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一章
聖副師団長様
しおりを挟むそのあまりの美麗さに、ロゼは本のことについて聞こうとしていたことも忘れ、暫くの間魅入ってしまっていた。
「……?どうかしたか」
その薄い唇から発せられた声に、呼吸さえ忘れていたロゼははっと我に返り、そして目の前の女性が誰であるかを思い出した。
「フィード副聖師団長様っ……、あ、っわ私は第一隊所属の、ロゼ=シュワルツェと申します」
「ああ、話は聞いている。確か同調の素質があるとか。……そうか、君が」
そう言って、フィード第一聖副師団長――フランチェスカ=フィードは微笑んだ。
第一聖師団の副長である彼女は、レイの兄である第一聖師団長レライ=ノーヴァの副官であり、齢二十五にして副師団長を務める土使いである。
地位もさることながら、その中性的にも見える美貌は女性隊員の中では有名で、密かにファンクラブなるものが設立される程に人気を集めているらしい。
「改めまして、私はフランチェスカ=フィード。実際にお話しするのは初めて、だね」
「は、はいっ。お目にかかれて、いえっお話できて光栄です!」
「ふふ、まぁそんなに畏まらなくても。師団に入隊したのは今年だったかな?心が真っ直ぐで、とても優しそうなお嬢さんだね」
「いいいいいえそんな、そんな評価を頂けるほど大層な人間では」
美しく曲線を描く睫毛を揺らしながら目を細め、優しく微笑んだその尊顔に、笑顔を真っ向から受け止めたロゼはさっと自分の顔を両手で覆ってしまう。
―――い、いっいけません!危うく見惚れてしまうところでしたっ。浮気はいけません、ここはロードさんの笑顔で頭を塗り替え………………あの人笑ったことないな。
あまりの美しさに思考が若干おかしくなってしまっているが、そもそもロゼとゼルドは恋人同士ではないのだからロゼが他の誰かに見惚れたとて浮気にはならない。そして忘れそうになっているが、今ロゼの目の前で首を傾げているのは女性である。まずその時点でロゼの恋愛対象にはならない。
「……大丈夫か?すまない、邪魔したかな。何か探していたのなら手伝おうと思ったんだけれど」
ロゼがそんな頓珍漢なことを考えていると知る由もない麗人は、ロゼが体調不良だと思ったようだ。そんな風に心配しているだけでも神々しさが増すのだから、美形とは何とも得なものである。
フランチェスカの言葉に、ロゼは自分が本のことについて聞こうとしていたことを思い出す。
「あ、い、いえ。本を探していたのは本当なんです。かれこれ半刻程は探しているのですが、中々見つからず……」
ロゼはそう言いながらも自分の左横にある本棚を見上げた。一階の中央部分に並べられたその本棚は、高さだけでもロゼの三倍はありそうで、ぎっしりと専門書が敷き詰められ、まるで柱、いや壁のように佇んでいる。勿論図書棟内での図書区分はきちんと施されているが、如何せん専門書が多すぎるため分類も大雑把なようで、やっと自分の探している区分に近い区画を見つけたと思ったロゼは途方に暮れていたところだった。
訓練後に直で来てしまったのもいけなかった。第一棟の共同浴場と食堂が閉まる時間までには見つけられると考えていたロゼは、自分の甘さにほとほと嫌気がさしていたところだ。
――そしてそんな時に声を掛けてくれたのが、この聖母様だ。
「もしかして、同調に関しての文献?」
「あ、っはい。よく、お分かりになりましたね」
「はは、まあ君の性質が明らかになったのは最近のことらしいしね。自分で調べているのかと思っただけだよ。……そうか、同調についてか。それらしい文献、あったかなぁ……」
「神力、の区分のこの区画にあると踏んだのですが」
「ああまあ、量が多くて見つかるものも見つからないしね。私も慣れるまでに苦労したよ」
苦笑を零しながらのその言葉に、ロゼは確かにと相槌を打ち、そしてまた本棚を見上げる。量が多いうえに背表紙に書いてある言葉一つとっても小難しく、それらを半目で見ながら自分がこれに慣れることはないだろうな、と考える。
「――あぁ!そういえば、確かあそこに」
その美しい空色の瞳を輝かせ、近くにあった梯子をスライドさせてそれに上り始めるフランチェスカ。
「え、あ、すすすみません!」
目上の方、しかも自分の上司に取らせるのはどうなのかと思うが、なんせ自分はその本の場所が分からない。ロゼはおろおろと手持無沙汰げにしながらも、一応の支えとしてスライド式の梯子に両手を添えた。
「お、あったあった。――あぁ、ありがとう。もう降りるから大丈夫だよ」
梯子を支えていたロゼに礼を述べながら、フランチェスカはふわっと地面に飛び降り、かつん、とブーツの踵部分で着地する。肩口まである髪が赤みを帯びた黄金に輝き、白い式典用隊服をはためかせる様はなんとも神秘的だ。
―――ふぉぉおおぉぉ!
