ガチレスすると、ポテト逮捕された

ポテト男爵

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1章【ポテト、今日も無職の王】

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【ポテト、今日も無職の王】

太陽が顔を出すより先に、大湯——通称ポテト——は布団の中で鼻を鳴らした。起きているのか寝ているのかわからない微妙な状態で、右手はすでにポテスピを探っている。灰皿には昨日の夜から続く吸い殻の山。部屋の空気はもはや煙よりも重く、息をするたびに「俺の人生って、成功しかない気がする」とか言いながら天井を見つめていた。

「ガチレスすると、今日マジで働く気ないんだよね」

ポテトが声を出したのは自分に向けてではない。スマホの画面に表示された未読LINEに向けてだ。りゅうからの「就職先紹介したい会社あるんだけど」のメッセージを既読スルーして三日。罪悪感?そんなものは最初から持ち合わせていない。

部屋の隅では、数ヶ月前に壊れた扇風機が不恰好に突っ立っている。その隣、空っぽのカップ焼きそば容器が3つ並び、ペットボトルのラベルはすべて「水道水」と書かれていた。節約術と称して水を詰め直した“再生ポカリ”を飲みながら、ポテトは鼻をかいた。

「りょうのやつ、昨日の飲み代まだ払ってねーじゃん。マジクズだろ」

言うまでもなく、実際に払っていないのはポテトだった。財布には小銭が数枚。だが、彼の自尊心は一円の減価すら許さない。むしろ“友達に払わせる=俺、支配してる”という謎の方程式が彼の中にある。だから今日も彼は王だった。無職で、金もない、けれど誰よりも“偉そうな歩き方”をする王。

コンビニで立ち読みしながら買わないコーヒーを迷っているふりをし、タバコ売り場を覗いて「ポテスピ1カートン」と注文。金がないくせにまとめ買い。だが財布を見た瞬間、言い訳を始める。

「ちょ、スマホの支払いでさ、明日入るんだけど今日ダメっぽいわ。ツケとかない?」

店員が苦笑いで首を振ると、「あーね。お前は黙ってろ」と吐き捨てて店を出る。この流れ、三度目だ。なのにポテトは一切恥じない。

マンションに戻ると、ポストに何やら黒いチラシが挟まっていた。「即金・高収入・履歴書不要・日払い」――ポテトのアンテナが跳ねた。

「しらね。マジでこれ運命じゃね?」

部屋に戻って、いつもの場所に座ると、ポテスピを一本吸いながらスマホを手に取る。チラシのLINE IDにすぐ登録。プロフィール画像は犬の写真、名前は「トミー」とある。怪しい?当たり前。でもポテトにとって、危険とは“人が言うもの”であって、“自分には関係ないもの”だった。

「ま、まずは話聞くだけな?」

送信ボタンを押したその瞬間、画面が“既読”になった。
それは、ポテトという王が、自ら崩壊への一歩を踏み出した瞬間でもあった。

スマホの通知音が鳴った瞬間、ポテトの目がギラついた。

「おっ、早いな。こーゆーのって即レス大事よな」

LINEには短くこう書かれていた。

「詳細知りたい方は“はい”と送ってください」

ポテトは迷わず「はい」と打った。句読点も、確認も、遠慮もなかった。だが、その瞬間、背筋にぞわりとした感触が走った。

——何か、始まったな。

それはポテトの中で久しぶりに湧いた“期待”という名の錯覚だった。現実逃避の天才が、夢を見始めたのだ。

「お前の知らないやつに、俺なるわ」

自分に酔いながら、ポテトはスマホをテーブルに叩きつけた。あくまで“受け身”でいたい。自分から動いたとは思われたくない、そういうくだらないプライドが彼を支えていた。

数分後、詳細メッセージが届く。

「荷物の受け取りと配達です。内容は聞かないでください。1件5万円。拒否可能。顔出しなし。」

読みながら、ポテトは「ガチで神じゃん」と呟いた。5万円だ。たった一日、いや一時間で。りゅうが紹介してきたバイトなんて、時給950円だった。誰がやるか。

LINEのメッセージ末尾には「興味がある場合、“明日行けます”と返信してください」とある。すぐにポテトは返した。

「明日行けます。というか今でもいい。」

送信ボタンを押した後、しばらくして「住所と時間を後ほど送ります。準備しておいてください」と返ってきた。

その頃、部屋にはかもめからの電話が鳴っていた。だがポテトは出ない。ポテスピに火をつけて、深く吸い込み、天井に煙を吐いた。

「かもめのやつ、またパチンコの話だろ。しらね。今日は俺、別のステージ行くから」

その“ステージ”が犯罪現場とは思いもせず、ポテトは鏡の前に立ち、髪を指でぐちゃぐちゃにいじった。風呂には3日入っていない。服は去年のポテクロTシャツ。だがポテトの目は輝いていた。

——俺、今、勝ち組って感じじゃね?

