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リビング兼寝室へ戻るとハウは自分が顔を洗っているうちに目が覚めたらしく熱心にテレビを見ていた。バラエティ色の強いニュースの中で、今話題のスイーツを紹介するコーナーが流れている。動物を模したプリンやクロワッサン生地で作った鯛焼き、チョコレートやエディブルフラワーで飾り付けたバームクーヘンといった品々が紹介され、瓶詰めされたショートケーキが流れ始めるとハウは画面を指差してこちらを向いてきた。
「これ食べたい」
「1個千円……」
良い材料を厳選し、プロが修行して身につけた技術を惜しみなく注ぎ、見た目にも拘って外装まできらびやかにした傑作なのだから高いのは当たり前だ。しかし新井自身はスーパーの工場で大量生産された菓子で十分幸せになれる。安価に安定した味を作り出す技術と企業努力は職人と同じくらい称賛に値されるべきであるとすら思っている。
「あのなハウ、こういうのは特別な日に食べるものなんだ。俺みたいな庶民は普段はスーパーで値引きのシールが貼られたケーキしか食べてはいけないんだ。しかもそれも月に2回くらいしか許されない」
「人間の世界でも好きに食べられるわけじゃないの? 特別な日っていつ?」
「……誕生日とか?」
「じゃあずっと後になっちゃうな」
「自分の誕生日覚えてるのか?」
「うん。人魚にも誕生日を祝う習慣はあるからね。僕は12月25日生まれなんだよ」
「へぇ、クリスマス生まれなのか。ていうかもうすぐじゃないか」
冷蔵庫に貼ってある日めくりカレンダーの10月という文字を眺めてそう言った直後に項垂れた。
「どうしたんだい?」
「いや……12月がすぐって思うことがきっと年取った証拠なんだろうなと思うと気が沈んだ」
「元気出しなよ、元気を出すためにケーキを食べに行くっていうのはどう?」
「それお前が食べたいだけだろ。しかもどうやって外出……あ」
何かを思い出したように新井はドタドタと別の部屋へ行ったと思うと何かが落ちる音やガシャンガシャンと金属の擦れるような音に「ぎゃー!」といった叫び声が聞こえてきていたが、しばらくすると「じゃーん、車椅子ー」の声とともに戻ってきた。
「昔婆ちゃんが使ってたやつでさ。姉ちゃんが捨てるって言ったから貰ってきたけど、やっぱ何があるか解んないからとっておくもんだなー」
ハウには車椅子が何かは解らなかったようたが、新井がそれを使う場面が出来て嬉しいことだけは察したようで「良かったね?」と疑問符付きで言葉を返した。
「もっと喜べ。これで近所のスーパーくらいならお前を連れて行けるかもしれないぞ」
「え、ほんと!?」
「タオルとかなんか布かけたらパッと見誤魔化せるだろ。キレイなの無いかもだけど文句言うなよ」
「なんでもいいよ外に出られるなら早く行こ!」
「俺にも準備があるからちょっと待ってくれ」
「そっか、わかったよ」
素直にそう言ったハウだったが外を見られることに大分期待をしているようで先ほどまでは動いていなかった尾ヒレが布団をタンタンと叩いて、鼻唄まで歌っていた。新井はそんなハウを見て小さく笑うと着替えをクローゼットから用意しはじめる。
(なんかこの鼻唄のメロディー聞いたことある気がするな。どこで聞いたんだったか……)
「でかいバスタオルあったけどちょっと薄いなぁ。雨でも降ってきたら普通に人魚って解りそうだ」
「別に僕はそれでもいいけど」
「良くないだろ。あの家人魚いるって噂になったら誘拐されるかもしれないぞ」
「それは嫌だね」
「だろ。あ、巻きスカート履いたらいいかもしれないな。冬物見てくる」
「スカートって人間の女の子が履くやつでしょ。 僕男だけどいいのかな?」
「そういう名前なだけで防寒具だよ。シンプルだし色も黒だから透けなくて良いと思うんだよな」
