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【第1章】 「パンツが見えても選ばれない朝」
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春。学園都市・須田ヶ原町は、まだ朝の空気にかすかな冷たさを残していた。
路地裏の古びたアパート、302号室のドアが乱暴に開いた。
「……寒っ、ポテスピ湿ってんだけど」
ドアから出てきたのは大湯(通称ポテト)、22歳。無職。元高校生。現在、社会の負け組代表。
今日も彼は、ジャージの上に高1のときの制服のブレザーを羽織り、火をつけていないポテスピ(ポテトが愛用する、人気のない安タバコ)をくわえて登場する。
「なぁ、これで人生変わるとかあんの? いや、あるっしょガチで。」
寝ぐせも直さず、顔も洗わず、吐いた息と一緒に口臭と湿気の混ざった言葉が漂う。世の中の“主人公”たちがさわやかな目覚めを迎える頃、ポテトは“終わってる”側の朝を迎えていた。
だが、彼にとってはこれが普通だった。
働かず、養ってくれる家族もいない。高校卒業後、「やりたいこと探す」とかほざきながら何年も無為に過ごし、いつの間にか「高校時代の制服が日常着」と化した。それでもポテトは一切気にしていない。
むしろ――
「制服って最強じゃね? まだ学生っぽく見えるし」
という謎の理論で着続けている。
今日も例のように、須田ヶ原駅前のパン屋へ向かう。だが、その途中、喫煙所の裏道へ寄り道するのが日課だ。
「おーい、りゅう。来てんのか?」
呼びかけると、スーツ姿の青年がこちらへ手を振ってきた。
「……お前、またその格好かよ。大湯、マジでそれ通報されんぞ。学生じゃねえって、あいつらに説明すんの何回目だと思ってんの?」
彼の名はりゅう。高校の同級生で、今はちゃんとした会社員。なぜかポテトとまだ関わっている奇特な男だ。
「お前の知らないやつなんだが、俺合法なんだわ。22歳、吸ってよし。ガチレスすると、このタバコ俺のキャラアイテムだから。」
そう言いながら、ポテスピに火をつける。紙と何かの化学物質の混ざった、例えるなら“工場の廃煙”みたいな臭いが周囲に広がった。
すれ違った女子高生二人が「あ、またあの制服のやばいやつ……」と顔を背けた。
だがポテトは気づかない、というより気にしていない。
むしろ「制服のまま成人って逆にウケない?」とか思ってる。
りゅうは深いため息をついた。
「まぁ……合法なら別にいいけどさ。頼むから俺の会社の最寄駅で吸うのやめてくれって話な」
「は? お前が駅変えれば?」
そんな会話をしていた矢先、運命がポテトに牙を剥いた。
正面の坂道、女子の悲鳴とブレーキ音が重なった。
「わっ!」
スピードを出しすぎた自転車が縁石にぶつかり、空中で一回転。乗っていた少女が放り出され、ポテトの顔面に向かって落ちてきた。
「……っ!? お前、落ち着け!」
ドガッ!
