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第3話
しおりを挟むなんで今……。
よりにもよって、一番見られたくない人に、こんなみっともない姿を……。
「……お見苦しいところを見せてしまい、すみません」
「うちの会社近いですし、着替え……って言っても、術着とかしかないんですけど、持ってきましょうか」
「い、いえ! そんな。もう帰りますので」
視線をさまよわせながら、必死に言葉を紡ぐ。
声かけてもらって嬉しいけど、こんな格好を見られるなんて、恥ずかしいな……。
「これ、よかったら」
差し出されたのは、綺麗にアイロンがかかった、ブルーのチェック柄のハンカチ。
おずおずと手を出すとそっと受け取る。唯ちゃんや菜穂が、ニヤニヤしながら見ているのがなんとなくわかった。
「すみません、こんなことしかできなくて」
「いえ。ありがとうございます。今度お返しします」
「いつでも大丈夫ですよ」
ニコリと笑うと、会釈してその場をあとにする。その背中を見つめていると、心臓がドキドキと高鳴った。
きっと仕事用の笑顔なのに、向けられた笑みが嬉しくて、ジュースをかけられたことさえ、忘れそうになっている。憧れと恋の境目が、わからなくなってきている。
「王子、かっこい~」
「凛さん、進展じゃないですか。私のお陰ですね~」
棚ぼたとはこういうこと?
いやいや、だから彼は仕事の一環で、それにきっとすごくお人好しなのだろう。このハンカチに深い意味なんてない。
「全然、そんなんじゃないって」
ハンカチをそっとポケットにしまいながら、全力で否定する。
「ごめん、私帰るね。このままじゃさすがにね」
「そうですよね。凛さん、すみませんでした」
「ううん、気にしないで。一ノ瀬、ジャケット借りるね。これじゃ電車乗れないし」
いまだそばにいてくれる一ノ瀬に、苦笑いをこぼしながら礼を言う。だけど彼は木崎さんが出て行った方を見つめたまま、いつも以上に不機嫌な顔をしている。
「どうかした?」
「なんでもない。送る」
「え? いいよ」
「バイクだけど。乗っていけ」
「でも後ろに乗ったら一ノ瀬まで汚れるよ?」
何度か彼の後ろには乗ったことがあるが、彼の背中にしがみつかないと振り落とされそうになる。つまり、汚れが一ノ瀬の背中にべったりついてしまう。
「俺のことは気にしなくていい。行くぞ」
「えっ、あ、ちょっと……!」
手を掴まれるとぐいぐいと引きずられるように会場を後にする。もう、強引なんだから。
優しいんだか横暴なんだか。いまいちつかめない。でも今日はやけに過保護なのは気のせい?
それから一ノ瀬に家まで送ってもらうと、マンション前でおろしてもらった。
一ノ瀬はバイクが趣味で、家にも何台かあるらしいが、今日はスクータータイプだったから、乗りやすくて快適だった。なんなら途中ウトウトしてしまったし。
「やっぱりデニムで来て正解だったわ。ありがとね、助かった」
ヘルメットを脱ぎながら、あっけらかんと言う。
「じゃあな」
「あ、お茶でも飲んで行く?」
「は?」
メットの中でギロッと睨まれ、思わず後退る。
「え、なんでそんな怖い顔するの」
「男を簡単に家にあげんな、バーカ」
「えっ、あっ、ちょっと……!」
捨て台詞を吐くと、アクセルを回し、あっという間に行ってしまう。
「なによ、あんな言い方しなくても」
ほんと、口悪いんだから。だいたい一ノ瀬をそんな対象で見たことないっつーの。
「自惚れんな、バーカ」
排気ガスの匂いだけが宙に残る中、私はその後姿を見送りながら両手を口元にあて叫ぶ。
大きな声で叫んだおかげか、さっきまでの怒りも消え、なんだか馬鹿らしくも思えてきた。
バイクの音は静寂に吸い込まれ、いつのまにか聞こえなくなっていた。
◇◇◇
翌日、私は丁寧にアイロンをかけたハンカチを持って、朝から木崎さんが来るのを受付で今か今かと待っていた。
パーティーではとんだ災難に巻き込まれてしまったが、木崎さんと再び話すチャンスをもらえ、正直棚からぼた餅だと感じている。
きっとあんなことがなければ、一生陰で指をくわえて見ているだけだったに違いない。唯ちゃんというやや破天荒なキューピッドに感謝だ。
「王子。来た?」
昼休みから戻った菜穂が、キョロキョロと視線をさ迷わせる私の肩を、勢いよく叩いた。
私は首を振りながら、ゆっくりと菜穂のほうを振り返る。
「まだ。今日は来ないのかも」
「毎日きてるわけじゃなさそうだもんねー」
コキコキと首を鳴らしながら、受付の椅子に座る菜穂。
私も昼休憩に入らないといけないが、正直それどころじゃない。なにせ、昨日からずっと彼が来たときのことを考え、シミュレーションをしてきたのだから。
まずはこの前のお礼を言い、雑談をする。暑いですね、忙しいですか? などなど。そのあと、さりげなく連絡先を聞く。もちろん、わざとらしくならないように、言い訳も考えてきた。
今後もし、急ぎで必要な物品があったら連絡したいから、という理由だ。我ながら苦しい言い訳だが、それくらいしか思いつかなかったのだ。
「凛、ごはん行ってきなよ」
「……そうしようかな」
菜穂に促され受付を後にする。もちろん、ハンカチも持って。
「何かお礼の品もつけたほうがよかったかなぁ」
独りぼやきながら、廊下を歩く。でもいきなりプレゼントなんてもらったら怖いよね。
「おっ、と」
「わっ……!」
角を曲がったところで誰かと出合い頭にぶつかりそうになった。慌てて謝りながら、後ずさる。
「すみません!!」
ぼんやりするあまり、全然前を見てなかった。病気の患者さんだったらどうしよう……。
背中にひやりとした汗を垂らしながら恐る恐る顔をあげると、目の前に何度も妄想し想像した木崎さんの姿が……!
