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第五章
対決
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今日から練習は新しい段階に入る。遠藤さんが皆を集めて改めて説明する。
「本読みが終わったら台詞を読むことだけに集中して演技するの。読み合わせって言うんだけどね。体を動かしたり、表情を変えたりはしないで」
確かに前回演技した時はやることが多すぎて無茶苦茶になっていたような気がする。那須がいるので僕は演技せずに安部さんと一緒にスタッフの人達との打ち合わせを行った。
まず誰がどんな役割をやるかについてから話し合わなければならなかったので大変だ。一人ひとりの専門性とやる気を考えて割り振らなければならない。
役割の割り振りが終わるとあまりやる気のない人たちはなんだかんだと口実をつけて帰ってしまった。落胆する安部さんに遠藤さんが声を掛ける。
「まあ演劇部とかじゃなくてクラスの出し物だと大変よね。そんなにやる気が無いっていう人が出てきても無理強いできないし。でも人手が足りないってわけじゃないでしょ。全部で何人ぐらい参加するの」
「部活があるから参加しないっていう人を抜くと二十人ぐらいですね。私と杉山と役者を引くとスタッフは十人ちょっとです」
安部さんが答えると遠藤さんは笑って言う。
「じゃあ数人サボっても大丈夫よ。あまり大声で言うとサボる人達が増えるから良くないけどね」
「でもせっかくやるなら皆でやりたいじゃないですか」
安部さんの言葉を否定するでもなく遠藤先輩は笑って受け流す。
「結構安部って真面目だよね。大学生になったらうちの演劇サークルに入ってもらいたいぐらい。皆を引っ張ってくれそう」
安部さんは恥ずかしそうな、でもちょっと不満げそうな顔をしていた。
僕は話題を変えることを試みる。
「サークル活動ってどんな感じなんですか」
「うーんとね、まず大学がすごい暇なのよ。一日に週に九〇分の授業が一〇コマぐらいしか無いからね。それに自由。服装の規定なんかないし。まあ医学部とか資格の勉強をしてる人は別なんだろうけど卒業するだけだったら高校の何倍も楽なんじゃないかな。だからやろうと思えばすごいサークルに時間をつぎ込めるってわけ」
わざわざ答えてくれたのになんだが、自分にとってはあと二年以上も先のことであまり現実感を感じられなかった。
そんな僕の気持ちに気づかずに遠藤さんは説明を続ける。
「長い時間を一緒に過ごすと自然と友人関係も出来上がってくる。それに恋愛関係もね。うら若き男女が集まったらそういうことになるのが当然じゃない」
安部さんが横から口を挟む。
「一緒の趣味を持つ人達が付き合うって素敵な感じですね」
「うーん」
と遠藤さんは唸り、安部さんが不思議そうな顔をする。その真意を尋ねる僕に遠藤さんは嫌そうな顔で答える。
「恋愛自体は私も別にきらいじゃないのよ。だけどサークル内で恋愛があると揉めることがあるのよ。酷い時にはサークルがぶっ潰れたり」
そして遠藤さんは黙りこむ。僕と安部さんは思わず顔を見合わせてしまう。
文化祭モードに水を差すように中間試験があった。僕の成績はいつもと同じぐらい。安部さんはあまり出来なかったようで試験の話をするととても嫌そうに言葉を濁していた。まあ今回に限っては忙しいのだからしょうがない。
一方先輩はあっけからんと自分の答案を僕に見せてくれた。国語などの地力がモノを言う教科はそうでもないけど世界史などの出題範囲をいかにやり込むかが重要な教科は酷い急降下ぶりだ。そして得意気にこう言う。
「私の言ったこと本当だったでしょ?」
僕は自慢することでもないだろうとかなり呆れた。とはいえ勉強しないと点が取れないのはなんだか可愛げがあって安心した。
「何でもないのよ」
僕はため息を付いてから誤魔化そうとしているのがすぐ分かる先輩に尋ねる。
