最悪で、最愛〜失恋から始まる本当の恋〜

一宮梨華

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第6話

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木崎さんとお付き合いが始まってから、私の毎日は、まるで色鮮やかなパレットで塗られたかのようにきらめき始めた。休日は、互いの時間を合わせるように、様々な場所へ出かけた。

ある日の仕事終わり、彼から不意にメッセージが来た。

「今日、仕事が早く終わったんだけど、気分転換にドライブに行かない?」

メールを見た瞬間「もちろん!」と返信すると、すぐに彼が病院の近くまで迎えに来てくれた。

白のセダンがとっても似合っていて、何度見ても見とれてしまう。

「凛、お疲れ様。疲れてない?」

車に乗り込む私に、彼が優しい声音で尋ねる。

いつの間にか私たちは「凛」「涼介」と呼び合うようになり、敬語の壁もなくなっていた。最初は少し照れたけれど、彼の呼び方が心地よくて、すぐに慣れてしまった。

「うん、大丈夫! 涼介もお疲れ様。ドライブなんて、嬉しい」
「よかった。実は凛の好きそうな場所があるんだ」
「え? どこ?」
「着いてからのお楽しみ」

そう得意げに言うと、車を発進させる。

助手席の窓からは夜風が吹き込み、私の髪をそっと揺らした。車窓を流れる街の明かりが、まるで宝石のようだった。流れる音楽が、二人の空間を優しく包み込む。

「着いた」

目的地である丘の上にある夜景スポットに着くと、視界いっぱいに広がる煌めく光の絨毯に、思わず「わぁ……!」と声が漏れた。

「どう? 綺麗でしょ」
「うん、すごく……! こんなに綺麗な夜景、初めて見たかも」

隣で微笑む涼介に素直な感想を伝える。

「凛が喜んでくれる顔が見たかったんだ」

彼はそう言って、私の肩をそっと抱き寄せた。都会の喧騒が嘘のように静かで、二人だけの世界にいるような感覚に包まれる。

彼の腕の中で、私はすっかり安心して身を委ねた。夜景の輝きが、二人の心をそっと繋いでいくようだった。

「涼介とこうやって一緒にいるのがまだ不思議な感じ」
「そう? 俺はもうすっかり凛なしじゃダメになっちゃったよ」
「もう口がうまいんだから」
「本当だって。毎日バカみたいに凛のこと考えてるし、笑顔を思い出しては癒されてるよ。ずっといいなって思ってた子と、こうやって一緒にいられるなんて、俺のほうこそ奇跡だし正直めちゃくちゃ浮かれてる」

言いながらちょっと照れた様子で髪を掻き上げる涼介。どこにでもいるような平凡な女性なのに、胸は素直に弾んでいる。少し前の私が知ったら、卒倒するだろう。

「凛、ここ、ちょっと見て」

不意にそう言って、彼は夜景の方向を指し示す。彼の指の動きに釣られて顔を動かした瞬間、ふいに、彼の唇が私の唇にそっと触れた。

「……っ!?」

一瞬の出来事に、私の頭は真っ白になる。

もしかして、キスされてる!?

