彼女に監視なんて必要ないって証明するために、ただ話し相手になってるだけっすから」
不機嫌さを隠そうともせず、そう言って立ち去ろうとするケンタの背中に、ヘンリエッタの小さな笑い声が追いかけてくる。
舌打ちをして振り返ったケンタは「なんすか!?」と吐き捨てるように彼女を問いただした。
それはかなりの勢いだったが、ヘンリエッタは全く動じずにそれを受け流し、今まで萌花が座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「……ずいぶんご執心みたいねー」
「だからそんなんじゃ――」
「――名前が似てるだけでー、あの娘はー……もえちゃんじゃないのよー」
「そんなんじゃないって言ってるんすよ!」
振り下ろしたケンタの手がテーブルに触れ、まるで海岸の砂の城のようにそれを粉々に砕く。
途端にクイズの不正解のような音が周囲に響き、ケンタの頭上に[迷惑行為]の文字が浮かび上がった。
「……もえさんと萌花ちゃんは別人っす。……そんなの当たり前っすよ……。ありさ姉も、そろそろもえさんの影を追い回すのやめたほうが良いっすよ。それじゃあ誰も先に進めないっすから」
いきなりテーブルを破壊したケンタに周囲の視線が集まる。
ケンタはきまり悪そうに周りに向かってペコリと頭を下げ、メニューからログアウトを選択して消えていった。
「……ケンタは先に進めばいいわ。私はー……ケンタたちとは違うのよー。先にも進めないしー、昔にも戻れないの。だって私は……不死者なんだから……」
消えたケンタの居た場所を眺めながらヘンリエッタは呟き、アイテムインベントリから[双子の水晶]を取り出すと、紫色の魔法陣とともにどこへともなく消えていった。
◇ ◇ ◇
ウェストエンドの街の外れ、中央広場からかなり離れた場所にある小さなギルドホールの前で、許可証と引き換えに手に入れた[ギルドマスターの指輪]をその扉にかざした萌花は、空中に現れたキーボードにゆっくりと間違えないように文字を打ち込む。
[草花の栄光]
ギルド名には似つかわしくない、そんな名前がそこには打ち込まれていた。
「早苗、芽衣、これでいい?」
「大丈夫ですよ」
「うん、いいわ」
頷いた萌花が[決定]のボタンを押すと、入口横の薄い銅のプレートにその名前が刻み込まれる。
早速新しく選択できるようになった[ギルド]メニューから2人へ招待状を送り、すぐに現れた返信から承認した。
「ねぇ、私がGMで本当に良かったの? 早苗のほうが良かったんじゃない?」
早苗と芽衣の2人をサブギルドマスターに設定しながらそう言う萌花に、早苗は小さく笑った。
「別に私たちのギルドにそんな事を気にする理由なんて無いじゃない。それなら一番ログイン時間の長い萌花がGMになっていたほうが、何かと都合がいいわ」
「私はもえちゃんがGMで良かったと思いますよ。あ! いえ、早苗ちゃんがダメって言う訳じゃなくてですね!? あの……私たちの中ではもえちゃんが一番外交的じゃないですかぁ。やっぱりGMはそういう人がなるべきだと思うんですよぉ」
口々にそう言われて、まんざらでもない様子の萌花はギルドの扉を開き、ホテルのドアマンのように恭しく2人を招き入れた。
「わぁ!」
思わず3人の声が揃う。
ちょっと無理をして、小部屋が3部屋有るギルドホールを借りたのだ。
そのゴシック様式の部屋へと3人はそれぞれ同時に駆け込んだ。
正面の部屋には萌花。右の部屋には早苗。左の部屋には芽衣。
中央に大きな蒸気ストーブのある共用の部屋から入り口のドアを除く3方向にある部屋は、自然にそういう割当になった。
今はまだ何もない部屋で家具の配置を考えながら、3人はしばらくその空間を楽しむ。
このギルドホールのギルド倉庫は床下から入れる地下にあり、そこもまた部屋と同じように空っぽだったが、倉庫の隅にはギルド特有のメニュー操作が行えるギルド端末が置かれていた。
「あ……今月分のギルドホール使用料を収めなきゃ」
「大丈夫、ギルドホール設置から6ヶ月の使用料は最初の契約料に含まれているわ。でも、余裕が有るときにはギルド金庫にジェムを入れておいたほうが良いかもしれないわね」
「なにしろ1ヶ月9千ジェムですからねぇ。大変ですよぅ」
1ヶ月9千ジェム。3人で分けると3千ジェム。
10レベルをちょっと超えた程度の彼女たちにとって、4~5回の冒険で手に入るジェムの総額がちょうど3千ジェムほどだった。