衝撃と共に、ポテトの視界にはピンクのレース付きパンツ。
まるで、誰かが書いたベタなエロゲのワンシーン。
彼女はあっという間に立ち上がり、土を払いながらペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
その声は、冷たく、まるでAIの合成音声のように抑揚がない。だが、表情は一瞬だけ微笑んでいた。
ポテトは鼻の下をこすりながら、ニヤついた。
「お前、名前は? 正直言っていい? お前、俺の運命変えたぞ?」
少女はきょとんとしながら、ほんの一言だけ返す。
「……さようなら」
そしてそのまま、走って去っていった。
煙の残る空気の中で、ポテトはしばらく動かず、りゅうの視線を浴びながらつぶやいた。
「いや、今のパンツ……選ばれる流れだったよな? な? な?」
だが、選ばれなかった。
彼だけが、“選ばれなかった”。
通学路から少女が消えたあとも、ポテトはその場を動かなかった。
というか、動けなかった。
頭の中では、数分前の出来事が高速でループしていた。
空を舞うスカート。風になびく金髪。スロー再生のように近づいてきたピンクの布地。あのパンツの模様が、なぜかポテスピのパッケージと似ていたことも、鮮明に焼き付いている。
「なぁ……今のって絶対、運命のやつだったよな? あーね、普通に攻略フラグじゃん、あれ」
横にいたりゅうは、ポテスピの匂いに辟易した様子で距離をとりながらつぶやく。
「大湯、お前……何年制服着てここうろついてんだよ。俺らもう22だぞ。お前、捕まるより先に、心が迷子になってんじゃねぇか?」
「お前は黙ってろ」
即答で切り返し、ポテトはズボンのポケットから小銭入れを取り出した。中にはほとんど金が入っておらず、1円玉とつぶれたレシートだけが残っている。
「……パン買えねぇ」
しばらく沈黙が続いた。ポテスピの先から立ち上る煙だけが、二人の間の空気をゆっくりと汚していく。
そのとき、道の向こうからりょうが現れた。
「おーいポテト! お前またパンツ見て無視されたって? キモすぎて逆に尊敬するわ!」
ゲラゲラと笑いながら近づくりょう。こいつは社会人だが、性格がアレで、ポテトに対しては基本的に煽りしか飛ばしてこない。
ポテトは目を細め、ポテスピを咥え直した。
「ガチレスすると、あれは無視じゃない。選ばない“ふり”だから。俺を気にしてる証拠。」
「いやそれ、普通の人はストーカーって言うんだけど?」
「は? しらね。お前の尺度で俺を測るな。」
「じゃ、俺の尺度じゃない誰の尺度で測るの?」
「神の。」
言い終わると同時に、ポテトは煙を大きく吸い込んだ。タバコの燃えかすが唇に付着していることに気づいていない。
りゅうはポケットからティッシュを取り出し、何も言わずに差し出したが、ポテトは無視した。
「てか、お前ら気づいてねぇよな。今朝のやつ、エロゲで言うところの“運命遭遇イベント”だったって。」
「え、じゃあ何? 俺ら、今エロゲの脇役ってこと?」
りょうのツッコミに、ポテトはニヤリと笑った。
「違う。“お前ら”が脇役な。俺が主人公ってだけ。」
すると、りょうはスマホを取り出し、何かを打ち込みながらボソッと呟いた。
「今の、名言としてツイートしとくわ。“自称主人公、選ばれたのは孤独でした”って。」
「うるせぇ。いいからポテスピ買ってこい。貸しとくから。」
「またかよ! 俺、今月お前に5000円以上使ってんだけど?」
「じゃあそれでポテスピ5箱いけるじゃん。神ムーブ。」
りゅうはため息をつき、りょうは笑いながらコンビニへ向かっていった。
ポテトは残った灰を地面に落とし、にやついたまま空を見上げる。
「選ばれなかったってことは、まだ始まってすらねぇってことだから」
彼はそう言い、まるでヒーローのような顔で――でも顔に灰がついたまま、再びポテスピに火をつけた。
