魔女ハンナと従士クレイ

朝パン昼ごはん

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第60話 旅の宿

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 ドーサンの街は塀で囲われている。しかし、それ以外は普通であった。
 街の四方を見渡せば、どこであっても高い塀が目に入る。
 だが、それだけだ。
 街に住む人々に変わった様子は無いし、広場にいる行商人も特に目を引く物は無い。
 街に入る時も、セカドと同じように簡単な受け答えをしたら、問題なく入れた。
 魔女の大釜の場所を確認し、そこを目指す。
 まずは宿の確保である。

 ドーサンの魔女の大釜は、大通りに面する場所にあった。
 片開きではなく両開きの扉。それに負けることのない大きな看板。
 セカドの街と比べれば、主張が強いようであった。
 扉が開き、三角帽子が顔を出す。
 どうやら魔女のようであった。
 女性と連れはハンナらと目が合うと、会釈をして横を通り過ぎていく。
 これから出かけるのであろうか。
 閉まりかける扉に手をかけて、二人は中へと入った。

 中はやはり静かであった。
 扉が閉まると外の喧騒は押し出され、静寂が包む空間がそこにある。
 空気が違うとはこういうのを言うのだろう。
 その空気に感化され、自然にハンナとクレイも押し黙る。
 おずおずと周りの様子を見ながら、中へと歩もうとすると、声がした。

「いらっしゃい。新顔さんだね」

 奥の積み重なった書物が崩れたように見えた。しかしそれは錯覚である。
 書物の間から覗かせたのは老婆の顔であった。
 読んでいた本に栞を挟んで、来客に声をかけてきたのであった。

「初めまして、ハンナといいます」
「初めまして。クレイです」

 二人は挨拶をして、老婆がいるカウンターへと進んだ。
 カウンターには数多の書物がうずたかく積み上がっているが、不思議と乱雑な感じはしない。
 周りにある本棚が、それを感じさせないようにしているのだろうか。
 それとも、この雰囲気の成せる業か。

「宿を借りに来ました」

 そういってハンナはフライハイワードを手渡した。

「好きなのを持っておいき」

 老婆は受け取ると、替わりに一冊持っていくように促す。
 本棚には多くの書物が並んでいる。
 悩み、ハンナは一冊取り出した。

「これにします」
「そうかい。ゆっくりしておいき」

 会釈を返し、二人は扉を開け奥へと進む。
 左右には幾つもの扉がある。
 ここも前の街と同じ、外からは想像出来ないほど部屋がいっぱいだった。
 そのうちの一つに手をかけて、中へと入る。
 そこで二人はようやく、ひと息つくことが出来たのだった。

「どうする? ハンナ」

 荷物を整理し身軽になったクレイが、ハンナに尋ねる。
 彼女はすでに気もそぞろであった。
 先ほど借り受けた本の虜になっている。
 こうなってしまっては動かないだろう。クレイは自分のベッドに身体をうずめた。

 広々と、横に寝っ転がれる喜び。
 馬車の窮屈さと揺れは、どうやら予想以上に疲れを蓄積させていたのかもしれなかった。
 こうやって寝ているだけで、心地よい眠気が襲ってくる。
 視線だけを動かせば、ハンナは相変わらずだ。

「どうする? ハンナ」

 もう一度同じ言葉で尋ねるが、返事はかえってこない。
 仰向けになってうつらうつらとするクレイの耳に、頁をめくる音が入ってくる。
 その規則正しさは安らぎを生み、そして睡眠の世界にへと彼を誘うのであった。

 ・
 ・
 ・

「クレイ?」

 さんざん読み耽っていたハンナであったが、読書を中断して横を向いた。
 余りにも静かであったからである。
 もしかしたら、出かけたのではと思ったのだ。
 自分が声をかけられていたことは気づいてなかったというのに。

「なんだ、寝ちゃってるの」

 すうすうと寝息を立てているクレイの姿。
 それを起こしては可哀想だと、ハンナは音を立てないようにそろりと身を起こした。
 長旅に疲れていたのだろう。ここはゆっくりと休ませるべきだ。
 毛布をかけてあげ、部屋を後にするハンナ。外に出てみれば静かである。
 まるで、自分たちしかいないように。
 通路を進み入り口まで戻れば、来たときと同じように老婆がカウンターに佇んでいる。
 ハンナが姿を現したことに気づいたのであろう。
 手を動かすのをやめて、こちらに声をかけてきた。