人数が増える予定は今のところないため、半年後から彼女たちは3千ジェムずつの支払いを続けなければならない。
来年には受験も有る。今のうちに貯められるだけ貯めておいたほうが良いというのは、確かにその通りだった。
3人の間に今更ながら重苦しい空気が流れる。
その空気を弾き飛ばすように、ギルドホールのドアベルが澄んだ音を立てた。
「え? はーい」
反射的に返事をした萌花に「あ、お祝いに来たっすよー」と言う元気の良い声がドアの向こうから聞こえる。
明らかに表情の変わった萌花が体当りするようにドアを開けると、そこにはケンタとプルフラス、そしてヘンリエッタがニコニコとして立っていた。
全員のゲスト申請を許可して「まだ何もないけど」と中に招き入れる。
「それはちょうどよかったっす」
「そう……ね」
顔を見合わせたケンタ、プルフラス、ヘンリエッタはアイテムインベントリから幾つもの家具をその場に広げはじめた。
テーブルに椅子、ベッドにチェスト、姿見や柱時計に至るまで、全く統一感のない家具がどんどん置かれる。
「全部うちのギルドで使ってた中古っすけど、好きなだけ持って行ってもらって構わないっすよ」
「わぁ!」
期せずして本日二度目の声を揃えた歓声が上がり、ギルド[草花の栄光]は、やっとギルドホールの体裁を整えることが出来たのだった。
赤髪の[戦士]ゼノビアこと萌花は、おごってもらったラムネをストローでずずずっと飲みながら、小さなテーブルの向かい側に座っている[侍]ケンタ向かって愚痴をこぼした。
ケンタはとっくに空になっているラムネの瓶をテーブルに置いて「そうなんすか」と大人しく話を聞いている。
傍から見ればそれは、酔ってくだをまく先輩と、それに付き合わされている後輩のように見えた。
もちろん、実際の年齢は萌花の方がずっと下だ。10歳ほどの歳の差が有る。
それでも萌花は、この頼りなさそうな[創世の9英雄]の一人である先輩を『話しやすい同級生の男子』程度に思っていた。
「ケンタさんは最近冒険してます? 一緒に行く友達の都合がつかないと、良いレベル帯の冒険って途端に難しくなっちゃうでしょ? あ……60レベルまでカンストしちゃうと逆にやること無くなっちゃうんじゃないですか?」
まるでケンタが最高レベルの冒険者だということを今思い出したかのように、萌花は疑問を投げかける。
ラムネをもう一本注文したケンタは、ぷしゅっと音を立ててフタを開けると、溢れそうになるその泡立つ液体を一気に半分ほど喉に流し込んだ。
「……ふぅ。いや、逆にレベルが上がりきってからの方が忙しいっすよ。レアアイテムとか強化素材の狩場に居るモンスターはLV60にならないと数狩れないんで、時間帯によって出てくるモンスターのスケジュールに合わせてあっちこっち飛び回ってるっす。運営が上限解放しないかぎり自分自身はこれ以上強くならないっすから、武器や防具を強くするしかないんすよ。またそれが自分のレベルアップより時間もかかるし、運任せなところも多くて時々嫌になるっす」
「そっかぁ。私から見たらみんな『強い人』ってだけで、そこから更に上なんて違いはよくわかんないけど大変なんだぁ」
「でもまぁ楽しくてやってるんすけどね。楽しくなければゲームじゃないっす。やってて苦痛なことがあったら、それはやらなくていいことなんすよ」
そう言い切ったケンタの朗らかな笑顔を、萌花は尊敬の眼差しで見つめる。
最近の萌花は、なんだか良くわからない義務感に後ろから煽られてでも居るように冒険をしていた。別に暇なわけでも無いし、一人でやる冒険が特別楽しいわけでもない。今日だって労力と時間ばかり掛かる割には見返りの少ない狩場で、流れ作業のように黙々とモンスターを狩っていたのだ。
ポーションを補充に戻ったウェストエンドの街でケンタに声をかけられなければ、たぶん今も少しの苛立ちを抱えながら狩り続けていただろう。
「もしかして私……楽しくなさそうだった?」
そうだったのだ。そうでなければ、時間に追われるように忙しいと言っていたケンタが、2~3回顔を合わせたことがあるに過ぎない自分をわざわざ誘って、こんな所でだらだらと過ごしているわけがない。なにしろこう見えてケンタは社会人なのだ。社会人がゲームに使える時間など、学生である萌花たちと比べたら微々たるものだと言うことくらいは、中学生である彼女にもよく分かっていた。
