“Z”ループ ~タイム・オブ・ザ・デッド~

鷹司

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第1章 ファースト・オブ・ザ・デッド

その3

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 血の池を踏まないように廊下の端を歩きながら声のした教室に向かう。

 廊下の途中で興味半分で教室に目を向けたが、すぐに後悔する羽目になった。教室内に明らかに死んでいると分かる生徒の姿があったのだ。しかもひとつだけではない。複数の生徒の死体があった。さらに言うと、ただの死体ではなかった。どの死体も遠目から見ても激しく損壊しているのが分かるくらい凄惨な姿をしていた。

 腕や脚が千切れてしまっている死体。掻っ捌いたように腹を大きく開かれて、内臓が剥き出しになっている死体。顔の半分が無くなっている死体。

 どれひとつとして正常な形をしている死体はなかった。ホラー映画に出てくる死体の方が、まだ状態がましなぐらいである。

「うぐっ……おえぐっ……」

 再度、吐き気が込み上げてきた。堪えようとしたが、今回はダメだった。床の上に盛大に吐瀉物を巻き散らかしてしまった。胃の中で分解されずに残っていた、昼食で食べた母親の手作り弁当のおかずが汚らしく浮かんでいた。

「ぐっ……ぐぶっ……」

 吐き気の第二波が来そうになったので、教室の外に飛び出した。廊下に設置されている水道の蛇口を捻って、水を全開に出す。ほぼ同時に、キザムの口からも吐瀉物が吐き出されていた。

 十数秒ほど嗚咽混じりに吐いていると、胃の内容物がなくなったのか吐き気が収まった。水で口をゆすぐと、ようやく人心地が付いた。

 キザムはハンカチで口を拭きながらまた廊下を歩き出した。ここまで来た以上、もう後には戻れないといった心境だった。

「──沙世理先生? 沙世理先生? どこですか?」

 頭に残る死体のイメージから意識を背けるために、わざと声に出して呼んでみた。

「ここよ……ここに、いるわよ……」

 沙世理の声は意外と近くで聞こえた。すぐ先の教室にいるらしい。

 少しだけ安堵感が湧いてきた。

「沙世理先生、いったい何があったんですか?」

 声を出しながら教室内に入って行く。そこは偶然にもキザムのクラスだった。

 しかし、教室内の光景はキザムが保健室に行く前と激変していた。バラバラになった机とイスは床に散乱している。校庭側の窓ガラスも多くが割れていた。さながら、竜巻が教室内を通り過ぎていったかのような惨状を呈していた。

 そんな粗大ゴミ置き場と化した教室内に、蹲るようにしている沙世理の姿があった。

「──沙世理先生!」

 キザムは急いで駆け寄った。

 俯いていた沙世理の頭がキザムの声に反応したのか、ゆっくりと持ち上がった。

「────!」

 キザムの喉から声にならない声が漏れ出た。

 沙世理の顔は血で真っ赤に染まっており、今も髪の分け目からはダラダラと血が滴り落ちていたのだ。元が美形なだけに、その様変わりようは衝撃的だった。怪我をしているのは頭だけではなかった。どうやら、首から下にも傷を負っているらしく、白衣にべっとりと赤い模様が浮かび上がっていた。

「み、み、みんなは……に、に、逃げたの……?」

 先ほどの声と比べて、明らかに沙世理の声量は落ちていた。危険な兆候を示しているとキザムでも分かった。

「──先生……。大丈夫ですか? 怪我をしているみたいですが……」

「私は、いいから……生徒は……みんなは……大丈夫なの……?」

 沙世理は生徒たちを先に逃がしたらしかった。自分の身の安全よりも、生徒の安全を優先させたのだろう。

 しかし、その結果──。

「他の生徒はみんな一階に逃げていきました。沙世理先生、とにかくぼくたちも逃げましょう! ここにずっといたら危ない気がします!」

 沙世理の怪我といい、他の教室で見たたくさんの死体といい、今この学校内で『良くない何か』が起きているのだけは確かだった。


 沙世理先生を一階まで避難させて、それからまた二階に戻ってきて、カケルと流玲を捜すのが最良だろうな。


 焦る気持ちもあったが、沙世理をこの場に残して、クラスメートを捜しに行くわけにはいかない。沙世理にはいろいろと体調面で世話になっているのだ。今度は自分が沙世理の手助けをする番である。

「沙世理先生、ぼくが肩を貸しますから、立てますか?」

 沙世理の右手を取って、自分の肩にまわした。そのまま腰に力を込めて、一気に立ち上がろうとしたとき──。


 ガジャギャンッ!