「おや嬢ちゃん、どうなさったのだね」

 ハンナにしてみれば、別にどうという事は無い。
 ただ隣人を起こしたくないから部屋を出ただけだ。
 曖昧な笑いを浮かべながら、適当な椅子へと腰掛ける。
 老婆がパタンと本を閉じた。

「ああそうだ。お前さんがた依頼を引き受けなさるのかい」
「はい、そのつもりです」

 街から街への路銀は、魔女の大釜でまかなうつもりである。
 断るという選択肢などない。

「何かあるのでしたら是非受けたいですね」
「そいつは良い、やる気があるのは良いことだ。しかし残念だね」
「何がですか?」

 老婆の言葉に不安になる。
 もしかしたら今は依頼など無いのではなかろうか、と。
 そもそも思慮が足りなかったのだ。
 いつも依頼がある。
 そんな都合の良いことなど無かったのでは。
 平穏無事であれば、魔女になど頼まず街の者だけで事足りるはずである。
 グルグルと不安が渦巻き、悪いほう悪いほうへと考えが沈んでいく。
 そんな色が、ハンナの顔に浮かんでいたのであろう。

「ああ、勘違いしないでおくれ。依頼が無いとかそういうのじゃないさ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも。ただね、今依頼できるのは一つしかないのさ」
「一つですか?」

 ドーサンの街が今依頼できるのは一つ。
 これはどの魔女でも同じことなのだと言う。

「というより、一つの依頼を皆で受けるということになるかね」

 皆で受けるとはどういうことなのか。
 興味が出たハンナは、話を黙って聞いていた。

 ここ、ドーサンの街ではあるアヤカシが出没する。
 悩まされてはいない。力自体はたいしたことはない。
 ただ、数が多いのだ。
 魔女一人だけでは、対処しきれないほどの数。
 だからこそ、多くの協力が必要なのだ。

「ひょっとしたら……昔、戦争があったことと関係してるとか?」
「ふっふっふ、その通り。お嬢ちゃんは賢いねえ」

 老婆はその通りだと頷いた。
 ここドーサンの街は、かつて拠点を取り合う戦場地であった。
 耕作地を広げようとして骨が見つかるのは珍しくない。
 その広さ。その多さ。鎮めようと思っても容易はいかないのだ。

 セカドの街を思い出す。
 あれは娼館が大元だと分かっていたから対処出来た。
 アヤカシを特定出来なければ、散らすだけに留まるだろう。

「毎年さ。毎年やってるのさ」

 この時期になるとアヤカシの群れはこの街目がけてやってくる。
 それを集まった魔女たちが蹴散らすのだ。
 浄化は出来ない。
 だが例年続けた結果、アヤカシの力は弱まってきている。
 いずれ復活するにせよ、対処は容易くなっているのだ。

「だが如何せん数が多くてね、立ち寄る魔女に御足労願っているのさ。だからこの時期、あんたらに頼むのは一つしかない。それがいちばんの脅威だからね」
「そうだったんですか」

 そういう事情ならば仕方が無い。内容がわかっていればどうという事もない。

「他の方もすでに手を上げているんですか?」
「ああ、ありがたいことにいっぱい居るよ。断る人はいないのが救いだね」

 ハンナはそれを聞き嬉しくなる。魔女は人のために魔法を行使する。
 他の者も同じように考えているのが嬉しいのだ。

「アヤカシはすぐにやってくるんですか?」
「いや、まだだよ。でも対処するのは多い方がいいからね。こうやっって前もって声をかけている訳さ」

 老婆の話ではまだ日の余裕はありそうだった。
 その間、色々と準備は出来るだろう。
 それに最初から、依頼は引き受けるつもりである。

「是非、やらしてください」
「ありがとう。そう言ってくれると思ってたよ」

 ハンナの返答に、老婆は満足げに頷くのだった。
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