驚きながら目を見開くと、彼の瞳が、すぐ目の前で楽しそうに揺れていた。 

「ごめんつい。凛があんまりに綺麗だったから」
「ちょ、不意打ち……んんっ」

言い終える前に、再び彼の唇が触れる。

今度は私の顎をしっかりつかみ上げ、逃がさないとばかりに深く口づける。全身の血が沸騰するような熱を感じながら、ただ彼のキスを受ける。

街の喧騒は遠く、ただ彼の温もりと、唇の感触だけが私を満たした。

「凛、好きだよ。俺と付き合ってくれてありがとう」

唇が離れると、彼が僅か数センチの距離からそう告げる。触れられたばかりの唇をきゅっと噛みしめると「私も好き」と、囁いた。

「ん? 私も何? 聞こえなかったなー」
「もう、聞こえてるくせに!」

彼の胸を軽く叩きながら抗議する。涼介って顔に似合わず、たまに意地悪な性格を発揮する。だけどそれすら心地いいと思っている自分もいる。

「お腹空かない? 何か食べて帰ろうか」
「うん、そうだね」
「俺、凛のこともっと知りたい。凛のおすすめのお店連れて行ってほしいな」

そう言われると、なんだかうれしくなる。手をつなぎ車に乗り込むと、私は馴染みの居酒屋を案内した。

暖簾をくぐると、店内の活気ある声と、食欲をそそる香りが混じり合う。奥の席に座り、まずはビールと烏龍茶で乾杯した。

「やっぱりこの雰囲気、落ち着くね」

私がグラスを傾けると、涼介は面白そうに私を見つめた。

「凛、居酒屋が好きなんだね。意外だったな。もっとこう、ワインとか、お洒落なバーとかが好みかと思ってた」
「ワインも好きだけど、居酒屋の気取らない感じが好きなんだ」

枝豆をむきながら口を尖らせる。むき出しになった豆を、そのまま口に放り込むと、涼介は小さく吹き出した。

「豪快だね。でも、そういう飾らないところも、凛らしくていい」
「それ、褒めてる?」

目を細め正面に座る涼介をじっと見据える。褒められているのか、からかわれているのか、もう分からなくなってくる。だけど、彼の言葉が嫌じゃない自分がいることに気づく。

「もちろん、褒めてるよ」

クスりと笑ってグラスを傾ける。こんな居酒屋でも様になるのはきっと涼介くらいだろう。

何をしていてもいちいちかっこよくて、何度も胸がときめく。そんな彼を日に日に好きになっているのが、自分でもよくわかった。

優しくて大人で、時に意地悪で、まだ付き合って一ケ月もたたないのに、私はすでに彼に夢中だ。

それから串盛り合わせや唐揚げを頼み、他愛ない話に花を咲かせた。涼介は相変わらず、私の些細なリアクションを面白がっては、時折、柔らかな笑みを浮かべた。

「凛って、本当に色々な表情を見せてくれるよな。見ていて飽きないよ」

唐揚げを頬張っていた私は、彼の言葉に思わずむせた。

「え、な、なに? 急に褒めないでよ」
「急じゃないし。ずっと褒めてるし。それに褒めろって言ったの凛じゃん」
「それは……そうだけど」
「今みたいに驚いた顔も、可愛らしいなと」