 ガラスの割れる音が廊下から聞こえてきた。

「きっと……あ、あ、『あいつら』だわ……」

 沙世理の口から細い声が漏れた。

「先生、『あいつら』って、どういうことですか?」

 キザムは廊下と沙世理の顔を素早く交互に見つめた。

「あ、あ、『あいつら』が……みんなを……」

 沙世理の声に重なるようにして、廊下から奇妙な音が聞こえてきた。床の上を何か引き摺るような、ずずずっという擦過音。

 キザムの神経を逆なでするようなその奇妙な音は、確実にこちらに近付きつつあった。

「と、と、土岐野くん……気を、気を、付けて……あ、あ、『あいつら』は……人間じゃな……」

 そこで沙世理の言葉は不自然に途切れてしまった。キザムを見つめていた沙世理の瞳から、ふっと何かが抜け落ちた。それは『命の灯火』ともいえるものだった。

 キザムの腕にずっしりと沙世理の体重が圧し掛かってくる。さっきとは異なる体の重みだった。

「沙世理先生? 先生? ねえ、返事をして下さいよ! 先生!」

 だが、キザムの声に沙世理が返答することはなかった。キザムの腕の中で、沙世理は息を引き取っていたのだ。

「先生……先生……どうして……ど、ど、どうして……」

 大粒の涙が零れ落ちた。感情が悲しみに包まれて、時が止まったように感じられた。

「うそだ……こんなこと、ありえない……うそに、決まっている……」

 そのとき、キザムの思いが通じたのか、腕の中で沙世理の体がぶるっと震えた。

「せ、せ、先生っ! 生きて──」

 驚きと同時に嬉しさがこみ上げてきたが、瞬間的に、それは激しい絶望にとって代わった。

 透き通って綺麗だった沙世理の瞳は一変していたのだ。白濁した瞳には赤い血の筋が幾つも浮かんでいる。一片の感情すら読み取れないほど瞳は汚れていた。

 キザムの背筋に氷の寒気が走り抜けた。理性で考えるより前に、反射的に体が動いていた。腕の中の沙世理の体を離そうとしたのである。大好きな先生の体を押しやろうとしたのである。

 しかし、沙世理の体は離れなかった。いや、違う。沙世理が両手でがっつりとキザムの体を掴んで離さなかったのである。

「先生っ! は、は、離してください! 離せっ! 離せってばっ!」

 全力で沙世理の体を引き離そうとしてが、沙世理が掴む腕力の方がはるかに上回っていた。

「先生……先生……」

 沙世理が顔を近づけてきた。目じりからは血が滴り落ちている。鼻からも大量の出血が起きている。大きく開いた口からも涎と血が混ざった液体が溢れ出している。

 もはや人の顔ではなかった。あえて表現するならば──それは限界まで腹を空かした肉食動物の飢餓感に満ちた顔だった。

 キザムの頭の中で危険を知らせるサイレンが大音量で鳴り響いた。もう先生とか言ってる場合ではないと悟った。

「ごめんなさい、先生……」

 それでも最後に謝罪の言葉を発していまうのがキザムの性格を現わしていた。右手で拳を作り、沙世理の顔面を殴りつけようとしたとき──。

 開けっ放しになっていた教室のドアからぞろぞろと姿を見せたモノがいた。

 体にはキザムと同じ制服を身に付けている。この学校の生徒だ。しかし、普通の状態ではなかった。

 腕や脚がない生徒がいる。腹から内臓が飛び出している生徒がいる。顔の半分がめちゃくちゃになっている生徒もいる。制服は血まみれで、元のデザインが分からないほど切り刻まれてしまっている。

「なんなんだよ……こいつらは……」

 生徒たちには共通している点がひとつだけあった。どの生徒の顔にも、沙世理と同じような飢えの表情が浮かんでいたのである。

 その生徒たちの姿にキザムは見覚えがあった。キザムがさきほど別の教室で見た生徒の死体と同じだったのである。いや、間違いなく同一人物に違いなかった。


 でも、なんで死体が生きているんだ……? いや、死体じゃないのか……? まだ生きているのか……? それとも……まさか、死体が歩いているのか……? えっ、でも、なんで死体が動くんだよ……?


 非現実的な光景を目の前にして、キザムの頭は混乱の極みに達した。

「──もしかして……沙世理先生が言っていた『あいつら』って……この生徒たちのことなのか……?」

 教室に姿を現わした死体としか思えない生徒たちの姿に、キザムの意識はすっかり奪われてしまっていた。

 その隙を狙ったかのようにして沙世理が動いた。大きく開いた口でキザムの首筋にがぶりと噛み付いたのである。

 激烈な凄まじい痛みが、キザムの首筋から脳天まで突き抜けていった。

 遠くの方で水飛沫があがる音が聞こえたような気がした。

 それはキザムの首筋から迸った血の音だった。

 そのことにキザムは気が付かなかった。いや、そこまでもう意識が回らなかったのである。

 朦朧と煙る意識の向こうで、自分の体に殺到する制服姿の生徒たちの群れが見えた。


 キザムの腕に、キザムの足に、キザムの腹に、キザムの顔に──。


 生徒たちはなんら躊躇することなく全力で喰らいついてきた。

 だが幸運にも、そのときすでにキザムの意識は暗闇に落ちており、激痛に苛まれることはなかった。

 そして、キザムの命が消えたあとも、沙世理と生徒たちによる、酸鼻極まる血の宴はしばらくの間続いたのだった──。
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