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1.崩された完璧
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「最悪っ……」
また、この感覚だ。やはり、雨の日は決まって嫌な夢をみる。
上質なベッドの上、もぞもぞと体を動かして体を起こし、スリッパを履いて額を押さえた。
俺は、完璧でないとならない。
今、国内外問わず注目度の高い企業はどこか。そう聞かれたら、多くの人が通星総研を挙げるはずだ。
俺の父親はそこの現社長。つまり、俺は社長令息という肩書きを持っている。
星塚家の次男として生まれたからには全てが完璧でないとならない。跡取りの、本物の天才とは違って俺は天才なんかじゃないから。必死にしがみつかないといけない。
星塚絆という、星塚家の名を背負う人間として。
それに、完璧な星塚絆を演じていれば家族も、大衆も、俺に価値を見出してくれる。
だから俺は常に完璧であり続けなければならない。
それなのに、俺は今日もくだらない夢をみた。
『絆、俺は絆を一番のままになんかさせない。必ず、天才の座から引きずりおろす』
『きみは何を言っているの? そんなことできるわけがない。きみこそ、ずっと底辺のまま、這いつくばっていたらいいんだよ。……まあ、でも。もし本当に、僕に勝つことができたら——』
「はあ……。『なんでも一つ、望みを叶えてあげる』か。あんな提案をするなんて、俺も馬鹿なんじゃない」
雨の日は、いつも俺の奥底に閉じ込めた嫌な記憶を引きずり出す。そして、決まって何か悪いことが起こるんだ。
苦い過去の記憶と、馬鹿げた子どもの果たされることもない口約束。
別に、あんなものを守って欲しいだなんて微塵も思ってない。
「守られたら俺が困るだけだし。俺は完璧でないといけないんだから」
脳裏を過ぎるのは、たった一度の過ち。埃っぽいコンクリートの床に這い、踏みつけられた誇りと尊厳。
二度目はない。完璧でない俺に、存在価値などないのだから。
記憶を振り払うようにベッドから抜け出せば、寒さを感じさせない心地よい温度。そして、どの部屋にも必ず一つは点灯し続けている暖色の明かりに包まれながら身支度を済ませていく。
そんな中、だだっ広い寮の一人部屋に響くのは十二月頭のぼつぼつと重たい雨音だけ。
鏡の前に立ち、顎下まで伸ばした、ところどころ紫の混じる黒髪をぼんやりと眺める。
少しはねた髪を温まったストレートアイロンで軽く伸ばし、七三に分けた長めの前髪が目にかからないよう、僅かなうねりを作ってハーフアップにすれば五分ほどで見慣れた髪型に早変わり。
そのまま真っ白な名門校の制服に着替えて、藤色のネクタイで首元に緩やかな、心地よい締め付けを与える。
「ふぅ……。『俺は、星塚家の次男。星塚絆だ。今日も完璧に、人々の上に立たないと』」
洗面台に手をつき、鏡に映る紫の切れ長な目をじっと見つめる。まじないのような言葉を唱えれば、何度目かのため息を吐いてリビングへ足を運んだ。
昨晩作りすぎた、通常よりチョコレートの甘味が強いオペラ。それを胃に入れていく。
「……あと四ヶ月か。大学は家から通わないといけないし」
あと四ヶ月。卒業すればこの寮部屋での生活は終わりを迎える。
閉塞感がなく、静かすぎるわけでもなく、家とは違って監視もされず。けれど一人でいられる場所なんて今までなかったから、それなりに気に入っていた。