彼は真顔でそう言い放ち、私の羞恥心を煽る。私の顔は、きっと茹でダコのように真っ赤になっているだろう。

「涼介って、ちょっと意地悪だよね」

私が不満げに言うと、彼は満足そうに目を細めた。 

「これも凛への愛情表現」

その言葉に、私の心臓はまたしても大きく跳ねた。

彼の「意地悪」は、私への好意の裏返しなのだと、頭では理解しているのに、毎回まんまと彼のペースに巻き込まれてしまう。だけどそれも心地いい。彼の隣が温かくて大好き。

「凛、これ、食べてみるか? 新メニューだって。日本酒に合うらしい」  

涼介が、注文したばかりの炙り〆鯖を私の小皿に取り分けてくれる。

「ありがとう! じゃあ、一口……んー、美味しい!」

そう言いながら口に運んだ時、ふと、店の入り口から賑やかな声が聞こえてきた。

何気なくそちらに目を向けると、そこには、菜穂、一ノ瀬、唯、そして菜穂の幼馴染の健の姿があった。

しまった、この店、菜穂たちもいきつけだったんだ。まさか鉢合わせするなんて……。

三人は空いているテーブル席を探しているようだったが、すぐに私と涼介の存在に気づいた。

「あ、凛じゃん!」

菜穂が大きく手を振りながら、私の名前を呼んだ。その声に、店内の視線がちらりとこちらに集まるのを感じる。

私が遠慮がちに手を振り返すと、それを見た涼介も、軽く会釈をする。戸惑っている間にも、三人は私たちのテーブルの近くまで、興味津々な瞳を携えてやって来た。

「凛、今日早く帰ったと思ったら、王子とデートだったとは。何か聞いてないこといっぱいあるんだけど!?」

菜穂が興奮気味に私の腕を掴む。その目は完全に私を問い詰めるモードだ。

唯ちゃも目をキラキラさせながら、笑顔を向けてくる。

「凜さん片思いが実ったんですね! おめでとうございます!」
「あ、うん……実は最近付き合い始めて……」

私はしどろもどろになりながら、必死に説明しようとする。お酒のせいもあり、顔が熱い。

涼介はそんな私の様子を面白そうに、だけど優しく見守っている。そんな中、菜穂の追究は止まらない。

「凛がいつもお世話になってます。凛の同僚の菜穂っていいます。こっちが唯で、こっちが一ノ瀬、それと健。そういえば木崎さん、さっき凛のこと『凛』って呼んでませんでした? 仲良いんですねー」

菜穂がニヤニヤしながら涼介に視線を送る。涼介も少し照れたように視線を逸らした。普段、クールな彼がこんな風に慌てるのは珍しくて、なんだか新鮮。

その間、一ノ瀬は黙って私たちの様子を観察していた。腕を組み、口元は真一文字に結ばれている。

いつものように素っ気ない顔をしているけれど、その視線はまるで獲物を睨みつけるかのように、時折、涼介に向けられていた。彼の表情からは、明らかに不機嫌な雰囲気が漂っている。

「一ノ瀬、どうかした? 顔色悪いよ?」

私が心配して声をかけると、一ノ瀬はふいっと顔を背けた。

「別に」

素っ気ない返事だ。だけど、彼の声のトーンには、どこか普段よりも冷たい響きが感じられた。

「まーまー、一ノ瀬はいいから! 凛、ちょっと! 詳しく話してよ! 何回目のデートなの? あと、例の銀座の件は!?」

菜穂が再び私の腕を引っ張る。唯ちゃんも興味津々といった様子で、私を覗き込んでくる。

「それは後で改めて話すから」

私は小声で抗議するが、菜穂は聞く耳を持たない。

「別に隠すことないでしょう」

菜穂はわざとらしく涼介に目配せをする。涼介は苦笑いしながら、私の頭をポンポンと叩いた。

「凛が話してよければ、俺は全然かまわないよ」

その言葉に、菜穂は歓喜の声を上げた。

「さっすが王子! 大人~」
「ちょっと、菜穂」
「で、今日は何回目のデートなんですか? ここに来る前何してたんですか?」

菜穂はぐいぐいと涼介に詰め寄る。だが涼介はどの質問にも丁寧に答えていた。

そんな賑やかなやり取りを横目に、一ノ瀬は少し離れた席で、黙ってグラスを傾けていた。彼の握るグラスの持ち手が、少しだけ強く握られているように見えたのは、私の気のせいだろうか。

結局、その日はみんなで賑やかな飲み会になり、私は涼介との関係について、根掘り葉掘り質問攻めに遭うことになった。

そしてその間ずっと、一ノ瀬の刺すような視線が時折、私と涼介の間をさまよっていたことに、私は気づかないふりをするしかなかった。

まだ飲んでいる菜穂たちに断りを入れ居酒屋を出ると、二人で涼介の車へと向かう。夜の空気は少し肌寒かったが、私の心は高揚感で満たされていた。

車に乗り込み、エンジンがかかると、どこか密やかな二人の空間が生まれる。

「けっこう飲んでたけど、大丈夫?」
「うん、平気。帰ったらすぐ寝ちゃいそうだけど」

自嘲の笑みを浮かべたまま、素直にそう答える。

菜穂たちにも涼介のことを紹介できたし、なんだかんだ楽しい時間だった。

一ノ瀬の態度はちょっと気になるけど、きっと虫の居所でも悪かったのだろう。

「あのさ、凛」 

信号待ちで、涼介が不意に口を開いた。彼の視線は前を向いたままだったが、その声は普段よりも少しだけ真剣な響きを帯びていた。
少し不思議に思いながら「何?」と返事をする。