「まぁ……。余計なお世話だってのはわかってるんすけど、どうしても放っておけなかったんす。義務でゲームをしちゃダメっす。この世界は、みんなが楽しく幸せになるための世界なんすから」
照れたように「まぁ俺の尊敬する人の受け売りなんっすけどね」と笑ったケンタは残りのラムネも一気に飲み干す。
その言葉に、まるでいきなり頭を殴られでもしたかのような衝撃を受けた萌花は、テーブルに両手を突きガタッと音を立てて立ち上がると、瓶を持っていない方のケンタの手を両手で掴み、ぎゅっと目を瞑った。
「どうしたんすか?」
「ケンタさんって……思ってたより――」
そこで「大人なのね」と言いかけて、流石にそれは思い止まる。人によっては侮辱の言葉と取る人が居るのを彼女は経験則で知っていたからだ。
「――ずっと……かっこいいのね!」
萌花にとって『大人』と『かっこいい』はほぼ同義語だ。彼女は改めて一人の男性としてケンタを見分した。
ゲームの中だから実際はどうか分からないけど、背も高くて見た目も悪く無い。
とっても優しいし、知識もあるし、言葉遣いは好みではないけれど、その落ち着いた立ち居振る舞いは伊達にあの『GFO事件』を解決した伝説のギルドの一員ではないと思わせるに十分な物があった。
「はは、そう言ってもらえて嬉しいっすけど、今のは本当に全部受け売りの話っすから」
「ううん、かっこいいよ! ……決めた! 私――」
ケンタの手を握ったまま興奮気味にそう言った萌花が、何かに驚いたように手を離す。
そのまま「ちょっとごめんなさい」と空中に手を滑らせメニューを開いた彼女は、頭上に[DCOM]と言う文字を浮かべてコソコソと話しだした。
その表示は、イマース・コネクターを通じて現実世界との通信をしていると言う印だ。
「ごめんなさい。もう遅いからお風呂入って寝なきゃ」
名残惜しそうにちょっと目を伏せた萌花は、さっきまでケンタの手を握っていた両手を背中で組み、もじもじと体をよじる。
ふーっと息を吐き、顔を伏せたままチラリと目だけを上げたが、ニコニコしているケンタと目が合うと、慌てたようにまた目を伏せた。
「……俺ならだいたいこの時間にはログインしてるっすよ」
「あ……うん。それじゃあまた色々お話きかせて欲しいな」
助け舟を出したケンタの「お安いご用っすよ」と言う返事を待って、彼女は嬉しそうに手を振ってログアウトしていった。
「……うまくやったみたいねー」
萌花を見送り、小さく手を振っているケンタの後ろから、間延びしたしゃべり方の女性が声をかける。
ケンタは振り返りもせずにラムネの空き瓶をゴミ箱に放り込んだ。
「そんなんじゃないっすよ、ありさ姉……じゃない、ヘンリエッタさん。俺はただ友達の相談に乗ってただけっす」
少々の苛立ちがその言葉には漂っている。
エプロンドレス姿のヘンリエッタは、笑顔を崩さないままケンタの前まで回り込み、彼の顔を見上げた。
「別にどんなんでもー、いいのよー。ただケンタにはー、あの娘を監視しておいて欲しいだけー。[追跡者]が無効化されてるのよー。絶対に怪しいと思わないー?」
「あつもりさんの作ったトレイサーが故障してるだけなんじゃないっすか? ……とにかく俺は彼女に監視なんて必要ないって証明するために、ただ話し相手になってるだけっすから」
不機嫌さを隠そうともせず、そう言って立ち去ろうとするケンタの背中に、ヘンリエッタの小さな笑い声が追いかけてくる。
舌打ちをして振り返ったケンタは「なんすか!?」と吐き捨てるように彼女を問いただした。
それはかなりの勢いだったが、ヘンリエッタは全く動じずにそれを受け流し、今まで萌花が座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「……ずいぶんご執心みたいねー」
「だからそんなんじゃ――」
「――名前が似てるだけでー、あの娘はー……もえちゃんじゃないのよー」
「そんなんじゃないって言ってるんすよ!」
振り下ろしたケンタの手がテーブルに触れ、まるで海岸の砂の城のようにそれを粉々に砕く。
途端にクイズの不正解のような音が周囲に響き、ケンタの頭上に[迷惑行為]の文字が浮かび上がった。
「……もえさんと萌花ちゃんは別人っす。……そんなの当たり前っすよ……。ありさ姉も、そろそろもえさんの影を追い回すのやめたほうが良いっすよ。それじゃあ誰も先に進めないっすから」
いきなりテーブルを破壊したケンタに周囲の視線が集まる。
