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第二章 人と精霊と

水面下の味方

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「ワーレンス!! 今のは何だ!? 意図的な暴力は許さんぞ!!」
 教師のマルティアル叱りつけるも、ワーレンスは悪びれずに言ってのけた。
「敵のゴーレムがルールを守ってくれるとは限らないでしょ?」
 次の瞬間、彼の巨体が宙に舞い上がった。頭の下に地面が見え、真っ逆さまに叩き付けられた。
「ならば、敵のゴーレムマスターがシルフの力を使わぬとも限るまいな!」
 うずくまったルークスの頭上に、風の大精霊インスピラティオーネが現れていた。まなじりを吊り上げ、突風を纏っている。
 圧倒的な力を前にワーレンスの高慢さはたちまち萎れた。
「ち。精霊に助けてもらわなきゃ何も出来ないカスの癖に」
 その捨て台詞をグラン・シルフは聞き逃さない。シルフはささやき声をも運ぶのだから。
「ほう、この学び舎は精霊使いを育てるものと思っていたが、その格が扱える精霊ではなく腕力で決まるとは知らなんだ」
「い、今は土精科の選択科目だ。ノームと契約できないカスはいちゃいけないんだ」
「貴様と契約したノームは随分と薄情だな。契約者の危機に際し、来る気配も無いとは」
「の、ノームはシルフと違うんだ!」
「それは初耳。だが我が友の土精は我と同じ意見のようだぞ」
 ルークスの前に、小さな土精オムが立ちはだかっている。ノンノンは小さな体で精いっぱい両手を広げ、ルークスを守ろうとしていた。
 インスピラティオーネの言う「精霊使いの格」の違いを見せつけられ、ワーレンスの嫉妬が爆発した。
「このゴミが!」
 ワーレンスが戦槌を拾ってノンノンに振り上げたとき、ルークスの声が飛んだ。
「インスピラティオーネ、ノンノンを!」
「承知」
 先程より強烈な突風が叩き付けられる。ワーレンスは風の壁に弾き飛ばされた。
 地面を何度も転がり、止まった所を教師のマルティアルが押さえ付ける。
「ルークス、傷を手当てしてこい。誰か、水場へ連れて行ってやれ」
 アルティが肩を貸そうとしたが、ルークスは立ち上がるよりノンノンをすくい上げる方を優先した。
 ルークスが精霊をとても大事にするのはアルティも知っているが、これには心穏やかざるものがあった。
(少しは自分を大事にしなさい)
 井戸へ歩く最中、アルティの頭に記憶が再現されていた。
 ワーレンスが突風に吹き飛ばされた様と、同じ光景を過去に見た事があるのだ。
 初等部の頃、アルティは貴族の女生徒に目を付けられた。陰湿なイジメに反発したら、向こうは手下の男子複数をけしかけてきた。
 その時ルークスが契約精霊のシルフを複数・・呼び出し、男子らを吹き飛ばした事がある。
 ルークスが精霊に他人を攻撃させたのは、アルティが知る限りあれが初めてだ。
 今もそうだが、ルークスが他人を攻撃するのは誰かを守る時だけである。
 自分への攻撃には無頓着で、ルークスは嫌がらせにほとんど反応しない。
 見かねた精霊が反撃を買って出るのが常である。
 ルークスの、自身への無関心さがまたアルティには心配の種だ。
 井戸からは水が溢れ、透き通った肌の美しい娘が井戸縁に腰掛けていた。しなやかな手弱女ぶりも見事な水の精霊ウンディーネのリートレである。彼女もまたルークスの契約精霊である。
「まあルークスちゃん、痛そう」
 リートレは水を布の様に手に持ち、ルークスの顔に当てて腫れを冷やし出す。
 頭では分かっているが、四大精霊の三属性と契約しているルークスにはアルティも劣等感を抱いてしまう。学園の教師でも二属性がやっとなのに。
 ましてや大精霊と契約しているなど、この国では王城にいるお年寄りだけである。
(これでノンノンがノームに成長したら、史上初の四大精霊全属性制覇だわ)
 またアルティには「精霊を使う」という言葉がルークスには当てはまらないと感じている。
 精霊は契約に基づき精霊使いの命令に従う存在、そう学園では教えている。
 だがルークスの契約精霊たちは命令無しで動く事があまりにも多い。そもそもルークスが命令する事が稀である。
 今もリートレは呼ばれずとも現れ、指示されずに治療をしている。
 インスピラティオーネも「ノンノンを」と言われただけで小さなオムを助けた。
 そのインスピラティオーネが常にルークスの側にいるのも、指示されたからではなく自発的なのだ。
 自発的に動く契約精霊について、教師たちは眉をひそめている。
 たびたびルークスは注意されているが、聞く耳を持たないので、これもまたアルティの心配の種となっていた。