「何でもないってことはないでしょう」
原因は先輩の頬についている派手な痣だった。周りの人達がひそひそ話をしている。安部さんが先輩に話しかけてきた。
「先輩大丈夫ですか」
なのに先輩はまともに答えようとしない。しかたなく安部さんは僕の方を見るが僕にだってよく分からない。
僕は状況を整理することを試みる。
まず先輩が傷ついた姿を確認した時間を考える。前回は先輩が金髪にしてきた日の翌日の朝。今回はテストが返却された翌日の朝。いずれも登校してきた時には怪我をしている。
ということは先輩はどちらも学校ではなく下校途中か家に帰ってから怪我をしているのではないか。ならば坪内先生による体罰の線は薄くなる。
次は先輩が傷つけられたきっかけを考える。前回は金髪に染めたこと。今回はテストの成績が悪かったことが原因なのではないか。この二つの現象に腹をたてるのは誰だ。
まず不良犯人説を僕は検討してみた。不良に誘われて金髪にした先輩が学校で叱られ黒髪に戻したと考えれば前回についてはの説明は付く。だが今回の説明はつかない。テストの点が悪かったからってキレる不良なんてコントだ。ありえない。
「何を考えているの。ずっと怖そうなぐらい真剣な顔をしているけれど」
先輩の声で僕は引き戻される。いつの間にか安部さんは自分の席へと帰っていた。僕は先輩に答えずに大きく息を吐いて考えをまとめる。
先輩が怪我をしたのは下校途中か家に帰ってから。犯人は先輩が問題を起こすことに怒っている。考えこんでいくうちに僕のなかでそれらの情報が一気に繋がった。
慌ててもう朝のホームルームまで大した時間もないのに先輩を人がいないベランダに連れ出す。
そして一気に早口で他の人達に聞こえないように小さな声で尋ねる。
「先輩を殴ったのって先輩のお母さんじゃないんですか」
先輩は心底驚いたような顔をしたあとに何故か楽しそうに言った。
「正解」
唖然とする僕に先輩は続ける。
「それで君がどうにかしてくれるっていうの? 不良じゃなくて私の母親を成敗してくれるのかな」
先輩はそう言うとすぐ教室に戻ってしまった。一人取り残された僕はホームルームの鐘がなり先生が入ってくるまで呆然と立ち尽くすしかなかった。
一日があっという間に過ぎていく。先輩は淡々とした顔で授業を受け一日を過ごし、放課後になると安部さんに練習を欠席すると告げる。理由を尋ねると先輩は僕の目を見ようともせず小声で言った。
「これまで文化祭の練習をしてるっていう話をしてなかったのよ。夜遅くまで学校で勉強しているって嘘ついてたの。だけど成績が悪かったから疑い始めたみたい。安部さんには体調が悪いって誤魔化しておいたけど」
僕も小声で囁き返す。
「大丈夫なんですか。このまま先輩が練習できなくなったら劇が駄目になっちゃいますよ」
そこで初めて先輩は僕の方を見る。
「その時はその時ね。しょうがないのよ。あの人が許さないんだから」
どこまでも自暴自棄な返答に僕は何も言えなかった。先輩が去っていく。あんなに頑張っていたのに。僕はその言葉が先輩の本心とは信じられなかった。一緒に練習に行こうと誘う安部さんに告げる。
「ごめん体調が悪いんだ」
彼女は僕と先輩が一緒に休みを申し出たからだろう怪訝な顔をしていた。
「なんか不味いことがあったみたいだな。死人みたいな顔をしてるぞ」
どれだけの時間が経ったのか。教室でぼんやりとし続けていた僕に声を掛けてきたのは那須だった。もう皆が劇の準備のために空き教室へと移動した。教室の中には僕と那須の二人しかいない。
どうして那須がいるのか、部活があるのではないか。そんな疑問が湧いてくるが聞く気にもならなかった。
言葉を返す気力もない僕に那須がからかうように返答を促す。
「だんまりは酷いだろ。友達に対してよ」
僕はぼそぼそと先輩と母親のことについて説明し始める。那須は相槌を打つこともせずに黙って僕の話を聞いてくれた。
話すことがなくなり口を閉じると、那須はようやく尋ねてくる。