そこいらの男では到底適わないほどのイケメンぶりに、ロゼはもうくらくらだ。若干頬が熱くさえある。
「これは閲覧制限もかかっていない本だから、次から自由に見るといいよ。流石に持ち出すことは出来ないけれど、他にも思い当たる文献は教えておくから」
「っあ、りがとうございます」
「ふふ、いい子だね。――さあ今日はもう帰ろうか。図書棟が閉まる時間だ」
「え、そうなのですか?申し訳ありません、存じておらず」
「いいんだよ。第一棟に帰るのだったら、途中まで一緒に行こう」
「は、はいぃぃ」
……先程まで浮気だなんだと考えていたとは思えないほどのメロメロっぷりを見せるロゼ、陥落である。目なんてもはやハートで表現してもいいのではないだろうか。
先程一人で歩いた回廊を、今は自分の上司、それも副団長様と一緒に歩いている。少し前の自分が知ったらさぞ驚くだろうなと、フランチェスカの話に耳を傾けながらもロゼは考えていた。
図書棟からの帰りに見ようと思っていた回廊近くに咲くバラも隣を歩く麗人の前ではもはやぺんぺん草にしか思えず、柱横に並べられている神々の像もまるで目に入らない。
「――それで、最近は討伐が増えていたのですか」
「そう。まあ最近と言っても予兆があったのは恐らくもっと前、ちょうど君が新人隊に入隊する頃だろう。まあ今からならどうとでもいえるんだけれどね」
「そう、なんですか」
図書棟から出て五分ほど、今二人は最近討伐件数が増えたことに関して話していた。
フランチェスカが言うには、討伐依頼の中でも魔物の攪乱件数が異常な増え方をしているらしく、その傾向はこの神殿直轄地であるローザリンドを中心に見て取られる。平の御使いでしかないロゼにそんなことを話していいのかと思ったが、どうやら秘匿事項でもないらしく時を待たずとも各隊員に話は回ってくるそうだ。
「……ここローザリンドを中心に……、何かしらの生態異変があったのでしょうか。それとも、――人為的なものか」
「前者ならばまだいい。言い方は悪いが、会話力や長期的に物事を分析できる程の知能をもった魔物はほぼ前例がないと言っていいからね。まあ元が動物であり、それが私たちが魔素と仮定している何かしらの要因を取り入れたことで変化していることを考えれば、当然だけど。しかも範囲が限定されているとあれば、此方も対応しやすい。……だが後者であるならば、対応も変わってくる」
「対人戦も、覚悟しなければいけないということでしょうか」
「君は初めてか」
「は、はい。新人隊では職務から除外されていたので」
対人討伐は、聖師団の隊に所属してからの職務だ。精神的な成熟がなされていない時期には心の負担も大きいだろうという配慮が働いているのだろう。しかし幸か不幸か、第一聖師団第一隊に入隊してしばらくたった今でもロゼは対人討伐を経験したことがなかった。前に一度、ローザリンドの南端に位置する都市ノルドに第一隊が魔薬取締に赴いたが、その時ロゼを含む今期入隊生四人は討伐メンバーからは外れ、森でシュデル、ディノと共に体力強化訓練を行っていた。今思えば、それにも何かしらの配慮が働いていたのかもしれない。
そこまで考えたところでロゼは、歩みを止める。
「……大変失礼と分かっていながら、お聞きしても宜しいでしょうか」
「ん?何だ」
「人を、殺めるのは。…………やはり魔物の時とは違うものなのでしょうか」
今だ研究機関でも解明されていない魔素というものを取り入れ変化した、理性のない魔物。それらは知能の低さゆえに言葉を解し得ず、ましてや人語を話すこともない。
