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第一章
賭け
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晴れない気分で部室の扉を開く。扉が鈍い音を立てる。
うちの学校では旧校舎が文化系の部室棟になっていて、相当に老朽化しているのだ。
廊下を歩く度に床が軋み音を立てる。耐震工事がそのうち始まるのではないかという噂もある。
「やあ」
そうやって力なく手を挙げるのは中島部長だ。
部長は痩せぎすで体があまり強くなく月に一、二度は学校を休むらしい。ノートパソコンを叩く音も静かというよりは弱々しい。
ノーパソは相当古い骨董品だけれどワープロとしては十分機能してくれる。
「安部さんは一緒じゃないのかい」
「掃除当番で遅れます」
部長は頷くと執筆作業に戻った。集中しているようで話しかけづらい。
僕は鞄から文庫本を手にとった。フィリップ・K・ディックの『変数人間』という短編集だ。
部長に最初同じ作者の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という本を勧められたのだが恥ずかしいことに読み切ることが出来なかった。
部長が言うにはSFの世界では極めて有名な作品らしいのだが。どうも長編を読むのはつかれる。
というわけで部長はわざわざ同じ作者の短編集を教えてくれたのだ。
まだ半分ぐらいしか読んでないのだが『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』とは似ても似つかないような作品があって驚く。
例えば『あんな目はごめんだ』とか。それに部長の目論見通り短い作品が多いとあって読みやすい。
そのことを部長に伝えると
「短編のほうが好きなら星新一とかあってるかもしれないね。もっともあれは短編よりもさらに短いショートショートだけど」
と笑いながら言っていた。
しかし今日はまどろむように本の世界に没入することはできなかった。文字が横に流れていくだけで意味が入ってこない。
先輩のことが頭にあるからかもしれない。
暇つぶしに窓の外を眺めると野球部が窓ガラス越しにもうっとうしく感じるぐらいの声出しをしながらランニングしていた。
邪魔かもしれないと思いつつ部長に話しかけてしまう。
「今書いてるのはどんな話なんですか」
部長はわざわざ手を止めて答えてくれる。ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「うーんとね、人工知能の話だよ。人間と恋をする人工知能の話」
僕はちょっと考えこんでから答えた。
「凄い奇抜なアイデアですね」
「そんなことないよ、先行作品は結構ある」
先輩の口調は右も左を分からない子供に手取り足取り教えるようで、実際に僕はそんなものだろうけど恥ずかしくなる。
そこで会話は途切れて部長は作業に戻った。
遅れてやってきた安部さんは手慣れた様子で僕達に紅茶を淹れてくれた。
そして本やら原稿やらで埋まっている机を指して愚痴をこぼす。
「部長、散らかしちゃ駄目ですよ。自分で片付けてくださいね」
「ごめん」
ノーパソを叩きながら気のない返事をする部長。
この部室に初めて入った時は極めて雑然としていたけど彼女がかなり整理整頓してくれたのだ。
どうやら部長はあまり几帳面な性格ではないらしかった。もっとも僕も人のことを言えたものではないのだけれど。
ケトルやティーパックを常備することも彼女が提案したことだ。席につくとショートヘアをいじりながら彼女らしくない物憂げな様子で聞いた。
「私と杉山のクラスに留年生の先輩がいるんですけど知ってますか」
「ああ、彼女のことか」
部長は手を止めた。少し表情が曇る。
「知っているんですか」
どこで接点があったのだろうか。
「中学の頃から学校は違えど塾が一緒だったし、入学後は同じクラスだったからね」
「意外と関係があるんですね」
部長は苦笑する。
「たまたま一緒だったというだけさ。まともに話したこともないよ。それでどうしてこんなことを聞いたのかな」
「簡単に言っちゃうと浮いちゃってるっていう感じで」
「まあ留年生だからね。言っちゃ悪いけど壁を感じちゃうんじゃないかな」