「それでお前はどうしたいんだ」
「先輩のことが好きだ」
自然と本心が出てしまった。口に出したのは初めてだ。人に言ったのも初めてだ。
「だから先輩の笑顔を奪う人間を許せないんだ。怒鳴りこんで二度とそんなことがさせないようにしてやる」
那須が笑いながら言った。
「お前、そんなに熱い奴だっけ?」
いきなり冷水を掛けられたようで恥ずかしい気持ちになる。黙っていると励ましの言葉を掛けてくれた。
「まあいーんじゃねーの。たまには熱くなったてよ」
こう言われるとそれはそれで気恥ずかしい。那須が笑いながら僕に冗談を飛ばす。
「しっかりやってこいよ。俺はこれから部活の先輩に絞られるんだから。お前を励ますために行くのが遅れたせいでな。その分お前に大活躍してもらわないと釣り合いが取れない」
那須に別れを告げたあと、僕は自転車を漕いで先輩の家へと向かう。家の前に立った時になって僕は自分がちょっと怯えているのに気づいた。それを振り払うようにしっかりとチャイムを鳴らすと扉が開き中年の女性が応対に出る。彼女は怪訝な顔で尋ねる。
「どなた様ですか」
その声には聞き覚えがあった。それに顔立ちがどことなく先輩と似ている。おそらく母親だろう。
「お宅の娘さんの同級生です。夏休みに電話したこともあります」
母親は不審そうな顔を崩さずに尋ねる。
「一体何ですか、こんな時間に同級生が」
「あなたに話があって来ました」
母親は思わぬ言葉に困惑している。
無視してまるで押し入り強盗のように家の中に入る。扉を閉められるのを防ぐためだ。
「出て行きなさい!」
母親が叫ぶ。家主の許可も取らずに中に入り込むこちらが無茶苦茶なのは分かってるが押し通すしかない。力を込めて本題を切りだす。
「先輩を、いやあなたの娘さんを虐待していますよね」
母親は呆気にとられた様な顔をしてしばらく黙りこんだ後、不敵な顔でしらを切ろうとする。
「突然やってきてとんでもなく失礼なことを言うのね。証拠があるっていうの。出て行かないと住居侵入で警察を呼ぶわよ」
「証拠はあなた自身がよく知ってるでしょう。先輩の顔についた傷が証拠です」
母親の顔が一瞬曇る。
僕は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「警察を呼んだらそっちもまずいんじゃないんですか。虐待はまずいでしょう」
母親は少し落着きさを取り戻したようだった。
「そんなもの証拠になるわけないでしょ。私が傷つけたって証明できないんだから。常識知らずの高校生のくせに大人を馬鹿にするのはやめなさい」
我慢の限界だった。丁寧語なんて使ってられない。
「常識知らずはあんただろ。先輩を自分の都合のいいように操ろうとしてどれだけ先輩が苦しんでると思ってるんだ」
母親が怒りのあまり言葉として聞き取れない大声を上げる。
階段を降る音がした。先輩だ。怒鳴り合いの声が聞こえたのでやってきたのだろう。状況を把握できないようで驚愕している。もうこうなったら徹底的にやるしかない。
「この家の母親は娘を虐待してるって近所中に大声で叫んでやる」
母親が冷笑する。
「やれるものならやってみなさい。そんなことしたら警察呼ぶわよ」
本当にやるとは少しも思っていないようだ。僕は窓を開けて大声で叫びだした。のどが痛い。僕も腹式呼吸を学んでいればよかった。先輩はあっけにとられたように僕を見ていた。
母親も呆然としていたがやがて気を取り戻したように僕が怒鳴るのを止めようとする。
母親が僕の背中を思い切り叩く。手加減無しだ。痛い。流石に殴り返す訳にはいかないので母親の腕をとって殴れないようにしようとする。先輩が必死に僕と母親を引き剥がす。母親はいきり立っていたが少し冷静になってきた。
「あなたの望みは何なの?」
「先輩を傷つけるのをやめろ。それからあんたの歪んだ人生設計を押し付けるのも」