現実を一切直視しないまま、彼は勝手にヒーローの自覚を持ち始めた。誰に褒められるでもないのに、脳内で拍手が鳴り響いていた。

そして次の日、午前9時。LINEに送られてきた住所は、郊外の人気のない駐車場。そこに“誰か”が来る。荷物を受け取って、次の場所に持って行く。顔も名前もいらない。

りゅうからの着信がしつこく鳴っていた。「バイトの話、ちゃんと読んだか?危ないのはやめろ」と書かれたメッセージも入っていた。だが、ポテトは無視。

「ガチで邪魔。俺、もう王から神になるから」

誤った自信、無敵の気分、金の匂い。そして現実逃避。それらが絶妙なバランスで噛み合い、ポテトの人生は確実に壊れていこうとしていた。

だが、彼にはその兆候が“チャンス”にしか見えていなかった。
駅からバスに揺られて三十分。ポテトは郊外の寂れた駐車場に立っていた。煙草の吸い殻が散乱し、隣には空き缶を潰して寝床にしている野良猫。空はどんより曇っていて、肌寒さが骨にしみる。だが、ポテトの顔はどこか高揚していた。

「こういうとこって、逆にリアルでええよな」

彼の中では“映画のワンシーン”だった。自分が主役。サングラスでもしてくればよかったなと後悔しながら、ポテスピを吸って時間を潰していると、黒い軽バンがぬるりと現れた。

運転席の窓が少しだけ開いて、男の声がした。

「荷物、後部座席。次の場所、LINE送ってる。30分以内に。」

それだけ言うと、車はさっと去っていった。ポテトは何も疑わず、後部座席から黒いスポーツバッグを抱え上げる。重い。中身が何かなど想像もしたくないが、金の匂いがすればそれで良い。

スマホを見ると、次の場所がマップ付きで送られている。古いマンションの一室。時間はきっちり設定されていた。

「しらねーけど、やるしかなくね?」

誰に強制されたわけでもない。だがポテトは自分を“被害者”だと思い込む才能に長けていた。歩き出しながら「やらされたんだわ、実際」とすでに言い訳を考えていた。

バッグを抱え、駅まで歩く道すがら、りゅうからの着信がまた鳴る。三十件目。既読もつけず、ポテトは鼻で笑った。

「ガチで必死じゃん、こいつ。つーか俺の人生に口出すなや」

ふと、自販機の前に立ち止まる。缶コーヒーを買おうとして、財布を見ると残金100円。バッグをチラリと見て呟いた。

「この中に札束あるって考えると、マジ笑えるよな。逆にエモいわ」

しかしその時、通りがかった警備員がチラッとポテトのバッグを見て一瞬足を止めた。気のせいかもしれない。だがポテトは過敏に反応した。

「おい、見んなや。しらねーぞ?」

声に出しては言わなかったが、目が物語っていた。無言のまま警備員は通り過ぎ、ポテトは汗ばんだ手でバッグを握り直した。

緊張と興奮と不安と虚勢。その全てが胃を締めつける。だが、それすらもポテトは“映画っぽい”と誤解している。

「俺、こういう場面似合うんだよなぁ……」

そう呟いて、駅へと歩き出した。その背中は、確実に奈落へ向かっていた。

古びたマンションの前に立った時、ポテトの心臓はいつになく早く打っていた。風が強く、空気は冷たい。それでも汗が額を伝って落ちる。

スマホの画面に表示された「302号室」。呼び鈴を押す指先が震えるのを、ポテトは寒さのせいにした。

「しらねーって。俺、ただ荷物持ってきただけだから」

自己暗示のように呟きながら、インターホンを押す。応答はない。一瞬の静寂。次の瞬間、内側からドアが少し開いた。中から覗くのは目元をフードで隠した若い男。口元にはマスク。

「そこ置いてって。ドアの前でいい」

それだけ言われ、ポテトはバッグをドア前に置く。立ち去ろうとした時、不意にその男が低く呟いた。

「中、絶対見んなよ」

ポテトは「は?見ねーし」と反射的に言ったが、実際はドアが開いた瞬間に中をちらりと覗いていた。薄暗い部屋の奥、段ボールと大量のスマホらしき物体が見えた。意味は分からない。が、「見なきゃよかった」と本能が訴えてくる。

