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1.19〈ウィルス〉
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つないだ手は温かい。
[忍者]カグツチの偵察による経路選択とヘンリエッタたちからの指示により、討伐部隊員たちが経路から徘徊する怪物を排除し確保してくれたおかげで、うららかな木漏れ日を浴びながらの移動は、まるで自然公園をデートしているかのように穏やかな行程だった。
移動時間にも余裕を持って作戦は立てられており、途中、怪物との戦闘もないこの現状では、ケンタは慣れないハイヒールに苦戦する萌花の速度に合わせ、エスコートするように彼女の手を引くだけの余裕があった。
「ここで少し休憩するっす」
「うん」
いくら伝説級のアイテムとは言え、[レアリティ8]メランコリック・シンデレラは、流石に歩きやすさのことまで考えて設計されてはいない。
それはこのアイテムが7年以上前にデザインされたものだと言う事に起因する。
7年前に完全没入型化する前のGFOは、PC上でキャラクターを動かす普通のゲームがベースになっているのだ。
五感全てを現実と同様に感じることが出来る完全没入型ゲームとなった今、ハイヒールを履きなれない中学生の女の子にとってはクレーム対象レベルの問題だとはいえ、コントローラーのボタンを押せば歩くキャラクターに、歩きやすさなど考慮する必要はなかったのだから仕方がない。
いや、もしかして……と、萌花は考える。
ハイヒールを履いてまともに歩けないのって、実は女子力低いことの証明だったりしないだろうか?
ケンタに手を引いてもらえることの喜びばかりを感じていた彼女は、彼がインベントリから取り出した小さなクッションを敷いてくれた切り株に腰掛け、出来始めた靴ずれをさすりながら、入念に体をほぐしているケンタへチラリと目を向けた。
ぐっと体を伸ばし、反り返るように顔を上げたケンタと視線が合う。
慌てて顔を伏せた萌花に、体勢を整えたケンタは大きく深呼吸して微笑んだ。
「足、痛くないっすか?」
「え? あ、うん、大丈夫」
ゲーム内の痛覚は現実の144分の1のフィードバックに設定されているとは言え、無視できるほど小さな痛みではない。
それでも萌花は気丈にそう告げた。
いや、気丈に……と言うのはちょっと違うかもしれない。
ただ単にケンタに「ハイヒールも履けないほど女子力が低い」と言う認識をされるのが嫌でそう答えただけだと言うのが本当のところだろう。
それでも、それを全て受け入れたかのように笑ったケンタは「そっすか、でも痛くなったら言ってください。俺抱っこして走っても全然大丈夫っすから」と力こぶを作ってみせた。
抱っこ。
ケンタの言葉を頭の中で反芻した萌花は、一瞬の間をおいて顔を真っ赤にする。
彼女には、ボンッと言う血の登る音が周り中に響いたように感じた。
その反応を見たケンタも慌てて「いや、その、無理しないでいいって言うだけの意味っすから!」と、抱っこに特別な意味は無いと否定する。
萌花も汗をかきながら何度もこくこくっとうなづいた。
それきり黙り込んだ二人に湖の上を渡ってきた湿り気のある風がそよぎ、萌花の頭に登った血を冷ましてくれた。
小さな鳥のさえずりと、風が木の枝を揺らす音が聞こえる。
頬にかかった髪を耳にかけ、彼女は木漏れ日を見上げた。
「ケンタさんは……強いよね」
「え? あぁ、一応これでも戦闘隊長っすから。だから安心していいっすよ。萌花ちゃんは俺が守るっす」
萌花はもっと精神的な意味で言ったのだが、確かに物理的にもケンタは強い。
ヘンリエッタの語った「ケンタが守ると言って守れなかったものは無いのよ」と言う言葉を思い出し、その上で守ると断言してくれた彼の気持ちに、萌花はもう一度強くうなづいた。
「うん。ヘンリエッタさんの言ってた通りよね。ケンタさんが守るって言ってくれるなら安心」