だが彼の後ろでは、通学中の中学生たちがスマホでこっそり撮影している。
「あれ、いつものヤバいおっさんだよね」「まだあのタバコ吸ってんのウケる」
ヒーローは、自分が何者として世界に映っているのかを知らなかった。
選ばれなかったという現実だけが、煙の中にぼやけて漂っていた。
午後、ポテトは例の如く、須田ヶ原学園の裏手にある公園にいた。
ここは地元の学生たちの憩いの場でありながら、ポテトにとっては“定位置”。小さな石段に腰を下ろし、空になったポテスピの箱をくしゃくしゃに潰してはポイ捨てする、近所のクレーム常連ポイントでもあった。
「なぁ……正直言っていい? 今日、俺のルートが開かれた気がしてる」
木漏れ日の下で自問自答するその姿は、一見すれば詩的だが、見方を変えればただの昼間から独り言をつぶやく無職の男である。
ポテトはポケットから、折れたままの安物のスマホを取り出した。画面には何の通知もない。メッセージアプリの最上段には「未読0・既読0」の表示。
それでも彼は自信満々に言い切る。
「通知こないってことは、向こうが意識してるってことだから。あえて連絡してこない=惚れてる」
理論は破綻しているが、ポテトの中では完璧に成立していた。彼にとって“選ばれない”は敗北ではなく、“まだ選ばれてない”という希望の形なのだ。
「そういや、パンツの色……ピンクだったよな。レースだったし、ワンチャン勝ち確?」
そんな妄想を繰り広げながら、ふとポテトはあることに気づいた。
「あいつ……名乗ってなくね?」
そう。あの金髪ツインテールの少女は、自己紹介をしていなかった。というより、会話らしい会話もなかったのだ。
だがポテトの中では、すでに彼女との関係性が構築されていた。
名前はたぶん「アイ」とかそんな感じだ。いや、「ファイ」とか? 外国っぽいし。勝手に脳内で名付け、バックボーンまで創作し始める。
「父親が軍人で、母親が研究者……いや、妹と2人きりの生活……とか、重い過去があって俺に癒されるやつ……あーね、それだわ」
その妄想の最中、目の前にひょこっと現れたのは、かもめだった。
「ポテト、またタバコ吸ってた? 匂いでわかるぞ~」
「うっせーな、お前鼻おかしいんだって。てか俺、吸ってないし今は。」
「じゃあその灰は? っていうか、ポテスピの箱、ここだけで5個落ちてるし」
「証拠主義やめろって。お前、知らねー世界線の話してるよ」
かもめは肩をすくめて笑った。
中学時代からの付き合い。かもめだけは、ポテトのこの“選ばれない世界”に、半分呆れつつも笑いながら付き合ってくれる貴重な存在だった。
「てかさ、パンツ見たのになんで無視されたの? ポテト、逆にすごいよな」
「いや、それな? ガチで奇跡だと思う。選ばれないってことは、逆に特別なんだよ」
「なるほど、ルートすら存在しないエロゲ主人公ね」
「お前、黙ってろ」
かもめはその言葉を受け流しつつ、ポテトの横に座った。
「でも、選ばれなかったってことは、誰かのルートに入る“準備”ってことじゃない? これからだよ、ポテト」
「お前さ……ほんと、変にポジティブだよな」
「じゃないと、お前とつるんでられないよ」
その一言に、ポテトは思わず小さく笑った。
かもめとこうやっていると、自分が世界から外れた存在であることも、どこかで許されたような気になれる――
だが、それはまだ世界が優しかった頃の話だった。
数日後、ポテトはあの少女・ファイと再会する。
そしてその出会いが、彼の“選ばれない”日々を、皮肉な形で変えていくことになる。
だがこのときのポテトは、まだそれを知らなかった。
知らぬまま、また新しいポテスピに火をつけた。
翌朝。ポテトは寝癖を直すでもなく、同じ制服ブレザーを羽織り、同じポテスピを咥えていた。もうそれはファッションでもスタイルでもなく、“不変”という名の逃避だった。
