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10.逃げなかった理由
しおりを挟む――リディア・フェスティアは夢を見た。
角が生える前――幼い頃の夢だった。
それは父と“まだ”普通の家族のように仲が良く。
後妻の連れ子の妹ミズリーが来る前。
母がまだ――生きていた頃の夢だ。
「お母さん。大好き。早く元気になってね」
体調を崩した母が入院する病室で、その言葉がかわされいた。
母は身体が弱く、たびたび入院した。
そんな母を見舞いに行った時の記憶。
「私……いろんな人にお礼をいわれる、お母さんみたいな大人になりたいな」
角のない頃の私は母にそう言った。
フェスティア家は代々聖女の家系である。
その例に漏れず、私の母も聖女だった。
父はそんなフェスティア家に婿として入ってきた。
母は沢山の人に感謝され、慕われる立派な聖女だったらしい。
そのかわり忙しくて一緒に遊んだ記憶は殆どない。
でも、どんなに疲れて帰ってきても、母は私に会えば『今日どうだった?』と聞いてくれた。
そんな風に他人のことを思いやれる人だった。
その姿を尊敬していた。
「だからお母さん……早く退院して、私が聖女の学校にいくとこ見てね」
いつ頃か母は体調を崩して入院を繰り返していた。
聖女の激務に耐えられず、体調を崩してしまったのだ。
。
家に居ない母は今日はどこにいると父に聞いたら。
仕事と入院が半々くらいで聞かされたほどだ。
「お母さんは凄いな。どうしてそんなに、人のために頑張れるの?」
そんな人生を送る母に、なぜこの人はそんなに他人を気づかえるのだろうと。
幼いながらに疑問にも思い、そして聞いてみた。
「嬉しいわリディア。貴女が私を立派だと言ってくれて本当に嬉しい」
そんな私の言葉に、本当に嬉しそうに微笑む母の表情に驚いた。
流石にそんな人生に、恨み言一つでも飛び出してくるかと思った。
本当に曇りなく母は自分の人生を肯定してみせた。
でもそんな母が一つだけ、悲しそうな顔をして。
「そんな貴女に何もしてあげられないのが心残りだけど」
「そんなこと言わないでよぉ……」
私のことだけに――後悔を見せた。
それがなんだか悔しくて、申し訳なくて。
うつむく私を母は優しく抱きしめた。そして耳元で告げた。
「よく聞いてリディア。貴女には私を超える大きな力があるわ」
そう告げた母の腕の抱きしめる力が不意に強くなった。
思えばこの時に葉はもう私の額に角が生えることを予期していたのだろうか。
「私……お母さんみたいになりたいよ。けど、聖女になるのは怖い……」
私の胸にわだかまっていたことが、言葉になって流れた。
聖女という存在がひどく縛られているように見えたのも事実だった。
聖女であるから、母は身体が弱いのに沢山の仕事をさせられる。
結果、こうして病床に臥せり、痩せていっている。
「そうね。霊力という大きな才能は生き方を選ばせてくれない。……それを不自由に思うのは当然だわ」
リディアの戸惑いに、母はゆっくりと首を振った。
それでもなお瞳をそらさずに言葉を続ける。
「でもねリディア。持って生まれた力に、必ず向き合わなければならない時が来るわ」
この言葉はいつもどおり強い意思に満ちていた。
「鳥は飛ばなければ餌を取れないように、魚は泳がなければ呼吸できないように、聖女の力も含めて貴女なのですから」
――それは、確かに。
リディア・フェスティアが女性に生まれたように。
生まれた瞬間から髪の色や瞳の色が決まるように。
――自分の生まれ持った資質はどうあっても変えられない。
「だから……そんな不自由を含めて、自分を愛してあげるの」
そう言って、母は私の右のこめかみをなでた。
ぴりり、とした痛みが奔る。
乳歯の抜けた後のような痛みが奔るそこは、この後、角が生える場所だった。
優れた聖女だった母は知っていたのだろう。私に角が生えることを。
「――そうすれば貴女はきっと自分を、他人を、そして世界を好きになれるわ」
諦めでも、鬱屈でもなく。
誇りをもって立ち向かうしか無い。
その言葉はリディアにとって、すとんと落ちてきた。
「世界を――好きになれる――?」
「ええ。そうよ」
その言葉を私に送った数日後に母は息を引き取った。
眠るように息を引き取ったのだという。
あれだけ弱っていた人が苦しまずに末期を迎えられるのは稀なことで。
不幸の中においてそれは幸運なことだったという。
私に吐き出すことで、少しは母の役に立てたのだろうか。
そんな母の最後の言葉は、私の一番深いところに刻まれた。
――ああ。そうだ。
だから私は、あんなにも蔑まれても聖女の道を辞めることはしなかった。
母に言われたように聖女の力と向き合うことから逃げない。
角が生えて、悪魔と言われも、私が修道院を離れなかった理由。
これが、私のはじまり――。
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