安部さんはちょと考えこんでから答えた。
「なんていうか留年生だって言うのもあるんですけど、そもそも周りと仲良くなろうっていう気がないような感じがするんですよね」
部長はパソコンを閉じながら答える。
「まあもともとそこまで人付き合いのある人に見えなかったけれど、人を拒絶するような性格じゃなかったと思うな。だけど、まあ……」
「だけど?」
「さっき言ったとおりそんなに仲が良かったわけじゃないから僕の勘違いかもしれないよ。ただ失踪するちょっと前ぐらいから一人でいることが多くなっていたような気がするなあ。なにか思うところがあったのかもしれない」
突然安部さんが僕に話を振った。
「そういえば先輩と杉山って仲良いの? なんかごちゃごちゃ話してたじゃん。ほら、ノストラダムスがどうとかって」
僕は一拍おいてから答える。
「多少は」
教室では否定したのに素直に答えられるのは安部さんが人のことをそう簡単に悪く言う人ではないと感じているからだ。もっとも知り合って三週間ほどなのに信用し過ぎかもしれないが。
彼女と出会ったのは入学式の日。桜が出来過ぎなほど満開で、しかも快晴のうってつけの入学日和だった。場所は創設者の銅像が置いてあり、周囲に桜が植えてある大きな広場。そこで入学式の後に体育会系の部活、文化系の部活全てが集まって勧誘していた。
運動が得意というわけでもなければ音楽ができるというわけでもない。中学校の時は部活加入が義務だったのでしかたなくある部活に籍だけ置いていたけれどほとんど活動しなかった。
そのことに後悔がないわけではない。何かに一生懸命時間や努力を費やすってどんな感じなんだろうか。同じ目標を持っている気心の知れた仲間と活動するってどんな感じなんだろうか。僕はまだそれを知らない。
「小説に興味ありませんか?」
ふと見ると一生懸命に女子がチラシ片手に声を掛けている。けれども皆一様に断っていく。丁寧な人は一言
「ごめん俺、野球部に入るって決めてるからさ」
「小説? 興味ないな~」
などと断りの言葉を入れるがぶっきらぼうな人は何も言わずに去っていく。
勧誘なんてしたこと無いから分からないけど無視されるのはやっぱり精神的にキツいんじゃないだろうか。なのに彼女は勧誘をやめなくて、笑顔を絶やさなくて見ているこちらがちょっといたたまれなくなってくる。
まあ小説ってちょっとハードルが高いよな。僕も読みはするが書いたことは一度もないし。そんな風に思っているとその女子がこちら側を見てきた。慌てて目を逸らす。見ていたのがばれてしまったのかな。そんな僕の思惑など気にもしていないように彼女はずしずしと近づいて来る。
「文芸部に入りませんか」
僕は虚を突かれたがなんとなく頷いた。断られてばかりで可哀想だし話ぐらい聞いてあげるか、そんな軽い気持ちだった。
僕は文芸部のブースに誘導された。そこには風が吹けば飛びそうな男子生徒がちょこんと座っていた。僕はチラシと冊子を渡される。
冊子は旅行のしおりとして配られるような、ホチキス留の手作り感溢れるものだった。
冊子にもチラシにも小綺麗な手描きのイラストが書かれていて微笑ましい。
女子が笑顔で名乗った。
「私は安部美月。よろしくね」
男子生徒がそれに続く。
「僕は中島。一応部長をやってます。よろしく」
安部さんは忙しく説明をし始めた。部室にはたくさん本が置いてあって部員なら自由に借りられること。普段は部室で小説を書いたり、小説の話をすること。文化祭では皆でそれぞれ書いた小説が乗っている冊子を出すことなど。たまに中島部長が話の内容を訂正したり、補充したりしていた。一通りの説明を終え、安部さんは手を合わせて頼み込む。
「お願い入ってよ。体験入部でもいいからさあ」
「いいですよ」
「え」
なぜ承諾したのか。思えば気まぐれだったのかもしれない。
「やったあ」
僕の言葉の意味を理解すると安部さんは短く叫び腕を上に付きだした。大げさな様子に僕は吹き出してしまった。安部さんがツッコむ。
「酷いよ。笑うなんて」
「すいません」
「だってさ、チラシを作ってさ、冊子を配ってさ、これで誰も入らなかったら寂しくない? ただでさえ人が少ないのに」
「文芸部って何人いるんですか?」
部長が気まずそうに答える。
「僕達二人だけだよ」
「たった二人だけですか」
