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第二章
全校同点一位
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学校から目的地まではバスでたっぷり二時間はかかる。バスの席は班ごとに分けられていて先輩は僕の後ろにいてその横が安部さん。僕の横が那須という割り振りだ。
「どうして都会じゃなくて、田舎に住んでるのにわざわざ山奥に行かなきゃいけないのよ」
先輩は口では文句を言っているけれどなんだか楽しげだ。安部さんが反論する。
「山奥とここらへんじゃ全然違いますよ」
「どこらへんが?」
「コンビニとかあっちにはないじゃないんですか」
あまりに適当な返答に先輩は呆れるように笑った。バスはガタガタとのんきに走り続けている。
合宿所につくと、教師たちによって慌ただしく部屋へとせき立てられた。部屋は八人も詰め込まれる大部屋だ。
取り付けられている家具は質素というより粗末という形容詞のほうがピッタリ来る。まあ高校の旅行なんてこんなものだろう、しょうがない。
そして昼飯を食べた後は勉強の時間だった。事前から分かっていることとはいえクラスの皆から口々に不満が漏れた。無理もない。途中でレクリエーションを挟んでなんと夕食まで続いたのだ。
僕と那須は一緒に薪を運んでいた。というのもキャンプ場のようなところで夕飯のカレーを作るためだ。合宿の定番と言えよう。とは言え重労働をさせられる身としては愚痴をこぼしてしまう。
「しかし重いなこれ」
那須が呆れるように答える。
「そんなことないだろ。一人で運んでも平気なくらいだよ。お前、本もいいけどもっと運動した方がいいぞ」
薪を運び終わるとマッチを擦って新聞紙に火をつけ竈に放り込む。最初は僕が火をつけようとしたのだがなかなかうまくいかない。
見かねた那須が薪を器用に動かしてあっという間に火を大きくさせて安定させた。そう言えばこいつはこういうこと得意なんだった。そして二人でお米が入った釜を乗せたあとに僕は気づいてしまう。
「これってもう那須一人で十分だよね」
那須はちょっと沈黙した後に答えた。
「確かにお前はいらないな」
とぼとぼと歩いて調理場の方へと向かった。僕に気づいた安部さんが尋ねる。
「もう終わったの?」
「一人で十分だってさ」
「リストラされちゃったんだね」
会話しながらも安部さんはリズミカルに皮をすらすらと剥いていく。眺めているこっちまで小気味よくなってくる。
「暇なら手伝って」
そう言われて包丁を渡されるが料理なんて家庭科の授業ぐらいでしかやったことがない。おどおどしながら包丁を手に取り剥き始める。
「下手くそだね。でも先輩よりはましかも」
安部さんが言った。
先輩の剥いたのを見てみると僕にも勝るとも劣らない酷い不格好だ。まな板に並べられたカレーの具材は安部さんが剥いたのかどうか一目でわかる。
「本当に下手くそですね」
先輩は不機嫌そうに答える。
「食べられればいいじゃない」
「そんな風にしてたら怪我しちゃいますよ」
見かねた安部さんが後ろから抱きかかえるように手をとって教え始めた。
「お母さんと娘みたいですね」
そう言うと先輩はバツの悪そうな顔をした。カレーは僕と先輩という下手な料理人が関わったにもかかわらず美味しかった。那須はちょっと歯ざわりが悪いと文句を言っていたけれども。
お風呂上がり。お風呂の傍にはくつろげるスペースが用意してあって、そこに生徒がたむろしていた。自販機で買ったペットボトルを手にお喋りしている。
そんな中に先輩と安部さんもいた。先輩はまだぎこちないようだけど、安部さん以外の女子生徒とも話していた。嬉しいような寂しいような気持ちになった。
「こっちに来て座ったら?」
先輩に誘われてそばに行く。女子のお風呂あがりの姿は妙に色っぽくてどぎまぎする。ドライヤーで乾かしたのだろうけど先輩の髪の毛はちょっと濡れていた。
