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9.痛みであれ、手に
しおりを挟むやがて皿の料理はすべて空になり、食後のまったりとした空気が流れた。
食後の紅茶を吸い飲みで飲みおえたクライヴは一息ついた。
そして――リディアをまっすぐ見る。
「さて、では治療を頼もうか」
ぴりとした空気が戻ってくる。
だがそれは先程かわした砕けたふれあいがあったからか、深刻な空気ではない。
「はい。では……患部のお手を拝借します」
リディアはぎゅっと強めにクライヴの手を握った。
その手はまるで力がなく――末端である指が少し冷たい。
シスター・ヴィエラの回復結界の中においても、力を失ったクライヴの手は冷んやりとしている。
「てのひらを握られている感触は感じますか?」
「いや全く無いな。どうやら本当に駄目になっているらしい」
クライヴは少し苛立たしく告げた。
「……戦ったのは巨大な蜥蜴の魔物だったからな、毒もあったのかもしれぬ」
その情報にリディアは目を見開いた。
「竜種……!?」
それは人類の天敵である魔法使役生物――通称「魔物(マモノ)」の最上級の存在であった。
蜥蜴に翼を持ったような身体をしたものは、「竜種」と呼ばれ、非常に強力な魔物であると言われる。
「やも、とは言われていたがな? 専門家ではないから詳しくは知らんが」
「大変な戦果ではないですか……」
それが本当なら竜殺しを成したことになる。
おとぎ話なら伝説になる戦果だ。
「まあそんなことはどうでも良いんだ。治療を続けてくれ」
だがクライヴは上の空で言葉を返す。
そんな態度にリディアは疑問を感じた。
(あれだけ戦場に出たそうだったのに……戦功に興味が無いのかな……?)
戦場に立ち、軍功をあげたといえば、軍人にとっては最大の栄誉である。
それを「どうでも良い」の一言で終わらせるとは……。
なにか引っかかるものがあった。しかし考えてわかるものでもない。
気を取り直してリディアは治療を続けることにした。
「このくらい強くつねっても何も感じませんか?」
「全く駄目だな。何も感じない」
リディアはクライヴの手の甲を少し強めにつまんだが、クライヴの眉尻はぴくりとも動かない。
完全に感覚がないようだった。
「手から霊力を流します。何かあればすぐおっしゃってくださいね」
そう告げた瞬間、リディアの胸中を凄まじい緊張がせり上がってきた
人を焼く悪魔の力。
リディアの聖女の力はずっとそう言われてきた。
5歳の――あの“角が生えた日”からずっとだ。
十余年そうして積み重ねられた無力感が不安になって押し寄せた。
「その……危険があればすぐシスター・ヴィエラを呼びますので……」
思わずリディアは目を泳がせて、ためらってしまう。
「構わん。どうなろうと命じた俺の責任だ。お前は治療だけ考えれば良い」
クライヴは視点を全く揺らがさず、そんなリディアを真っ向から見てそう告げた。
「は、はい」
その曇りのない態度にリディアの覚悟が決まった。
リディアはクライヴの手を両手で包み込むように強く握りしめ――意識を集中させた。
(女神様……私に力を……!)
精神が集中され、聖女の力――霊力によりリディアの手に純白の光が巻き起こる。
通常の聖女の力の何十倍も大きな発光だ。
それが移動し――クライヴの手にまとわりついた瞬間だった。
バヂリ、と宙に稲妻のような光が何発も舞った。
「ぐっ……やはり感覚がない状態でも……痛みが来るのか!」
クライヴの手の周辺に、まるで放電が起こったかのような現象が吹き荒れる。
初めて見る状態にリディアは戸惑った。
「こ、こんなの初めて……そうか、反発……腐敗と治癒が同時に起こるから……!?」
リディアにしてもこのようななにかの反発じみた現象を見るのは初めてだった。
そしてその原因が回復結界に在ると思い至る。
リディアの聖女の力が腐食させているクライヴの手を回復結界が片っ端から治療しているからこのようなことが起こるのだ。
「ぐぁぁぁ……がああああっ!?」
次の瞬間、クライヴが凄まじい苦悶の声を上げた。
喉奥をかきむしるような声であった。
あまりの苦痛の声にリディアは怯み、思わず叫んでしまう。
「クライヴ様!? 大丈夫ですか!」
「良い、続けろ! 俺は嬉しいぞ、痛みであれど手に感覚がある――ッ!!!」
だがクライヴはまるで獲物に噛みつく狼のように犬歯をむき出しにして凄絶な笑みを浮かべた。
魔物を狩るときの顔はこのような表情なのだろうか。
その一面に気圧されるが、しかし痛みを確実にクライヴは抑え込んでいるようにみえる。
リディアは迷った。だが腐敗は今のところ、回復結界によって処置され、治療に支障がないように見える。
「このまま……です。このまま霊力を走らせます!」
手応えがある。確実に治療が進んでいるという確信。
それが自信となり、リディアに続ける判断をさせた。
「ぐ……おおお……!!!!!」
クライヴが苦痛のためにもう一度大きく吠えた、その時であった。
握りしめたクライヴの手が痙攣し、そして――ぎゅっ、と苦痛をこらえるようにリディアの手を握り返した。
「――クライヴ様! 手が! 動いてます!」
そう、動かなかった手が握り返してきたのだ。
それは鍛えられたクライヴの力にしては弱々しいものだったが、全く動かない手としては奇跡だった。
「ああ、感じるぞ。リディア、お前の手の指の感触を!」
歓喜の声がクライヴの口からあふれた。
リディアもまた堪えきれずに笑みを浮かべた。
だが、次の瞬間――。
「あ……なにこれ……」
ぞわりと、リディアの背筋に悪寒が走った。
それはリディア自身の不調によるものだった。
(いつもの頭痛が……なんでこんなときに!)
襲ってきたのはリディアが慢性的に悩まされている頭痛の症状だった。
角の付け根から、針が頭の中を駆け巡るような、鋭利な痛み。
たびたびリディアはこの角からの頭痛に悩まされていたが、それがさらにひどくなったような痛みだ。
(角の下が……割れるように痛い……だめだ……意識が……)
いつもはうずくまる程度の痛みだが、今回はもはや意識を保っていられないほどの凄絶な痛みだった。
「リディア!? どうした! おい、誰か――!」
異変に気づいたクライヴが叫ぶ。
必死に抵抗しようとするリディアだったが、不可能だった。
ぷつりとリディアの意識が途絶えた。
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