本音が思わず漏れてしまった。安部さんが怪訝な顔をする。だけれども慌てて非礼を詫びるとあっけらかんと許してくれた。
「よろしくお願いします。部長、安部先輩」
僕がそう言うや否や
「失礼だよ。同い年なのに。そっか、だから丁寧語だったのか」
そう言って彼女はむくれた顔で自分の青いリボンを指す。あまりにも自然に勧誘していたから一年生とは気づかなかった。
しかも次に登校した時にお互い気づいたのだがクラスメイトでもあったのだ。
入学式の日、クラスで教科書やら何やらを配るときに見かけているはずなのだが。まあ何十人もいるクラスメイトを朧気にせよ一度に覚えるというほうが無理だ。
それに自己紹介がなかったからかもしれない。高橋先生はこんなことを言っていた。
「自己紹介なんかしたって無駄だ。私の趣味はなんたらで出身中学はどこで。いくらそんな話をしたって忘れちまう」
うちの学校は一学年六クラスある。だから同学年で一緒のクラスになるのはサイコロでどれか特定の目が出る確率と等しい。そんなに低い確率ではないがそんなに高い確率でもない。
「ちょっとした運命だね」
安部さんが冗談めかして言っていた。
翌日、登校した先輩は黒髪に戻っていた。その頬には大きな痣が出来上がっていた。
昨日の先生の演説と相まって移り気な世論は一時的に先輩の支持に傾いた。
何人かの生徒が先輩の席を囲み、口々に尋ねる。
「坪内にやられたの?」
先輩は声を詰まらせながら答える。
「大丈夫」
だが騒ぎは収まりそうになかった。先輩は大声で叫ぶ。
「大丈夫だから!」
その次に打って変わって先輩は小さなかすれるような声で哀願した。
「しばらく構わないで」
普段の先輩からは想像できないこの叫びで教室内の騒ぎは表面上収まった。
「感じ悪くねえか」
「せっかくこっちが心配してやってるのによ」
といったひそひそ話が続くけれども先輩に話しかけるものは誰も居ない。
先輩は今にも泣きそうに見えた。
おせっかいだと分かっていたけれど声を掛けなければならない気がした。
「先輩」
返事はない。もう一度呼びかけるが机に顔を突っ伏したままだ。どうしようかと迷ったが肩にそっと触れて軽い調子で言う。
「シカトしないでくださいよ」
先輩は顔を上げずに何事か言う。ぼそぼそとした小さな声で聞き取りづらい。
「聞こえませんよ」
耳を近づける。突き放したような口調だったがもう一度言ってくれた。
「君は日本語が分からないのかな」
「昨日の金髪似合ってなかったですよ。染め方が下手くそだったし。自力でやったんですか。ちゃんと美容室にでも行ったほうがいいですよ」
先輩がやっと顔を上げた。目が合う。きょとんとしていた。
勇気を得た僕は本当に言いたかったことを言う。
「僕は今日みたいな黒髪の先輩のほうがいいです。二回髪色を変えたせいでいつもよりちょっとボサボサなのが残念ですけど」
意表を突かれた先輩はちょっと考えこんでから答えた。
「せっかくお洒落してみたのに辛口だな」
先輩は憮然とした顔をしたが僅かながら笑みが見えた。思えばこれが僕の見た先輩の初めての裏表のない笑顔だったのかもしれない。
嬉しくなった僕は会話を続ける。
「なんでこんなことしたんですか」
先輩が笑いながら答える。
「お洒落がしたかったからよ、さっきも言ったじゃない」
「真面目に答えてくださいよ」
先輩はちょっと考えこんでから、手持ち無沙汰だったのか手を組み合わせながら淡々と言った。
「別に大した意味は無いわ。暇だったからちょっと騒ぎを起こしたかったのよ」
呆れながらも会話を続ける。
「そんなことしてる場合ですか。もっとやるべきこと、しなきゃいけないことがあるんじゃないんですか」
「やるべきことねえ?」
先輩が挑発的に笑う。
「な、何ですか」
「ねえ、杉山君。ちょっとした賭けをしない?」
「世界が滅亡するかしなかっていう賭けは駄目ですよ」
僕は茶化すような口調だったのに、先輩はどこからどうみても真面目な顔で答える。
「違うわよ。私にやるべきことってのを教えてよ」
思わぬ賭けの内容に僕は押し黙る。先輩は僕を見つめながら続ける。
「タイムリミットはこの一年。私達が二年生になるまで。それ以上は苦痛で待てそうにないわ」
先輩が顔を近づけ耳元で囁く。
「そんなことは万に一つもないと思うけど、できたら付き合ってあげていいわ」
先輩は冷たい笑顔をしていた。その笑顔を振り払うように断る。