ケンタはきまり悪そうに周りに向かってペコリと頭を下げ、メニューからログアウトを選択して消えていった。
「……ケンタは先に進めばいいわ。私はー……ケンタたちとは違うのよー。先にも進めないしー、昔にも戻れないの。だって私は……不死者なんだから……」
消えたケンタの居た場所を眺めながらヘンリエッタは呟き、アイテムインベントリから[双子の水晶]を取り出すと、紫色の魔法陣とともにどこへともなく消えていった。
◇ ◇ ◇
ウェストエンドの街の外れ、中央広場からかなり離れた場所にある小さなギルドホールの前で、許可証と引き換えに手に入れた[ギルドマスターの指輪]をその扉にかざした萌花は、空中に現れたキーボードにゆっくりと間違えないように文字を打ち込む。
[草花の栄光]
ギルド名には似つかわしくない、そんな名前がそこには打ち込まれていた。
「早苗、芽衣、これでいい?」
「大丈夫ですよ」
「うん、いいわ」
頷いた萌花が[決定]のボタンを押すと、入口横の薄い銅のプレートにその名前が刻み込まれる。
早速新しく選択できるようになった[ギルド]メニューから2人へ招待状を送り、すぐに現れた返信から承認した。
「ねぇ、私がGMで本当に良かったの? 早苗のほうが良かったんじゃない?」
早苗と芽衣の2人をサブギルドマスターに設定しながらそう言う萌花に、早苗は小さく笑った。
「別に私たちのギルドにそんな事を気にする理由なんて無いじゃない。それなら一番ログイン時間の長い萌花がGMになっていたほうが、何かと都合がいいわ」
「私はもえちゃんがGMで良かったと思いますよ。あ! いえ、早苗ちゃんがダメって言う訳じゃなくてですね!? あの……私たちの中ではもえちゃんが一番外交的じゃないですかぁ。やっぱりGMはそういう人がなるべきだと思うんですよぉ」
口々にそう言われて、まんざらでもない様子の萌花はギルドの扉を開き、ホテルのドアマンのように恭しく2人を招き入れた。
「わぁ!」
思わず3人の声が揃う。
ちょっと無理をして、小部屋が3部屋有るギルドホールを借りたのだ。
そのゴシック様式の部屋へと3人はそれぞれ同時に駆け込んだ。
正面の部屋には萌花。右の部屋には早苗。左の部屋には芽衣。
中央に大きな蒸気ストーブのある共用の部屋から入り口のドアを除く3方向にある部屋は、自然にそういう割当になった。
今はまだ何もない部屋で家具の配置を考えながら、3人はしばらくその空間を楽しむ。
このギルドホールのギルド倉庫は床下から入れる地下にあり、そこもまた部屋と同じように空っぽだったが、倉庫の隅にはギルド特有のメニュー操作が行えるギルド端末が置かれていた。
「あ……今月分のギルドホール使用料を収めなきゃ」
「大丈夫、ギルドホール設置から6ヶ月の使用料は最初の契約料に含まれているわ。でも、余裕が有るときにはギルド金庫にジェムを入れておいたほうが良いかもしれないわね」
「なにしろ1ヶ月9千ジェムですからねぇ。大変ですよぅ」
1ヶ月9千ジェム。3人で分けると3千ジェム。
10レベルをちょっと超えた程度の彼女たちにとって、4~5回の冒険で手に入るジェムの総額がちょうど3千ジェムほどだった。
人数が増える予定は今のところないため、半年後から彼女たちは3千ジェムずつの支払いを続けなければならない。
来年には受験も有る。今のうちに貯められるだけ貯めておいたほうが良いというのは、確かにその通りだった。
3人の間に今更ながら重苦しい空気が流れる。
その空気を弾き飛ばすように、ギルドホールのドアベルが澄んだ音を立てた。
「え? はーい」
反射的に返事をした萌花に「あ、お祝いに来たっすよー」と言う元気の良い声がドアの向こうから聞こえる。
明らかに表情の変わった萌花が体当りするようにドアを開けると、そこにはケンタとプルフラス、そしてヘンリエッタがニコニコとして立っていた。
全員のゲスト申請を許可して「まだ何もないけど」と中に招き入れる。
「それはちょうどよかったっす」
「そう……ね」
顔を見合わせたケンタ、プルフラス、ヘンリエッタはアイテムインベントリから幾つもの家具をその場に広げはじめた。
テーブルに椅子、ベッドにチェスト、姿見や柱時計に至るまで、全く統一感のない家具がどんどん置かれる。
「全部うちのギルドで使ってた中古っすけど、好きなだけ持って行ってもらって構わないっすよ」
「わぁ!」
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