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一章
恋の話
しおりを挟むフランチェスカに会った日の翌日。曇天の空の下、ロゼは一人、的前で弓の練習をしていた。
その日は全体基礎訓練の後に個人練習の時間が設けられ、そしてもうそろそろ休憩という時間帯になったとき、ロゼの方へアリアが近づいてくる。
「ロゼ、そういえば弓も使えたのね。討伐ではあまり見ないけれど」
「まあ、使えると言ってもまだ未熟ですから。もう少し訓練して、腕に自信がついたらロードさんに相談しようと思ってます」
「あの男、ロゼの訓練付きっきりで見ているものね。ロゼの性質のことを抜きにしても、ずっと一緒にいすぎなんじゃないかと思うけど………まぁ、あなたの顔を見る限り満更でもなさそうだし、余計な口は突っ込まないわ」
「っえ、顔って……私どんな顔してるんですか」
「なんかこう、締まりのない顔よ。本当にごちそうさまだこと」
ロゼの顔を見て、アリアは呆れたように肩をすくめる。
「えまって、待ってください。アリアってもしかして、私がその、ロードさんのことす、好きなの」
「気づいてるわよ、当たり前じゃない。隠す気あるのかってくらい顔に出てるし」
「いや、隠す気は別になかったんですけど。えぇ―……」
「それなら別にいいじゃない。……それに私、ロゼと恋の話をしたいわ。ベッドで夜更かししながらおしゃべりしたりするの、夢だったのよ」
「そ、それは楽しそうですけど!……っていうか恋の話って、アリア好きな人いるんですか?」
「いえ、いないわね。ただあなたの話を掘り下げるだけよ」
「それ私に利点ないじゃないですか!」
「あら、ふふ、気づいちゃった?まあいいじゃない。減るものでもないんだし」
「私のメンタルゲージが枯渇します!」
「随分弱いメンタルね」
ああだこうだと楽しそうに二人が話している間に休憩時間を告げる鐘が鳴り、訓練場に響き渡る。午前の休憩はこの時間と昼休憩の二回だ。まだ昼時でもないのに空腹を主張する自分の腹をさすりながら、早く昼休憩にならないかななどとロゼは考えていた。聖師団に入隊してから運動量が一層増えたからか、最近は以前よりも食べる量が多くなった気がする。……具体的には、多い時で五割り増しほど。
―――運動しているから、脂肪になるなんてことはないでしょうけど。……もし私がぶくぶくのぽよぽよになっても、ロードさんは変わらずに接してくれるでしょうか。
ありもしないことを思って不安になるロゼ。要らぬ心配をして好きな人のことで頭を悩ませるのは、古今東西同じのようだ。
小さな白い花が疎らに咲く、ロゼお気に入りの回廊沿いのベンチに座りながら、いかに食堂のご飯がおいしいかについて話しているロゼとアリアの元へ、レイとハンスが歩いてくる。
「ロゼにアリア、お疲れさま。昼ごはんの話とはずいぶん気が早いね」
座っている二人の正面まで歩いてきた男二人はそこで立ち止まり、ハンスがロゼへと話しかける。
「ハンス。ふふ、昼ご飯は戦闘員にとっては死活問題ですよ。いくら考えても悪いことはありません」
「確かにそうだな。俺は今日は昼休憩時に隊長の執務室へ行かなければならないから、食べることはできないが」
「ああ。そういえばレイは今日だったね」
ここにいる四人が第一聖師団第一隊に入隊してからはや数か月が経ち、今はそろそろ隊に馴染んできたかという時期だ。この時期に自身の経過報告を行うのがリデナスの隊では決まっているそうで、今年も例にもれずに行われることになった。自身の活動についての振り返りや改善点などを記した報告書を提出し、それを基にリデナスと一対一の面談を行う。ロゼは先日隊長室に呼び出された際に面談を済ませ、ハンスも昨日済ませたと言っていたので、残るはアリアとレイの二人だ。
「……あれ、そういえばアリアも今日って言ってませんでしたっけ?」
「ちょっ、ロゼ」
「昼休みか?」
ロゼの発言に対して何故か焦るアリアに、レイが尋ねる。座っているアリアの正面に立っていたレイは一歩前に出て、斜め上からアリアにずいっと詰め寄ようにして顔を近づける。
「っ別に。あなたには関係ないじゃない」
「昼休みかと聞いているだけだ」
「……そ、そうよ」
「なら、俺と一緒だ。一緒に行こう」
「ぜったいに嫌よ。なんであなたとわざわざ一緒に行かなきゃいけないの!だいたい私はあなたの少し前だから、時間が同じってわけじゃ」
「なら俺が勝手についていくだけだ」
「やめなさいよ!?あなたまたそんなこと言って、だから新人隊の時に残念ストーカー呼ばわりされていたのよ」
「別に気にしない」
「~~~っぁあもう!好きにしなさい!!」
ふんっ、とレイから顔を勢いよく背け、ベンチから立ち上がって歩き出したアリアをロゼはぼーぜんと見送った。
―――すとー……かー?