「からかわないでください。だいたいなんで僕が先輩を好きっていう前提で話してるんですか」
先輩はそれには答えず窓の外をじっと見つめ始める。僕は困惑して何も言えなかった。
うちの学校では旧校舎が文化系の部室棟になっていて、相当に老朽化しているのだ。
廊下を歩く度に床が軋み音を立てる。耐震工事がそのうち始まるのではないかという噂もある。
「やあ」
そうやって力なく手を挙げるのは中島部長だ。
部長は痩せぎすで体があまり強くなく月に一、二度は学校を休むらしい。ノートパソコンを叩く音も静かというよりは弱々しい。
ノーパソは相当古い骨董品だけれどワープロとしては十分機能してくれる。
「安部さんは一緒じゃないのかい」
「掃除当番で遅れます」
部長は頷くと執筆作業に戻った。集中しているようで話しかけづらい。
僕は鞄から文庫本を手にとった。フィリップ・K・ディックの『変数人間』という短編集だ。
部長に最初同じ作者の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という本を勧められたのだが恥ずかしいことに読み切ることが出来なかった。
部長が言うにはSFの世界では極めて有名な作品らしいのだが。どうも長編を読むのはつかれる。
というわけで部長はわざわざ同じ作者の短編集を教えてくれたのだ。
まだ半分ぐらいしか読んでないのだが『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』とは似ても似つかないような作品があって驚く。
例えば『あんな目はごめんだ』とか。それに部長の目論見通り短い作品が多いとあって読みやすい。
そのことを部長に伝えると
「短編のほうが好きなら星新一とかあってるかもしれないね。もっともあれは短編よりもさらに短いショートショートだけど」
と笑いながら言っていた。
しかし今日はまどろむように本の世界に没入することはできなかった。文字が横に流れていくだけで意味が入ってこない。
先輩のことが頭にあるからかもしれない。
暇つぶしに窓の外を眺めると野球部が窓ガラス越しにもうっとうしく感じるぐらいの声出しをしながらランニングしていた。
邪魔かもしれないと思いつつ部長に話しかけてしまう。
「今書いてるのはどんな話なんですか」
部長はわざわざ手を止めて答えてくれる。ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「うーんとね、人工知能の話だよ。人間と恋をする人工知能の話」
僕はちょっと考えこんでから答えた。
「凄い奇抜なアイデアですね」
「そんなことないよ、先行作品は結構ある」
先輩の口調は右も左を分からない子供に手取り足取り教えるようで、実際に僕はそんなものだろうけど恥ずかしくなる。
そこで会話は途切れて部長は作業に戻った。
遅れてやってきた安部さんは手慣れた様子で僕達に紅茶を淹れてくれた。
そして本やら原稿やらで埋まっている机を指して愚痴をこぼす。
「部長、散らかしちゃ駄目ですよ。自分で片付けてくださいね」
「ごめん」
ノーパソを叩きながら気のない返事をする部長。
この部室に初めて入った時は極めて雑然としていたけど彼女がかなり整理整頓してくれたのだ。
どうやら部長はあまり几帳面な性格ではないらしかった。もっとも僕も人のことを言えたものではないのだけれど。
ケトルやティーパックを常備することも彼女が提案したことだ。席につくとショートヘアをいじりながら彼女らしくない物憂げな様子で聞いた。
「私と杉山のクラスに留年生の先輩がいるんですけど知ってますか」
「ああ、彼女のことか」
部長は手を止めた。少し表情が曇る。
「知っているんですか」
どこで接点があったのだろうか。
「中学の頃から学校は違えど塾が一緒だったし、入学後は同じクラスだったからね」
「意外と関係があるんですね」
部長は苦笑する。
「たまたま一緒だったというだけさ。まともに話したこともないよ。それでどうしてこんなことを聞いたのかな」
「簡単に言っちゃうと浮いちゃってるっていう感じで」
「まあ留年生だからね。言っちゃ悪いけど壁を感じちゃうんじゃないかな」
安部さんはちょと考えこんでから答えた。
「なんていうか留年生だって言うのもあるんですけど、そもそも周りと仲良くなろうっていう気がないような感じがするんですよね」