にっこりと笑った萌花に、微笑み返したケンタの笑顔は、なぜか少しの憂いが見え隠れする。
彼は意を決したようにウィンドウを開き、時間と現在地の座標を確認すると、笑顔の萌花に「ちょっと聞いてほしいことがあるっす」と告げて地面に腰を下ろし、湖へと目をやった。
「……ヘンリエッタさんはああ言ってくれたっすけど、俺は今まできちんと人を守れたことが無いんっすよ。ヘンリエッタさんもあんな……不死者にしてしまったし、もえさんだって俺が守った訳じゃないんっす。カグツチやヘンリエッタさんが、それに何よりもえさんが自分自身を守って、そしてこの世界も守ってくれたんすよ」
あんなに強いケンタが、萌花に自分の過去を……たぶん悲しい、話したくない過去を語ってくれている。
彼女はその言葉の一つ一つを、そして、出来ることならその後ろに隠れている彼の気持ちまでも理解しようと、一生懸命耳を傾けた。
ケンタは湖を見つめたまま振り向きもせずに言葉を続ける。
「でも、俺は本当にみんなを守れる男になりたかったんすよ。口先で守るとか言ってるだけの、そんな自分が許せなかったんす。だから俺、強く……本当に強くなろうと思って、リアルでもGFOでも、ずっと自分を鍛えて来たんす。だから、もえさん。……俺が本当に人を守れる男になったことを証明させてほしいっす。貴女を守らせてほしいんすよ。今、ここで……」
彼の言葉は、最後の方はもう萌花には向けられておらず、ケンタは我知らず彼女に「もえさん」と語りかけていた。
ケンタの言葉が聞こえる場所に座っているのは萌花だが、その言葉が向けられているのは彼女ではない。
その単純な事実が告げる残酷な現実を、萌花は少しずつ凍えてゆく胸の中にゆっくりと刻んだ。
「……大丈夫だよケンタさん。ケンタさんはすごく強いもん。絶対に私を守ってくれるよ」
「……あ、え? ああ、そうっすね。うん、守るっすよ! だから任せてほしいっす」
急に夢から覚めたようにケンタは湖から視線を外し、萌花を見て答える。
萌花はケンタにいつも通りの笑顔を向け、悲鳴を上げそうになる胸を両手で押さえながら、真紅のスカートの裾を翻して立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「蚩尤、北岸に停戦旗を確認したわ」
棒の付いた優美なデザインのオペラグラスを覗き込んでいた早苗は、見覚えのある[創世の9英雄]の一人、[侍]ケンタが高く掲げる白い旗を確認してそう告げる。
そのままケンタの隣へと視線を向けると、そこには、戦場には不似合いな真紅のドレスを纏った女性が、少し距離を取って立っているのが確認できた。
(なにかしら、あれ)
まじまじと見つめるが、あんな女性は早苗の記憶にはない。
また自分の知らない事象だと、彼女は眉間にしわを寄せた。
「早苗、女は一緒にいるか?」
「……場にそぐわないのが一人居るわ」
「そうか、よし」
何かを予期しているのに、それを早苗には説明しないシユウに少しの苛立ちが混じった視線を投げかけ、彼女は次の言葉を待つ。
早苗が苛立っている事を面白がるように笑ったシユウだったが、やはり自分の想定通りに物事が進んでいることを自慢せずには居られない。
早苗との根競べに負けた彼は、それでも「知りたいか?」と言う質問を一つ挟むことにより、自分を優位な立場に置くことを忘れなかった。
「ええ、とても知りたいわ。お願いよシユウ」
早苗も彼の思考は全て分かった上でそう答える。
他人から見ればとんだ茶番にしか見えない、そんな自分たちの立場を確認する儀式を踏まえて、二人は満足げに微笑み合った。
「あれは早苗もよく知ってる女だぞ。人とボットの間をつなぐウィルスを最初に受け入れた女だ」
自分の言葉が早苗に与えた衝撃を計るように、シユウは彼女を見つめる。
早苗はといえば、少しの間頭の中でシユウの言葉を分析した後、慌ててオペラグラスをもう一度かの女性へと向けていた。
「まさか……萌花なの?」
