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第八章 大精霊契約者vs.大精霊の親友

死に神の抱擁

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「シノシュ、敵新型ゴーレムに近い重量物が現れた。敵陣の後、ゴーレムの列のすぐ前だ」
 グラン・ノームが頭だけ入れて報告するや、ゴーレム車内は恐慌状態に陥った。
「新型ゴーレムだと!?」
「本隊に向かったのではなかったのか!」
「奴は今までどこにいた!?」
 大隊長たちは狼狽うろたえ、最年少が怒鳴るように詰問した。
 オブスタンティアが視線を向けさえしないので、シノシュが答えるよう促す。
「不明だ」
「奴は何をしている!?」
「不明だ」
「まさか、ここに向かってくるのか!?」
「不明だ」
 地上にいるとグラン・ノームの能力が制限される、程度も知らない市民によって時間が浪費された。
「何にせよ、新型ゴーレムが確認できた。作戦通り、敵陣地に大地の怒りを撃ちこむのだ」
 取りなすように特殊大隊長が言うも、若い同輩は納得しない。
「作戦通りと言いましても、まだ包囲が完了しておりません」
「既に射出しているのだ。今さら完璧を目指しても遅い」
「それでは敵コマンダーに逃げられる恐れが!」
「悠長な事を言っていると、この車が踏み潰されるぞ!」
 市民たちが不毛な論議で貴重な時間を無駄にしても、シノシュは沈黙していた。
 決定をオブスタンティアに伝える以上をする気はないのだ。
 有能な大衆の末路を、少年は数え切れないほど見てきた。
 目立った大衆は、ささいな失点で叱責され、無礼を理由に懲罰を受け、挙げ句に反革新分子として政治将校に連行される。
 名誉の戦死を望む少年にとり、政治犯になる事だけは避けねばならない。
 自分一人の死では済まなくなるから。

 三人目の大隊長が焦れて、グラン・ノームに敵の現在位置を調べに行かせた。
 一度土に潜ったオブスタンティアは、地面にかかる圧力を見てからまた戻る。
「新型ゴーレムらしき物体は、両軍のゴーレム部隊の東を迂回、凄い速さでこちらに向かってくる」
「直ちに大地の怒りを敵陣に撃ちこめ!」
 特殊大隊長が悲鳴に近い声で命じた。
 シノシュの指示でグラン・ノームが引っ込んだ直後である。

 少年はゴーレム車の壁面に叩き付けられた。

                  א

 陣地左側のゴーレム戦を迂回したイノリに、ルークスは疾走をさせた。
 目指すは道路の東にいる四足型ゴーレムのケンタウロス。
 炸裂球の射出を止めないと、陣地の味方が全滅してしまう。
 強風が巻き起こす砂塵の幕を抜けた先に、その異形はいた。
 形状は王宮工房で見た模型どおり、横長の胴体を四本脚が支え、前脚の上に上半身が屹立している。
 鎧兜で身を固め、右手に戦槌を握っているので、正面からは一見普通のゴーレムだ。
 後ろに胴体が伸びている以外の違いは、左肩に長大な筒を担いでいる点。
 投槍対策にしては鎧兜がしっかりしていて、自ら飛ぶ矢ではダメージを与えられそうにない。
「いや、狙い所はある」
 ルークスの目が馬の背に向けられた。
 荷台が乗せられ、鉄球がいくつも並んでいる。
 台は二段式で下段で火が燃え、鉄球を加熱していた。
 接近の時間を惜しんだルークスは、イノリが右肩に担いでいるレールを四足型に向ける。
 シルフに狙いを指示してから、放った。
 白い尾を引いて矢が飛ぶと同時に、ケンタウロスの左肩の筒から影が飛びだす。
「当たらないでくれ!」
 五発目の大地の怒りに、思わずルークスは祈った。
 直後に矢が馬の背に突っ込む。
 次の瞬間、激しい金属音が連続し、台上の球が残らず消し飛んだ。
 ルークスの狙いは、台上で加熱された球だった。
 加熱水蒸気の高圧に耐えていた外殻は、矢の衝撃で破裂、破片を飛び散らした。
 それが当たった球も破裂し、また破片を散らす。
 そうして連鎖的に全ての鉄球が弾け飛んだのだ。
 それだけに留まらず、破片はケンタウロス周りの騎兵をなぎ払い、路上のゴーレム車一両を転覆させ、イノリにまで飛んで来た。
 鎧の正面で火花を散らした他、イノリの腕や脚を貫いて一瞬空気が抜けた。
「さっきより威力が上がっていないか?」
 ルークスの問いかけにグラン・シルフが答える。
「恐らく、複数の爆圧が合算したのでしょう」
「そうか。だとしたら、少しくらいは本体にダメージ入ったかな?」
 破壊されたのは馬の背に乗せられた台だけで、下の鎧は無事のようだ。
 破損があるとしても、上半身の背中側か。
「でもまあ、射程武器の無力化には成功したかな」
 たとえ兵器本体が無傷でも、射出する球を失えば重石でしかない。
 とりあえずの成果に安堵するルークスに、インスピラティオーネが警告した。
「主様、度重なる空気漏れによりイノリの内圧が減じてしまいました。一度解体して再度の組み直しが必要です」
「さすがの君でも、高圧状態から低圧の空気を吸い込むのは無理か」
「押し込むならまだしも、水と同じく高みから引き込むには制限がございます」
「なら一度離れて――」
 ケンタウロスの前で作業ゴーレムが何かをしていた。
 左肩の長筒の先端に、戦槌本体のような尖った部品を取り付けたのだ。
「――あれって騎槍ランスか?」
 小脇に抱えず肩に担いでいるが、騎士が突撃する際に使う騎槍に見えた。
 四足型が従来型程度の運動性だろうと、突進されたらイノリ以外は避けられない。
 四足は二足より安定するから、ぶつかった場合どちらが勝つかは明白だ。
 そして優に二倍ある重量物にぶつかられたら、良くても転倒、その衝撃で大ダメージを受けるだろう。
「破裂球を使い切っても、そういう運用法があるのか。マズいなあ」
 間諜の無能さは、ここに来ても足を引っ張った。
「後回しは困難ですか?」
「陣地に突撃されたら大変だ。リスティア軍は当てにならないし、パトリア軍のゴーレムには鎧がない」
「承知しました」
 不利を承知で、ルークスはイノリをケンタウロスに向かわせた。