電気だって、帰ってから翌朝学校に行くまで、ずっと電気を点けていても怒られないし。
皿を食洗機に入れて歯を磨き直せば、いつも通り少し気が沈んだまま寮を出た。
●●●
由緒正しき都内私立の全寮制男子校。ここ、紫ノ嶺聖高等学園では長期休暇の前に期末テストの成績、順位が貼り出される。
俺は中等部の頃から一度たりとも満点を逃したことも、一位の座を譲ったこともない。
頂点に用意されたたった一つの席から見下ろす景色。
それだけが俺に価値を与えてくれる。
昼休みが始まったばかりの今。順位が貼り出されるのを待って、教室中がざわめいてる。
窓際の、一番後ろの席からはその光景がよく見える。騒いだって結果は変わらないのにね。
「ほ、星塚くん」
「なに」
「ひっ」
妙に浮立つ空気を気にしないフリして専門書を読んでいると、頭上から突然声をかけられた。思い切り眉をひそめて本から顔を上げる。見れば、この学校では「可愛い顔」に分類される小柄な生徒が泣きそうに潤んだ目で、少し上から俺を見下ろしていた。
「用がないなら、話しかけないでくれる?」
誰かに、それも自分より下の人間に見下ろされるのは気に食わない。立ち上がって見下ろせば、そいつはぷるぷる震えながら口を開閉していた。
「あ、その、ご、ごめんね。今日テストの結果が分かるから、今回も星塚くんが一位なのかなって……」
「当たり前。で、要件は?」
「う、ううん。これだけだよ。ありがとう」
半泣きになるくらいなら話しかけてこなければいいのに。なんて思ったけど、走り去っていく先を見て合点がいった。
「桎月様ぁ、やっぱり星塚くんって怖いです~。それに、今度こそ桎月様が一番ですよお」
「ふふ、ありがとう。今回は自信あるんだよね」
「ほんとですか⁈ 桎月様はやっぱり頑張り屋さんだなぁ」
「桎月様、マロングラッセがお好きでしたよね! 頑張った桎月様に、僕が作ってあげます!」
小柄な男子生徒たちに囲まれているのは、同じクラスの飴栗桎月。廊下側の一番前、俺とはもっとも離れた席に座る長身の男だ。長身と言ったって俺のほうが七センチは高いけど。
金髪に近い栗色の髪だとか、甘いマスクだとか、左目の下にある縦並びの二つのほくろだとかが素敵と聞くが、何が良いのかさっぱり。
俺にとっては、ただただ大嫌いな人間だ。
それこそ、この世で一番、軽蔑している。
そこそこ地位のある人間しか入れないこの学校に、庶民以下の分際で入ってきたのには驚いたけど。所詮その程度。
ため息をついて席に座り直せば、ふと桎月と目が合った。多分、五年ぶりに。
「っ……」
「僕は努力が取り柄だからね。でも、そうだね。今回は、絆を負かすつもりでやったよ」
記憶の中、幼い声と重なる。
『必ず、天才の座から引きずりおろす』
雨の中で告げられた、果たされることのない約束。
「俺に勝てるわけがない。万年二位のくせに」
頬杖をついて、ぼそりと溢した呟き。聞こているはずもないけど、にっこりと笑って男子生徒たちに向き直った桎月が癪に障る。
どうしようもなく、腹が立つ。
夢の中でもあいつが現れて、今度は目まで合って。
「最悪っ……!」
苛立ちのまま、頬杖をついていた手で首の後ろに爪を突き立てる。
俺は完璧でないといけない。完璧であり続ける方法なんて分からないけど、それでもここまでやってこれた。とにかく、何においても一位であること。ただそれだけが俺が存在することを許してくれるのに。
一位じゃない、完璧じゃない俺になんの価値がある? また、失望されて、見放されて終わりだ。
