ベテルギウスはまだ爆発しない

不伎倍あさみ

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第五章

陳腐な答え

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 旧校舎に行こうとする前に先生が僕を呼び止める。心当たりもないのに先生から突然呼び出しを受けたら緊張する。なにか悪いことしたかなと考えてみるけども何も思いかばなかった。しかもわざわざ校門の外へと連れて行かれたのだ。
「まあ楽にしろ」
 そんなふうに言われたって担任と一対一で楽にできる生徒はなかなかいないだろう。自然と背筋が伸びる。

先生はポケットに手を突っ込み何かを取り出そうとする。
「タバコ吸っていいか」
 そのためにわざわざここまで連れてきたのかと思ったが、構いませんと答える。夏休み前の公園の記憶が蘇ってくる。先生が一服してタバコの嫌な匂いがする。
「全く世知辛い世の中だよ。今年からこの学校も校内全面禁煙になっちまった。校門の前で吸うことさえ文句をいう連中もいる。教育に悪影響だって言ってな。正論が至る所で大手を振って歩いてやがる。少しの不正義も悪もお目こぼししてはくれない。杉山はタバコなんか絶対に吸うなよ。この上馬鹿高い税金を払わされてるんだからな」
 適当に相槌を打つ。少しも本題が見えてこない。

「話は変わるがこれでも俺は教育学部を出てるんだ。それに、適当に学部を選んだわけじゃない。大学に入った時点で学校の先生になる気満々だったんだよ」
 先生の口調は居酒屋で愚痴をぶちまけるだらしない中年のようだった。
「これでもというか、いかにもそんな感じがしますよ」
「そうか? しかも安定性を求めてとかじゃなくて教育に携わりたくて仕方なかったんだ。学校は楽しい! 高校生の頃は無邪気にそんな風に思ってたんだからな。笑えるだろ、まあ俺たち教師からしてみれば理想的な生徒の一類型だよ。もっとも成績はそんなに良くはなかったけどな。居眠りも良くしてたし」
 似つかわしくない自虐的な発言に少しも微笑み返す事ができなかった。

先生はそれから表情をちょっと厳しくして呟くように言った。
「でもよくよく思い出してみると学校を楽しんでない、それどころか学校に苦しんでるっていう奴は確かにいたんだよなあ」
 段々何を言いたいのか分かってきたような気がする。
「そういう奴らのことを俺は気づいていなかったか、気づいていて意図的に考えないようにしていたのか、今となってはもう分からない。でも本当にどっちだったんだろうなあ」
「それはしょうがないことです。他人のことを気遣う余裕が誰にでもあるわけじゃない。先生は悪くありませんよ」

 先生が笑って答える。
「妙に物分りがいいんだなあ。確かにそうなのかもしれない。でも気づいてからずっと心に引っかかってるんだよ」
 先生は黙りこんで校門に寄りかかりながらタバコをスパスパと吸い始めた。二本目に手を付けたあたりで本題を切り出してくる。先生は先輩の件で呼び出したことを告げてから言った。
「二学期に入ってからあいつが最初の頃に比べて大分良くなってるように思えてな。お前はどう思う」
 それは僕も感じていることだったので、内心驚きながら冷静を装って答える。
「結構鋭いんですね。僕もそう思います。でもなんで僕を呼ぶんですか。先輩を呼べばいい」
「これも推測なんだがあいつが変わったのってお前が原因なんじゃないか。それにせっかくうまいことやったのにあいつを呼び出して台無しになったら悔やんでも悔やみきれん」
 笑いながら先生が言った。

 そして押し黙った僕に返事を促す。 
「すいません、予想以上に鋭くてちょっとびっくりしました」
「まあ全部理解してるってわけじゃないが。けれどなんか困ったことになったら相談しろよ。一応担任なんだから」
 先生は二本目のタバコを携帯灰皿の中に捨てる。そうは言われても担任に相談だなんてそう気軽に出来るものではない。だけど僕の心が軽くなったのは確かな事実だった。
「結構あいつのことを気にかけてる先生もいるんだよ。去年の担任の先生とかな。そうそう坪内先生もそれとなくあいつの様子を尋ねたりしてな。あまりに激しく怒ったことを後悔してるそうだ。兄を引き合いに出したことも」
「だけれど坪内先生、先輩を殴ったじゃないですか。先輩にちゃんと謝ったんですか」

 先生は怪訝な顔をして答えた。
「それは本当か」
 僕はしっかりと頷く。
「少なくとも俺は知らんぞ。それに坪内先生はたしかにすぐかっとなって怒鳴るが体罰をするところを見たこともないし、聞いたこともないぞ。あの日来てもらった母親と一緒に帰るところも見たが怪我なんてしてなかったと思うし」