「去年は女湯を覗いた阿呆で元気な男子達がいて大変だったのよ。見つかって廊下に正座させられてたわ」
「えっ、それ冗談ですよね?」
先輩の言葉に安部さんを含む女子達が怪訝な顔になる。
「これだから男子って」
そんな声も聞こえる。
「どうして冗談を言う必要があるの。構造的な欠陥があって無理をすれば男湯から女湯が覗けちゃうらしいのよ。それを分かってて去年と今年で宿泊施設を変えないんだから学校の怠慢よね」
一瞬間が空いてから安部さんが恐る恐る尋ねる。
「てことはさっきも覗かれてたかもしれないってことですか」
先輩が面白おかしそうに言った。
「理論上はね」
女子達が一斉に大きな悲鳴を上げる。先輩が平然と言った。
「那須君なんて身長高いから頑張れば見れちゃうんじゃない」
那須が抗議する。
「やめてくださいよ、そんなこと言うの」
「君は女湯を覗く度胸なんてなさそうだね」
先輩は僕の方を向いてそう言った。褒めているのだか貶しているのだかわからない言葉にちょっと困惑した。
二日目は朝から登山だ。一年生とその教員をあわせて二百人近くいる。それがずらずらと列をなして歩いて行くのだ。山上から見ると壮観だろう。あくびをしていると先輩が呟いた。
「まるで行軍ね」
合宿所から続くアスファルトで舗装された道路が終わりいよいよ登山だ。最初の方はよく整備された登山道という感じでたいして苦労しなかった。木丸太が木杭で止められ階段のようになっていたのだ。そこを一歩ずつ上がっていけばいいので歩きやすい。そういうわけで最初に休憩をとった時には
「結構楽勝でしょう。まあ私は去年も登ったからね」
と先輩が軽口を叩いていたほどだった。しかし途中から道無き道になっていく。人一人がやっと通れる程度の険しい道。挙句の果てには岩と石が連なり注意していないと足を滑らせる道。場合によっては一メートル近くある大きな岩を乗り越えて進んでいかなくてはならないのだ。
上から引き上げてあげると先輩は息を切らしていた。
「楽勝じゃなかったんですか」
「去年より大分体力が落ちちゃったみたいね。家に篭ってた時間も長かったから」
それでもなんとか少しずつ登っていく。気の長い行程だ。ところどころにある表示板を確かめて現在の標高とあと何メートル登ればいいのかを確かめる。そうやって気休めをしないとやっていけない。最初のうちは新鮮な気分で山の風景を楽しんでいたがだんだんと飽きてくるし。
先輩の後ろ姿を見ながらさすがにそろそろ着いて欲しいと思った時に先頭の方から歓声が聞こえた。どうやら山頂に着いたみたいだ。
「もうすぐですよ。頑張りましょう」
声を掛けると先輩は汗を拭いながら笑って答えた。
「君に言われなくたって頑張れます」
「凄いですね」
頂上について安部さんが呟くように言った。先輩がからかう。
「ちょっと語彙が貧困なんじゃない」
でも安部さんの言うとおり凄いものは凄いのだ。野生の風景がどこどこまでも広がっている。登山なんて人に強制されなきゃやらないだろうが、こういう景色を見ると嫌な気分はしない。阿呆で元気な男子達がやまびこを出そうとして大声で叫んでいる。呆れていると先輩も大声で叫び始めた。
先輩は笑顔で言った。
「たまにはこういうのもいいものね」
山頂にはちょっとした売店もあって驚いた。こんな山の上でも商売をしようなんて商魂がたくましい。その値段の高さにもびっくりしたが。そのことを先輩に話すと笑ってこう言った。
「世間知らずなのね。今じゃヒマラヤ登山だってシェルパっていう現地の少数民族を案内役にして行われているのよ。もちろんお金を払ってね。そのうち金さえあれば山頂までヘリやら飛行機やらでお気軽に行ける時代がきてもおかしくないわね」
下山し始めてまもなくの事だった。悲鳴が聞こえた。先輩の声だ。後ろを振り向くと先輩が座り込んで足首を押さえていた。
「くじいちゃったみたい」
僕達の心配する声を制して先輩はなんとか立ち上がった。そして歩こうとするが痛みに耐え切れず止まってしまった。その姿は痛々しい。僕達は立ち止まって、他の班の人達がどんどん抜かしていく。異変に気づいた高橋先生がやってきた。先生は自分が先輩を背負うと言ったが