「ガチで言っていい? 昨日から運命のフラグしか立ってねぇ」
彼はそう呟きながら、駅前の自販機の横にあるゴミ箱に、空のポテスピ箱を“入れようとした”が、外した。それを拾わず、自然に立ち去る。
須田ヶ原の街並みは今日も平和だ。
それが、ポテトには“退屈”に見えた。なぜならこの日常に、彼だけが選ばれていないから。ヒロインに。物語に。世界に。
そんな風に拗ねた目で街を眺めていた時だった。
「……またお前か」
冷たい声に振り向くと、そこには昨日の少女――金髪ツインテールのファイがいた。
制服姿。だがポテトの記憶にはないデザインのブレザー。須田ヶ原のどの学園にも属していない。つまり――転校生だ。
「お前、昨日の……!」
「言っておくけど、昨日の件は事故。それ以上の意味はない」
「いやいやいや、あれパンツだったから。てか、逆に意味なかったらヤバくない?」
ファイはまったく表情を変えず、ポテトを見つめた。まるで何かを観察している研究者のような視線。
「君、名前は?」
「え、ポテトだけど? ……あーいや、大湯な。あだ名がポテト。中学から言われてる」
「ふーん。やっぱり、データ通りだ」
「は?」
「ううん、何でもない」
ポテトは完全に混乱していた。目の前の少女が放つ言葉の一つ一つが、何か“ゲームのフラグ管理”をしているような奇妙なものに感じられた。
ファイは突然、胸ポケットからメモ帳のようなものを取り出し、何かを走り書きした。
「やっぱり、君だけ“選ばれてない”んだね。正確に言うと、“最初から存在していなかった”」
「……お前、俺の元カノ?」
「ちがうよ」
「だよな。じゃあストーカー? 俺のファン?」
「はぁ……。その自己肯定感、ある意味尊敬する」
彼女はそう言って、すたすたと歩き出した。
だがポテトはその背中を見て、唐突に追いかけた。
「待てって。お前、絶対なんか知ってるだろ」
「知ってるよ。君のことも。この世界のことも」
「は?」
振り返ったファイは、ポテトの目をじっと見た。その瞳は、感情ではなく分析に満ちていた。
「君がこの“エロゲ的世界”の中で、唯一ルートを持たない存在だってことも」
ポテトの顔から笑みが消えた。
「……正直言っていい? それ、面白くないわ」
「でしょうね。でもそれが現実。君は選ばれない。誰からも。なぜなら、このゲームに“君用のエンディング”は、最初から実装されてないから」
その場に沈黙が落ちる。
ファイはポケットに手を突っ込みながら、最後に一言だけ言った。
「でも、それを“選ばれなかった者”がどう生きるか――私、ちょっと興味あるの」
そして彼女は、朝日の中に溶けるように去っていった。
ポテトはその背中を見ながら、手元のポテスピを落とした。
燃え尽きたタバコの灰が、地面に散った。
彼の世界には、今日もエンディングがない。
その夜。ポテトは、部屋の電気を点けずに布団の中に潜っていた。
スマホの画面だけが顔を照らす。SNSを開いては閉じ、まとめサイトを見てはスクロールを止め、何もかもに飽きたように投げ出す。
「しらね……全部しらね。俺関係ねぇし……」
呟きながら、隣に転がるポテスピの空箱をつかんで、もう一度火をつけようとする。だが、ライターが見つからない。
部屋は狭く、服とペットボトルと、干からびたコンビニ弁当のパックが散乱している。そこにポテトの意識はなく、ただ暗い天井を見つめていた。
昼間のファイの言葉が、喉の奥に刺さったまま抜けない。
「エンディングがない? 俺に?」
普通ならショックを受ける。もしかすると、泣くかもしれない。でもポテトは――怒った。
「は? なんで俺がエンディングないんだよ。意味わかんねぇんだけど」
そう。ポテトは、自分が選ばれないことに悲しみを覚えるタイプではない。怒るのだ。しかも、世界や他人に対して。
