人の身にして精霊王

山外大河

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二章 隻腕の精霊使い

8 とある天才の末路 下

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「彼女と契約したての僕は、無我夢中に彼女を元に戻す方法を探していたよ。消失して消滅してしまった感情を、再び再構築する方法をね。だけど結果はさっき話した通り、どうにもならなかった。徐々に、徐々に世界の見え方は変わって行ったのに、それだけはどうしても変わらなかった。変えられなかったんだ。でも……それでも、精霊の事を調べる事によって思わぬ副産物は生まれて来た」

「副産物?」

「精霊を無力化する時に用いられる錠。それの改良品。徐々に蓄えて行った新しい知識が、偶然にも既存の胸糞悪い道具と結びついたんだ」

 錠。
 エルドさん曰く、精霊を完膚無きまでに叩き潰した後、抵抗されない様に着ける錠。精霊にとって絶対に着けられたくないであろう代物だ。
 でもきっとそれを胸糞悪いと言えるシオンが辿りついた副産物は、精霊の味方となるものだったのだろう。

「結びついて、何ができたんだ?」

「精霊の精霊らしさを……精霊術と神秘的な雰囲気を抑え込む枷だよ……まあ枷と言っても、形状はペンダントなんだけど」

 精霊術を抑え込む。それはきっと本来の錠と同じ様な効力だ。
 だけど後者。神秘的な雰囲気を抑え込む。それは……つまりだ。

「雰囲気を抑え込むって事は……精霊を、人の様に周囲に認知させるって事か?」

「そうだね」

 シオンは頷いた。

「この世界の人間が精霊を精霊と判断する方法は、その雰囲気に大きく依存している。精霊を探知する術や機械が感知するのもその雰囲気だ。つまり……その枷をつければ、精霊は精霊術を使えなくなる代わりに、人間に襲われなくなる。そういうものが……既にドール化されてしまった精霊には、さして必要のない物ができ上がった」

 確かに既にドール化した精霊は、きっと余程珍しい何かが無ければ襲われない。
 そして仮に人として見られても、人々の目に移るのは感情が欠落した酷い有様の人間。

「でも……それならお前はどうしてそれを完成させたんだ?」

「僕が最優先事項に掲げるのは彼女を……名前すらも知らない女の子を、元に戻す事だ。だけどね、その枷ができた時点で僕はもうこの世界の歪みを知っていた。精霊が助けられるなら助けるべき存在だと知っていた。そして今まで人間が……僕が精霊にしてきた事の罪を、償うべきだと思った。だから……それを完成させた」

 それを完成させたという事はだ。

「……渡したのか? いや、渡せたのか?」

 それを用いて精霊を助けるという事は、ドール化されていない精霊と接触して、それを渡さなければならない。
 ……でも事はそこまで単純ではない。
 精霊は人間の事を信用していない。
 視界に映った瞬間、問答無用で攻撃してくるかもしれない。怯えて逃げ出すかもしれない。言葉を交わせる状況になっても、その言葉を信じさせる事は容易ではない。
 そんな都合の良い物を見せられた所で、精霊からはきっと自分達を捕まえる為に騙しているのだとしか思えない。
 ……人間を助けてくれる様な、きっと希少であろう精霊でなければ。それがその手に渡る事は無いだろう。
 そしてシオンはその結果を口にする。

「渡せたよ……この左腕と引き換えにね」

「腕と……引き換えに?」

「当然の事ながら僕は信用されていなかった。僕は基本的に危険な事が起こりかねない時にはあの子を連れて行かないから、その場に居たのは僕だけだったけれど……それでもこの契約の刻印を刻んでいる時点で、信用される訳が無かったんだ」

「……それは、多分違う」

 まるで刻印を刻んでいたから信用されなかったような言い方は、少し間違っている。

「お前は武装したテロリストの中に一人だけ武器を持っていない奴がいたとして、そいつが信用できるか?」

「……」

 エルは『人間』に怯えていた。『刻印を刻んだ者』に怯えていた訳ではないんだ。
 被害者である精霊からすれば、人間というカテゴリーに属する者は全て加害者なんだ。
 例えばその手に刻印があろうがなかろうが。それが黒かろうが白かろうが関係ない。
 人間である以上、精霊からすれば一律して敵なんだ。
 そう思われて当たり前のことを、人間は精霊にしている。
 俺の言葉を聞いて、何かに気付いた様にシオンは怪訝な表情を浮かべる。
 きっとその刻印が少なからず精霊の反応に影響があると思っていたのだろう。それが無ければ、少しは違う結果が訪れたのかもしれないと思ったのだろう。だけどそれは全部、人間側の都合なんだ。