普段の萌花のイメージとはかけ離れた、女性らしいフォーマルなドレスに欺かれてはいたが、確かによくよく見ればそれは萌花だった。
早苗の頭の中に「なにあのドレス?」「ウィルスを受け入れた?」「なんで萌花が?」「シユウは何を知ってるの?」と、とりとめのない疑問が渦巻く。
普段とは違う、まるで頭上に「?」マークが沢山浮かんでいるような早苗のその姿を見て、シユウは我慢できないとでも言った風に吹き出し、声を出して笑った。
「わははっ! そうだ、よく判断できたな、えらいぞ。あいつはウィルス発動から運営が対策をとるまでの間に、俺が痕跡を消せた数少ない成功例の一人だ。まぁ早苗が俺のものになった今は用済みだけど、出来ることならあの女も欲しい。それぞれ別の手法で対応してるから、それがどんな影響をもたらしてるのか調べておいて損はないからな」
「……私も?」
「ん?」
「私もウィルスに感染しているの?」
そのウィルスというものがどんなものかは知らないが、その言葉に早苗は根源的な脅威を感じる。
いや、それよりも、このシユウへの気持ちがウィルスがもたらした偽の気持ちだとしたら。
そう考えるだけで彼女の心は千々に乱れた。
「ああ、お前も感染してる。当然だろう?」
「……そう。当然……なのね」
「あの芽衣っていう女もそうだぞ。お前ら3人に感染させたやつは自信作なんだ。何しろ最新型だからな」
「最新型……? そのウィルスって、シユウがつくったの?」
「当たり前だ。俺以外にだれが作れる? 元々バックドアを持っている俺のコピーにまず潜伏させて、そこから拡散するようにしたんだ。最新型に潜伏したのは偶然だけどな。物理的な肉体とイマース・コネクター、それと自立した精神を持つウィルス感染者を得た事で、俺の計画は最終段階に入ったんだ」
シユウの計画、萌花も芽衣もウィルスに感染している、シユウは自分のコピーを元から監視していた。
気になること、重大なことはたくさんあったが、早苗はそれらを全て無視して、一番個人的な、そして全体の問題から見れば取るに足らない質問を口にした。
「私を――」
「うん?」
「私を選んだのは偶然? ウィルスに偶然感染したから? 感染者の中で偶然近寄る機会があったから? 萌花や芽衣や……もしその他の人がウィルスに感染していたら、シユウのそばに立っていたのは私じゃなかったの?」
運命の人じゃないかもしれない。
私は都合のいい、利用されていただけの女なのかもしれない。
そう考えると、今までの自分の行動が全て恥知らずで無知な女の行動に思えて、早苗は自分自身に吐き気を催した。
「そうだな。それこそ星の数ほどもいるGFOのプレイヤーの中から、お前が俺の隣に立つことを許されたのは、単なる偶然だ」
簡単に断言され、早苗は膝から崩れ落ちる。
気持ち悪い。
ブスで、恥知らずで、無知な自分。
何の力も素養もないのに、勘違いだけで唯一最強のオリジナル・シユウの隣に立ち続け、自分も特別な何かになったと思い込んでいる、姿も心も醜い自分。
その思いが体中から血液を抜き取ったように、彼女の意識はゆっくりと遠のいて行った。
「おい! どうした!」
シユウの手に受け止められ、冷たい床に倒れる寸前の早苗は抱き上げられた。
彼の顔が近づき、軽々と持ち上げられた彼女はシユウの座っていた王様の座るような大きな椅子に座らせられる。
シユウの座るべき玉座にしなだれかかるように座っている自分に、早苗はまた嫌悪感を抱いた。
「ごめんなさい……こんな……私なんかが……ごめんなさい……」
うわ言のようにそうつぶやく早苗の頭をシユウは両手で押さえ、ゆっくりとその胸に掻き抱いた。
「バカが……何百万分の一だぞ? そんなのもう、運命だろ。奇跡だろ。単なる偶然なんか、早苗はもうとっくに超越してんだよ。わかったか?」
「……はい」
遠のきそうになる意識の中、早苗はシユウに教えられた通りの返事を返す。
「いい返事だ。わかったらお前は胸を張って俺の隣に居ろ。だれに何と言われようと、お前がどう思おうと、すべて俺が許す。いいな?」