「俺が選ばれねぇってことは、世界のほうが間違ってんだよ。俺は正しいからな?」
そう言いながら、コンビニの袋にくるまったタバコの空箱を投げた。音もなく崩れる。手応えもない。
ポテトは、もぞもぞと布団から這い出し、床に落ちたスマホを拾った。画面の中では、誰かが「新作ギャルゲのトゥルーエンド神すぎた」と騒いでいる。
「俺のエンドは……どこなんだよ」
その言葉に、自分で苦笑した。
「は? 俺がトゥルーだから。ガチで。逆に言うと、俺以外全員バッドエンドな」
そう呟きながら、スマホのメモアプリを開いた。
タイトルをつける。
「ポテトルート:開発中」
何も書かれていない白紙のまま、そのメモを保存する。
ポテトはふと、今日の朝の夢を思い出した。
空から降ってきた金髪の少女。そのとき、彼女が言っていた言葉。
「あなたが……真の主人公……?」
偶然か、予知か、それとも――
ポテトは再び布団にもぐり込み、最後のポテスピに火をつけた。
煙は天井へと昇り、やがて消えた。
彼にはまだ、自分のエンディングが用意されていると、本気で信じていた。
そして、世界は再び朝を迎える。
“選ばれない主人公”の物語は、まだ始まったばかりだった。
路地裏の古びたアパート、302号室のドアが乱暴に開いた。
「……寒っ、ポテスピ湿ってんだけど」
ドアから出てきたのは大湯(通称ポテト)、22歳。無職。元高校生。現在、社会の負け組代表。
今日も彼は、ジャージの上に高1のときの制服のブレザーを羽織り、火をつけていないポテスピ(ポテトが愛用する、人気のない安タバコ)をくわえて登場する。
「なぁ、これで人生変わるとかあんの? いや、あるっしょガチで。」
寝ぐせも直さず、顔も洗わず、吐いた息と一緒に口臭と湿気の混ざった言葉が漂う。世の中の“主人公”たちがさわやかな目覚めを迎える頃、ポテトは“終わってる”側の朝を迎えていた。
だが、彼にとってはこれが普通だった。
働かず、養ってくれる家族もいない。高校卒業後、「やりたいこと探す」とかほざきながら何年も無為に過ごし、いつの間にか「高校時代の制服が日常着」と化した。それでもポテトは一切気にしていない。
むしろ――
「制服って最強じゃね? まだ学生っぽく見えるし」
という謎の理論で着続けている。
今日も例のように、須田ヶ原駅前のパン屋へ向かう。だが、その途中、喫煙所の裏道へ寄り道するのが日課だ。
「おーい、りゅう。来てんのか?」
呼びかけると、スーツ姿の青年がこちらへ手を振ってきた。
「……お前、またその格好かよ。大湯、マジでそれ通報されんぞ。学生じゃねえって、あいつらに説明すんの何回目だと思ってんの?」
彼の名はりゅう。高校の同級生で、今はちゃんとした会社員。なぜかポテトとまだ関わっている奇特な男だ。
「お前の知らないやつなんだが、俺合法なんだわ。22歳、吸ってよし。ガチレスすると、このタバコ俺のキャラアイテムだから。」
そう言いながら、ポテスピに火をつける。紙と何かの化学物質の混ざった、例えるなら“工場の廃煙”みたいな臭いが周囲に広がった。
すれ違った女子高生二人が「あ、またあの制服のやばいやつ……」と顔を背けた。
だがポテトは気づかない、というより気にしていない。
むしろ「制服のまま成人って逆にウケない?」とか思ってる。
りゅうは深いため息をついた。
「まぁ……合法なら別にいいけどさ。頼むから俺の会社の最寄駅で吸うのやめてくれって話な」
「は? お前が駅変えれば?」
そんな会話をしていた矢先、運命がポテトに牙を剥いた。
正面の坂道、女子の悲鳴とブレーキ音が重なった。
「わっ!」
スピードを出しすぎた自転車が縁石にぶつかり、空中で一回転。乗っていた少女が放り出され、ポテトの顔面に向かって落ちてきた。
「……っ!? お前、落ち着け!」
ドガッ!