「僕が運びます」
と口にした。先輩が僕を見つめる。那須が心配そうに提案した。
「俺がやったほうがいいんじゃないか」
「私もそのほうが良いと思うけどなあ」
安部さんも那須に同意した。二人の言うことがもっともだということは分かっていた。野球部で鍛えているのだから体格も体力も僕よりあいつのほうがずっと上だ。けれどもなんとなく譲ることが出来ない。くだらないプライドかもしれないけど。断るとあいつは笑いながら
「お前が言うなら」
と言って僕にやらせてくれた。先輩を背負う。僕にしか聞こえないぐらいの声で後ろから呟かれた。そのときちょうど強風が吹いて山木の枝が揺れた。
「ありがとう」
僕は足に力を入れた。人を一人背負えば当然滑りやすくなる。また単純に重量という面でも足腰に負担がかかる。安部さんが先導して那須が先輩を後ろから支えた。
大きな落差がある箇所では一旦おろして皆で慎重に運ぶ。そんなことを繰り返しながらやっていると確実に体力が消耗していく。
見かねた高橋先生が声を掛けてきた。
「大丈夫か、代わるか」
息も途切れ途切れに平気ですと答えるが時間が立てば立つほど体のほうがついていかない。心臓も辛いし、膝もガクガクしてきた。
「このままじゃ怪我しちまうよ。お前だけじゃなくて先輩も」
まだまだ麓までは距離がある所で那須にはっきりと言われた。確かにこのままじゃ迷惑を掛けてしまう。仕方なく先輩をおろして那須に託す。明らかに僕よりも力強い動きをしている。先輩も心強いだろう。僕はホッとしたが、同時にやはり情けなかった。
アスファルトの舗装道路のところまでたどり着くと、先輩は車に乗せられて合宿所まで運ばれていった。僕は安心感からかここまでの疲れがどっときて道路にへたり込んでしまった。自分の体力の無さが情けない。安部さんの手を借りてなんとか立ち上がる。那須がからかう。
「大丈夫か、俺がおぶってやろうか」
「大丈夫に決まってるだろ」
本当は辛くてたまらないのに虚勢を張る。なんとか合宿所まで自力で帰った。
二日目の学習時間は皆疲れていて居眠りしていた。隣の席の那須も先輩のさらに前方にいる安部さんも安らかに眠っていた。那須に至ってはいびきまで立てていてうるさい。叩き起こしてやりたいぐらいだ。
一方僕の前の席に座っている先輩は授業を真面目に聞いているのかどうかは定かではないが一応起きているようだ。高橋先生は注意しても注意しても皆がまた寝てしまうので
「どだい、山登りさせた後に勉強させようってのが無理なんだよな。自習にする」
と言って本を読み始めた。僕もなんだかんだ言って疲れていたから眠るかと思って机に突っ伏す。うつらうつらしているうちに視線を感じて顔を上げた。
そこには先輩の顔があった。ちょっと見つめ合った後に言う。
「普段と逆だね」
呆れながら答える。
「何してるんですか」
先輩はそれには答えない。
「女の子一人も背負えないってちょっと体力なさすぎるんじゃない」
認めることができなくて憎まれ口を叩いてしまう。
「先輩が重たいのが悪いんですよ」
「女の子にそれを言うのは反則だぞ」
おでこにデコピンされた。結構痛い。なのに笑っている先輩を見ているとあまり嫌な感じはしない。
「でも、ありがとう。一生懸命頑張ってくれてるってのは伝わったよ。頼りなかったけどね」
そう言って先輩は僕の頭を撫でた。どきっとしたが悟られないようにいつもの調子で尋ねる。
「怪我は大丈夫なんですか」
「歩けないだけで大したことないわよ。すぐ治るって」
そう答えると先輩は前へと振り返る。安っぽいパイプ椅子が軋む音がした。ふと気づくと那須が起きてこちらを向いていた。ニヤニヤと笑っている。こちらが黙っていると勝手にこんなことを言い出した。
「安心しろ。誰にもバラさないよ」
「余計なお世話だ」
言い返して前の方を向く。何かの本を読んでいる先輩の後ろ姿がやけに映えて見えた。
翌日、帰り際に所長がこんな社交辞令を言った。