そう言いながら押し入れを開けて冬物を入れていたカゴの中を探していると大きめの足を入れられるブランケットを発見した。これなら下からはみ出ることもなさそうだと安心して、トナカイ柄の赤いブランケットを尾ヒレを包むように履かせて、上には薄いブルーのシャツを着せる。
「家で使うやつだから今度は逆にでかいなー。ずり落ちてくるんじゃないか?」
「僕が手で押さえてるから大丈夫だよ」
「ならとりあえず今日はこれでいいか。折角だし歩いて行こう」
先に車椅子を家の外にだして玄関の段差の下へ置くと、一応近所の住人が外に出る気配がなさそうなことを確認してからブランケットごとハウを抱えて家を出て車椅子に座らせた。戸締まりをして車椅子を押して歩くと、ハウは辺りを見渡して感嘆の声を漏らした。
「わぁ……すごい」
「すごいって、田舎だからこの辺はなんもないだろ。しかも自然豊かな田舎じゃなくて家とコンクリートばっかの田舎な」
「そんなことないよ。ほら、地面にも花の模様がある」
「マンホールだな。へぇ、ちゃんと見たことなかったけど細かく掘ってんだなぁ」
「面白いよね、この灰色の柱と黒い紐は何かな」
「電柱と電線だな。電気……物を動かすためのエネルギーを運ぶんだよ。お前が見てたテレビもコイツから来たエネルギーで動いてる」
「へぇ、触ってみたいな。近くに寄ってよ」
「えー、汚いから帰ったらちゃんと手洗えよ」
汚いと言いながらも新井が車椅子を近くの電柱に近づけてやるとハウは右手で柱をさすった。
「何してるんだ?」
「疲れてるかなと思って」
「多分電柱を労ってるのはお前と酔ったうちの課長くらいだ」
「課長、知ってるよ。中間管理職てやつだよね」
「中間管理職は解るのかよ」
そんな遣り取りをしながら徒歩6、7分のスーパーマーケットへ到着して自動ドアをくぐると興奮したのかハウにかけているブランケットがもぞもぞと動き出す。
「おい尻尾動かしてるだろ!あんまりはしゃぐと膝掛け落ちるぞ!」
小声で注意するとなんとか収まったものの目は爛々としていて進むのが待ち切れないといった様子だ。
「今気づいたけど車椅子を押してるとカゴが持てないな……」
「僕が抱えて持つっていうのはどう?」
「それじゃあ膝掛けが落ちるんじゃないか? まあいいや次までにどうするか考えておいて今日はお前の膝に乗る分だけ買うよ」
「僕に膝はないけどね」
「……お前の中トロに乗る分だけ買うよ?」
「なんか嫌だなぁ」
雑誌や酒、鮮魚に野菜に冷凍食品と全ての売り場でハウはアレが欲しいコレが欲しいとねだっていたが本当に欲しいというよりは目についたものをとにかく言っているように見えたので全て却下して奥へと進んでいく。
「お、豚小間95円とかめっちゃ安いな……」
「ぶたこま?」
「豚の肉を小さく切ったやつだ」
「豚ってなに?」
「それは知らないのかよ。えー、動物の種類だ」
「猫の仲間かな」
「大きく言えばな。そういや会った時も猫は知ってたけど人魚の世界も猫って有名なのか?」
「有名かどうかはわかんないけど少なくとも僕の群れの仲間は僕が子どものときに猫にさらわれて食べられかけた事件があったからみんな知ってるよ」
それを聞いた新井はブハッと吹き出した。
「た、食べられかけたのかお前……く、くく。大変だったな。く、ふ……っ、ダメだツボった。アッハッハッハハハ、ひー、腹痛え」
「笑い事じゃないんだよ。僕がシイカの手の平に乗るくらい小さいときの話なんだから」
「え、人魚の子どもってそんなに小さいのか?」
(10センチくらいのハウか……)
新井は頭の中で小さい人魚を想像して
「めちゃくちゃ可愛いじゃないか!?」
想像した瞬間にすぐ声に出た。
「シイカ小さいやつ好きなの?」
「そりゃーな。ちっこいやつは人間でも動物でも可愛い。あ、後で姪っ子の写真見せてやるよ。3歳なんだけどめちゃくちゃ可愛いから」