僕と母親が睨み合う。均衡状態を打ち崩したのは先輩の父親だった。東京に新幹線で通勤しているので帰りが遅いのだという。父親は僕と母親を仲裁し、ほとんど強制的に僕にはこれ以上家で騒がないことを母親には先輩に暴力を振るわないことを約束させた。あまりにもあっさりとした幕切れだった。
それから僕は先輩の部屋に入った。女子の部屋にはいるのは小学校以来だ。もちろん小学生の時とは今とではその意味合いは全く違う。
先輩の部屋はあんまり女の子らしくない感じがした。もちろん経験と知識の少ない僕の勘違いかもしれないのだが。あまりに整理整頓されすぎていて殺風景で無機質な印象を受けさえする。なんだかオフィスみたいだ。
僕と先輩はベッドに並んで座った。何と言えばいいのか分からず黙っていると先輩が吐き出すように言った。
「初めは軽い気持ちだったんだと思う。お兄ちゃんが優秀だったから親戚やら近所の人やら知り合いやらに持ち上げられてね。舞い上がっちゃった可哀想な人なの。ね、だから許してあげて」
先輩は窓の外を見ながら続ける。
「まあ悪いことばかりじゃなかったし。学校の勉強はできるようになったしね。何の意味があるのかさっぱりわからないけれど」
「本気で言ってるんですか」
先輩はニッコリと微笑む。
「本気よ。自由放任の人だったら多分こんな風にはなってなかったと思う。それに君にも出会えてないしね」
唐突な言葉に思わず先輩を見つめる。僕は俯いて答える。
「でも結局僕は何も出来ませんでした。お父さんが来なかったらどうなってたことか」
「そんなことないわよ。だってきっかけを作ったのは君だもの。君がいなかったら何も変わらなかった。大暴れして挙句の果てにはみっともないところ見せて、それでもなんとか私を助けたいって思ってくれたんでしょ。好きになっちゃいそう」
こんな時に冗談を言わないでくださいと言おうとしたが動揺して口ごもってしまう。
「ふふ、うぶなのね。冗談に決まってるでしょ。でも今回は本当によくやってくれました」
先輩は僕の頭を撫でる。先輩に褒めてもらえるのは嬉しい。だけれども子供扱いされているようで恥ずかしくもある。ちょっと複雑な気分になりつつ僕は先輩を見つめた。
「本読みが終わったら台詞を読むことだけに集中して演技するの。読み合わせって言うんだけどね。体を動かしたり、表情を変えたりはしないで」
確かに前回演技した時はやることが多すぎて無茶苦茶になっていたような気がする。那須がいるので僕は演技せずに安部さんと一緒にスタッフの人達との打ち合わせを行った。
まず誰がどんな役割をやるかについてから話し合わなければならなかったので大変だ。一人ひとりの専門性とやる気を考えて割り振らなければならない。
役割の割り振りが終わるとあまりやる気のない人たちはなんだかんだと口実をつけて帰ってしまった。落胆する安部さんに遠藤さんが声を掛ける。
「まあ演劇部とかじゃなくてクラスの出し物だと大変よね。そんなにやる気が無いっていう人が出てきても無理強いできないし。でも人手が足りないってわけじゃないでしょ。全部で何人ぐらい参加するの」
「部活があるから参加しないっていう人を抜くと二十人ぐらいですね。私と杉山と役者を引くとスタッフは十人ちょっとです」
安部さんが答えると遠藤さんは笑って言う。
「じゃあ数人サボっても大丈夫よ。あまり大声で言うとサボる人達が増えるから良くないけどね」
「でもせっかくやるなら皆でやりたいじゃないですか」
安部さんの言葉を否定するでもなく遠藤先輩は笑って受け流す。
「結構安部って真面目だよね。大学生になったらうちの演劇サークルに入ってもらいたいぐらい。皆を引っ張ってくれそう」
安部さんは恥ずかしそうな、でもちょっと不満げそうな顔をしていた。
僕は話題を変えることを試みる。
「サークル活動ってどんな感じなんですか」
「うーんとね、まず大学がすごい暇なのよ。一日に週に九〇分の授業が一〇コマぐらいしか無いからね。それに自由。服装の規定なんかないし。まあ医学部とか資格の勉強をしてる人は別なんだろうけど卒業するだけだったら高校の何倍も楽なんじゃないかな。だからやろうと思えばすごいサークルに時間をつぎ込めるってわけ」