衝撃と共に、ポテトの視界にはピンクのレース付きパンツ。
まるで、誰かが書いたベタなエロゲのワンシーン。
彼女はあっという間に立ち上がり、土を払いながらペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
その声は、冷たく、まるでAIの合成音声のように抑揚がない。だが、表情は一瞬だけ微笑んでいた。
ポテトは鼻の下をこすりながら、ニヤついた。
「お前、名前は? 正直言っていい? お前、俺の運命変えたぞ?」
少女はきょとんとしながら、ほんの一言だけ返す。
「……さようなら」
そしてそのまま、走って去っていった。
煙の残る空気の中で、ポテトはしばらく動かず、りゅうの視線を浴びながらつぶやいた。
「いや、今のパンツ……選ばれる流れだったよな? な? な?」
だが、選ばれなかった。
彼だけが、“選ばれなかった”。
通学路から少女が消えたあとも、ポテトはその場を動かなかった。
というか、動けなかった。
頭の中では、数分前の出来事が高速でループしていた。
空を舞うスカート。風になびく金髪。スロー再生のように近づいてきたピンクの布地。あのパンツの模様が、なぜかポテスピのパッケージと似ていたことも、鮮明に焼き付いている。
「なぁ……今のって絶対、運命のやつだったよな? あーね、普通に攻略フラグじゃん、あれ」
横にいたりゅうは、ポテスピの匂いに辟易した様子で距離をとりながらつぶやく。
「大湯、お前……何年制服着てここうろついてんだよ。俺らもう22だぞ。お前、捕まるより先に、心が迷子になってんじゃねぇか?」
「お前は黙ってろ」
即答で切り返し、ポテトはズボンのポケットから小銭入れを取り出した。中にはほとんど金が入っておらず、1円玉とつぶれたレシートだけが残っている。
「……パン買えねぇ」
しばらく沈黙が続いた。ポテスピの先から立ち上る煙だけが、二人の間の空気をゆっくりと汚していく。
そのとき、道の向こうからりょうが現れた。
「おーいポテト! お前またパンツ見て無視されたって? キモすぎて逆に尊敬するわ!」
ゲラゲラと笑いながら近づくりょう。こいつは社会人だが、性格がアレで、ポテトに対しては基本的に煽りしか飛ばしてこない。
ポテトは目を細め、ポテスピを咥え直した。
「ガチレスすると、あれは無視じゃない。選ばない“ふり”だから。俺を気にしてる証拠。」
「いやそれ、普通の人はストーカーって言うんだけど?」
「は? しらね。お前の尺度で俺を測るな。」
「じゃ、俺の尺度じゃない誰の尺度で測るの?」
「神の。」
言い終わると同時に、ポテトは煙を大きく吸い込んだ。タバコの燃えかすが唇に付着していることに気づいていない。
りゅうはポケットからティッシュを取り出し、何も言わずに差し出したが、ポテトは無視した。
「てか、お前ら気づいてねぇよな。今朝のやつ、エロゲで言うところの“運命遭遇イベント”だったって。」
「え、じゃあ何? 俺ら、今エロゲの脇役ってこと?」
りょうのツッコミに、ポテトはニヤリと笑った。
「違う。“お前ら”が脇役な。俺が主人公ってだけ。」
すると、りょうはスマホを取り出し、何かを打ち込みながらボソッと呟いた。
「今の、名言としてツイートしとくわ。“自称主人公、選ばれたのは孤独でした”って。」
「うるせぇ。いいからポテスピ買ってこい。貸しとくから。」
「またかよ! 俺、今月お前に5000円以上使ってんだけど?」
「じゃあそれでポテスピ5箱いけるじゃん。神ムーブ。」
りゅうはため息をつき、りょうは笑いながらコンビニへ向かっていった。
ポテトは残った灰を地面に落とし、にやついたまま空を見上げる。
「選ばれなかったってことは、まだ始まってすらねぇってことだから」
彼はそう言い、まるでヒーローのような顔で――でも顔に灰がついたまま、再びポテスピに火をつけた。
だが彼の後ろでは、通学中の中学生たちがスマホでこっそり撮影している。
「あれ、いつものヤバいおっさんだよね」「まだあのタバコ吸ってんのウケる」
ヒーローは、自分が何者として世界に映っているのかを知らなかった。
選ばれなかったという現実だけが、煙の中にぼやけて漂っていた。
午後、ポテトは例の如く、須田ヶ原学園の裏手にある公園にいた。