「……はい」
返事を待って照れたように離れたシユウが窓に向かうと、そこへ[創世の9英雄]の戦闘隊長ケンタの大声が響き渡った。
[忍者]カグツチの偵察による経路選択とヘンリエッタたちからの指示により、討伐部隊員たちが経路から徘徊する怪物を排除し確保してくれたおかげで、うららかな木漏れ日を浴びながらの移動は、まるで自然公園をデートしているかのように穏やかな行程だった。
移動時間にも余裕を持って作戦は立てられており、途中、怪物との戦闘もないこの現状では、ケンタは慣れないハイヒールに苦戦する萌花の速度に合わせ、エスコートするように彼女の手を引くだけの余裕があった。
「ここで少し休憩するっす」
「うん」
いくら伝説級のアイテムとは言え、[レアリティ8]メランコリック・シンデレラは、流石に歩きやすさのことまで考えて設計されてはいない。
それはこのアイテムが7年以上前にデザインされたものだと言う事に起因する。
7年前に完全没入型化する前のGFOは、PC上でキャラクターを動かす普通のゲームがベースになっているのだ。
五感全てを現実と同様に感じることが出来る完全没入型ゲームとなった今、ハイヒールを履きなれない中学生の女の子にとってはクレーム対象レベルの問題だとはいえ、コントローラーのボタンを押せば歩くキャラクターに、歩きやすさなど考慮する必要はなかったのだから仕方がない。
いや、もしかして……と、萌花は考える。
ハイヒールを履いてまともに歩けないのって、実は女子力低いことの証明だったりしないだろうか?
ケンタに手を引いてもらえることの喜びばかりを感じていた彼女は、彼がインベントリから取り出した小さなクッションを敷いてくれた切り株に腰掛け、出来始めた靴ずれをさすりながら、入念に体をほぐしているケンタへチラリと目を向けた。
ぐっと体を伸ばし、反り返るように顔を上げたケンタと視線が合う。
慌てて顔を伏せた萌花に、体勢を整えたケンタは大きく深呼吸して微笑んだ。
「足、痛くないっすか?」
「え? あ、うん、大丈夫」
ゲーム内の痛覚は現実の144分の1のフィードバックに設定されているとは言え、無視できるほど小さな痛みではない。
それでも萌花は気丈にそう告げた。
いや、気丈に……と言うのはちょっと違うかもしれない。
ただ単にケンタに「ハイヒールも履けないほど女子力が低い」と言う認識をされるのが嫌でそう答えただけだと言うのが本当のところだろう。
それでも、それを全て受け入れたかのように笑ったケンタは「そっすか、でも痛くなったら言ってください。俺抱っこして走っても全然大丈夫っすから」と力こぶを作ってみせた。
抱っこ。
ケンタの言葉を頭の中で反芻した萌花は、一瞬の間をおいて顔を真っ赤にする。
彼女には、ボンッと言う血の登る音が周り中に響いたように感じた。
その反応を見たケンタも慌てて「いや、その、無理しないでいいって言うだけの意味っすから!」と、抱っこに特別な意味は無いと否定する。
萌花も汗をかきながら何度もこくこくっとうなづいた。
それきり黙り込んだ二人に湖の上を渡ってきた湿り気のある風がそよぎ、萌花の頭に登った血を冷ましてくれた。
小さな鳥のさえずりと、風が木の枝を揺らす音が聞こえる。
頬にかかった髪を耳にかけ、彼女は木漏れ日を見上げた。
「ケンタさんは……強いよね」
「え? あぁ、一応これでも戦闘隊長っすから。だから安心していいっすよ。萌花ちゃんは俺が守るっす」
萌花はもっと精神的な意味で言ったのだが、確かに物理的にもケンタは強い。
ヘンリエッタの語った「ケンタが守ると言って守れなかったものは無いのよ」と言う言葉を思い出し、その上で守ると断言してくれた彼の気持ちに、萌花はもう一度強くうなづいた。
「うん。ヘンリエッタさんの言ってた通りよね。ケンタさんが守るって言ってくれるなら安心」
にっこりと笑った萌花に、微笑み返したケンタの笑顔は、なぜか少しの憂いが見え隠れする。
