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二章 聖女さん、新しい日常を謳歌します。

42 聖女さん、選択

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「……取……引?」

 男から発せられた意味深な言葉に思わずそう問い返すと、男は変わらず優しい声音で言う。

「ああそうだ、取引だ。キミと僕の双方にメリットのある提案をしたい」

「……?」

 周囲を警戒しながら男の話に耳を傾けると、一拍空けてから男は言う。

「キミを生かして此処から出す代わりにこの件には……いや、今後この手の類の事件には首を突っ込まないでほしい」

「……は?」

 言っている事の意味が分からなかった。
 理解が追い付かなかった。
 一体なんで私は今、コイツにそんな事を言われているんだ?
 コイツはどういう立場でそんな事を私に言っているんだ?

「……困惑しているようだね。当然だ。キミにとっては意味が分からない提案だろう。ボクは今キミを簡単に捻り潰せるし、こんな取引を持ち掛けるメリットなんて無いように思える」

 ……ほんとにね。
 だからその提案そのものにヤバさしか感じないんだけど。

「だが考えてみてほしい。別に碌でもない事をやっている悪党の全員が、好き好んで殺人なんて事をやっている訳じゃあないんだ。障害となるからそれを排除する為にやっている。僕側のメリットはそうだね……あまり自分の倫理観に背くことはやりたくないからといった所か。可能な限り平和的解決がしたい。さっきまでならともかく、今のキミなら聞く耳を持つだろう」

「は? だ、誰がそんな提案なんて……こっちが時間稼いでもらっている間に何もやっていなかったとでも思ってんの?」

「この空間の解析を試みて、何も分からずただ時間を浪費していた。そうだろう?」

「……ッ!?」

 コイツ、なんでこっちがやろうとしていた事を……ッ!?
 この空間……この空間か!?
 こっちの会話を全部聞かれてたって事!?

 ……てことは全然分からないとか、ガチで弱音吐いてたのも聞かれてるって訳か。
 最悪だ。
 ……ほんと、最悪。

「……で、どうする?」

 男が言う。

「分かっているとは思うが、この場においてキミには一切の勝ち目が無い訳だが……大人しく僕の提案に乗ってくれるかい?」

「……」

 すぐに反論できない自分が本当に嫌になる。
 そればかりか逃げた先の事ばかりが脳内でループする。

 この場で戦いを続行しても勝ち目は殆どないどころか皆無で。
 だけど此処で自分の命だけでも拾えれば、まだやりようはあるかもしれない。
 この一件に関わるなという言葉も、今後この手の一件に関わるなという約束にも、碌でもない考え方だがいくらでも無碍にできる。
 そうして、それから……それから。

 ……駄目だ。
 この状況をどうやって打開するかを考えないといけないのに、この状況から逃げてもいい理由ばかりを探している。

「……」

「沈黙は了承と捉えてもいいかい?」

「……」

 言え! なんでもいいから反論を!


「……ッ!」

 何か……なんでも良いから……。

 と、もう頭の中が分け分からなくなっていた時だった。

 軽い地響きが聞こえてきたのは。

「え、なに!?」

「派手にやってるね。彼は繊細な戦い方をするタイプだと思っていたが、中々荒々しい事もできるらしい」

「……彼?」

 私から零れた言葉に男が答える。

「さっきキミの隣に居た男だよ」

「……ッ!?」

 思わず目を見開いた。

 生きてる……生きてる!?
 殺されていなかった……って事だよね?
 よ……良かった。
 本当に……良かった。

 こんな状況でもなければ脱力して動けなくなりそうな位、深く安堵する。

 だけど……だとすればだ。

 ……一体ルカはどこで何をやっている?

 そしてその答えには自然と到達できた。

「待って……アンタ、アイツに一体何させてるの?」

 結局この男が本体なのか、この男を操っている誰かがいるのかははっきりしない。
 だけどこの男が影を操る魔術を使える事は確定していて、影を使う魔術で人間を操れる事も確定している。
 そんなルカが生きていて、何かをしている。

 それこそ地響きが聞こえるような何かを。
 それはつまりどういう事なのか。

 そして男は答える。

「実はキミ達以外にも侵入者が居てね。そのもう一方を止めなければならない訳だけど……此処にいた戦力は皆彼女たちに倒されてしまった。故に代わりの兵隊を送り込む必要があるわけだ」

「彼女……達?」

 待って。誰だ。
 一体誰がこんな所まで……。

「……まさか」

 脳裏にあのうるさい影の魔術を使う男の言葉が過る。

『結局あの馬鹿みたいにカンの良いシエルとかいう女と、ミカとかいう結界使いに一発ずつ蹴り入れただけじゃねえかよ!』

 少なくとも現時点で、しーちゃんとルカの所の王女様が巻き込まれている。
 この一件の関係者になっている。
 そしてあの時点でルカのパスが切れていなかったから少なくとも王女様の方は無事で……きっとしーちゃんも無事な筈。
 つまりは撃退している訳だ。

 だったらその二人が何らかのきっかけで知り合って、紆余曲折あってこの場所まで来ているなんて事もありえる。
 あまりにも雑な筋書きだけど理由付けは全部しーちゃんならあり得るで成立してしまう。

 という事はルカの奴もしかしたらしーちゃんと自分の所の王女様と戦って……ってちょっと待って。

 しーちゃん達に攻撃を加えた個体を撃退できていたとして……それは果たして二人だけで可能な事なのだろうか?

 ルカの話を聞く限り、王女様の方はシルヴィの魔術の影響でまともな戦闘能力は無い。
 そして実質しーちゃん一人で指輪持ちのあの男を倒せるかどうかって言われると……今のしーちゃんの強さは分からないけれど、他に誰か一緒に戦ってくれる人が居たと考える方が現実的思えて。

 そして私達が戦ったのと同等程度の戦力が別の場所にも用意されていたのなら、流石にある程度しーちゃんが強くなっていたとしても多分どうにもならない。
 遅くても此処の戦力を潰す段階で、第三者の存在が確定する。

 そう考えると自然と浮かび上がってくるんだ。

 しーちゃんとも面識がある、私の友達が。

 私とルカで倒してきた勢力位なら簡単に薙ぎ倒していきそうな、私と同じ境遇の元聖女達が。

「……」

 結局、全部推測だ。
 しーちゃん達が巻き込まれたのとは別に、私と全く面識のない強い女性の方が此処に乗り込んできているだけかもしれない。

 だけど。自惚れじゃないけど、そんな事を普通にできる人なんて世界中探しまわっても殆どいない事位は分かっていて。
 そして現実的な理由でそれができる友達を私は三人も知っていて。

 だとしたら……一人か二人か三人か。そしてもしかしたらしーちゃんや王女様までセットで、こんな所に来てしまっている可能性が十分にある。

 ……もし、そうだとすればだ。

「よし、此処でキミが引かないなら、向こうが終わり次第あの男をキミにぶつけよう。ただでさえこの状況だ。そうなればもうどうにもならないだろう。だから今の内に此処から──」

「……うっさい」

「ん?」

「うっさいって言ってんの! 聞こえなかったかな!」

 例え声が震えても、この男の提案を拒絶しなければならない。

「アンタと取引なんてしてたまるか、バーカ!」

 歯を食い縛ってでも、この男と戦わなければならない理由ができた。 
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