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第十一章 戦争終結

パトリアの夜明け

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 深夜ではあるが王立精霊士学園の講堂に、教職員や生徒たちが集まっていた。
 この国の存亡がかかった戦いの状況を、シルフから聞く為に。
 アルティも友人たちと不安を共にしていた。
 夕刻にルークスが出陣して数刻、夜が深まってもシルフは戦場まで行けなかった。敵のグラン・シルフに命じられたシルフたちが邪魔をするのだ。
 イノリが戦場に近づくにつれインスピラティオーネの影響範囲が北上し、ついにシルフによる第一報がもたらされた。
 しかしそれは悲報だった。
 既に渡河作戦は始まっており、第一波のゴーレムと味方ゴーレムとが戦闘している。さらに第二波のゴーレム四十基が南岸に上陸しようとしているが、向かえ撃つ味方ゴーレムはいない。
 講堂内は息が詰まるほど沈痛な空気に包まれた。
「大丈夫だ! ルークスのゴーレムがもうじき到着するぞ!」
 とカルミナは空元気ではなく、本気で言った。
 程なくイノリの戦場到着と敵ゴーレムを三基倒した事が伝わると、講堂内の空気が変わった。
 その後もイノリが敵を撃破したとの報告が続く。
「重複では?」と思う者が出るほどだ。
 しかし敵の総攻撃に空気が陰った。
 イノリの獅子奮迅の活躍に希望が見えた。
 不意に味方が撤退し始めたときは悲鳴が上がった。
 そして土石流が講堂内の悲観や絶望をも押し流した。
 敵ゴーレムは全滅、敵兵の多くも濁流に呑まれたのだ。
「勝った!!」
 と暴走ポニーが叫ぶや講堂内はお祭り騒ぎになった。大人も子供も手に手を取って踊り、跳ねた。
 奇蹟が再び起きて、圧倒的な敵に勝利したのだ。
 アルティも友人たちと抱き合って喜ぶ。
「勝ったのね?」
「勝ったっすよ!」
「勝ちました!」
「あたしが言ったとおりだったろ!?」
 そこにヒーラリの契約シルフが戻って来た。ルークスの友達でもあるレーニスだ。
「ルークスは無事だ。ゴーレムをたくさん壊していた。敵のグラン・シルフ使いを捕まえに行くってよ」
「え!?」
 アルティの喜びが急激に萎む。
「どこへ行くって?」
「さあ。かなり遠くみたいだ」
 顔を青ざめさせるアルティにヒーラリが言う。
「大丈夫っすよ。イノリなら敵ゴーレムなんか目じゃないっすから」
「そうですよ。あれだけ活躍できるのですから心配いりませんわ」
「どんな敵が来ても楽勝だぞ!」
 友人たちに元気付けられるも、アルティの心配は尽きない。
 ルークスは安心させるそばから、次の不安を作ってくれるから。

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 パトリア軍の騎兵一個中隊百騎は堤防を駆けていた。
 インヴィタリ橋の下流から北岸に渡り、敵一万余を捕らえる為に。
 一万もの敵兵を攻める余力は、防衛戦で疲れ切ったパトリア軍には無かった。また水が退くまでゴーレムを渡す事もできない。
 たとえ指揮官を捕らえ指揮系統を断ったとしても、武装流民に国境まで荒らされてしまう。
 通常は全滅扱いになる兵の四散も、これ以上の国土荒廃を防ぎたいパトリア王国にとっては阻止せねばならない災害なのだ。
 故に戦わずして投降させる以外に道は無かった。
 すでに堤防の崩壊は止まったものの、敵軍が両側の濁流から逃れる道は堤防上しかない。移動が制限されている間が勝負である。
 洪水は下流の橋まで達しており、堤防の向こう側も濁流が流れていた。橋は堤防の上なので、騎兵中隊は無事敵兵より先に対岸に到着できた。
 一万ものリスティア軍が止まることなく向かって来る。
 狭い堤防は百騎で塞ぐことはできるが、停止した騎兵百など歩兵一万の前では石ころでしかない。
 かと言って突撃したところで、一万の縦隊を突っ切るのは不可能。止まったところでお終いだ。
 騎兵中隊は、ヴェトス元帥から託された策をもって当たるしかなかった。
 王城のプルデンス参謀長の献策と言うのだから勝算はある。
 一万の敵兵に向け、騎兵中隊長エクィテム卿は大声で宣った。
「リスティア軍に告ぐ! 武器を捨てて投降せよ! 既に勝敗は決し、総司令パナッシュ将軍は降伏を宣言した! 我が軍はこれ以上の捕虜を必要としない! 故に、投降すれば貴国までの安全は保証する!」
 最初に要求を伝える。
「我が軍には新型ゴーレムがある! 西から侵攻した二十基を撃破鹵獲し、この戦場でも下流から渡河した四十基を単基で撃破した! 貴国にゴーレムの残数は少ない! 我が国と同程度であろう! ならば、新型ゴーレムを有する我が国は圧倒的に優位である!」
 状況説明は終わった。いよいよ本題に入る。
「これより我が軍は、再編成の後、北へ進軍する! 九年前に奪われた国土と国民を奪還する為に!! パトリア人はいるか!? リスティアの暴政から郷里を解放する為に、祖国の旗へ参ぜよ!!」
 元パトリア人の離反、それが参謀長の策であった。
 どれだけの比率でいるかは不明だ。だが百でも寝返れば、敵は疑心暗鬼となり抵抗心を奪う事ができる。そうなれば投降するしかない。
 リスティア軍の全体は止まったが、先頭の数十人がそのまま歩いてくる。
 士官の姿は見えず、下士官と兵しかいない。下士官の一人が大声を上げた。
「我々は、パトリア人義勇兵です!!」
「!?」
 想定外の事に騎兵中隊は虚を突かれた。
 義勇兵の下士官は続ける。
「リスティア征南軍一万は既に、ルークス・レークタの新型ゴーレムに投降しています。我々義勇兵は、捕虜を祖国の正規軍に引き渡すべく、連行して参りました」
「義勇兵だと? 一体どれだけいるのだ?」
「先頭に三百、最後尾に二百です」
「五百もか。それはありがたい」
 武器を持っているのは義勇兵だけで、投降兵たちは武器を捨てていた。