「見せてくる時のシイカが面倒臭そうだから遠慮しておくよ」
「いやいやそんなこと言わずに見てみろってホントにこの世に天使が舞い降りたのかと思うから。この前は猫と一緒に寝てる写真が送られてきたんだけど最高によく撮れてて……」
「あ、ケーキ!」
新井の言葉を遮ってハウが見えてきた生菓子売り場を指差す。新井はピンと伸ばされている人さし指を後ろから優しく握り込むとハウの右耳へ口を寄せる。
「外では指差すのやめとけ」
優しく言われたハウは咄嗟に右手をあげて、右耳を庇うように塞いだ。その手が鼻に当たりそうになった新井は間抜けな声を出して身体を後ろへ反らせた。
「ぬわっ、あぶねっ」
「な、なに? 今なにしたの?」
「何って……指さすのやめろって言っただけだ。人間の世界じゃ指差すのはマナー違反になるんだよ」
「そうじゃなくて今なんか変な感じで……」
「変な感じ?」
「なんていうか、鱗が逆立ちそうだった」
「……人間でいうと鳥肌が立つみたいなもんか? 寒いのか?」
「どっちかといえば熱い、かも……?」
「やっぱ流石にブランケットは早かったか。早めに帰ろうぜ」
「えっ、嫌だよ。日付が変わるまでいるよ」
「その時間はスーパーもう開いてねーよ……ほら、ケーキ好きなのひとつ選んでいいから」
「えっ本当? えっと、このチョコレートっていうのが気になってて、でもこっちのパンプキンっていうのも美味しそうに見えるし、タルトも綺麗だな。シュークリームも大きくて食べ応えがありそうだし」
生菓子コーナーを前にハウはうんうんと唸り続け10分が経過すると新井はシュークリームと小さい2個入りのいちごショートケーキ、同じシリーズの2個入りのチョコレートケーキを取ってハウの膝掛けの上へ置いてレジへと向かう。
「えっ? 待って。僕まだ決めてないよ」
「実は人間の世界では最初に食べるやつはこれって決まってるんだ」
「嘘だ。だったら最初から選ばせないもん」
「長すぎるんだよ。スーパーくらいいつでも連れて来てやるから今日はそれにしろ。大盤振る舞いで三個だからな」
自宅に帰ると早速ケーキを食べたいというハウだったが、新井は先に昼食だとハムとレタスを食パンに挟んだだけのサンドイッチを食べさせ、食後に食べられるケーキは1種類だけだと告げる。ハウが何から食べようかとうんうんと唸っている間に新井はフォークと皿を用意して、浴槽の水を取り換えて部屋にフローリングワイパーをかけた。
(まだ悩んでるのか……あったかい茶でも淹れるかな。ティーバッグの簡単なやつだけど)
電気ケトルの音がシュンシュンと部屋に響いてきた頃にやっとハウが最初に食べるケーキが決まったらしい。
「いちごのやつにする」
「はいはい、りょーかい」
いちごのケーキを皿に出してフォークを添え、ティーパックのほうじ茶をいれたマグカップを座椅子に座っているハウの前へと置く。小さいものが2個入っているケーキだったのでもう1個はパッケージに入れたままテーブルの上へ置いて自分は床の上に座った。
「ちっちゃいやつだし2個とも食べていいからな」
「ホント? やった」
そう言いながら手を直にケーキに伸ばすハウの腕を新井は捕まえると、出していたフォークを持たせる。
「これ使って食え」
「えぇ、難しいんだもん」
「使って食べられるようになったら外の店に飯食いに連れてってやるから」
そう言われてハウは少し悩んだがフォークを握りしめるとケーキに突き立てて、ひと口で全てを口に入れた。
「うお。いくら小さいやつって言ってもすげぇ……」
「美味しい! すっごく美味しいよ!!」
大きい声でそう報告するハウを見て新井はフフッと笑って自分の分のほうじ茶を啜る。2個目を皿に乗せてやるとハウの口元についているクリームをティッシュで拭ってまた笑った。
「弟がいたらこんな感じかもなー」
「弟?」
