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一号
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何分ぐらいそうしていたのだろう。
ふと、千晃が動いた気配がして、腕が伸びてきた。ん? と思った時には、千晃の左手が誉の右手を缶コーヒーから引き剥がして、ぐっと握り締めていた。
「九条さん……?」
「……まともに話したのは今日が初めてだし。俺に何がわかるんだって思うだろうけど」
「…………」
「お前には、愛情を受ける権利も、資格もあると思う」
「…………」
「怖いだろうなとも思う。また裏切られたり、捨てられたりするんじゃないかって。だけど………笑っていて欲しい」
「……え?」
千晃がゆっくりとこちらに顔を向けた。色素の薄い瞳から放たれる、強くて優しい視線。それが、誉を容赦なく貫いた。
「鏡の時みたいに。楽しそうに笑っていて欲しいと思う」
「…………」
「俺、何が言いたいんだろうな。自分でもよくわからん」
微かに照れたような、困ったような表情をして千晃が目を逸らした。手は繋がられたまま。
思わず笑顔になる。鏡の中で千晃と初めて会った時。あんな非現実的な中、初対面にもかかわらず、なぜか千晃を自然に受け入れられた。自然と笑顔になれた。千晃のことをどこか懐かしくさえ感じた。
それはきっと。彼が、あの瞬間に、本当の誉を見抜いて、理解してくれたからかもしれない。もしかしたら、千晃も誉と似たような経験をしているのではないだろうか。だからこそ、誉の嘘っぽい笑顔も、媚びるような言動も、簡単に見破ってしまったのでは。そう思った。そして、そんな理解者に思わぬところで出会えたことが、とても嬉しかった。
「九条さんってあだ名ある?」
「は?」
突然に話題を変えた誉に、千晃が怪訝な顔を向けた。
「あだ名。「九条さん」ってなんか他人行儀だから。あだ名かなんかあるかなって」
「ああ……あだ名はない。「九条」だけだな」
「そうか……。じゃあ、これから「千晃」って呼ぶ」
「…………」
せっかく綺麗な名前があるのに、呼ばないのは勿体(もったい)ない。
「俺が、「千晃」って呼ぶ人第一号ね」
「はあ……」
「あっ、でも、もしかして俺より年上かな? そういや歳、聞いてなかったよな。今、何歳?」
「29だけど……」
「あ、じゃあ、俺より上だ。そしたら、「千晃さん」ってさん付けの方がいいよね?」
「……いや、「千晃」でいい。2歳差なんて大したことじゃない」
最初は誉の勝手な提案に戸惑ったような顔をしていたが、どうやら受け入れてくれたらしい。今度は千晃が聞き返してきた。
「お前は?」
「俺?」
「なんて呼べばいい?」
「俺は……「藍沢」でいいよ」
「「誉」は?」
「……俺、その名前、好きじゃないから」
「なんで?」
「なんか、名前負けしてるから」
「…………」
いつからか。「誉」という自分の名前が嫌いになった。自分にはあまりにも立派な名前に思えた。誇れるような人生を送っていない自分には、ふさわしくない。だから、人から呼ばれることも拒んできた。呼ばれる度に卑屈になる自分が嫌だったからだ。だから、「誉」と呼ぶ人間は今、だれもいない。あの、何度言っても改めない、ホストの男以外は。
「あいつは呼んでたよな。この前、ここで会ったやつ」
「……あれは認めてない」
千晃が口角上げて笑った。
「じゃあ、俺も「誉」で」
「……いやいや、聞いてた? 名前、嫌いなんだって」
「俺は、いい名前だと思う」
「…………」
「お前に似合ってる」
「……それはない」
「俺が、そう思うから」
そんなはっきりと言われると。返す言葉がなくなる。これは褒め言葉と思っていいのだろうか。この名前を好きになれるかどうかは、わからない。でも、「いい名前」と言ってくれた千晃の言葉を、素直に受け取ることにした。
「……ありがとう」
そう心を込めて伝える。
「なら、俺が公認一号ってことで」
さっきの誉の言葉を真似て、千晃が冗談まじりにそう言った。