彼は意を決したようにウィンドウを開き、時間と現在地の座標を確認すると、笑顔の萌花に「ちょっと聞いてほしいことがあるっす」と告げて地面に腰を下ろし、湖へと目をやった。
「……ヘンリエッタさんはああ言ってくれたっすけど、俺は今まできちんと人を守れたことが無いんっすよ。ヘンリエッタさんもあんな……不死者にしてしまったし、もえさんだって俺が守った訳じゃないんっす。カグツチやヘンリエッタさんが、それに何よりもえさんが自分自身を守って、そしてこの世界も守ってくれたんすよ」
あんなに強いケンタが、萌花に自分の過去を……たぶん悲しい、話したくない過去を語ってくれている。
彼女はその言葉の一つ一つを、そして、出来ることならその後ろに隠れている彼の気持ちまでも理解しようと、一生懸命耳を傾けた。
ケンタは湖を見つめたまま振り向きもせずに言葉を続ける。
「でも、俺は本当にみんなを守れる男になりたかったんすよ。口先で守るとか言ってるだけの、そんな自分が許せなかったんす。だから俺、強く……本当に強くなろうと思って、リアルでもGFOでも、ずっと自分を鍛えて来たんす。だから、もえさん。……俺が本当に人を守れる男になったことを証明させてほしいっす。貴女を守らせてほしいんすよ。今、ここで……」
彼の言葉は、最後の方はもう萌花には向けられておらず、ケンタは我知らず彼女に「もえさん」と語りかけていた。
ケンタの言葉が聞こえる場所に座っているのは萌花だが、その言葉が向けられているのは彼女ではない。
その単純な事実が告げる残酷な現実を、萌花は少しずつ凍えてゆく胸の中にゆっくりと刻んだ。
「……大丈夫だよケンタさん。ケンタさんはすごく強いもん。絶対に私を守ってくれるよ」
「……あ、え? ああ、そうっすね。うん、守るっすよ! だから任せてほしいっす」
急に夢から覚めたようにケンタは湖から視線を外し、萌花を見て答える。
萌花はケンタにいつも通りの笑顔を向け、悲鳴を上げそうになる胸を両手で押さえながら、真紅のスカートの裾を翻して立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「蚩尤、北岸に停戦旗を確認したわ」
棒の付いた優美なデザインのオペラグラスを覗き込んでいた早苗は、見覚えのある[創世の9英雄]の一人、[侍]ケンタが高く掲げる白い旗を確認してそう告げる。
そのままケンタの隣へと視線を向けると、そこには、戦場には不似合いな真紅のドレスを纏った女性が、少し距離を取って立っているのが確認できた。
(なにかしら、あれ)
まじまじと見つめるが、あんな女性は早苗の記憶にはない。
また自分の知らない事象だと、彼女は眉間にしわを寄せた。
「早苗、女は一緒にいるか?」
「……場にそぐわないのが一人居るわ」
「そうか、よし」
何かを予期しているのに、それを早苗には説明しないシユウに少しの苛立ちが混じった視線を投げかけ、彼女は次の言葉を待つ。
早苗が苛立っている事を面白がるように笑ったシユウだったが、やはり自分の想定通りに物事が進んでいることを自慢せずには居られない。
早苗との根競べに負けた彼は、それでも「知りたいか?」と言う質問を一つ挟むことにより、自分を優位な立場に置くことを忘れなかった。
「ええ、とても知りたいわ。お願いよシユウ」
早苗も彼の思考は全て分かった上でそう答える。
他人から見ればとんだ茶番にしか見えない、そんな自分たちの立場を確認する儀式を踏まえて、二人は満足げに微笑み合った。
「あれは早苗もよく知ってる女だぞ。人とボットの間をつなぐウィルスを最初に受け入れた女だ」
自分の言葉が早苗に与えた衝撃を計るように、シユウは彼女を見つめる。
早苗はといえば、少しの間頭の中でシユウの言葉を分析した後、慌ててオペラグラスをもう一度かの女性へと向けていた。
「まさか……萌花なの?」
普段の萌花のイメージとはかけ離れた、女性らしいフォーマルなドレスに欺かれてはいたが、確かによくよく見ればそれは萌花だった。