 イノリが去った後、呆然としていたリスティア将兵の中で、元パトリア人下士官が大声を上げた。
「パトリア人よ、今こそ立ち上がれ!」
 それが今の代表者である。
「武器を取れ! リスティアの投降兵を、祖国の正規軍まで連行するのだ!」
 堤防が上流から崩落して行ったので、生き延びたのは下流側に配置された将兵だった。
 彼らは四十基のゴーレムが渡河するのを見送った。暴風で対岸が見えなくなったが、再び見えるようになったとき、残っていたのは川の中で止まった三基のみ。
 動いているのは、女神と見間違えるばかりの新型ゴーレムだけであった。
 そしてそのゴーレムが「レークタ」によって動かされ、グラン・シルフさえ従えていると知った。
 パトリア軍は単に勝利しただけではなかった。圧倒的不利を覆して圧勝したのだ。
 ならば講和会議で領土返還がされるはず。
 だが、全部が帰るとは限らない。一部返還という事態を避ける為には、少しでも戦果を増やす必要があった。
 それで彼は賭けに出た。
 郷里の祖国復帰の為に、パトリア人にリスティア軍から離反するよう呼びかけたのだ。
 下手をしたら逆上したリスティア兵に殺されるかもしれない。
 だが彼の命がけの賭けに、五百人の同朋が応えてくれたのだ。
「一つ伺わせてください。ルークス・レークタという人物は、やはり?」
 問われ、エクィテム中隊長が答える。
「かのドゥークス・レークタのご子息だ」
 義勇兵たちにどよめきが起きた。代表が語る。
「九年前、戦場になるはずだった我々の郷里は、彼によって守られました。そして、彼の死によってリスティアに併合されました。今、敵として祖国に踏み入った我々の前に、彼のご子息が現れた。これが、運命なのですね」
 感極まって涙があふれ出る。
 エクィテム中隊長も感心した。
「貴公の名は?」
「レィディ陸曹であります」
「臨時に陸尉に任命する。義勇兵五百の大隊長として、投降兵連行の指揮をしてもらう」
「は! 拝命いたしました!」
 レィディ臨時陸尉は敬礼した。
 そこに後方から何名か駆けてきた。
「我々も義勇兵に参加します!」
 レィディが怪訝な顔をする。見れば彼らは武装解除していた。
「なるほど」
 とエクィテム卿は察した。
 彼らはレィディの呼びかけには応じず、リスティア軍に留まっていたのだ。
 パトリア軍も同じ事を言い出したので、勝ち馬に乗りに出てきたらしい。
 エクィテム卿は笑みで答えた。
「歓迎しよう。だが、バラバラに出られると、この暗がりでは混乱の恐れがある。よって、パトリア軍本隊に合流するまでは現状維持とする。心配するな。パトリア人は全て祖国が受け入れる」
 難しい判断は中隊長の手に余る。元帥に決めてもらう事にしたのだ。
「祖国復帰へ向け、前進!」
 レィディ臨時陸尉の指揮でパトリア人義勇兵五百は投降兵九千五百を従え進んだ。
 インヴィタリ橋のたもとにある本陣に到着したのは、夜が白々と明ける頃だった。

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 長い長い夜は終わりを告げた。
 存亡の危機を脱したパトリア王国の大地を、水平線から顔を出した太陽が照らす。
 戦争の爪痕は幾箇所にも、深く刻みつけられていた。
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