 被害者を離したところで、教師のマルティアルは加害者のワーレンスを引き起こした。
「戦場には審判も教師もいない。助けてくれるのは戦友だけだ。お前は『自分は戦友に卑怯な真似をする人間だ』と学園中に宣伝するつもりか?」
「ゴーレムを使えない奴なんか戦友になる訳がないだろ」
「戦友がゴーレムコマンダーだけだと思ったか? 軍にどれだけ精霊士が配属されているか、お前は知らないのだろうな。ルークスが兵役についたら、即司令部だ」
「まさか、あんな軟弱野郎が司令部?」
「シルフは偵察や連絡に必須だ。そしてグラン・シルフは敵のシルフを封じられるから、戦局を左右する切り札となる。ヴェトス元帥はルークスの卒業を待ちわびているぞ」
「まさか……」
「いずれ彼は情報収集や連絡を仕切る立場になるだろう。お前は将来の参謀にとんでもない真似をしたんだ」
「……仕返し、されるのか?」
 ワーレンスは震えだした。
 貴族のように後ろ盾が無い平民は、上官から睨まれたら生きてはいられない。
「それは分からん。だが、お前と一緒になるのを嫌がる奴は出るだろう。巻き添えを恐れる心理は止められない。そして戦場での疑心暗鬼は正常な判断力を奪う。積極的な排除に走らなくても、消極的に『見捨てる』という行為は割と簡単にできてしまう。何しろお前は『戦友に卑怯な真似をする人間』なのだからな」
 戦場での経験があるだけに、非常に説得力があった。
「お前は今日、自分が死ぬ確率を飛躍的に高めたんだ。ルークスは一切関与しなくても、だ。ましてや彼が仕返しを心に秘めたら、どうしようもないな」
「ど、どうしよう?」
 ワーレンスは視線を泳がせる。
 しでかした事の大きさを生徒が十分に思い知った頃合いを見て、マルティアルは提案した。
「謝るしか無かろう」
「でもあいつだって精霊をけしかけたじゃないか」
「お前が肘撃ちなんかしなければ、その後の事も起きなかった。何故あんな真似をしたんだ?」
「だって、あいつが……」
「お前に何かしたのか?」
「……騎士団からの誘いを断ったりするから」
「騎士団? そうか。どうも生徒たちの血の気が多いと思っていたが、そんな事があったのか。なるほど。騎士団から誘われたら、そりゃ断るだろうな」
「え?」
「何にせよお前には関係ない話だ。彼の人生だし、お前は騎士団の一員でも何でもない。まったく無関係な第三者じゃないか」
「でも……」
「気に食わなかった、か?」
「ええ、まあ」
「気に食わないから痛い目遭わせてスッキリした、か。その代償として残りの人生を棒に振るとは、随分と割に合わない事をしたものだな」
「ま、まさか大事おおごとになるだなんて」
「大事にならないようにするには、小さいうちに終わらせるしかない。今謝れば、この場で終わる事だ。意地を張って将来に持ち越せば、お前が戦死する確率は飛躍的に高まる。どちらを選ぶかは、お前次第だ」
 ワーレンスは助けを求めるかの様に左右に顔を向けた。
 そしてがっくり項垂れた。
 元より何かの覚悟があってやった事ではない。マルティアルの言う通り、割に合わない。
「謝ってくる」
 ワーレンスは大きな体を小さくして井戸へと向かった。
 見送る教師は安堵の息をついた。
「少しは恩返しが出来たかな」
 かつての上官の息子への、言われなき敵意を少しでも減ずる事が出来たなら御の字だ。
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