「この合宿所にはたくさんの学校が訪れますがあなた達は一番礼儀正しく過ごしてくれました」
先輩は
「全校同点一位」
と呟いて僕は笑いを堪えるのが大変だった。
「どうして都会じゃなくて、田舎に住んでるのにわざわざ山奥に行かなきゃいけないのよ」
先輩は口では文句を言っているけれどなんだか楽しげだ。安部さんが反論する。
「山奥とここらへんじゃ全然違いますよ」
「どこらへんが?」
「コンビニとかあっちにはないじゃないんですか」
あまりに適当な返答に先輩は呆れるように笑った。バスはガタガタとのんきに走り続けている。
合宿所につくと、教師たちによって慌ただしく部屋へとせき立てられた。部屋は八人も詰め込まれる大部屋だ。
取り付けられている家具は質素というより粗末という形容詞のほうがピッタリ来る。まあ高校の旅行なんてこんなものだろう、しょうがない。
そして昼飯を食べた後は勉強の時間だった。事前から分かっていることとはいえクラスの皆から口々に不満が漏れた。無理もない。途中でレクリエーションを挟んでなんと夕食まで続いたのだ。
僕と那須は一緒に薪を運んでいた。というのもキャンプ場のようなところで夕飯のカレーを作るためだ。合宿の定番と言えよう。とは言え重労働をさせられる身としては愚痴をこぼしてしまう。
「しかし重いなこれ」
那須が呆れるように答える。
「そんなことないだろ。一人で運んでも平気なくらいだよ。お前、本もいいけどもっと運動した方がいいぞ」
薪を運び終わるとマッチを擦って新聞紙に火をつけ竈に放り込む。最初は僕が火をつけようとしたのだがなかなかうまくいかない。
見かねた那須が薪を器用に動かしてあっという間に火を大きくさせて安定させた。そう言えばこいつはこういうこと得意なんだった。そして二人でお米が入った釜を乗せたあとに僕は気づいてしまう。
「これってもう那須一人で十分だよね」
那須はちょっと沈黙した後に答えた。
「確かにお前はいらないな」
とぼとぼと歩いて調理場の方へと向かった。僕に気づいた安部さんが尋ねる。
「もう終わったの?」
「一人で十分だってさ」
「リストラされちゃったんだね」
会話しながらも安部さんはリズミカルに皮をすらすらと剥いていく。眺めているこっちまで小気味よくなってくる。
「暇なら手伝って」
そう言われて包丁を渡されるが料理なんて家庭科の授業ぐらいでしかやったことがない。おどおどしながら包丁を手に取り剥き始める。
「下手くそだね。でも先輩よりはましかも」
安部さんが言った。
先輩の剥いたのを見てみると僕にも勝るとも劣らない酷い不格好だ。まな板に並べられたカレーの具材は安部さんが剥いたのかどうか一目でわかる。
「本当に下手くそですね」
先輩は不機嫌そうに答える。
「食べられればいいじゃない」
「そんな風にしてたら怪我しちゃいますよ」
見かねた安部さんが後ろから抱きかかえるように手をとって教え始めた。
「お母さんと娘みたいですね」
そう言うと先輩はバツの悪そうな顔をした。カレーは僕と先輩という下手な料理人が関わったにもかかわらず美味しかった。那須はちょっと歯ざわりが悪いと文句を言っていたけれども。
お風呂上がり。お風呂の傍にはくつろげるスペースが用意してあって、そこに生徒がたむろしていた。自販機で買ったペットボトルを手にお喋りしている。
そんな中に先輩と安部さんもいた。先輩はまだぎこちないようだけど、安部さん以外の女子生徒とも話していた。嬉しいような寂しいような気持ちになった。
「こっちに来て座ったら?」
先輩に誘われてそばに行く。女子のお風呂あがりの姿は妙に色っぽくてどぎまぎする。ドライヤーで乾かしたのだろうけど先輩の髪の毛はちょっと濡れていた。
「去年は女湯を覗いた阿呆で元気な男子達がいて大変だったのよ。見つかって廊下に正座させられてたわ」
「えっ、それ冗談ですよね?」
先輩の言葉に安部さんを含む女子達が怪訝な顔になる。
「これだから男子って」
そんな声も聞こえる。