突然のことに、その場で慌てふためく。
「こちらこそ、ごめんね。急いでたもので。怪我はない?」
「は、はい……」
声がうわずる。というか、いつのまに来てたんだろう。あんなに玄関を凝視してたのに全然気づかなかった。
もしかしたら、別の入り口から入ってきた? いやその可能性大だ。なんという取り越し苦労。
でもようやく回ってきたチャンス。逃すわけにはいかない。そう意気込み、意を決して口を開く。
「ハンカチを、あの……その」
だが本人目の前だと、うまく話せない。頭の中で何度も繰り返しシミュレーションしたのに……
「あ、この前の」
「は、はい」
一瞬ぽかんとしていた木崎さんだったが、すぐに思い出してくれたようで、口元に綺麗な弧が浮かぶ。
「その節はありがとうございました」
深々と頭を下げ、彼に向かって真っ直ぐ手を伸ばす。
「どういたしまして。あの後、大丈夫だった?」
「はい……」
短い返答をしたあと、シーンと静まり返る。
何か話さなきゃ。天気の話をする? いやいや、よく考えたらそんな話したってそれ以上広がりようがない。
じゃなにか別の話題を……
一人あたふたしていると、木崎さんが「大丈夫?」と心配そうに覗き込んでいた。
「え?」
「顔、赤い気がして」
そう指摘され思いっきり両頬を手で包む。覆う頬は明らかに熱くて、赤くなっているのが想像できた。
「だ、大丈夫です」
「それならよかった」
爽やかなスマイルを見せられ、ドキッと心臓が跳ねる。
目を細めて柔らかく微笑む顔は、何度見ても飽きない。むしろもっと見たいと思っている自分がいる。
「この前部長が話していた件、今度医事課にじっくり話を聞きに行かせてもらうね」
「あ、はい。ぜひ」
「もしよかったら連絡先交換できる?」
え? 今連絡先って言った?
不意を突かれ、その場で目をぱちくりとしてしまう。これは仕事の延長? それとも……。
「ごめん、ダメだった?」
「ち、違います。そうじゃなくて……驚いてしまって」
「冴島さんと、もう少し話してみたいなと思って」
私と、話したい?
誰がこんなシチュエーションを想像しただろう。まさか木崎さんのほうからそんな風に声をかけてくれるなんて。
彼の前では失態しか見せていないのに、いったいどういう感情なのだろう?
私の気を引いて高価な物品を納入させようって魂胆? いやいや、私のような平社員に媚びたところで、どうなる問題でもない。
「なんで私? って顔してるけど、正直今チャンスだと思ってる」
「それはどういう……」
言葉を濁しながら、返答を待つ彼におずおずと尋ねる。
「ここに来るたび気になってたから。いつも受付で笑顔で対応してるのが印象的で。この前外科外来の場所聞いたのは、実はわざと」
おどけて見せる木崎さんを前に、思わず「えーっ!」という声が上がる。
「この病院の地図は、頭の中に完璧に入ってる」
そう断言され、言葉を失う。
そりゃそうだ。広い病院だとはいえ、半年以上来ているのだから、外来の場所がわからないなんて、ありえない。
意図があることに、全然気づかなかった。
というか、爽やかな顔の裏側は策士? それこそ意外過ぎる。
「これ、俺のID」
スッとスマホを差し出され、あたふたしながら、それを読み取る。
画面に「木崎涼介」と表示されていて、思わず頬が緩んだ。下の名前、涼介さんっていうんだ。
「連絡してもいい?」
「は、はい」
「ありがとう」
お得意のスマイルを私に向けると「じゃあ」と言ってしまう。
その背中を見つめていると、知らず知らずのうちにうっとりとしたため息がこぼれていた。
まさか向こうから聞いて来てくれるなんて。しかも笑顔がいいって褒められてしまった。
胸はドキドキと高鳴りっぱなしで、昼休みが終わろうとしているのに、それすら気づかず、画面に浮かぶ彼の名前をしばらく眺めていた。
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