ベテルギウスはまだ爆発しない

不伎倍あさみ

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第二章

異邦人

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「えー知っての通りだが交流旅行が二週間後に迫っている。皆の友好を深めるいい機会だ。是非楽しんで欲しい」
 先生の発言にクラスが指揮棒を振られたかのように一斉にざわめく。
「二泊三日だろ。なにすんだっけ」
「勉強もするんでしょ、旅行先なのに、まじありえなくない」
「かったりーな、登山やるんだろ。標高二千メートル近くあるんだっけ、死んじまうよそんなの」
 
 言葉面は否定的な物が多いがよくよく見ると皆どこか楽しげだ。
 気に入らない行事や制約があってもなんだかんだで楽しめると思っているのかもしれない。
 
 先輩がそんな皆を見ていきいきと囁く。
「集団生活をさせて、そのうえ乗り越えられる程度の困難を与えることで、上辺だけの仲間意識を植え付けようっていう魂胆が見え見えの浅はかな試みね」
「いくらなんでも考えすぎですよ」
 
 先輩は心底意外そうな顔をする。
「そうかしら? そうだったらいいけれど、カルト団体やマルチ商法団体のやり口にそっくりよ。知ってる? ああいう団体ってよく隔離集団生活を送らせるのよ。そこで参加者に自分の悪行を告白させて皆からボロクソに言わせる」

 本当かどうか怪しいけれどなんだか危ない話だ。興味がない風に答える。
「そんなことしてどうするんですか」
「参加者はやがて周囲からの批判に耐え切れず泣き出す。そこで一転して優しい言葉をかける。これまでの自分を捨てて生まれ変わりましょうってね。そうすると心理的に弱ってる参加者はころっと落ちる。皆で抱き合ったりしてね。そうやって生まれ変わらせるのよ。もちろん自分たちの都合のいい人間にね。全くひどい話ね」

 言葉とは裏腹に先輩は楽しげだ。
「まあ流石に交流合宿じゃ自己批判はさせないわ。高校一年生にはそこまでしなくても騙せるんじゃない。去年そんな人達を山ほど見た私がいうのだから間違いないわ」
 全くこの人はどうしてこんなことしか言えないのだろうか。まあ以前の調子に戻ってきたということは、元気を取り戻してきたということで安心している面もあるのだけど。
 
 そんなわけでちょっと意地悪なことを言いたくなった。
「ひょっとして先輩も騙されたんですか」
 呆れたような顔で返事が帰ってくる。
「そんな風に見える? だとしたら心外だわ」
 まあそうだろうなあ……。

 しかし先生の言葉で先輩の軽口は止んだ。
「今日は皆に班分けをして欲しい。班ごとに登山したり、その他のレクリエーション活動をしたり、料理を一緒に作ったり、報告書を出してもらったりする。人数は四から七人までだ。男女混合でも構わんぞ」
 
 教室がざわめきはじめた。仲良しの女子達が無邪気に一緒の班になろうねともう約束を交している。
 かと思えば、自分はどこに入ったら良いのだろうかと不安そうに周りを見たり会話に耳を澄ましている人達もいる。
 さて、先輩はというと先ほどの調子が嘘のように顔色が極めて悪い。
 
 そっと尋ねる。
「知っていたんじゃないですか」
「去年は強制的に分けられていたのに」
 先輩の絶望的なうめきが漏れる。頭を抱えて本当に困っていそうだ。こういう先輩もちょっと可愛い。まあ、いい機会かもしれない。僕はそう思って先輩にニヤリと笑った。すると本当に怖い目で睨んできたので慌てて笑うのをやめた。
 
 男子は男子。女子は女子で綺麗に分かれようとしている。先生が説明したように別にそんな制約はない。
 だがまだこの時期では同性と仲良くなったかどうかという段階でとても男女混合グループができあがる気配はない。僕はといえば那須と一緒にいつもの男子グループに収まった。
 周りを見ると早々に仲良しグループを作って談笑している人たちもいる。かと思えば普段あまり仲がよくない人たちで寄せ集められたグループもあって、居心地が悪そうにしている。だけれど折衝を重ねてなんだかんだで全員がどこかしらのグループに収まりそうだ。

 先輩ただひとりを除いて。
 先輩は誰にも声をかけられることなく、自分から声を掛けることもせずただ押し黙って前を見つめて自分の席に座っている。特に悲しむようでもなく諦めているようだった。達観しているようにすら見えた。
 