「ああ、俺姉ちゃんしかいないからさ。下が欲しかったんだよな。だからお前が来てちょっと嬉しいよ」
「ふーん。でも僕はシイカの弟よりも、シイカの恋人になりたいな」
「ぶふっ!!」
マグカップに口をつけていた新井の口からびちゃびちゃとほうじ茶がこぼれてグレーのスウェットの色が濃くなる。
「大丈夫? どうしたの?」
「お前が変なこと言うからだろ。あーあー、着替えないと……」
「変なことじゃないよ。ほんとに恋人になりたいんだ」
ずいっとハウが顔を近づけると二人の鼻先が少しだけ触れあい、新井は困ったように曖昧な笑みを返した。
「あーと、俺が好きってことか? ありがとな。でもそれこそむしろ兄弟が好きみたいな感じだと思うぞ。ほら男の人魚って珍しいって言ってたし、こういう風に世話焼いてもらったことないんだろ」
「そんなことないよ。僕、シイカ以外の人間とも話したことあるけど、こんな気持ちはじめてだよ」
「だからそれは恋とかじゃなくて先輩とかへの憧れみたいな気……」
話し終える前に唇に柔らかいものが押し当てられて音が遮られ、イチゴショートケーキの甘さがほんのりと香った。
「僕は本気だよ」
「っ! ばっ、おま……なに……」
「シイカからもしてよ」
そう言ってハウが瞼をとじて見上げてくるので新井は改めて顔を見た。サラサラで細くてしっとりとした金色の髪、色素が薄くて長いまつ毛にパッチリとした二重、すっと通った鼻筋に、小さい顎……。新井は勢いをつけて立ち上がると、目を瞑ったままのハウを抱えあげる。「なに、なに?」と驚いているハウの問いを無視して早歩きで風呂場の扉を開け、そっと水のはってある浴槽の中へと下ろした。
「昨日の夜から水に入ってなかったからな。そろそろ入った方がいいと思う。残りのケーキはちゃんと取っておくから」
「ねぇ、さっきの……」
「じゃあ疲れただろうしちょっと休めよ!俺も昼寝するから!おやすみ!」
話を最後まで聞かずに新井は風呂の扉を閉めるとリビングへと踵を返す。風呂場に残されたハウは浴槽へ沈んでいくと揺らめく照明を見つめながら水の中で呟く。
「早くあの子に会いたいな……もっと頑張らないと」
「これ食べたい」
「1個千円……」
良い材料を厳選し、プロが修行して身につけた技術を惜しみなく注ぎ、見た目にも拘って外装まできらびやかにした傑作なのだから高いのは当たり前だ。しかし新井自身はスーパーの工場で大量生産された菓子で十分幸せになれる。安価に安定した味を作り出す技術と企業努力は職人と同じくらい称賛に値されるべきであるとすら思っている。
「あのなハウ、こういうのは特別な日に食べるものなんだ。俺みたいな庶民は普段はスーパーで値引きのシールが貼られたケーキしか食べてはいけないんだ。しかもそれも月に2回くらいしか許されない」
「人間の世界でも好きに食べられるわけじゃないの? 特別な日っていつ?」
「……誕生日とか?」
「じゃあずっと後になっちゃうな」
「自分の誕生日覚えてるのか?」
「うん。人魚にも誕生日を祝う習慣はあるからね。僕は12月25日生まれなんだよ」
「へぇ、クリスマス生まれなのか。ていうかもうすぐじゃないか」
冷蔵庫に貼ってある日めくりカレンダーの10月という文字を眺めてそう言った直後に項垂れた。
「どうしたんだい?」
「いや……12月がすぐって思うことがきっと年取った証拠なんだろうなと思うと気が沈んだ」
「元気出しなよ、元気を出すためにケーキを食べに行くっていうのはどう?」
「それお前が食べたいだけだろ。しかもどうやって外出……あ」
何かを思い出したように新井はドタドタと別の部屋へ行ったと思うと何かが落ちる音やガシャンガシャンと金属の擦れるような音に「ぎゃー!」といった叫び声が聞こえてきていたが、しばらくすると「じゃーん、車椅子ー」の声とともに戻ってきた。