『——えー、放送部です。生徒の皆さん、お待たせいたしました。ただいまから、各学年の掲示板にて期末テストの成績貼り出しを行います——』
吐いたため息は耳に届く前に校内放送にかき消された。
途端、教室からバタバタと走り出ていく生徒や、友人とからかい合いながら廊下へ向かう生徒たち。
だから、どれだけ騒いでも、急いでも、結果は変わらないのに。
「愚かな……」
一位になれなければ、「それ以下」というレッテルしか残らない。分かりきった結果にどうして毎度毎度騒げるのか。
全員が教室から出て行ったのを見計らって立ち上がり、いつも通りゆったりと大理石の白い廊下を歩いて行く。
冬入りの寒さなんて感じない、整えられた空調。
広い教室も、広い廊下も、校舎内はどこも快適な温度に保たれている。温室じみた廊下にしばらく足音を響かせて、人だかりに近づいた。
「え! 珍し、ていうか初めてだよな」
「高校では上位三位って、一回も変動してなかったのにね」
「うわあ、教室の雰囲気険悪になりそうで嫌だ~」
心なしか、廊下はいつもの貼り出しより騒々しくざわめき立っている。そして、耳に届くのは失望の色を纏ったどこか不穏な言葉たち。
俺が姿を現してから明らかに大きくなった喧騒。不躾にちらちらとこちらを窺う視線。
「ついに首位陥落かあ」
「え?」
ふと、耳に届いた言葉に足を止める。頭を思い切り殴られたかと思うほどの衝撃に息が詰まった。声が聞こえたほうを振り向いても、そこには人だかりがあるだけで声の主は分からない。
首位陥落? なんだ、それ。人だかりの中一つ一つの顔を見て、浅くなり、詰まる呼吸。背筋が凍る。関節のあちこちが軋み出しそうで。吸い込んだ空気にすら咽せてしまいそうだった。
どうして、誰も彼も俺をそんな目で見る。まるで、哀れむような……。
いいや。何に、怯える必要がある。俺は一位だ。今までもそうだったし、これからもそうであらねばならない。そうに、決まっている。
「っ……」
悪寒に全身がぶるりと震えた。歩く速度が、速くなる。
耳鳴りやノイズのような囁き声がやけに大きく聞こえる。
いつもなら、俺の存在を肯定する心地よいプレッシャーであるはずの視線が突き刺さる。
浅くなる呼吸。早まる鼓動。首筋を伝った嫌な汗。
人の輪に足を踏み入れ、発した声は掠れ、震えていてひどくみっともない。
「通して」
喧騒に掻き消され、自分の耳にすら聞こえない声は当然誰にも届かない。ごった返しになった生徒と生徒の間に身を捩じ込めば、少しずつ前に進む。
あと少し。
けれど、そのたった数歩分の距離がひどく長く、たった少しの時間が永遠のようで。
やって来てはくれない安堵と、去ることのない焦燥。人と密着する感触と圧迫感に眉をひそめた。
「うわっ⁈」
人に揉まれ、前の生徒が退き、後ろの生徒に押された瞬間。バランスを崩してつんのめった。
硬い床で膝と手のひらを擦って座り込む。じんとした鈍い痛みと熱に構わず、顔を上げた。
貼り出された大きな紙を見上げ、真っ直ぐ視線を向ける。頂点に君臨する名前、は……。
「……え」
見上げた先に記された、見知った、名前。
「すごぉい! 本当に一位獲っちゃった! しかも満点だよ!」
「えっ、お前今まで四位だった癖に! 嘘だー! 俺が今回四位かよ~……」
「中等部のときからずっと、打倒星塚~って言ってたもんなあ」
「星塚様どうしちゃったんだろ?」
「ぷふっ、ね、星塚さまが満点以外なの初めて見たぁ」
それは、俺のものではなかった。
二位、二位。僕が?