「さっき、菜穂ちゃんが言ってた『銀座の件』って、なんのこと?」
「え……」

自然と背筋が伸びる。

涼介にいたっては、ハンドルを握る指がわずかに緊張しているように見えた。

やはり、聞こえていたんだ。

「えっと……実はね」

私は動揺を押し殺し、以前一ノ瀬から聞いた噂話を正直に話した。

銀座で腕を組んで歩いている涼介と女性を見たという話、そして、それが原因で私が「既婚者疑惑」を抱いていたこと。

言い終えると形容しがたいため息が落ちた。すると、涼介が前を見据えたままボソッとつぶやいた。

「そうか……。そんな風に思わせてしまって、ごめん」

彼の表情は、申し訳なさと少しの苦笑いが混じっていた。そしてゆっくりと、諭すように話を続けた。

「銀座で一緒にいた女性は、二年ほど付き合っていた元カノだ」

元カノ……。

彼の口からその言葉が飛び出してきて、少しショックな自分がいる。

それは元カノがいたからではない。涼介について知らないことばかりで、そのことが寂しいと咄嗟に思ったからだ。

「黙ってて悪かった。でも決して凛と二股とか、付き合っている時期と重なっているとかはないから、そこは信じてほしい」

淀みない彼の言葉には、一切の迷いがなかった。まっすぐな瞳、そして真剣な声。

この人は、嘘をつくような人じゃない。それはこの短期間でよくわかった。虫も殺せない、お人好しすぎるくらい良い人。

仕事中の彼の誠実な態度も知っている。予期せぬトラブルが発生したときも、通常ならメーカーに責任を押し付けたり、言い訳を並べたりする営業もいる中で、彼は一人冷静にすぐに現場に駆けつけ、原因究明と解決のために奔走する人だ。

その際も、決して嘘やごまかしをせず、不具合の状況や対応策を丁寧に説明し真摯に対応する人だと、職員の間では周知の事実。

「……話してくれてありがとう。涼介のこと、信じるよ」

私の声は少しだけ震えていた。だが心の底から安堵し、すとんと重い荷物が下りたような気分だった。くすぶっていた「疑惑」の影が、音もなく消えていく。

「ありがとう、凛。信じてくれて」

彼はそう言って、私の頭を撫でると、再びゆっくりと車を発進させた。

街の明かりが流れ、沈黙が訪れる。だけどその沈黙は決して重苦しいものではない。

しばらくして、涼介が運転しながらちらりと私を見た。彼の瞳に、いつもの優しい光が宿る。彼は柔らかい雰囲気をまとったまま、遠慮がちに切り出した。

「今度さ、うちに泊まりにこない?」

その言葉に、私の思考は一瞬フリーズした。涼介の家にお泊まり?

少し想像しただけで、心臓がドクンと大きく鳴り、全身の血が逆流したかのように熱くなる。 

「家に?」

聞き返した私の声は、ひどく上ずっていた。

「うん。凛とゆっくり過ごしたい。どうかな?」

彼の声は穏やかだが、どこか自信なさげな雰囲気がただよっている。

泊まりってことはつまり、そういうことだよね?

彼の言葉の裏にある意味を理解した瞬間、私の頬はさらに火照り、指先まで熱が伝わってくる。

「予定、確認しておくね」

私はほとんど反射的に、だけど満面の笑顔で即答していた。

「やった。すっごく嬉しい。実は誘うのちょっと緊張してた」

そう言いつつも、機嫌よさそうに笑っている。

私はその隣で、彼の部屋を訪れる日のことを想像し、期待と微かな緊張で心を甘く高鳴らせていた。

これまで経験したことのない、満ち足りた幸福感が全身を包み込み、もう涼介しか見えなくなっていた。

この時までは……。


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