千晃と目を合わせる。
どちらからともなく笑い合った。
ふと、千晃が動いた気配がして、腕が伸びてきた。ん? と思った時には、千晃の左手が誉の右手を缶コーヒーから引き剥がして、ぐっと握り締めていた。
「九条さん……?」
「……まともに話したのは今日が初めてだし。俺に何がわかるんだって思うだろうけど」
「…………」
「お前には、愛情を受ける権利も、資格もあると思う」
「…………」
「怖いだろうなとも思う。また裏切られたり、捨てられたりするんじゃないかって。だけど………笑っていて欲しい」
「……え?」
千晃がゆっくりとこちらに顔を向けた。色素の薄い瞳から放たれる、強くて優しい視線。それが、誉を容赦なく貫いた。
「鏡の時みたいに。楽しそうに笑っていて欲しいと思う」
「…………」
「俺、何が言いたいんだろうな。自分でもよくわからん」
微かに照れたような、困ったような表情をして千晃が目を逸らした。手は繋がられたまま。
思わず笑顔になる。鏡の中で千晃と初めて会った時。あんな非現実的な中、初対面にもかかわらず、なぜか千晃を自然に受け入れられた。自然と笑顔になれた。千晃のことをどこか懐かしくさえ感じた。
それはきっと。彼が、あの瞬間に、本当の誉を見抜いて、理解してくれたからかもしれない。もしかしたら、千晃も誉と似たような経験をしているのではないだろうか。だからこそ、誉の嘘っぽい笑顔も、媚びるような言動も、簡単に見破ってしまったのでは。そう思った。そして、そんな理解者に思わぬところで出会えたことが、とても嬉しかった。
「九条さんってあだ名ある?」
「は?」
突然に話題を変えた誉に、千晃が怪訝な顔を向けた。
「あだ名。「九条さん」ってなんか他人行儀だから。あだ名かなんかあるかなって」
「ああ……あだ名はない。「九条」だけだな」
「そうか……。じゃあ、これから「千晃」って呼ぶ」
「…………」
せっかく綺麗な名前があるのに、呼ばないのは勿体(もったい)ない。
「俺が、「千晃」って呼ぶ人第一号ね」
「はあ……」
「あっ、でも、もしかして俺より年上かな? そういや歳、聞いてなかったよな。今、何歳?」
「29だけど……」
「あ、じゃあ、俺より上だ。そしたら、「千晃さん」ってさん付けの方がいいよね?」
「……いや、「千晃」でいい。2歳差なんて大したことじゃない」
最初は誉の勝手な提案に戸惑ったような顔をしていたが、どうやら受け入れてくれたらしい。今度は千晃が聞き返してきた。
「お前は?」
「俺?」
「なんて呼べばいい?」
「俺は……「藍沢」でいいよ」
「「誉」は?」
「……俺、その名前、好きじゃないから」
「なんで?」
「なんか、名前負けしてるから」
「…………」
いつからか。「誉」という自分の名前が嫌いになった。自分にはあまりにも立派な名前に思えた。誇れるような人生を送っていない自分には、ふさわしくない。だから、人から呼ばれることも拒んできた。呼ばれる度に卑屈になる自分が嫌だったからだ。だから、「誉」と呼ぶ人間は今、だれもいない。あの、何度言っても改めない、ホストの男以外は。
「あいつは呼んでたよな。この前、ここで会ったやつ」
「……あれは認めてない」
千晃が口角上げて笑った。
「じゃあ、俺も「誉」で」
「……いやいや、聞いてた? 名前、嫌いなんだって」
「俺は、いい名前だと思う」
「…………」
「お前に似合ってる」
「……それはない」
「俺が、そう思うから」
そんなはっきりと言われると。返す言葉がなくなる。これは褒め言葉と思っていいのだろうか。この名前を好きになれるかどうかは、わからない。でも、「いい名前」と言ってくれた千晃の言葉を、素直に受け取ることにした。
「……ありがとう」
そう心を込めて伝える。
「なら、俺が公認一号ってことで」
さっきの誉の言葉を真似て、千晃が冗談まじりにそう言った。
千晃と目を合わせる。
どちらからともなく笑い合った。
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