「どうして冗談を言う必要があるの。構造的な欠陥があって無理をすれば男湯から女湯が覗けちゃうらしいのよ。それを分かってて去年と今年で宿泊施設を変えないんだから学校の怠慢よね」
一瞬間が空いてから安部さんが恐る恐る尋ねる。
「てことはさっきも覗かれてたかもしれないってことですか」
先輩が面白おかしそうに言った。
「理論上はね」
女子達が一斉に大きな悲鳴を上げる。先輩が平然と言った。
「那須君なんて身長高いから頑張れば見れちゃうんじゃない」
那須が抗議する。
「やめてくださいよ、そんなこと言うの」
「君は女湯を覗く度胸なんてなさそうだね」
先輩は僕の方を向いてそう言った。褒めているのだか貶しているのだかわからない言葉にちょっと困惑した。
二日目は朝から登山だ。一年生とその教員をあわせて二百人近くいる。それがずらずらと列をなして歩いて行くのだ。山上から見ると壮観だろう。あくびをしていると先輩が呟いた。
「まるで行軍ね」
合宿所から続くアスファルトで舗装された道路が終わりいよいよ登山だ。最初の方はよく整備された登山道という感じでたいして苦労しなかった。木丸太が木杭で止められ階段のようになっていたのだ。そこを一歩ずつ上がっていけばいいので歩きやすい。そういうわけで最初に休憩をとった時には
「結構楽勝でしょう。まあ私は去年も登ったからね」
と先輩が軽口を叩いていたほどだった。しかし途中から道無き道になっていく。人一人がやっと通れる程度の険しい道。挙句の果てには岩と石が連なり注意していないと足を滑らせる道。場合によっては一メートル近くある大きな岩を乗り越えて進んでいかなくてはならないのだ。
上から引き上げてあげると先輩は息を切らしていた。
「楽勝じゃなかったんですか」
「去年より大分体力が落ちちゃったみたいね。家に篭ってた時間も長かったから」
それでもなんとか少しずつ登っていく。気の長い行程だ。ところどころにある表示板を確かめて現在の標高とあと何メートル登ればいいのかを確かめる。そうやって気休めをしないとやっていけない。最初のうちは新鮮な気分で山の風景を楽しんでいたがだんだんと飽きてくるし。
先輩の後ろ姿を見ながらさすがにそろそろ着いて欲しいと思った時に先頭の方から歓声が聞こえた。どうやら山頂に着いたみたいだ。
「もうすぐですよ。頑張りましょう」
声を掛けると先輩は汗を拭いながら笑って答えた。
「君に言われなくたって頑張れます」
「凄いですね」
頂上について安部さんが呟くように言った。先輩がからかう。
「ちょっと語彙が貧困なんじゃない」
でも安部さんの言うとおり凄いものは凄いのだ。野生の風景がどこどこまでも広がっている。登山なんて人に強制されなきゃやらないだろうが、こういう景色を見ると嫌な気分はしない。阿呆で元気な男子達がやまびこを出そうとして大声で叫んでいる。呆れていると先輩も大声で叫び始めた。
先輩は笑顔で言った。
「たまにはこういうのもいいものね」
山頂にはちょっとした売店もあって驚いた。こんな山の上でも商売をしようなんて商魂がたくましい。その値段の高さにもびっくりしたが。そのことを先輩に話すと笑ってこう言った。
「世間知らずなのね。今じゃヒマラヤ登山だってシェルパっていう現地の少数民族を案内役にして行われているのよ。もちろんお金を払ってね。そのうち金さえあれば山頂までヘリやら飛行機やらでお気軽に行ける時代がきてもおかしくないわね」
下山し始めてまもなくの事だった。悲鳴が聞こえた。先輩の声だ。後ろを振り向くと先輩が座り込んで足首を押さえていた。
「くじいちゃったみたい」
僕達の心配する声を制して先輩はなんとか立ち上がった。そして歩こうとするが痛みに耐え切れず止まってしまった。その姿は痛々しい。僕達は立ち止まって、他の班の人達がどんどん抜かしていく。異変に気づいた高橋先生がやってきた。先生は自分が先輩を背負うと言ったが
「僕が運びます」
と口にした。先輩が僕を見つめる。那須が心配そうに提案した。
「俺がやったほうがいいんじゃないか」