「お前はあの路地で、自分の手の刻印が黒いから信用を得られなかったみたいな事を言ってたけれど……そんな違いで状況が変わるんだったら、この世界はもう少しまともな世界になっているだろ」
 そこまで精霊が楽観的な判断が取れる様な世界ならば……きっと、部屋の隅に座るあの精霊も、きっと此処にはいない。
 ……エルがあそこまで酷く怯えていた様な世界ではなかった筈だ。

「……そうだね。確かにコレは人間側の都合だ。きっと僕も無意識の内に自分の失敗に都合の良い解釈を入れたかったのかもしれない。やり方さえ間違っていなければ、僕の行動を理解してくれた人が居るかもしれないって、思いたかったのかもしれない」

 ……まあ確かにそうだ。
 誰だってできるならば物事を自分に都合の良い解釈をしたいだろう。そういう意味では俺は恵まれている。
 止めろと言いながらも、やっている事自体は間違っていないと誠一が言ってくれた。
 そしてそれを実行した先で今、信頼を向けてくれるエルがいる。
 だけどきっと、シオンには何もない。この世界では俺やシオンが抱く様な考えは、酷く歪んだ物とされる。
 きっと誰にも理解されない。拒絶すらされるだろう。シオンを賞賛していた人達も、その考えには賛同できない筈だ。
 そして隣にいる助けたい女の子は意思を示さず、助けようとした存在には拒絶される。
 ……それはもう、都合の良い解釈でもしないとやってられないのかもしれない。

「少なくとも俺はお前の行動が正しいと思ってるよ」

 俺は嘘偽りなくそう答える。
 俺とシオンが見ている世界はきっと同じだ。だとすればそれが間違っているなんて俺には思えない。

「そうかい……ありがとう」

 シオンは微笑を浮かべながら言う。

「初めてだよ。僕の行動をそう言ってくれた人は。前に友人に打ち明けたけど……その時はサイコパス呼ばわりされてしまったからね」

 サイコパス……か。
 確かにこの世界の人間からすれば、俺達の行動はそう思われるのかもしれない。
 俺達のしている事はこの世界の社会性から逸脱していて、この世界の良識を踏みにじる。そんな存在をサイコパスだという奴がいたって、おかしな話ではない。
 だけどそれでも……正しいのは俺達だ。
 ……俺達はまともだ。俺達がまともなんだ。

「願わくば僕の枷を受け取ってくれた精霊も、キミと同じ様に思ってくれれば良いんだけどね」

「そうだな……って、ちょっと待て」

 今更だが、ちょっとおかしくないか?

「どうしたんだい?」

「お前は左腕と引き換えに枷を渡したって言ったな」

「言ったね」

「そんな腕を失う様な状況で、その精霊がお前から枷を受け取るとは思えないんだけど」

 信用できないから、攻撃したんじゃないのか?

「……頑張ったからね。左腕を失っても。右足が折れ曲がっても。それでも……頑張ったから。そういう意味では渡したと言うよりも押し付けたという方が正しいのかもしれない。そこまでいくとあの精霊の表情は、敵意よりも怯えの方が強くなっていたよ」

「……なんとなく想像は付くよ」

 片腕を失って、右足が折れ曲がって。それでも変わらず何かを突き付けてくるならば、それはもう恐怖として映ったっておかしくは無い。
 人間が人間からそうされたとしても、多分それを素直に好意と受け取れる人間少ないと思う。
 だから確かに……それは押し付けなのだろう。

「そんな風に押し付けた物だからね。とっくの昔に捨てられているのかもしれない。いや、かもしれないというより、十中八九捨ててしまっているだろう。その場の恐怖で受け取った物を、持ち続ける理由なんてのは無い筈だから」

「……」

 ……否定したいけど、否定はできない。
 多分本当にその精霊はその枷を……ペンダントを捨ててしまっているだろう。

「だから結局、僕はなんの罪も償えていないだろうし、自分が正しい事をしているという実感も、キミに正しいと言われた以外では抱けなかった。本当に……どうしようもないだろ?」

「……そうでもねえよ」

 確かにその二年間はどうしようもない物だったのかもしれない。
 何をやっても、どうにもならなかったのかもしれない……だけど。

「その枷……いや、ペンダント。もう残ってないのか?」

 お前の二年間は、精霊を救えるかもしれない。

「残ってるよ。もしいつか彼女の感情が戻った時……渡す為にね」

「もう先客がいる物をねだるのもアレかもしれないけれど……俺達に、譲ってくれないか?」

 俺の言葉にシオンは一瞬きょとんとするも、すぐにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……ああ、成程。そういう事か」

