ベテルギウスはまだ爆発しない

不伎倍あさみ

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第二章

車輪の下

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  ホームルーム後、僕達三人は行くあてもなくとぼとぼと歩いていた。話し合いをしなければならないのだが大して時間がかかるわけではない。
 だから殆どのグループは教室でそのまま話し合っていたが場所を変えたかったのだ。
 なにぶん僕たちは注目を引き付け過ぎた。視線が集まるのを感じるとどうにも居心地が悪い。それを察した安部さんの

「外で話しませんか」
という提案に皆が乗ったのだ。ただ那須は部活があるというので、僕達に全てを任せて足早に去っていった。校門を出た辺りで先輩が尋ねる。
「それで、結局どこに行くの」
 僕も安部さんも黙りこんでしまった。

しょうがなくちょっと考えた後に無難な答えを言う。
「マックでいいんじゃない」
スターバックスなんていう小洒落たものはこの街には存在しない。
 高校生のたまり場といえばマックかイオンのフードコートだ。あるいはコンビニの軒先にたむろするか。
 うちの高校からだとイオンよりはマックのほうが近い。安部さんが答える。
「まあそこでいいんじゃない」

 先輩はというと肯定とも否定ともつかぬ曖昧な頷き方をした。先輩は教室を出たときから恥ずかしいのか頷いたりはするが明瞭な言葉を発しはしない。
 まあ面倒だし腰を据えて話せる場所ならどこでもいいのだから肯定ととっておこう。

 店に入り注文を終え、一段落してから先輩は初めてまともに口を開いた。
「どうして私に声を掛けてくれたの」
 その目線は安部さんに向けられていた。
「だって放っておけないじゃないですか」
「そんなことを言っても本当は点数稼ぎなんじゃない」
 
 場が凍る。安部さんはただ驚いた顔をして何も答えない。言葉にならないような声を僅かに出している。先輩はお構いなしに続ける。
「最近じゃ推薦受験が多いらしいから。クラス委員をやっているのもそれ狙いだったりして」
 安部さんの態度から自分が先輩の言動にちょっと慣れてきていたんだなということに気づく。だけれどほとんど面識のない人にこの状況でこんなことを言うなんて反感を買うだけだ。フォローしないと先輩が悪者になってしまう。精一杯の作り笑顔と調子のいい声で取り繕う。
「先輩酷いじゃないですか、そんなこと言って。ジョークだとしても言って良いことと悪いことがありますよ」
 
 これ冗談ってことでいいんだよね。多分そんな意味を込めた目で安部さんが僕を見つめる。頷いた後、乾いた笑いが起こる。
 先輩は気を取り直すように僕にきつい視線を浴びせて答える。
「一番酷いのは君よ、誰も名乗り出なかったら放っておいたでしょう」
 そんなことないですよ。と自信を持って言うことが出来なくて僕は自分が嫌になった。

 そして先輩は急に真面目な顔で安部さんに体を向けた。
「な、何でしょうか」
 あたふたする安部さんに先輩は頭を下げる。
「でも点数稼ぎだとしても、哀れみだとしても」
 その先輩の声はもう涙声で
「私はあなたに本当に救われた。ありがとう」
 というところに至っては手を顔に当てていた。

 安部さんが恐縮した様子で先輩の顔を上げさせようとして言う。
「や、やめてください。恥ずかしいですから」
 先輩は顔を上げて涙を拭ってから僕に向かって言った。
「おまけで言ってくと君もありがとうね」
先輩に面と向かって感謝されるとなんだか照れる。口ごもってしまい、言葉にならない言葉で返事した。

 安部さんが話題を変える。
「辛気臭い話はこれぐらいで終わりにしましょうよ」
 話し合うことは三つあった。一つ目はレクリエーションを何にするかということ。二つ目は報告書の作成をどうするかということ。三つ目は班長を誰がやるかということ。

 先輩が報告書を取り上げて言った。
「やる意味のない形式的な書類ね」
「私そういうの苦手です」
 二人の視線が僕に集まる。
「しょうがない。僕が書くよ」
 班長は那須に押し付けることにした。部活とはいえ出席しなかった罰だ。まあやることといったら先生からの事務連絡をとりもつだけだが。

「じゃあ面倒くさいことは終わりにして、レクリーエションを決めましょう」
安部さんが楽しげにパンフレットをプラスチック製のテーブルの上に広げた。そこには思ったよりもたくさんの種類のレクリエーションが紹介されていて驚く。安部さんと先輩の反対側に座っているので見づらい。逆さ文字をなんとか解読していると先輩はパンフレットの一箇所を指差した。
「これ面白そうじゃない」
苦労しながら読み取るとそこには禅と思われる文字があった。二人で顔を見合わせた後言う。
「冗談ですよね」
「なんでそう思うの」
 
 それから先輩はニューエイジがどうたらこうたらとかいう訳の分からない話をし始めて安部さんを軽く引かせた。いや結構かも知れない。
 先輩の話を遮ってうんざりした様子で安部さんが呟く。
「座禅を組んでなんて言うのか分からないあの棒で叩かれるのなんてちっとも面白くなさそうですよ」
「あの棒じゃなくて警策よ。警策」
 誰もそんなこと気にしてないのに先輩は妙に熱っぽく指摘した。

 結局安部さんが強く反対したので先輩の案は却下され、陶器づくりというありきたりなものになる。先輩はそんなものはつまらないと不平を垂れていた。
「じゃあ、今日はこんなところですかね」
 安部さんの一言で皆がトレイを手にぞろぞろと立ち上がる。店を出ると先輩が別れの言葉を告げる。
「私は学校より家のほうが近いからこのまま帰るわ」
 先輩がいなくなると必然的に安部さんと二人きりということになる。そんなに長くはない学校への道中で肩を並べて歩く。ちょっと雑談をしているうちにもう学校に着きそうだった。