「昔婆ちゃんが使ってたやつでさ。姉ちゃんが捨てるって言ったから貰ってきたけど、やっぱ何があるか解んないからとっておくもんだなー」
ハウには車椅子が何かは解らなかったようたが、新井がそれを使う場面が出来て嬉しいことだけは察したようで「良かったね?」と疑問符付きで言葉を返した。
「もっと喜べ。これで近所のスーパーくらいならお前を連れて行けるかもしれないぞ」
「え、ほんと!?」
「タオルとかなんか布かけたらパッと見誤魔化せるだろ。キレイなの無いかもだけど文句言うなよ」
「なんでもいいよ外に出られるなら早く行こ!」
「俺にも準備があるからちょっと待ってくれ」
「そっか、わかったよ」
素直にそう言ったハウだったが外を見られることに大分期待をしているようで先ほどまでは動いていなかった尾ヒレが布団をタンタンと叩いて、鼻唄まで歌っていた。新井はそんなハウを見て小さく笑うと着替えをクローゼットから用意しはじめる。
(なんかこの鼻唄のメロディー聞いたことある気がするな。どこで聞いたんだったか……)
「でかいバスタオルあったけどちょっと薄いなぁ。雨でも降ってきたら普通に人魚って解りそうだ」
「別に僕はそれでもいいけど」
「良くないだろ。あの家人魚いるって噂になったら誘拐されるかもしれないぞ」
「それは嫌だね」
「だろ。あ、巻きスカート履いたらいいかもしれないな。冬物見てくる」
「スカートって人間の女の子が履くやつでしょ。 僕男だけどいいのかな?」
「そういう名前なだけで防寒具だよ。シンプルだし色も黒だから透けなくて良いと思うんだよな」
そう言いながら押し入れを開けて冬物を入れていたカゴの中を探していると大きめの足を入れられるブランケットを発見した。これなら下からはみ出ることもなさそうだと安心して、トナカイ柄の赤いブランケットを尾ヒレを包むように履かせて、上には薄いブルーのシャツを着せる。
「家で使うやつだから今度は逆にでかいなー。ずり落ちてくるんじゃないか?」
「僕が手で押さえてるから大丈夫だよ」
「ならとりあえず今日はこれでいいか。折角だし歩いて行こう」
先に車椅子を家の外にだして玄関の段差の下へ置くと、一応近所の住人が外に出る気配がなさそうなことを確認してからブランケットごとハウを抱えて家を出て車椅子に座らせた。戸締まりをして車椅子を押して歩くと、ハウは辺りを見渡して感嘆の声を漏らした。
「わぁ……すごい」
「すごいって、田舎だからこの辺はなんもないだろ。しかも自然豊かな田舎じゃなくて家とコンクリートばっかの田舎な」
「そんなことないよ。ほら、地面にも花の模様がある」
「マンホールだな。へぇ、ちゃんと見たことなかったけど細かく掘ってんだなぁ」
「面白いよね、この灰色の柱と黒い紐は何かな」
「電柱と電線だな。電気……物を動かすためのエネルギーを運ぶんだよ。お前が見てたテレビもコイツから来たエネルギーで動いてる」
「へぇ、触ってみたいな。近くに寄ってよ」
「えー、汚いから帰ったらちゃんと手洗えよ」
汚いと言いながらも新井が車椅子を近くの電柱に近づけてやるとハウは右手で柱をさすった。
「何してるんだ?」
「疲れてるかなと思って」
「多分電柱を労ってるのはお前と酔ったうちの課長くらいだ」
「課長、知ってるよ。中間管理職てやつだよね」
「中間管理職は解るのかよ」
そんな遣り取りをしながら徒歩6、7分のスーパーマーケットへ到着して自動ドアをくぐると興奮したのかハウにかけているブランケットがもぞもぞと動き出す。
「おい尻尾動かしてるだろ!あんまりはしゃぐと膝掛け落ちるぞ!」
小声で注意するとなんとか収まったものの目は爛々としていて進むのが待ち切れないといった様子だ。
「今気づいたけど車椅子を押してるとカゴが持てないな……」
「僕が抱えて持つっていうのはどう?」