エレベーターの中で、ポテスピに火をつける手が震えていた。煙を吸い込むと同時に、体がじんわりと麻痺していくような感覚に包まれる。

「ガチで……やばいやつだったかもな、今の」

自問のように呟きながら、ポテトは何もなかったかのように駅へ戻る。しかしその顔からは、どこか自信が削られたような空気が漂っていた。

駅の改札を通りながら、またしてもスマホが震える。今度は“トミー”からのメッセージだった。

「仕事完了。振り込み完了。次、やる?」

振り込まれた額は、驚くことに“10万円”だった。ポテトは、目を見開いた。

「うっそ。2回目で倍額かよ。マジ、俺……持ってんじゃん?」

一瞬、後悔や不安は消えた。金の魔力が、それを上書きしてしまった。電車に乗り込むとすぐ、ポテトはLINEに返信する。

「ガチで、次も行ける。今日でもいい」

その瞬間、りゅうからの着信がまた鳴った。だが今回は、無視できなかった。画面を見つめながら、ポテトはそっと通話ボタンを押す。

「……お前、何やってんの?」

りゅうの声は、いつになく低く、冷たかった。ポテトは反射的にタバコを吸い始めた。

「お前さ、いきなり何?普通に今日、色々忙しかっただけなんだけど」

「警察、来たんだよ。お前のこと、聞いてきた。何か知ってますかって」

沈黙。電車の中で、誰かがくしゃみをした音がやたらと大きく響いた。ポテトは口を開けたが、言葉が出ない。その代わり、口から漏れたのはタバコの煙と、いつもの口癖だった。

「……しらね。俺、ただ運んだだけだし」

だがその瞬間、車内の空気が一気に冷えた気がした。ポテトはついに、自分の足元が崩れかけていることを、ほんの少しだけ、理解し始めていた。
電車を降りたポテトは、駅の階段をふんぞり返って歩きながらも、いつもの“王の貫禄”を取り戻せずにいた。りゅうの言葉が、耳にこびりついて離れない。

「警察が……来た?」

あの瞬間、頭のどこかが真っ白になった。ポテスピの味もしなかった。だが、ポテトはすぐに思考を切り替えた。いや、切り替えた“ふり”をした。

「ガチで意味わかんねーし。つーか、りゅうが通報したんじゃね?」

自分の中に責任を落とすことは絶対にしない。疑わしきは友人。信じるべきは、己の直感とLINEの振り込み履歴。それがポテトという男だった。

帰宅すると、部屋のドア前に不在票が落ちていた。見ると「○○警察署より——」という文字。まるで現実がじわじわと扉を叩いているようだった。

それでも、彼はまずタバコを吸った。煙を肺いっぱいに吸い込んで、鏡の前に立つ。目の下にはクマ。顔はむくみ、Tシャツにはタレたカップ焼きそばのソース。だが、鏡に映るその自分に向かって、ポテトはこう言った。

「……お前、まだ勝てるっしょ?」

スマホを開き、“トミー”のLINEを確認する。次の案件が届いていた。

「今回はちょっとデカイ。報酬は20万。最終確認、いるか?」

一瞬の躊躇。りゅうの声、不在票、警備員の目線……それらが頭をよぎる。しかし、その全てをポテトは「偶然」で押し潰した。

「お前の知らないやつになるって、こういうことだから」

そう呟いて、指は迷いなく“やる”と打ち込んでいた。

その頃、りゅうはひとり、交番で頭を抱えていた。「大湯、絶対やばいことに巻き込まれてる……」そう警察に説明しても、彼自身も何も知らなかった。ただポテトのLINEのスクショを見せて、「止めたいんです」と言うだけだった。

りょうはというと、SNSで「ポテト、ガチで捕まるっぽくね?」と煽る投稿をしては、一人で爆笑していた。

かもめは、知らない。今日も職場で無意味に明るく過ごし、「ポテトってガチですげーよな」と、まるで褒めてるような声で笑っていた。

そして、ポテトは。

その夜、黒いフードをかぶり、再び荷物を受け取りに行く準備をしていた。ポテスピを口に咥えながら、こう呟く。

「ガチレスすると、俺、そろそろ伝説じゃね?」

その言葉が、まさに「事件」の始まりだったことを、彼は知る由もなかった。
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