 金髪の一件のせいでますます先輩の印象は悪くなっている。不良。あるいは変人。あるいはなるべく関わりたくない人。いずれにせよ先輩と組みたがる人間など誰もいない。
 もしかしたら、先生は自由に班分けさせることで先輩がどこかのグループに入れてもらって、クラスに馴染むとでも思ったのかもしれない。
 でも結果から言うとそれは大失敗だった。

何も言わずに先輩の方を眺めている先生はきっといつ切り出そうかと逡巡しているのだろう。
「お前まだ一人じゃないか、どこかの班に入らないと駄目だぞ」
 こんな言葉を。あるいは先輩以外に何か言うのかもしれないがきっと残酷で嫌なことになるだろう。先生はなんとか先輩を傷つけないように、クラスで浮かないように努力するだろうがこれは言い方の問題でどうにかなるものではない。
 とはいえ先生のことをあまり悪くは言えないかもしれない。僕も楽観的すぎた。どうにかしてどこかの女子グループに入るのではないかと思っていた。
 誰からも誘われないのなら自分から切り出すと思っていた。

「ねえ入れてくれない」
 こんな言葉、小学生でも言えることじゃないか。どうしてそれぐらい出来ないんだ。
 
 いや僕の予想は楽観的というより、希望的観測だったのではないか。そんな考えが浮かんできた。自分を傷つけたくなかった。
 そして自分にとって都合いい事実、理由に飛びついていった。那須に誘われたから。皆同性どうしのグループだから。
 本当は勇気がなかっただけじゃないか。結局僕は先輩に何もしてあげられないじゃないか。自責の念が湧いてきてもいまさらどうしようもない。
 
 嫌な空気になった教室にひそひそ話が始まる。先生がいるからあからさまなものではないが、先輩に対してのからかいや悪口だ。こんな空気ぶっ壊してやりたい。

「一緒の班になりませんか」

 
 教室に驚きが広がる。先輩を救う一声。その役目を果たしたのは僕ではなくて一人のか細い少女、安部さんだった。机の前に立ちきっぱりと彼女は先輩を誘った。その声は普段の彼女からは想像もできないぐらい凛としていた。先輩は驚いた顔をしてから含みのある笑みで答える。

「いいの。私なんかと一緒で」
 先輩の言葉には皮肉というよりも自嘲的な響きが含まれていた。
「馬鹿げた行動だわ、こんなの。もっとよく考えて動いたほうが良い。一時的な哀れみであなたが苦しい思いをすることはないんじゃない」
 安部さんが入りかけていた班の人たちが申し訳無さそうな顔をする。人数は安部さんを入れて七人。関わりたくないという理由もあるだろうがもともと先輩を入れる余裕がなかったのだ。
「先輩」
 
 安部さんは抱擁するように暖かくてだけれどもはっきりとした声で呼び掛ける。
「もうちょっと自分のことを大切にしたほうが良いと思います。それでもうちょっと素直になったほうが良いと思います。そうしたらきっと良くなります」
 そう言って安部さんは先輩の手を握る。先輩は呆けたように何も答えない。長い間が空いてから先輩は涙を堪えるように俯いて答えた。
「ありがとう、その言葉忘れないわ」
 
 僕はただその光景を部外者として眺めていることしか出来なかった。先輩は全然平気なんかじゃなかったのだ。自分の無神経さが腹立たしい。
 誰も居ない所に一人でいる寂しさと人はいるけれども誰にも相手にされない寂しさは違うものだ。 前者は未開地に乗り出す開拓者の寂しさとでも言えよう。
 後者は言葉も文化も理解できない、知り合いもいない地に赴く異邦人の寂しさだ。
 人によって違うと言ってしまえばそれまでだ。
 だけれど、一般に後者の異邦人の寂しさのほうがずっと辛いのではないか。人間を一番傷つけられるのは人間なのだから。
 
 安部さんが入ったけれども後二人足りない。ここで慄いていたら僕は卑怯者のままで終わってしまう。先輩と安部さんを異邦人のままにしておくわけにもいかない。耳打ちする。
「一緒に行ってくれるよな」
 那須はしょうがねえなあというふうに笑っていた。
「先輩、僕達も一緒に入れてください」
「遅いじゃないの、全くのろまなんだから」
 先輩の顔はこれまでに見たことがないぐらいの満面の笑みで、その言葉は嫌味として機能していなかった。
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