ここは地元の学生たちの憩いの場でありながら、ポテトにとっては“定位置”。小さな石段に腰を下ろし、空になったポテスピの箱をくしゃくしゃに潰してはポイ捨てする、近所のクレーム常連ポイントでもあった。
「なぁ……正直言っていい? 今日、俺のルートが開かれた気がしてる」
木漏れ日の下で自問自答するその姿は、一見すれば詩的だが、見方を変えればただの昼間から独り言をつぶやく無職の男である。
ポテトはポケットから、折れたままの安物のスマホを取り出した。画面には何の通知もない。メッセージアプリの最上段には「未読0・既読0」の表示。
それでも彼は自信満々に言い切る。
「通知こないってことは、向こうが意識してるってことだから。あえて連絡してこない=惚れてる」
理論は破綻しているが、ポテトの中では完璧に成立していた。彼にとって“選ばれない”は敗北ではなく、“まだ選ばれてない”という希望の形なのだ。
「そういや、パンツの色……ピンクだったよな。レースだったし、ワンチャン勝ち確?」
そんな妄想を繰り広げながら、ふとポテトはあることに気づいた。
「あいつ……名乗ってなくね?」
そう。あの金髪ツインテールの少女は、自己紹介をしていなかった。というより、会話らしい会話もなかったのだ。
だがポテトの中では、すでに彼女との関係性が構築されていた。
名前はたぶん「アイ」とかそんな感じだ。いや、「ファイ」とか? 外国っぽいし。勝手に脳内で名付け、バックボーンまで創作し始める。
「父親が軍人で、母親が研究者……いや、妹と2人きりの生活……とか、重い過去があって俺に癒されるやつ……あーね、それだわ」
その妄想の最中、目の前にひょこっと現れたのは、かもめだった。
「ポテト、またタバコ吸ってた? 匂いでわかるぞ~」
「うっせーな、お前鼻おかしいんだって。てか俺、吸ってないし今は。」
「じゃあその灰は? っていうか、ポテスピの箱、ここだけで5個落ちてるし」
「証拠主義やめろって。お前、知らねー世界線の話してるよ」
かもめは肩をすくめて笑った。
中学時代からの付き合い。かもめだけは、ポテトのこの“選ばれない世界”に、半分呆れつつも笑いながら付き合ってくれる貴重な存在だった。
「てかさ、パンツ見たのになんで無視されたの? ポテト、逆にすごいよな」
「いや、それな? ガチで奇跡だと思う。選ばれないってことは、逆に特別なんだよ」
「なるほど、ルートすら存在しないエロゲ主人公ね」
「お前、黙ってろ」
かもめはその言葉を受け流しつつ、ポテトの横に座った。
「でも、選ばれなかったってことは、誰かのルートに入る“準備”ってことじゃない? これからだよ、ポテト」
「お前さ……ほんと、変にポジティブだよな」
「じゃないと、お前とつるんでられないよ」
その一言に、ポテトは思わず小さく笑った。
かもめとこうやっていると、自分が世界から外れた存在であることも、どこかで許されたような気になれる――
だが、それはまだ世界が優しかった頃の話だった。
数日後、ポテトはあの少女・ファイと再会する。
そしてその出会いが、彼の“選ばれない”日々を、皮肉な形で変えていくことになる。
だがこのときのポテトは、まだそれを知らなかった。
知らぬまま、また新しいポテスピに火をつけた。
翌朝。ポテトは寝癖を直すでもなく、同じ制服ブレザーを羽織り、同じポテスピを咥えていた。もうそれはファッションでもスタイルでもなく、“不変”という名の逃避だった。
「ガチで言っていい? 昨日から運命のフラグしか立ってねぇ」
彼はそう呟きながら、駅前の自販機の横にあるゴミ箱に、空のポテスピ箱を“入れようとした”が、外した。それを拾わず、自然に立ち去る。
須田ヶ原の街並みは今日も平和だ。
それが、ポテトには“退屈”に見えた。なぜならこの日常に、彼だけが選ばれていないから。ヒロインに。物語に。世界に。
そんな風に拗ねた目で街を眺めていた時だった。
「……またお前か」
冷たい声に振り向くと、そこには昨日の少女――金髪ツインテールのファイがいた。
制服姿。だがポテトの記憶にはないデザインのブレザー。須田ヶ原のどの学園にも属していない。つまり――転校生だ。
「お前、昨日の……!」
「言っておくけど、昨日の件は事故。それ以上の意味はない」
「いやいやいや、あれパンツだったから。てか、逆に意味なかったらヤバくない?」