 僕は最後に話題を変えて尋ねる。
「ところでさ、先輩どうだった」
 安部さんは前を向いたままで答えた。
「どうだったって何が?」
「先輩のこと、どういうふうに感じたかってこと」
「うーん」
 安部さんが唸る。どうやらあまりいい印象じゃなかったようだ。
「悪い人じゃないって気はしたけどね」
と埋め合わせるように言ってはいたが。

意外なことにそれから安部さんはやたらと先輩に構うようになった。安部さんが先輩の席にやってくるのだ。先輩の方もまんざらではないらしい。ちょくちょく彼女をからかって楽しんでいる。先輩が尋ねている。
「そういえば元々の班の人たちとの関係は大丈夫なの」
「心配しなくてもあれぐらいで壊れる友情じゃないですよ」
 安部さんが笑顔で答える。先輩はちょっと黙って暗い表情で安部さんを見つめた。安部さんの言ったことが本当かどうか疑っているのだろうか。意外と心配症な人だ。そして気を取り直したように答える。
「随分仲がいいのね」
「大げさですね。普通じゃないですか」
 安部さんが再び笑う。先輩はそれに応じるようになんともいえない微笑をした。

 その日はちょうど文芸部で集まりがある日だった。安部さんと二人で教室を出ようとする。教室の出口あたりで彼女は後ろを振り返り言った。
「先輩も行きませんか?」
 意外なことに先輩はその申し出を受けた。教室からぞろぞろと三人で移動する。

 部室に入るなり部長が第一声を上げた。
「久し振り。君は僕のことなんて覚えてないかもしれないけれど」
 先輩はちょっと驚いたような顔で答える。
「そんなことないわよ。ただあなたが部活に入ってるとは知らなかったけど」
「不完全とはいえ覚えてもらえているなんて光栄だね。君は色んな意味で有名人だったから」
 先輩が口に手を当てて笑いながら言う。
「結構酷いこと言うのね」
 
 そうか当たり前だけど部長は先輩が不登校になる前、優等生だった頃からもう知り合いなんだ。それを自覚すると僕は羨ましい気分になった。
 部長は先輩に気を遣ったのか、それきり昔の話はしなくなった。安部さんが先輩に尋ねた。
「先輩は読まないんですか」
「小説は特に好きでも嫌いでもないから。読まないわけじゃないけれど」
 先輩は退屈そうに答えた。そして部長の方を向いて思い出したように言う。
「小説って言えば、塾で国語の文章をよむ何十枚つづりのプリントがあったじゃない」
 
 部長が相槌を打つ。
「ああ、そんなのあったね。自習で解かされて進捗状況を報告しなきゃいけなかったんだけど急かされてるみたいで僕は嫌だったなあ」

「そうそう、それよ。あなたが覚えているかどうかはわからないけれど、そこにね、ヘッセの『車輪の下』が載ってたの。受験教材に『車輪の下』を選ぶなんて完璧な皮肉じゃない。それこそ小説よ。担当者はいったいどんな気持ちで選んだのかしらね。受験生を小馬鹿にしてたのかも。もしくは受験なんてやめちまえという隠れたメッセージだったのかも」
 
 部室はそれで静まってしまった。嫌な沈黙が続いて僕はなんと言って良いのか分からなくて話さなくていい口実として文庫本を手に取り読み始める。安部さんは先輩を見つめている。先輩は席を立ってこう言った。
「楽しそうな部活だけど、部活はどうも柄に合いそうにないの。それに文学少女ってわけでもないし。でも気が向いたらまた遊びに来るかも」

「部長」
 扉の閉まる鈍い音がした後に、真面目そうな顔で安部さんが部長を呼ぶ。いつにない真剣な表情に呼ばれた部長も緊張気味に答える。
「なんだい」
「『車輪の下』ってどんな作品なんですか。私知らないから先輩が言ってた意味がよくわからなくて」
 
 僕も部長も肩透かしを食らった気分だった。そんな反応を気にせずに続ける。
「あとヘルマン・ヘッセって外国人ですよね。アメリカ人ですか?」
「ドイツ人だよ」
 呆れて答えると部長が唸る。
「うーん、それぐらい知っておいた方が良いと思うよ。そんなに読むのが難しい作品でもないし。まあ僕も読んだのは例の受験教材が初めてだったんだけれどね。確かこの部室の本棚にもあったと思うなあ。どこか覚えてないけど。せっかくだから借りていったら」

「なんかすいません」
 安部さんは素直に『車輪の下』を探し始めた。彼女によってかなり整理整頓されてきた部室だったが本棚はまだ手付かずだ。作家名順やジャンル別に分けられているわけでもなく雑然としている。
 しかも二段になったり横に積み上げられていたりして一目で題名や作家名が見える状態になっていないのだ。
 そのうえ部室の両脇を覆うほどの量があって一人で探すのは大変だろう。僕は立ち上がり彼女を手伝う。
 
 しばらく探してようやく見つけることが出来た。取ろうとして手を伸ばすと軽く彼女の手と触れ合った。彼女は部長には聞こえないぐらいの声を上げた。たいしたことではないけどなんだか気まずい。小さな声で謝ると安部さんは笑った。
「気にしなくていいよ、これぐらい。それより杉山も読まない? 私の後に」
「読んだことあるよ。家においてあったから」
「じゃあ二回目だよ、二回目」
 無邪気な顔にもう一度読み返して見るかという気が起こった。
「わかったよ」
 そう言うとますます安部さんは嬉しそうな顔をするのだった。
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