早苗の頭の中に「なにあのドレス?」「ウィルスを受け入れた?」「なんで萌花が?」「シユウは何を知ってるの?」と、とりとめのない疑問が渦巻く。
普段とは違う、まるで頭上に「?」マークが沢山浮かんでいるような早苗のその姿を見て、シユウは我慢できないとでも言った風に吹き出し、声を出して笑った。
「わははっ! そうだ、よく判断できたな、えらいぞ。あいつはウィルス発動から運営が対策をとるまでの間に、俺が痕跡を消せた数少ない成功例の一人だ。まぁ早苗が俺のものになった今は用済みだけど、出来ることならあの女も欲しい。それぞれ別の手法で対応してるから、それがどんな影響をもたらしてるのか調べておいて損はないからな」
「……私も?」
「ん?」
「私もウィルスに感染しているの?」
そのウィルスというものがどんなものかは知らないが、その言葉に早苗は根源的な脅威を感じる。
いや、それよりも、このシユウへの気持ちがウィルスがもたらした偽の気持ちだとしたら。
そう考えるだけで彼女の心は千々に乱れた。
「ああ、お前も感染してる。当然だろう?」
「……そう。当然……なのね」
「あの芽衣っていう女もそうだぞ。お前ら3人に感染させたやつは自信作なんだ。何しろ最新型だからな」
「最新型……? そのウィルスって、シユウがつくったの?」
「当たり前だ。俺以外にだれが作れる? 元々バックドアを持っている俺のコピーにまず潜伏させて、そこから拡散するようにしたんだ。最新型に潜伏したのは偶然だけどな。物理的な肉体とイマース・コネクター、それと自立した精神を持つウィルス感染者を得た事で、俺の計画は最終段階に入ったんだ」
シユウの計画、萌花も芽衣もウィルスに感染している、シユウは自分のコピーを元から監視していた。
気になること、重大なことはたくさんあったが、早苗はそれらを全て無視して、一番個人的な、そして全体の問題から見れば取るに足らない質問を口にした。
「私を――」
「うん?」
「私を選んだのは偶然? ウィルスに偶然感染したから? 感染者の中で偶然近寄る機会があったから? 萌花や芽衣や……もしその他の人がウィルスに感染していたら、シユウのそばに立っていたのは私じゃなかったの?」
運命の人じゃないかもしれない。
私は都合のいい、利用されていただけの女なのかもしれない。
そう考えると、今までの自分の行動が全て恥知らずで無知な女の行動に思えて、早苗は自分自身に吐き気を催した。
「そうだな。それこそ星の数ほどもいるGFOのプレイヤーの中から、お前が俺の隣に立つことを許されたのは、単なる偶然だ」
簡単に断言され、早苗は膝から崩れ落ちる。
気持ち悪い。
ブスで、恥知らずで、無知な自分。
何の力も素養もないのに、勘違いだけで唯一最強のオリジナル・シユウの隣に立ち続け、自分も特別な何かになったと思い込んでいる、姿も心も醜い自分。
その思いが体中から血液を抜き取ったように、彼女の意識はゆっくりと遠のいて行った。
「おい! どうした!」
シユウの手に受け止められ、冷たい床に倒れる寸前の早苗は抱き上げられた。
彼の顔が近づき、軽々と持ち上げられた彼女はシユウの座っていた王様の座るような大きな椅子に座らせられる。
シユウの座るべき玉座にしなだれかかるように座っている自分に、早苗はまた嫌悪感を抱いた。
「ごめんなさい……こんな……私なんかが……ごめんなさい……」
うわ言のようにそうつぶやく早苗の頭をシユウは両手で押さえ、ゆっくりとその胸に掻き抱いた。
「バカが……何百万分の一だぞ? そんなのもう、運命だろ。奇跡だろ。単なる偶然なんか、早苗はもうとっくに超越してんだよ。わかったか?」
「……はい」
遠のきそうになる意識の中、早苗はシユウに教えられた通りの返事を返す。
「いい返事だ。わかったらお前は胸を張って俺の隣に居ろ。だれに何と言われようと、お前がどう思おうと、すべて俺が許す。いいな?」
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