わざわざ答えてくれたのになんだが、自分にとってはあと二年以上も先のことであまり現実感を感じられなかった。
そんな僕の気持ちに気づかずに遠藤さんは説明を続ける。
「長い時間を一緒に過ごすと自然と友人関係も出来上がってくる。それに恋愛関係もね。うら若き男女が集まったらそういうことになるのが当然じゃない」
安部さんが横から口を挟む。
「一緒の趣味を持つ人達が付き合うって素敵な感じですね」
「うーん」
と遠藤さんは唸り、安部さんが不思議そうな顔をする。その真意を尋ねる僕に遠藤さんは嫌そうな顔で答える。
「恋愛自体は私も別にきらいじゃないのよ。だけどサークル内で恋愛があると揉めることがあるのよ。酷い時にはサークルがぶっ潰れたり」
そして遠藤さんは黙りこむ。僕と安部さんは思わず顔を見合わせてしまう。
文化祭モードに水を差すように中間試験があった。僕の成績はいつもと同じぐらい。安部さんはあまり出来なかったようで試験の話をするととても嫌そうに言葉を濁していた。まあ今回に限っては忙しいのだからしょうがない。
一方先輩はあっけからんと自分の答案を僕に見せてくれた。国語などの地力がモノを言う教科はそうでもないけど世界史などの出題範囲をいかにやり込むかが重要な教科は酷い急降下ぶりだ。そして得意気にこう言う。
「私の言ったこと本当だったでしょ?」
僕は自慢することでもないだろうとかなり呆れた。とはいえ勉強しないと点が取れないのはなんだか可愛げがあって安心した。
「何でもないのよ」
僕はため息を付いてから誤魔化そうとしているのがすぐ分かる先輩に尋ねる。
「何でもないってことはないでしょう」
原因は先輩の頬についている派手な痣だった。周りの人達がひそひそ話をしている。安部さんが先輩に話しかけてきた。
「先輩大丈夫ですか」
なのに先輩はまともに答えようとしない。しかたなく安部さんは僕の方を見るが僕にだってよく分からない。
僕は状況を整理することを試みる。
まず先輩が傷ついた姿を確認した時間を考える。前回は先輩が金髪にしてきた日の翌日の朝。今回はテストが返却された翌日の朝。いずれも登校してきた時には怪我をしている。
ということは先輩はどちらも学校ではなく下校途中か家に帰ってから怪我をしているのではないか。ならば坪内先生による体罰の線は薄くなる。
次は先輩が傷つけられたきっかけを考える。前回は金髪に染めたこと。今回はテストの成績が悪かったことが原因なのではないか。この二つの現象に腹をたてるのは誰だ。
まず不良犯人説を僕は検討してみた。不良に誘われて金髪にした先輩が学校で叱られ黒髪に戻したと考えれば前回についてはの説明は付く。だが今回の説明はつかない。テストの点が悪かったからってキレる不良なんてコントだ。ありえない。
「何を考えているの。ずっと怖そうなぐらい真剣な顔をしているけれど」
先輩の声で僕は引き戻される。いつの間にか安部さんは自分の席へと帰っていた。僕は先輩に答えずに大きく息を吐いて考えをまとめる。
先輩が怪我をしたのは下校途中か家に帰ってから。犯人は先輩が問題を起こすことに怒っている。考えこんでいくうちに僕のなかでそれらの情報が一気に繋がった。
慌ててもう朝のホームルームまで大した時間もないのに先輩を人がいないベランダに連れ出す。
そして一気に早口で他の人達に聞こえないように小さな声で尋ねる。
「先輩を殴ったのって先輩のお母さんじゃないんですか」
先輩は心底驚いたような顔をしたあとに何故か楽しそうに言った。
「正解」
唖然とする僕に先輩は続ける。
「それで君がどうにかしてくれるっていうの? 不良じゃなくて私の母親を成敗してくれるのかな」
先輩はそう言うとすぐ教室に戻ってしまった。一人取り残された僕はホームルームの鐘がなり先生が入ってくるまで呆然と立ち尽くすしかなかった。