「それじゃあ膝掛けが落ちるんじゃないか? まあいいや次までにどうするか考えておいて今日はお前の膝に乗る分だけ買うよ」
「僕に膝はないけどね」
「……お前の中トロに乗る分だけ買うよ?」
「なんか嫌だなぁ」
雑誌や酒、鮮魚に野菜に冷凍食品と全ての売り場でハウはアレが欲しいコレが欲しいとねだっていたが本当に欲しいというよりは目についたものをとにかく言っているように見えたので全て却下して奥へと進んでいく。
「お、豚小間95円とかめっちゃ安いな……」
「ぶたこま?」
「豚の肉を小さく切ったやつだ」
「豚ってなに?」
「それは知らないのかよ。えー、動物の種類だ」
「猫の仲間かな」
「大きく言えばな。そういや会った時も猫は知ってたけど人魚の世界も猫って有名なのか?」
「有名かどうかはわかんないけど少なくとも僕の群れの仲間は僕が子どものときに猫にさらわれて食べられかけた事件があったからみんな知ってるよ」
それを聞いた新井はブハッと吹き出した。
「た、食べられかけたのかお前……く、くく。大変だったな。く、ふ……っ、ダメだツボった。アッハッハッハハハ、ひー、腹痛え」
「笑い事じゃないんだよ。僕がシイカの手の平に乗るくらい小さいときの話なんだから」
「え、人魚の子どもってそんなに小さいのか?」
(10センチくらいのハウか……)
新井は頭の中で小さい人魚を想像して
「めちゃくちゃ可愛いじゃないか!?」
想像した瞬間にすぐ声に出た。
「シイカ小さいやつ好きなの?」
「そりゃーな。ちっこいやつは人間でも動物でも可愛い。あ、後で姪っ子の写真見せてやるよ。3歳なんだけどめちゃくちゃ可愛いから」
「見せてくる時のシイカが面倒臭そうだから遠慮しておくよ」
「いやいやそんなこと言わずに見てみろってホントにこの世に天使が舞い降りたのかと思うから。この前は猫と一緒に寝てる写真が送られてきたんだけど最高によく撮れてて……」
「あ、ケーキ!」
新井の言葉を遮ってハウが見えてきた生菓子売り場を指差す。新井はピンと伸ばされている人さし指を後ろから優しく握り込むとハウの右耳へ口を寄せる。
「外では指差すのやめとけ」
優しく言われたハウは咄嗟に右手をあげて、右耳を庇うように塞いだ。その手が鼻に当たりそうになった新井は間抜けな声を出して身体を後ろへ反らせた。
「ぬわっ、あぶねっ」
「な、なに? 今なにしたの?」
「何って……指さすのやめろって言っただけだ。人間の世界じゃ指差すのはマナー違反になるんだよ」
「そうじゃなくて今なんか変な感じで……」
「変な感じ?」
「なんていうか、鱗が逆立ちそうだった」
「……人間でいうと鳥肌が立つみたいなもんか? 寒いのか?」
「どっちかといえば熱い、かも……?」
「やっぱ流石にブランケットは早かったか。早めに帰ろうぜ」
「えっ、嫌だよ。日付が変わるまでいるよ」
「その時間はスーパーもう開いてねーよ……ほら、ケーキ好きなのひとつ選んでいいから」
「えっ本当? えっと、このチョコレートっていうのが気になってて、でもこっちのパンプキンっていうのも美味しそうに見えるし、タルトも綺麗だな。シュークリームも大きくて食べ応えがありそうだし」
生菓子コーナーを前にハウはうんうんと唸り続け10分が経過すると新井はシュークリームと小さい2個入りのいちごショートケーキ、同じシリーズの2個入りのチョコレートケーキを取ってハウの膝掛けの上へ置いてレジへと向かう。
「えっ? 待って。僕まだ決めてないよ」
「実は人間の世界では最初に食べるやつはこれって決まってるんだ」
「嘘だ。だったら最初から選ばせないもん」
「長すぎるんだよ。スーパーくらいいつでも連れて来てやるから今日はそれにしろ。大盤振る舞いで三個だからな」
自宅に帰ると早速ケーキを食べたいというハウだったが、新井は先に昼食だとハムとレタスを食パンに挟んだだけのサンドイッチを食べさせ、食後に食べられるケーキは1種類だけだと告げる。ハウが何から食べようかとうんうんと唸っている間に新井はフォークと皿を用意して、浴槽の水を取り換えて部屋にフローリングワイパーをかけた。