部長はパソコンを閉じながら答える。
「まあもともとそこまで人付き合いのある人に見えなかったけれど、人を拒絶するような性格じゃなかったと思うな。だけど、まあ……」
「だけど?」
「さっき言ったとおりそんなに仲が良かったわけじゃないから僕の勘違いかもしれないよ。ただ失踪するちょっと前ぐらいから一人でいることが多くなっていたような気がするなあ。なにか思うところがあったのかもしれない」
突然安部さんが僕に話を振った。
「そういえば先輩と杉山って仲良いの? なんかごちゃごちゃ話してたじゃん。ほら、ノストラダムスがどうとかって」
僕は一拍おいてから答える。
「多少は」
教室では否定したのに素直に答えられるのは安部さんが人のことをそう簡単に悪く言う人ではないと感じているからだ。もっとも知り合って三週間ほどなのに信用し過ぎかもしれないが。
彼女と出会ったのは入学式の日。桜が出来過ぎなほど満開で、しかも快晴のうってつけの入学日和だった。場所は創設者の銅像が置いてあり、周囲に桜が植えてある大きな広場。そこで入学式の後に体育会系の部活、文化系の部活全てが集まって勧誘していた。
運動が得意というわけでもなければ音楽ができるというわけでもない。中学校の時は部活加入が義務だったのでしかたなくある部活に籍だけ置いていたけれどほとんど活動しなかった。
そのことに後悔がないわけではない。何かに一生懸命時間や努力を費やすってどんな感じなんだろうか。同じ目標を持っている気心の知れた仲間と活動するってどんな感じなんだろうか。僕はまだそれを知らない。
「小説に興味ありませんか?」
ふと見ると一生懸命に女子がチラシ片手に声を掛けている。けれども皆一様に断っていく。丁寧な人は一言
「ごめん俺、野球部に入るって決めてるからさ」
「小説? 興味ないな~」
などと断りの言葉を入れるがぶっきらぼうな人は何も言わずに去っていく。
勧誘なんてしたこと無いから分からないけど無視されるのはやっぱり精神的にキツいんじゃないだろうか。なのに彼女は勧誘をやめなくて、笑顔を絶やさなくて見ているこちらがちょっといたたまれなくなってくる。
まあ小説ってちょっとハードルが高いよな。僕も読みはするが書いたことは一度もないし。そんな風に思っているとその女子がこちら側を見てきた。慌てて目を逸らす。見ていたのがばれてしまったのかな。そんな僕の思惑など気にもしていないように彼女はずしずしと近づいて来る。
「文芸部に入りませんか」
僕は虚を突かれたがなんとなく頷いた。断られてばかりで可哀想だし話ぐらい聞いてあげるか、そんな軽い気持ちだった。
僕は文芸部のブースに誘導された。そこには風が吹けば飛びそうな男子生徒がちょこんと座っていた。僕はチラシと冊子を渡される。
冊子は旅行のしおりとして配られるような、ホチキス留の手作り感溢れるものだった。
冊子にもチラシにも小綺麗な手描きのイラストが書かれていて微笑ましい。
女子が笑顔で名乗った。
「私は安部美月。よろしくね」
男子生徒がそれに続く。
「僕は中島。一応部長をやってます。よろしく」
安部さんは忙しく説明をし始めた。部室にはたくさん本が置いてあって部員なら自由に借りられること。普段は部室で小説を書いたり、小説の話をすること。文化祭では皆でそれぞれ書いた小説が乗っている冊子を出すことなど。たまに中島部長が話の内容を訂正したり、補充したりしていた。一通りの説明を終え、安部さんは手を合わせて頼み込む。
「お願い入ってよ。体験入部でもいいからさあ」
「いいですよ」
「え」
なぜ承諾したのか。思えば気まぐれだったのかもしれない。
「やったあ」
僕の言葉の意味を理解すると安部さんは短く叫び腕を上に付きだした。大げさな様子に僕は吹き出してしまった。安部さんがツッコむ。
「酷いよ。笑うなんて」
「すいません」
「だってさ、チラシを作ってさ、冊子を配ってさ、これで誰も入らなかったら寂しくない? ただでさえ人が少ないのに」
「文芸部って何人いるんですか?」
部長が気まずそうに答える。
「僕達二人だけだよ」
「たった二人だけですか」
本音が思わず漏れてしまった。安部さんが怪訝な顔をする。だけれども慌てて非礼を詫びるとあっけらかんと許してくれた。
「よろしくお願いします。部長、安部先輩」