 先生が嘘をついているようには見えなくて僕は困惑した。じゃあ誰が先輩をぶったって言うんだ。
「でも騒動を起こした翌日に怪我していたのは確かなんです。クラスの皆も見ていました。最も、もうあんまり覚えていないかもしれないけど」
 先生は腕を組んで困ったように言った。
「そういえばそんなことがあった気もするが。事故か何かじゃないのか」
「事故で頬に痣が付きますか」
 僕がそう指摘すると高橋先生は顎に手を当てて考え込み始めた。とうとう三本目のタバコに火がついた。
「確かに考えづらいな。不良グループと付き合ってたらしいし、そのつながりかもしれない。まあ俺もそれとなく探りを入れてみるよ」

 空き教室に入ると皆はもう練習を始めていた。先輩も皆と声出しをしている。溶け込んでいて言われなければ留年生だと分からないだろう。それに声の出し方が多少だが確かにうまくなっている気がする。
 そんな先輩を見て怪我のことについて話を聞くのは後回しにしようと思った。練習で疲れている先輩を問い詰めるようなことはしたくない。

 遠藤さんは僕らが勝手に練習を進めたことに呆れていたようだった。
「最初から演技なんてできるわけないじゃない」
 安部さんが恐縮した顔で尋ねる。
「どういうことですか」
「まず最初に本読みをするのよ。脚本を読んでここはどういう意味かって話し合うの」

 というわけでその日の練習は本読みに費やされることになった。遠藤さんは鋭く僕達のイメージの不一致を指摘してくる。脚本を書いたのは僕と安部さんだからどういう印象で書いたのかの質問が飛んで来る。正直言ってそこまで考えてなかったことを聞いてくる人もいて困った。
 遠藤さんが僕と安部さんを励ます。
「イメージを膨らませることも本読みに大切なのよ。もっと楽しんだ方が良い」
 結局その日だけで本読みは終わらなかった。練習を切り上げる頃には役者の人達が疲れきったように背伸びをしたり肩を回したりしていた。遠藤さんは帰り際に釘を差すように忠告した。
「今日はほとんど本読みをやっちゃったわね。でも基礎練習も平行してやるのよ。一人でもできるんだから家でもやること」

 結局僕が先輩に事情を聞いたのは本読みをなんとか終わらせた頃だった。人に聞かれてはまずい話なので先輩を人気のない場所に連れ出す。
 適当な口実を言うと、先輩は嘘だと見ぬいたのか納得していないようだったが付いて来てくれた。

 なんと切り出そうか迷っていると先輩の方から会話を始めた。
「これって愛の告白? だとしたらもうちょっと雰囲気あるところを選んだほうが良いんじゃない。こんなジメジメした校舎裏じゃ成功するものも成功しないわ。決闘にはピッタリかもしれないけれど」
「違いますよ。先輩が金髪にしたことがありましたよね」
 先輩は髪を手で掬いながら答える。
「懐かしい話ね。ちゃんと黒髪のままでいるじゃない。何かご不満でも」
「その翌日に先輩は頬に怪我をして登校したじゃないですか」
 先輩は黙って僕の話を聞いている。

 僕は一息に核心に迫る。
「あれって先輩が昔付き合ってたっていう不良連中に傷つけられたんじゃないんですか」
 先輩は呆れたような目で答えた。
「それで、そうだとしたら君はどうするの」
「不良たちを倒しに行きます」
 先輩は低い声で僕を突き放した。
「馬鹿」
 むきになって反論する。
「無謀かもしれませんが本気ですよ。やります」

 先輩は静かに冷笑する。
「そういうことじゃなくて、それは全部君の妄想だってこと。あの人達とはもう付き合いがないわ」
「本当ですか」
「本当よ」
 その声には何の抑揚もない。表情からも感情が読み取れない。ポーカーフェイスなのかもしれないが、嘘じゃないかと問い詰めてもボロを出すようには思えない。

 質問を変える。
「じゃあ誰からやられたんですか。自然につく傷じゃないでしょう」
 先輩は僕の問いに答えない。その代わりにあの質問を僕に尋ねる。
「そろそろ答えは見つかりそう?」
「人間は一人じゃ生きられません。綺麗事でも何でもなく誰かと関係を営んでいないと精神的にやっていけないから。そういう面倒くさい生き物なんです。だから生きていくうちで一番重要なのは人と人の繋がりです。そしてそれが充実してる時に人間は生きているっていう実感を得られるんです」

 僕が言い終えると先輩は目を細くする。
「とっても陳腐な答えね」
 痛いところを突かれた僕は声を強めて言った。
「悪いですか」
「そんなことないわよ」
 先輩は哀れみなのか労りなのかよく分からない目つきで僕を眺める。僕がなにも答えないでいると一人で校舎の方へと戻っていった。
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