一日があっという間に過ぎていく。先輩は淡々とした顔で授業を受け一日を過ごし、放課後になると安部さんに練習を欠席すると告げる。理由を尋ねると先輩は僕の目を見ようともせず小声で言った。
「これまで文化祭の練習をしてるっていう話をしてなかったのよ。夜遅くまで学校で勉強しているって嘘ついてたの。だけど成績が悪かったから疑い始めたみたい。安部さんには体調が悪いって誤魔化しておいたけど」
僕も小声で囁き返す。
「大丈夫なんですか。このまま先輩が練習できなくなったら劇が駄目になっちゃいますよ」
そこで初めて先輩は僕の方を見る。
「その時はその時ね。しょうがないのよ。あの人が許さないんだから」
どこまでも自暴自棄な返答に僕は何も言えなかった。先輩が去っていく。あんなに頑張っていたのに。僕はその言葉が先輩の本心とは信じられなかった。一緒に練習に行こうと誘う安部さんに告げる。
「ごめん体調が悪いんだ」
彼女は僕と先輩が一緒に休みを申し出たからだろう怪訝な顔をしていた。
「なんか不味いことがあったみたいだな。死人みたいな顔をしてるぞ」
どれだけの時間が経ったのか。教室でぼんやりとし続けていた僕に声を掛けてきたのは那須だった。もう皆が劇の準備のために空き教室へと移動した。教室の中には僕と那須の二人しかいない。
どうして那須がいるのか、部活があるのではないか。そんな疑問が湧いてくるが聞く気にもならなかった。
言葉を返す気力もない僕に那須がからかうように返答を促す。
「だんまりは酷いだろ。友達に対してよ」
僕はぼそぼそと先輩と母親のことについて説明し始める。那須は相槌を打つこともせずに黙って僕の話を聞いてくれた。
話すことがなくなり口を閉じると、那須はようやく尋ねてくる。
「それでお前はどうしたいんだ」
「先輩のことが好きだ」
自然と本心が出てしまった。口に出したのは初めてだ。人に言ったのも初めてだ。
「だから先輩の笑顔を奪う人間を許せないんだ。怒鳴りこんで二度とそんなことがさせないようにしてやる」
那須が笑いながら言った。
「お前、そんなに熱い奴だっけ?」
いきなり冷水を掛けられたようで恥ずかしい気持ちになる。黙っていると励ましの言葉を掛けてくれた。
「まあいーんじゃねーの。たまには熱くなったてよ」
こう言われるとそれはそれで気恥ずかしい。那須が笑いながら僕に冗談を飛ばす。
「しっかりやってこいよ。俺はこれから部活の先輩に絞られるんだから。お前を励ますために行くのが遅れたせいでな。その分お前に大活躍してもらわないと釣り合いが取れない」
那須に別れを告げたあと、僕は自転車を漕いで先輩の家へと向かう。家の前に立った時になって僕は自分がちょっと怯えているのに気づいた。それを振り払うようにしっかりとチャイムを鳴らすと扉が開き中年の女性が応対に出る。彼女は怪訝な顔で尋ねる。
「どなた様ですか」
その声には聞き覚えがあった。それに顔立ちがどことなく先輩と似ている。おそらく母親だろう。
「お宅の娘さんの同級生です。夏休みに電話したこともあります」
母親は不審そうな顔を崩さずに尋ねる。
「一体何ですか、こんな時間に同級生が」
「あなたに話があって来ました」
母親は思わぬ言葉に困惑している。
無視してまるで押し入り強盗のように家の中に入る。扉を閉められるのを防ぐためだ。
「出て行きなさい!」
母親が叫ぶ。家主の許可も取らずに中に入り込むこちらが無茶苦茶なのは分かってるが押し通すしかない。力を込めて本題を切りだす。
「先輩を、いやあなたの娘さんを虐待していますよね」
母親は呆気にとられた様な顔をしてしばらく黙りこんだ後、不敵な顔でしらを切ろうとする。
「突然やってきてとんでもなく失礼なことを言うのね。証拠があるっていうの。出て行かないと住居侵入で警察を呼ぶわよ」
「証拠はあなた自身がよく知ってるでしょう。先輩の顔についた傷が証拠です」
母親の顔が一瞬曇る。