僕がそう言うや否や
「失礼だよ。同い年なのに。そっか、だから丁寧語だったのか」
そう言って彼女はむくれた顔で自分の青いリボンを指す。あまりにも自然に勧誘していたから一年生とは気づかなかった。
しかも次に登校した時にお互い気づいたのだがクラスメイトでもあったのだ。
入学式の日、クラスで教科書やら何やらを配るときに見かけているはずなのだが。まあ何十人もいるクラスメイトを朧気にせよ一度に覚えるというほうが無理だ。
それに自己紹介がなかったからかもしれない。高橋先生はこんなことを言っていた。
「自己紹介なんかしたって無駄だ。私の趣味はなんたらで出身中学はどこで。いくらそんな話をしたって忘れちまう」
うちの学校は一学年六クラスある。だから同学年で一緒のクラスになるのはサイコロでどれか特定の目が出る確率と等しい。そんなに低い確率ではないがそんなに高い確率でもない。
「ちょっとした運命だね」
安部さんが冗談めかして言っていた。
翌日、登校した先輩は黒髪に戻っていた。その頬には大きな痣が出来上がっていた。
昨日の先生の演説と相まって移り気な世論は一時的に先輩の支持に傾いた。
何人かの生徒が先輩の席を囲み、口々に尋ねる。
「坪内にやられたの?」
先輩は声を詰まらせながら答える。
「大丈夫」
だが騒ぎは収まりそうになかった。先輩は大声で叫ぶ。
「大丈夫だから!」
その次に打って変わって先輩は小さなかすれるような声で哀願した。
「しばらく構わないで」
普段の先輩からは想像できないこの叫びで教室内の騒ぎは表面上収まった。
「感じ悪くねえか」
「せっかくこっちが心配してやってるのによ」
といったひそひそ話が続くけれども先輩に話しかけるものは誰も居ない。
先輩は今にも泣きそうに見えた。
おせっかいだと分かっていたけれど声を掛けなければならない気がした。
「先輩」
返事はない。もう一度呼びかけるが机に顔を突っ伏したままだ。どうしようかと迷ったが肩にそっと触れて軽い調子で言う。
「シカトしないでくださいよ」
先輩は顔を上げずに何事か言う。ぼそぼそとした小さな声で聞き取りづらい。
「聞こえませんよ」
耳を近づける。突き放したような口調だったがもう一度言ってくれた。
「君は日本語が分からないのかな」
「昨日の金髪似合ってなかったですよ。染め方が下手くそだったし。自力でやったんですか。ちゃんと美容室にでも行ったほうがいいですよ」
先輩がやっと顔を上げた。目が合う。きょとんとしていた。
勇気を得た僕は本当に言いたかったことを言う。
「僕は今日みたいな黒髪の先輩のほうがいいです。二回髪色を変えたせいでいつもよりちょっとボサボサなのが残念ですけど」
意表を突かれた先輩はちょっと考えこんでから答えた。
「せっかくお洒落してみたのに辛口だな」
先輩は憮然とした顔をしたが僅かながら笑みが見えた。思えばこれが僕の見た先輩の初めての裏表のない笑顔だったのかもしれない。
嬉しくなった僕は会話を続ける。
「なんでこんなことしたんですか」
先輩が笑いながら答える。
「お洒落がしたかったからよ、さっきも言ったじゃない」
「真面目に答えてくださいよ」
先輩はちょっと考えこんでから、手持ち無沙汰だったのか手を組み合わせながら淡々と言った。
「別に大した意味は無いわ。暇だったからちょっと騒ぎを起こしたかったのよ」
呆れながらも会話を続ける。
「そんなことしてる場合ですか。もっとやるべきこと、しなきゃいけないことがあるんじゃないんですか」
「やるべきことねえ?」
先輩が挑発的に笑う。
「な、何ですか」
「ねえ、杉山君。ちょっとした賭けをしない?」
「世界が滅亡するかしなかっていう賭けは駄目ですよ」
僕は茶化すような口調だったのに、先輩はどこからどうみても真面目な顔で答える。
「違うわよ。私にやるべきことってのを教えてよ」
思わぬ賭けの内容に僕は押し黙る。先輩は僕を見つめながら続ける。
「タイムリミットはこの一年。私達が二年生になるまで。それ以上は苦痛で待てそうにないわ」
先輩が顔を近づけ耳元で囁く。
「そんなことは万に一つもないと思うけど、できたら付き合ってあげていいわ」
先輩は冷たい笑顔をしていた。その笑顔を振り払うように断る。
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