「私もそのほうが良いと思うけどなあ」
安部さんも那須に同意した。二人の言うことがもっともだということは分かっていた。野球部で鍛えているのだから体格も体力も僕よりあいつのほうがずっと上だ。けれどもなんとなく譲ることが出来ない。くだらないプライドかもしれないけど。断るとあいつは笑いながら
「お前が言うなら」
と言って僕にやらせてくれた。先輩を背負う。僕にしか聞こえないぐらいの声で後ろから呟かれた。そのときちょうど強風が吹いて山木の枝が揺れた。
「ありがとう」
僕は足に力を入れた。人を一人背負えば当然滑りやすくなる。また単純に重量という面でも足腰に負担がかかる。安部さんが先導して那須が先輩を後ろから支えた。
大きな落差がある箇所では一旦おろして皆で慎重に運ぶ。そんなことを繰り返しながらやっていると確実に体力が消耗していく。
見かねた高橋先生が声を掛けてきた。
「大丈夫か、代わるか」
息も途切れ途切れに平気ですと答えるが時間が立てば立つほど体のほうがついていかない。心臓も辛いし、膝もガクガクしてきた。
「このままじゃ怪我しちまうよ。お前だけじゃなくて先輩も」
まだまだ麓までは距離がある所で那須にはっきりと言われた。確かにこのままじゃ迷惑を掛けてしまう。仕方なく先輩をおろして那須に託す。明らかに僕よりも力強い動きをしている。先輩も心強いだろう。僕はホッとしたが、同時にやはり情けなかった。
アスファルトの舗装道路のところまでたどり着くと、先輩は車に乗せられて合宿所まで運ばれていった。僕は安心感からかここまでの疲れがどっときて道路にへたり込んでしまった。自分の体力の無さが情けない。安部さんの手を借りてなんとか立ち上がる。那須がからかう。
「大丈夫か、俺がおぶってやろうか」
「大丈夫に決まってるだろ」
本当は辛くてたまらないのに虚勢を張る。なんとか合宿所まで自力で帰った。
二日目の学習時間は皆疲れていて居眠りしていた。隣の席の那須も先輩のさらに前方にいる安部さんも安らかに眠っていた。那須に至ってはいびきまで立てていてうるさい。叩き起こしてやりたいぐらいだ。
一方僕の前の席に座っている先輩は授業を真面目に聞いているのかどうかは定かではないが一応起きているようだ。高橋先生は注意しても注意しても皆がまた寝てしまうので
「どだい、山登りさせた後に勉強させようってのが無理なんだよな。自習にする」
と言って本を読み始めた。僕もなんだかんだ言って疲れていたから眠るかと思って机に突っ伏す。うつらうつらしているうちに視線を感じて顔を上げた。
そこには先輩の顔があった。ちょっと見つめ合った後に言う。
「普段と逆だね」
呆れながら答える。
「何してるんですか」
先輩はそれには答えない。
「女の子一人も背負えないってちょっと体力なさすぎるんじゃない」
認めることができなくて憎まれ口を叩いてしまう。
「先輩が重たいのが悪いんですよ」
「女の子にそれを言うのは反則だぞ」
おでこにデコピンされた。結構痛い。なのに笑っている先輩を見ているとあまり嫌な感じはしない。
「でも、ありがとう。一生懸命頑張ってくれてるってのは伝わったよ。頼りなかったけどね」
そう言って先輩は僕の頭を撫でた。どきっとしたが悟られないようにいつもの調子で尋ねる。
「怪我は大丈夫なんですか」
「歩けないだけで大したことないわよ。すぐ治るって」
そう答えると先輩は前へと振り返る。安っぽいパイプ椅子が軋む音がした。ふと気づくと那須が起きてこちらを向いていた。ニヤニヤと笑っている。こちらが黙っていると勝手にこんなことを言い出した。
「安心しろ。誰にもバラさないよ」
「余計なお世話だ」
言い返して前の方を向く。何かの本を読んでいる先輩の後ろ姿がやけに映えて見えた。
翌日、帰り際に所長がこんな社交辞令を言った。
「この合宿所にはたくさんの学校が訪れますがあなた達は一番礼儀正しく過ごしてくれました」
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