僕は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「警察を呼んだらそっちもまずいんじゃないんですか。虐待はまずいでしょう」
母親は少し落着きさを取り戻したようだった。
「そんなもの証拠になるわけないでしょ。私が傷つけたって証明できないんだから。常識知らずの高校生のくせに大人を馬鹿にするのはやめなさい」
我慢の限界だった。丁寧語なんて使ってられない。
「常識知らずはあんただろ。先輩を自分の都合のいいように操ろうとしてどれだけ先輩が苦しんでると思ってるんだ」
母親が怒りのあまり言葉として聞き取れない大声を上げる。
階段を降る音がした。先輩だ。怒鳴り合いの声が聞こえたのでやってきたのだろう。状況を把握できないようで驚愕している。もうこうなったら徹底的にやるしかない。
「この家の母親は娘を虐待してるって近所中に大声で叫んでやる」
母親が冷笑する。
「やれるものならやってみなさい。そんなことしたら警察呼ぶわよ」
本当にやるとは少しも思っていないようだ。僕は窓を開けて大声で叫びだした。のどが痛い。僕も腹式呼吸を学んでいればよかった。先輩はあっけにとられたように僕を見ていた。
母親も呆然としていたがやがて気を取り戻したように僕が怒鳴るのを止めようとする。
母親が僕の背中を思い切り叩く。手加減無しだ。痛い。流石に殴り返す訳にはいかないので母親の腕をとって殴れないようにしようとする。先輩が必死に僕と母親を引き剥がす。母親はいきり立っていたが少し冷静になってきた。
「あなたの望みは何なの?」
「先輩を傷つけるのをやめろ。それからあんたの歪んだ人生設計を押し付けるのも」
僕と母親が睨み合う。均衡状態を打ち崩したのは先輩の父親だった。東京に新幹線で通勤しているので帰りが遅いのだという。父親は僕と母親を仲裁し、ほとんど強制的に僕にはこれ以上家で騒がないことを母親には先輩に暴力を振るわないことを約束させた。あまりにもあっさりとした幕切れだった。
それから僕は先輩の部屋に入った。女子の部屋にはいるのは小学校以来だ。もちろん小学生の時とは今とではその意味合いは全く違う。
先輩の部屋はあんまり女の子らしくない感じがした。もちろん経験と知識の少ない僕の勘違いかもしれないのだが。あまりに整理整頓されすぎていて殺風景で無機質な印象を受けさえする。なんだかオフィスみたいだ。
僕と先輩はベッドに並んで座った。何と言えばいいのか分からず黙っていると先輩が吐き出すように言った。
「初めは軽い気持ちだったんだと思う。お兄ちゃんが優秀だったから親戚やら近所の人やら知り合いやらに持ち上げられてね。舞い上がっちゃった可哀想な人なの。ね、だから許してあげて」
先輩は窓の外を見ながら続ける。
「まあ悪いことばかりじゃなかったし。学校の勉強はできるようになったしね。何の意味があるのかさっぱりわからないけれど」
「本気で言ってるんですか」
先輩はニッコリと微笑む。
「本気よ。自由放任の人だったら多分こんな風にはなってなかったと思う。それに君にも出会えてないしね」
唐突な言葉に思わず先輩を見つめる。僕は俯いて答える。
「でも結局僕は何も出来ませんでした。お父さんが来なかったらどうなってたことか」
「そんなことないわよ。だってきっかけを作ったのは君だもの。君がいなかったら何も変わらなかった。大暴れして挙句の果てにはみっともないところ見せて、それでもなんとか私を助けたいって思ってくれたんでしょ。好きになっちゃいそう」
こんな時に冗談を言わないでくださいと言おうとしたが動揺して口ごもってしまう。
「ふふ、うぶなのね。冗談に決まってるでしょ。でも今回は本当によくやってくれました」
先輩は僕の頭を撫でる。先輩に褒めてもらえるのは嬉しい。だけれども子供扱いされているようで恥ずかしくもある。ちょっと複雑な気分になりつつ僕は先輩を見つめた。
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