しかし人間は言葉を解し、当然話もする。
制圧するべき相手に呪いの言葉を吐かれたとき、命乞いされたとき。
ロゼには自分が冷静な判断を下せるとは到底思えなかった。
立ち止まったロゼに向き直ったフランチェスカは、薄く微笑み、そして口を開いた。
「…………まあ、最初はね。どうしても怖いものさ。夜に夢を見ても、食が喉を通らず吐いても、任務だからこなさなければならない。……ごめんね、私は君にそれを強要してしまう立場にいる」
「い、っいいえ!謝らないでください。そういう仕事だと分かった上で、私は志願しているのですから。…………でも、ただ」
「慣れてしまうのは、怖い?」
「…………はい」
「それでいいんだよ」
その気持ちさえ忘れなければ、と言葉を付け加え、暖かな手でロゼの頭を撫でる。
「………ふふ、なんだろうねぇ。普段は私もここまで言うことはないんだけど、……多分君が、私に似ているからかな。少し、独り言を零してもいい?」
ふわふわとロゼの亜麻色の髪を撫でながら、どこか遠くを見るように、誰かをその瞳に移すように、その薄紅の唇からフランチェスカは言葉を紡ぐ。
「私は、少しでも多くの人が、幸せになればいいと思っている。……ありきたりだけれどね。多くのために一人を犠牲にする選択を迫られたとしても、諦めたくはない。…………まあ、直属の上司には理解されていないけれどね」
「直属の上司……レライ=ノーヴァ第一聖師団長様でしょうか」
込み入ったことに深く立ち入ってはいけないと思いながらも、思わず尋ねてしまう。
あの美しさを体現したような御仁は、ロゼの知る限りではいつも朗らかに笑い、部下に対しても丁寧で優しい。いい噂しか聞かないような方だから、殆どの者がその認識であることは間違いないはずだが。
ロゼの聞き返しに彼の副官は、今までの雰囲気からは少し幼い、困ったような笑いを小さく零した。
「あの方はいつも何を考えているか分からないから。副官になってから暫く一緒にいるけれど、いまだにそれは変わらないかな」
「……あんなに、お優しそうな方なのに、ですか?」
「ふふ、知らない方が幸せなこともあるよ。……私も着任した初めの頃は取り付く島もなかったからね。今はまあ、一応信頼されてはいるのだろうけど」
どうだろうね、と目を細める。
そう言って歩みを進め始めた背中に、ロゼは思ったことを言ってみようと、きゅっと掌を握りしめながら口を開いた。
「……フィード副師団長様は、その、師団長様のことを。尊敬していらっしゃるのですか」
フランチェスカの足が止まる。
いくらこの優しい方でも不躾だったかな、とロゼは心臓をバクバクさせながら、此方を振り向いたフランチェスカの瞳を見つめた。
「――尊敬、はしたくないんだけどね。信頼できる上司ではあるよ」
そう話しているうちに、第一棟の前にたどり着いていたようだ。既に落ちた夕日が遠くの空を名残惜し気に朱く染め、その光から逃れたところに夜の帳が、闇を彩る星々が広がっている。棟の食堂や部屋に暖かな灯りがともされ、がやがやといつも通りに騒がしい棟を包み込んでいるようだ。
じゃあね、と言って去って行ってしまったフランチェスカの背中を、ロゼは暫し見つめていた。
そしてある決意をする。
―――よし、ファンクラブに入ろう。
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