                  א

 視界は真っ赤に染まっていた。
 今の状況がシノシュには分からない。
 覚えているのは、ゴーレム車に頭だけ入れたグラン・ノームの報告だ。

 敵新型ゴーレムの急接近。

 大隊長らの悲鳴、大地の怒り射出命令。
 その直後に――強い衝撃が襲ってきたのを少年は思い出した。
 目の前にいた特殊大隊長が真っ赤になって――形を失ったのだ。
 今、彼の眼前に広がる赤い泥は、人間の残骸だった。
 その下に、死体があった。
 こちらは人体の形状を留めているが、首があり得ない角度で曲がっていて、赤い泥に覆われていた。
 同じように少年も何かに押し潰されていた。
(……ゴーレム車が横転したのか)
 少年を踏み台にしている人間が、天を向いた側面の大穴から出ようと、必死にもがいている。
 誰かに引っ張られたのか、やっとシノシュにかかっていた重さが失せた。
 一人残されたシノシュに、女性の声がした。
「シノシュ、怪我はないか?」
 オブスタンティアが上半身を車体に入れている。
 少年を横抱きにし、軽々とゴーレム車の上に持ち上げた。
「他に生存者は!?」
 下から声を裏返しているのは、政治将校のファナチだ。
「いない。シノシュだけだ」
 そう言ってグラン・ノームは白髪の少年を地面に下ろした。
「シノシュ、あなたは無事ですか?」
 だが少年は答えられなかった。

 政治将校を無視するという、致命的な失敗を犯すくらい放心してしまったのだ。

 シノシュの隣では、若い大隊長が譫言うわごとのように繰り返している。
「死んだ……死んでしまった……」
(人が死んだのか)
 そう理解した途端、シノシュの体が戦慄きはじめた。
「死んだ……あの一瞬で……? どうして……どうして……」
 そして何かが切れ、声を限りに叫んだ。

「どうして俺じゃなかったんだ!?」

 せっかく死神が訪れたのに、向かいの二人をさらっただけで行ってしまった。
「同じ車内にいたんだぞ!! ゴーレムごと車体が倒れるほどの衝撃だ! 原型を失うくらいの破壊は、俺に降りかからなきゃならなかったのに!!」
 己に課した沈黙の誓いを破って怒鳴り続ける。
「死ぬのは俺のはずだ! 死神は、真っ先に俺を連れて行かなきゃならなかったのに!! 死ななきゃならない人間が生きて、生き残るべき人間が死ぬなんて! そんな――そんな理不尽があってたまるかっ!!」
 座る場所が違った。
 たったそれだけで、名誉の戦死を遂げる絶好の機会を逸してしまったのだ。
 誰からも文句を付けられない、理想的な戦死を逃した理不尽さに、シノシュは涙をこぼし、両の拳で地面を叩いた。
「シノシュ、落ちつけ。お前は無事だったんだ」
 事情を知らぬグラン・ノームの言葉が上滑りする。
 シノシュは何度も地面を叩き、拳を血まみれにして泣き崩れる。
 そんな彼を、誰かが背後から抱きしめた。
「上官の死は悲しいでしょう。ですがあなたが死ななかったことに意味はあります。我が軍が、グラン・ノームを依然として使えるという意味が」
 この状況で寝ぼけたことを言うのは誰か、とシノシュが振り返ると、ファナチの泣き顔がそこにあった。
 自分を抱きしめているのが政治将校だと知った瞬間、少年の全身は凍り付いた。
 死神より冷たい狂信者の抱擁に、生命活動が停止してしまったように、思考も何もかもが止まってしまった。
 シノシュの沈黙を都合良く誤解したファナチは、熱っぽく語り続ける。
「あなたはまだ戦えます。パトリアの新型ゴーレムを倒せるのは、土に愛されたシノシュ、あなただけです」
 そう言って振り仰いだファナチの表情が強ばった。
 その新型ゴーレムが、ケンタウロスの馬の背部分に跨がっていたのだ。
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