どこかで聞いたような言葉だが、あの完璧で整った顔立ちの、真面目を絵にしたようなレイに当てはまる言葉であろうか。いや、違うだろう。
「聞き間違いじゃないよ、ロゼ」
ロゼの心の内を読んだように、ハンスが苦笑を零しながらそう告げる。その優しそうに細まった二つの瞳は、今去っていった二人を映していた。
「あいつ完璧そうに見えてただの真面目ちゃんだし、アリアのことになるとちょっと、いや結構残念だから」
「え、え?ストーカーって聞こえましたけど」
「あーそれは、まあ確かに言いすぎなんじゃないかとは思うけど。アリアに事あるごとに話しかけてたら揶揄してそう言われるようになったらしいけど…………でも本人が嫌がらせだって思ってるからなぁ。純粋な好意なのに何故あんなにひねくれるのか」
「それは同感です」
しかもアリアも、レイのその態度に慣れているところがあった。まあ扱いきれているかは別として、だが。
―――アリアもただ困惑して逃げている感じが大きいですし、これから相当拗れない限りは大丈夫でしょう。……ふふ。恋の話、できるかもしれませんよ?アリア
「……そういえばさ、あの人は今日一緒じゃないの?」
周りを見回しながら、やけに緊張したような声でハンスが話しかけてくる。
「ロードさんのことですか?今日の午前中は確か、第五隊に駆り出されているそうで。午後には戻ってきて訓練をつけてもらう予定ですが」
昨日ゼルドに言われたことを思い出しながらそう答える。ゼルドは普段第一隊で活動を行っているが、偶に他の隊、稀に外部の隊からも単独で駆り出されている。それは訓練の為であったり、はたまた遠征討伐での戦闘力としてであったりと様々だが、どれもゼルドの実力を正当に評価したうえでの依頼だ。見た目や性格からして恐れられている男だが、信頼は厚く、きっと将来も要職に就くことを期待されているような人なのだ。彼の祖父である聖師長のことを抜きにしても、それは変わらないだろう。
そう考えると、自分からはなんとも遠い人だ。しかしそんな男に今自分は訓練をつけてもらっている。
―――時間をいただいていると考えると、ますますやる気が出ますね。ちゃんと成長して、そしていつかロードさんも頼れるような御使いになるのが、今の私の目標です。
よし、と気合を新たにするロゼをハンスは横目で見ながら、少し躊躇するように口を開く。
「あ、あのさ。……ロゼ、弓練習してただろう?俺弓メインじゃないんだけどさ、実践レベルには使えるんだ。……だから、今コツとか教えようかなと思って。ほら、あと少し休憩時間あるし」
「え、いいのですか?嬉しいです」
「!よかった!弓はあっち?」
「はい。でも休憩時間までもらっちゃって申し訳ないです。ファイアードラゴンの時もそうでしたが、ハンスは優しいですねぇ」
優しい同僚に恵まれたことに感謝しなきゃ、と考えながら歩くロゼの後ろを歩くハンスが、そうでもないよ、と小さな言葉を零す。しかしその言葉はロゼには届かず、ハンスの前で規則的に揺れる亜麻色の頭が振り向くこともなかった。
「――ロゼは、筋がいいね。このレベルなら実践で使ってもいいんじゃないか?」
少し驚いたように告げられた言葉に、ロゼは嬉しくなりながらもふるふると首を横に振った。
「私自身が決めている事なんです。自分に自信がついて、ロードさんに認められるまでになったら弓を実践で使おうって」
「そっか。妥協しないってことなら、俺も協力しなきゃな。コツくらいなら教えられるから」
「助かります」
「じゃあもう一回、やってみて」
ゼルドと弓の訓練を始めた日からは考えられないほど、今のロゼは上達していた。引く際の上体も安定し、最近では移動しながらでもなんとか引くことができるようになった。
今、ロゼが狙いを定めているのは六十メートル離れたところに設置された小さな的だ。余程の怪力ではない限り、この距離まで離れたところにある的に真っ直ぐ矢を届けることは難しいだろう。しかしロゼは風属性の御使い、風使いだ。様々なかたちで纏わせる神力を調整し、自身の放った矢の威力を数十倍に高めることができる。考え方としては、矢が媒介であり、込める神力が本体という方が正しい。
キリキリと音をたてながら、弓が弧を描く。
「まだ、まだだ。敵には君の姿は見つかっていないと思って、狙いを定めて。指先で力まずに、弓手を使って」
神力を定めることに集中するロゼの肘裏に、ぐぐ、とハンスが手を添え力を入れる。腕の軌道を補助するその動きに合わせ、ロゼは自身の胸を開くような感覚で、狙いを研ぎ澄まし、そして矢を放った。
ヒュオ、という風の音と共に、矢が少し山なりの曲線を描いて飛んでゆく。直後、タァン!と的に当たった音が、訓練所に響いた。
「……少し、力みすぎましたかね」
「いや、あれくらいでいいと思うよ。もしかしたらロゼ、俺よりも上手いかもね」
「それはないですって。まだ始めたばかりですよ?」
くすくすと笑うロゼに、頬を緩ませ微笑みかけるハンス。その場はなんとも和やかな雰囲気だ。
しかしその雰囲気も、次の瞬間には凍りついてしまった。
「――何をしている」
ロゼの見た事のないような怒りを孕んだ瞳が、真っ直ぐに二人を貫いていた。
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