なんで。十点も落とした。今まで、凡ミスもなかったのに。
呼吸が浅くなる。目の奥がじんと熱を持った。集まる視線は全て僕を見下ろしていて、抑えるような笑い声に奥歯を噛み締めた。頭が重くて、世界がぐるぐると歪み、回る。
こんな人の多い中で。きっと、従順な愛玩動物が主人を見上げるような体勢で座り込んだ僕はさぞみっともないだろう。暗くなる目の前に耐えられず、立つこともできないまま俯いた。
完璧でいられないなら俺は、また、あんな仕打ちを受け——。
「……やっと、勝てたね。絆」
突然、音も気配もなく、耳元に吹き込まれた不愉快な低音。肩に触れた手の重み。思わず、体が硬直する。
耳にまとわりつくように大きくなった雨音と、遠のく喧騒。ぼつぼつと降り注ぐそれらが、真っ黒なインクに染まった紙を滲ませていくような重みを伴って脳に叩きつけられた。
○
また、この感覚だ。やはり、雨の日は決まって嫌な夢をみる。
上質なベッドの上、もぞもぞと体を動かして体を起こし、スリッパを履いて額を押さえた。
俺は、完璧でないとならない。
今、国内外問わず注目度の高い企業はどこか。そう聞かれたら、多くの人が通星総研を挙げるはずだ。
俺の父親はそこの現社長。つまり、俺は社長令息という肩書きを持っている。
星塚家の次男として生まれたからには全てが完璧でないとならない。跡取りの、本物の天才とは違って俺は天才なんかじゃないから。必死にしがみつかないといけない。
星塚絆という、星塚家の名を背負う人間として。
それに、完璧な星塚絆を演じていれば家族も、大衆も、俺に価値を見出してくれる。
だから俺は常に完璧であり続けなければならない。
それなのに、俺は今日もくだらない夢をみた。
『絆、俺は絆を一番のままになんかさせない。必ず、天才の座から引きずりおろす』
『きみは何を言っているの? そんなことできるわけがない。きみこそ、ずっと底辺のまま、這いつくばっていたらいいんだよ。……まあ、でも。もし本当に、僕に勝つことができたら——』
「はあ……。『なんでも一つ、望みを叶えてあげる』か。あんな提案をするなんて、俺も馬鹿なんじゃない」
雨の日は、いつも俺の奥底に閉じ込めた嫌な記憶を引きずり出す。そして、決まって何か悪いことが起こるんだ。
苦い過去の記憶と、馬鹿げた子どもの果たされることもない口約束。
別に、あんなものを守って欲しいだなんて微塵も思ってない。
「守られたら俺が困るだけだし。俺は完璧でないといけないんだから」
脳裏を過ぎるのは、たった一度の過ち。埃っぽいコンクリートの床に這い、踏みつけられた誇りと尊厳。
二度目はない。完璧でない俺に、存在価値などないのだから。
記憶を振り払うようにベッドから抜け出せば、寒さを感じさせない心地よい温度。そして、どの部屋にも必ず一つは点灯し続けている暖色の明かりに包まれながら身支度を済ませていく。
そんな中、だだっ広い寮の一人部屋に響くのは十二月頭のぼつぼつと重たい雨音だけ。
鏡の前に立ち、顎下まで伸ばした、ところどころ紫の混じる黒髪をぼんやりと眺める。
少しはねた髪を温まったストレートアイロンで軽く伸ばし、七三に分けた長めの前髪が目にかからないよう、僅かなうねりを作ってハーフアップにすれば五分ほどで見慣れた髪型に早変わり。
そのまま真っ白な名門校の制服に着替えて、藤色のネクタイで首元に緩やかな、心地よい締め付けを与える。
「ふぅ……。『俺は、星塚家の次男。星塚絆だ。今日も完璧に、人々の上に立たないと』」
洗面台に手をつき、鏡に映る紫の切れ長な目をじっと見つめる。まじないのような言葉を唱えれば、何度目かのため息を吐いてリビングへ足を運んだ。
昨晩作りすぎた、通常よりチョコレートの甘味が強いオペラ。それを胃に入れていく。
「……あと四ヶ月か。大学は家から通わないといけないし」
あと四ヶ月。卒業すればこの寮部屋での生活は終わりを迎える。
閉塞感がなく、静かすぎるわけでもなく、家とは違って監視もされず。けれど一人でいられる場所なんて今までなかったから、それなりに気に入っていた。