 シオンは俺のやりたい事を察してくれたらしい。

「いいよ。別に失えばもう作れない物でもない。譲るよ。それがその子を助ける力になるのなら」

「……ありがとう」

 まだエルが頷いてくれるかどうかは分からない。
 だけど……それがエルの為になると俺は思う。
 あの視線は浴びて良い物じゃない。あんなのは絶対に浴び続けて良い物じゃない。
 今はまだいいかもしれないけれど、あんなものを浴び続けた先に、碌な事は待ってはいない。それで心が壊れてしまうかもしれないし……そしてあの視線に慣れてしまえば、それはそれでもう、どこかが壊れてしまっている。

「でも、いいのかい?」

「何がだよ」

「キミの精霊が精霊術を使えなくなっても、理論上力を供給されているだけの契約者は精霊術を使えるだろう。だけど……この先もし何かあればもうキミ一人の力でどうにかしなければならなくなる。多分キミはまだ精霊術の扱いに長けていないだろうから、おそらくは随分とあの精霊に助けて貰った筈だろう」

「……まあな。お前の言う通り、随分サポートしてもらったからな」

 それに、もう一つ。

「やってみねえと分からねえけど、多分エルが精霊術を使えなかったら、武器にしたりもできないだろうからな。戦力は大幅ダウンだ」

「……あの精霊を武器に?」

 困惑した表情を浮かべるシオンに、俺は頷く。

「正規契約の恩恵かもしれねえけど、俺は今エルを大剣へと変化させる事ができる。そうなりゃ出力も毒を受けて無きゃアイツら全員一人で倒せる位には強くなれるんだ」

「……にわかには信じがたい事だね」

 だけど、とシオンは言う。

「でもそうでなきゃあの人数相手じゃ一方的にやられていたか」

「だろうな。それだけ頭一つ抜けた力だった」

 俺は素直にそう頷いて、そしてシオンに問いかける。

「で、まあそういう力を使っていた訳だけどさ……やっぱ研究者の立場から見て、使えなくなると思うか?」

 俺の問いにシオンは少し悩むそぶりを見せた後、答える。

「……そうだね。きっとその力を行使する際は、意識的か無意識か、精霊側からも何かしらの力が発せられている筈だ。だとすれば……無理だろうね。その力を遮断される事になるんだから」

「そうか……でも、それでもいい」

 今はなんとなくそう思える。
 ……あの辛い視線の先にあるかもしれない物。あの路地裏の時の輩みたいなのに、今のエルはあまりにも出くわしやすい状態なのだろう。
 そしてそのエルに大丈夫と言ってやれるほど、俺は強くない。あまりにも経験が不足していて、それがエルを武器化するという圧倒的優位な状況においても、敗北を呼びこむ。
 そんな奴の言葉はもう虚言でしか無い。俺の大丈夫は結果的に虚言でしか無かったんだ。
 だからもし、エルを武器化して戦う力と、安全に道を歩むための何か。その二択が目の前にあれば、俺が取るべきなのは後者だ。
 別に俺は誰かを助けて賞賛されるヒーローになりたい訳じゃない。戦って賞賛される、かっこよくて頼れる存在が間違いだとするならば、そんなものにならなくていい。
 強さに勝る何かがそこにあるのならば、俺は喜んでそれを受け取ろう。
 受け取って、エルの武器化というアドバンテージを捨てて。もしかすると旅をしている中で人間が巻き込まれるかもしれない人間の問題を、俺一人の精霊術を駆使して切り抜ければ良い。
 だから……これでいいんだ。
 それが今、俺が正しいと思った事だから。

「そうかい。でもまあそれは、きっとキミの意見だけで通していい話じゃない。それはキミも理解しているよね?」

「ああ……一応は枷な訳だからな。精霊術を使えなくなる本人の意見をしっかりと聞くべきだと思う」

 説得はしようと思う。だけど勝手な判断でやっていい事じゃない。

「じゃあ本人に聞いてみようか」

 シオンの言葉とほぼ同時に、背後のベッドから物音が聞こえる。

「……どうやら目を覚ましたみたいだ」

「みたいだな」

 でもすぐに聞きたい答えを聞く事は出来ないだろう。
 気絶していたエルに、開口一番に掛ける言葉がそれでいい訳が無い。
 そして……そもそも、まともに三人での会話が成立する訳が無い。
 立ち上がって背後を振り向くと、そこには目が覚めたばかりで何がどうなっているのか分からないという、半覚醒状態のエルがいた。
 だけど徐々にその意識ははっきりとしていき……そして最終的に、こちらに視線を向ける。
 俺に向けられた表情は、俺が無事だった事を安堵してくれている優しい表情だった。
 だけどそんな表情もすぐに打ち壊され、警戒と敵意の表情へと移り変わる。

「やっぱり……そうなるよね」

 敵意と警戒の先に立つ少年……シオンは、小さくため息を付きながら弱々しい声でそう答えた。
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