ファイはまったく表情を変えず、ポテトを見つめた。まるで何かを観察している研究者のような視線。
「君、名前は?」
「え、ポテトだけど? ……あーいや、大湯な。あだ名がポテト。中学から言われてる」
「ふーん。やっぱり、データ通りだ」
「は?」
「ううん、何でもない」
ポテトは完全に混乱していた。目の前の少女が放つ言葉の一つ一つが、何か“ゲームのフラグ管理”をしているような奇妙なものに感じられた。
ファイは突然、胸ポケットからメモ帳のようなものを取り出し、何かを走り書きした。
「やっぱり、君だけ“選ばれてない”んだね。正確に言うと、“最初から存在していなかった”」
「……お前、俺の元カノ?」
「ちがうよ」
「だよな。じゃあストーカー? 俺のファン?」
「はぁ……。その自己肯定感、ある意味尊敬する」
彼女はそう言って、すたすたと歩き出した。
だがポテトはその背中を見て、唐突に追いかけた。
「待てって。お前、絶対なんか知ってるだろ」
「知ってるよ。君のことも。この世界のことも」
「は?」
振り返ったファイは、ポテトの目をじっと見た。その瞳は、感情ではなく分析に満ちていた。
「君がこの“エロゲ的世界”の中で、唯一ルートを持たない存在だってことも」
ポテトの顔から笑みが消えた。
「……正直言っていい? それ、面白くないわ」
「でしょうね。でもそれが現実。君は選ばれない。誰からも。なぜなら、このゲームに“君用のエンディング”は、最初から実装されてないから」
その場に沈黙が落ちる。
ファイはポケットに手を突っ込みながら、最後に一言だけ言った。
「でも、それを“選ばれなかった者”がどう生きるか――私、ちょっと興味あるの」
そして彼女は、朝日の中に溶けるように去っていった。
ポテトはその背中を見ながら、手元のポテスピを落とした。
燃え尽きたタバコの灰が、地面に散った。
彼の世界には、今日もエンディングがない。
その夜。ポテトは、部屋の電気を点けずに布団の中に潜っていた。
スマホの画面だけが顔を照らす。SNSを開いては閉じ、まとめサイトを見てはスクロールを止め、何もかもに飽きたように投げ出す。
「しらね……全部しらね。俺関係ねぇし……」
呟きながら、隣に転がるポテスピの空箱をつかんで、もう一度火をつけようとする。だが、ライターが見つからない。
部屋は狭く、服とペットボトルと、干からびたコンビニ弁当のパックが散乱している。そこにポテトの意識はなく、ただ暗い天井を見つめていた。
昼間のファイの言葉が、喉の奥に刺さったまま抜けない。
「エンディングがない? 俺に?」
普通ならショックを受ける。もしかすると、泣くかもしれない。でもポテトは――怒った。
「は? なんで俺がエンディングないんだよ。意味わかんねぇんだけど」
そう。ポテトは、自分が選ばれないことに悲しみを覚えるタイプではない。怒るのだ。しかも、世界や他人に対して。
「俺が選ばれねぇってことは、世界のほうが間違ってんだよ。俺は正しいからな?」
そう言いながら、コンビニの袋にくるまったタバコの空箱を投げた。音もなく崩れる。手応えもない。
ポテトは、もぞもぞと布団から這い出し、床に落ちたスマホを拾った。画面の中では、誰かが「新作ギャルゲのトゥルーエンド神すぎた」と騒いでいる。
「俺のエンドは……どこなんだよ」
その言葉に、自分で苦笑した。
「は? 俺がトゥルーだから。ガチで。逆に言うと、俺以外全員バッドエンドな」
そう呟きながら、スマホのメモアプリを開いた。
タイトルをつける。
「ポテトルート:開発中」
何も書かれていない白紙のまま、そのメモを保存する。
ポテトはふと、今日の朝の夢を思い出した。
空から降ってきた金髪の少女。そのとき、彼女が言っていた言葉。
「あなたが……真の主人公……?」
偶然か、予知か、それとも――
ポテトは再び布団にもぐり込み、最後のポテスピに火をつけた。
煙は天井へと昇り、やがて消えた。
彼にはまだ、自分のエンディングが用意されていると、本気で信じていた。
そして、世界は再び朝を迎える。
“選ばれない主人公”の物語は、まだ始まったばかりだった。
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