電気だって、帰ってから翌朝学校に行くまで、ずっと電気を点けていても怒られないし。
皿を食洗機に入れて歯を磨き直せば、いつも通り少し気が沈んだまま寮を出た。
●●●
由緒正しき都内私立の全寮制男子校。ここ、紫ノ嶺聖高等学園では長期休暇の前に期末テストの成績、順位が貼り出される。
俺は中等部の頃から一度たりとも満点を逃したことも、一位の座を譲ったこともない。
頂点に用意されたたった一つの席から見下ろす景色。
それだけが俺に価値を与えてくれる。
昼休みが始まったばかりの今。順位が貼り出されるのを待って、教室中がざわめいてる。
窓際の、一番後ろの席からはその光景がよく見える。騒いだって結果は変わらないのにね。
「ほ、星塚くん」
「なに」
「ひっ」
妙に浮立つ空気を気にしないフリして専門書を読んでいると、頭上から突然声をかけられた。思い切り眉をひそめて本から顔を上げる。見れば、この学校では「可愛い顔」に分類される小柄な生徒が泣きそうに潤んだ目で、少し上から俺を見下ろしていた。
「用がないなら、話しかけないでくれる?」
誰かに、それも自分より下の人間に見下ろされるのは気に食わない。立ち上がって見下ろせば、そいつはぷるぷる震えながら口を開閉していた。
「あ、その、ご、ごめんね。今日テストの結果が分かるから、今回も星塚くんが一位なのかなって……」
「当たり前。で、要件は?」
「う、ううん。これだけだよ。ありがとう」
半泣きになるくらいなら話しかけてこなければいいのに。なんて思ったけど、走り去っていく先を見て合点がいった。
「桎月様ぁ、やっぱり星塚くんって怖いです~。それに、今度こそ桎月様が一番ですよお」
「ふふ、ありがとう。今回は自信あるんだよね」
「ほんとですか⁈ 桎月様はやっぱり頑張り屋さんだなぁ」
「桎月様、マロングラッセがお好きでしたよね! 頑張った桎月様に、僕が作ってあげます!」
小柄な男子生徒たちに囲まれているのは、同じクラスの飴栗桎月。廊下側の一番前、俺とはもっとも離れた席に座る長身の男だ。長身と言ったって俺のほうが七センチは高いけど。
金髪に近い栗色の髪だとか、甘いマスクだとか、左目の下にある縦並びの二つのほくろだとかが素敵と聞くが、何が良いのかさっぱり。
俺にとっては、ただただ大嫌いな人間だ。
それこそ、この世で一番、軽蔑している。
そこそこ地位のある人間しか入れないこの学校に、庶民以下の分際で入ってきたのには驚いたけど。所詮その程度。
ため息をついて席に座り直せば、ふと桎月と目が合った。多分、五年ぶりに。
「っ……」
「僕は努力が取り柄だからね。でも、そうだね。今回は、絆を負かすつもりでやったよ」
記憶の中、幼い声と重なる。
『必ず、天才の座から引きずりおろす』
雨の中で告げられた、果たされることのない約束。
「俺に勝てるわけがない。万年二位のくせに」
頬杖をついて、ぼそりと溢した呟き。聞こているはずもないけど、にっこりと笑って男子生徒たちに向き直った桎月が癪に障る。
どうしようもなく、腹が立つ。
夢の中でもあいつが現れて、今度は目まで合って。
「最悪っ……!」
苛立ちのまま、頬杖をついていた手で首の後ろに爪を突き立てる。
俺は完璧でないといけない。完璧であり続ける方法なんて分からないけど、それでもここまでやってこれた。とにかく、何においても一位であること。ただそれだけが俺が存在することを許してくれるのに。
一位じゃない、完璧じゃない俺になんの価値がある? また、失望されて、見放されて終わりだ。
『——えー、放送部です。生徒の皆さん、お待たせいたしました。ただいまから、各学年の掲示板にて期末テストの成績貼り出しを行います——』
吐いたため息は耳に届く前に校内放送にかき消された。
途端、教室からバタバタと走り出ていく生徒や、友人とからかい合いながら廊下へ向かう生徒たち。
だから、どれだけ騒いでも、急いでも、結果は変わらないのに。
「愚かな……」