(まだ悩んでるのか……あったかい茶でも淹れるかな。ティーバッグの簡単なやつだけど)
電気ケトルの音がシュンシュンと部屋に響いてきた頃にやっとハウが最初に食べるケーキが決まったらしい。
「いちごのやつにする」
「はいはい、りょーかい」
いちごのケーキを皿に出してフォークを添え、ティーパックのほうじ茶をいれたマグカップを座椅子に座っているハウの前へと置く。小さいものが2個入っているケーキだったのでもう1個はパッケージに入れたままテーブルの上へ置いて自分は床の上に座った。
「ちっちゃいやつだし2個とも食べていいからな」
「ホント? やった」
そう言いながら手を直にケーキに伸ばすハウの腕を新井は捕まえると、出していたフォークを持たせる。
「これ使って食え」
「えぇ、難しいんだもん」
「使って食べられるようになったら外の店に飯食いに連れてってやるから」
そう言われてハウは少し悩んだがフォークを握りしめるとケーキに突き立てて、ひと口で全てを口に入れた。
「うお。いくら小さいやつって言ってもすげぇ……」
「美味しい! すっごく美味しいよ!!」
大きい声でそう報告するハウを見て新井はフフッと笑って自分の分のほうじ茶を啜る。2個目を皿に乗せてやるとハウの口元についているクリームをティッシュで拭ってまた笑った。
「弟がいたらこんな感じかもなー」
「弟?」
「ああ、俺姉ちゃんしかいないからさ。下が欲しかったんだよな。だからお前が来てちょっと嬉しいよ」
「ふーん。でも僕はシイカの弟よりも、シイカの恋人になりたいな」
「ぶふっ!!」
マグカップに口をつけていた新井の口からびちゃびちゃとほうじ茶がこぼれてグレーのスウェットの色が濃くなる。
「大丈夫? どうしたの?」
「お前が変なこと言うからだろ。あーあー、着替えないと……」
「変なことじゃないよ。ほんとに恋人になりたいんだ」
ずいっとハウが顔を近づけると二人の鼻先が少しだけ触れあい、新井は困ったように曖昧な笑みを返した。
「あーと、俺が好きってことか? ありがとな。でもそれこそむしろ兄弟が好きみたいな感じだと思うぞ。ほら男の人魚って珍しいって言ってたし、こういう風に世話焼いてもらったことないんだろ」
「そんなことないよ。僕、シイカ以外の人間とも話したことあるけど、こんな気持ちはじめてだよ」
「だからそれは恋とかじゃなくて先輩とかへの憧れみたいな気……」
話し終える前に唇に柔らかいものが押し当てられて音が遮られ、イチゴショートケーキの甘さがほんのりと香った。
「僕は本気だよ」
「っ! ばっ、おま……なに……」
「シイカからもしてよ」
そう言ってハウが瞼をとじて見上げてくるので新井は改めて顔を見た。サラサラで細くてしっとりとした金色の髪、色素が薄くて長いまつ毛にパッチリとした二重、すっと通った鼻筋に、小さい顎……。新井は勢いをつけて立ち上がると、目を瞑ったままのハウを抱えあげる。「なに、なに?」と驚いているハウの問いを無視して早歩きで風呂場の扉を開け、そっと水のはってある浴槽の中へと下ろした。
「昨日の夜から水に入ってなかったからな。そろそろ入った方がいいと思う。残りのケーキはちゃんと取っておくから」
「ねぇ、さっきの……」
「じゃあ疲れただろうしちょっと休めよ!俺も昼寝するから!おやすみ!」
話を最後まで聞かずに新井は風呂の扉を閉めるとリビングへと踵を返す。風呂場に残されたハウは浴槽へ沈んでいくと揺らめく照明を見つめながら水の中で呟く。
「早くあの子に会いたいな……もっと頑張らないと」
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