一位になれなければ、「それ以下」というレッテルしか残らない。分かりきった結果にどうして毎度毎度騒げるのか。
全員が教室から出て行ったのを見計らって立ち上がり、いつも通りゆったりと大理石の白い廊下を歩いて行く。
冬入りの寒さなんて感じない、整えられた空調。
広い教室も、広い廊下も、校舎内はどこも快適な温度に保たれている。温室じみた廊下にしばらく足音を響かせて、人だかりに近づいた。
「え! 珍し、ていうか初めてだよな」
「高校では上位三位って、一回も変動してなかったのにね」
「うわあ、教室の雰囲気険悪になりそうで嫌だ~」
心なしか、廊下はいつもの貼り出しより騒々しくざわめき立っている。そして、耳に届くのは失望の色を纏ったどこか不穏な言葉たち。
俺が姿を現してから明らかに大きくなった喧騒。不躾にちらちらとこちらを窺う視線。
「ついに首位陥落かあ」
「え?」
ふと、耳に届いた言葉に足を止める。頭を思い切り殴られたかと思うほどの衝撃に息が詰まった。声が聞こえたほうを振り向いても、そこには人だかりがあるだけで声の主は分からない。
首位陥落? なんだ、それ。人だかりの中一つ一つの顔を見て、浅くなり、詰まる呼吸。背筋が凍る。関節のあちこちが軋み出しそうで。吸い込んだ空気にすら咽せてしまいそうだった。
どうして、誰も彼も俺をそんな目で見る。まるで、哀れむような……。
いいや。何に、怯える必要がある。俺は一位だ。今までもそうだったし、これからもそうであらねばならない。そうに、決まっている。
「っ……」
悪寒に全身がぶるりと震えた。歩く速度が、速くなる。
耳鳴りやノイズのような囁き声がやけに大きく聞こえる。
いつもなら、俺の存在を肯定する心地よいプレッシャーであるはずの視線が突き刺さる。
浅くなる呼吸。早まる鼓動。首筋を伝った嫌な汗。
人の輪に足を踏み入れ、発した声は掠れ、震えていてひどくみっともない。
「通して」
喧騒に掻き消され、自分の耳にすら聞こえない声は当然誰にも届かない。ごった返しになった生徒と生徒の間に身を捩じ込めば、少しずつ前に進む。
あと少し。
けれど、そのたった数歩分の距離がひどく長く、たった少しの時間が永遠のようで。
やって来てはくれない安堵と、去ることのない焦燥。人と密着する感触と圧迫感に眉をひそめた。
「うわっ⁈」
人に揉まれ、前の生徒が退き、後ろの生徒に押された瞬間。バランスを崩してつんのめった。
硬い床で膝と手のひらを擦って座り込む。じんとした鈍い痛みと熱に構わず、顔を上げた。
貼り出された大きな紙を見上げ、真っ直ぐ視線を向ける。頂点に君臨する名前、は……。
「……え」
見上げた先に記された、見知った、名前。
「すごぉい! 本当に一位獲っちゃった! しかも満点だよ!」
「えっ、お前今まで四位だった癖に! 嘘だー! 俺が今回四位かよ~……」
「中等部のときからずっと、打倒星塚~って言ってたもんなあ」
「星塚様どうしちゃったんだろ?」
「ぷふっ、ね、星塚さまが満点以外なの初めて見たぁ」
それは、俺のものではなかった。
二位、二位。僕が?
なんで。十点も落とした。今まで、凡ミスもなかったのに。
呼吸が浅くなる。目の奥がじんと熱を持った。集まる視線は全て僕を見下ろしていて、抑えるような笑い声に奥歯を噛み締めた。頭が重くて、世界がぐるぐると歪み、回る。
こんな人の多い中で。きっと、従順な愛玩動物が主人を見上げるような体勢で座り込んだ僕はさぞみっともないだろう。暗くなる目の前に耐えられず、立つこともできないまま俯いた。
完璧でいられないなら俺は、また、あんな仕打ちを受け——。
「……やっと、勝てたね。絆」
突然、音も気配もなく、耳元に吹き込まれた不愉快な低音。肩に触れた手の重み。思わず、体が硬直する。
耳にまとわりつくように大きくなった雨音と、遠のく喧騒。ぼつぼつと降り注ぐそれらが、真っ黒なインクに染まった紙を滲ませていくような重みを伴って脳に叩きつけられた。
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