人の身にして精霊王

山外大河

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六章 君ガ為のカタストロフィ

16 相対する力

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「天野って……エイジさん、あの人……」

 エルは不安そうに、午前中に一度すれ違っている相手に視線を向けながらその名前を呼ぶ。
 自身の敵になるかもしれない相手の名前を。
 もう既に敵として立っているであろう男の名前を。

「その精霊から離れろ瀬戸栄治」

 視界の先に立つその言葉はつまりは警告だった。
 その精霊を始末するからどいていろという様なそういう意味。
 多分それは俺の思い違いではないのだろう。
 こういう馬鹿げた状況は魔術や精霊術を使わなければ起こりえない。そしてどう考えてもそれをやったのは目の前の相手。
 そしてあのレンタルビデオ店で合理的に手を引いたにも関わらず、今このタイミングで大掛かりな魔術を使ってまでこちらの目の前に現れたんだ。
 それは即ち……エルを殺しに来たと見て間違いないだろう。
 どうやってかは分からないがエルの暴走を知り、エルの暴走により天野を留める枷もなくなって……今此処にいるのだろう。

「……エルをどうこうするつもりはねえんじゃ無かったのかよ。エルは別になんでもねえ。普段と変わらねえぞ」

 だけどそれでもシラを切った。
 それで押し通せるなら押し通したかった。楽観的な希望。
 だけどそれがもう通用しないからこそ、きっと天野はこの場所にいるのだ。

「もう一度言う。その精霊から離れろ」

 言いながらこちらを威嚇するように呪符を手にした左手をこちらに向けてくる。
 それはつまり銃を向けられているのと同義だ。
 つまりはもうそういう事なのだろう。
 俺達に残されている選択肢はおとなしく投降するか……それとも目の前の男と戦うか。
 前者は当然論外だった。だったら選ぶのは後者。
 戦う道だ。それしかない。
 そう考えた瞬間、俺はエルを剣へと変えようとする。
 当然抵抗はあった。
 精霊が危険だからと処分しにかかる相手に対して件の精霊をそのままぶつけるという行動そのものにも。
 そして……今の状態のエルを戦闘に巻き込む事。本来ならば離れた所に待機させて、俺が必死になって守らないといけない様な、そんな状態な筈なのに。
 そうじゃなくてもきっと戦うべきではない。戦わせるべきではない相手なのに。

「……やるぞ、エル」

「……はい」

 それでも俺はエルの震えた声を聞いた後、エルを剣の姿へと変化させる。
 これしか選択肢がないから。
 必死に特訓してきたつもりだ。それでも今だ俺の力は土御門誠一に届かない。そしてその誠一が適わない相手だ。だったら徒手空拳では適う訳がない。
 どうぞエルを殺してくれと差し出す事と同義だ。
 だから俺達の全力で戦う。

「……それは俺の警告を無視したと捉えていいのか?」

 その問いに言葉は返さない。ただ剣を構えて目の前の相手を見据える。
 どんな攻撃が来ても防げるように。この力で天野を打ち倒す為に。
 だけど心の何処かで考えていたのはその先の事だ。目の前の相手の事では無く天野を打ち倒した後の事。
 天野がエルの暴走を感知したという事は、対策局もまたそれを感知している可能性が高い。
 いや、恐らくはしているだろう。聞いた話を纏めるに、俺達がこの世界へとやってきたその日、誠一達がエルの前に現れたのは、他とは違う精霊の反応が出ていたからだ。
 つまりは筒抜け。結局情報が回る。多分あの時点では何も知らなかった誠一達の元にも。つまりは電話を切ったりしたのも、その言い訳の為の嘘を考えていたのも無駄だったのかもしれない。
 ……本当にどうすればいいのか分からない。天野がエルの状態に気付いた。その情報一つを耳にしただけで甘すぎた考えが全て破綻して焦りが沸いてくる。
 ……そう、焦るのはその先の事だ。
 天野一個人に対してではない。
 だってそうだ。天野宗也は此処に一人で立っている。

 そう、一人なんだ。

 これまでエルの力を借りてでも死にかけた戦いが何度もあった。
 アルダリアスの裏路地の悪党。
 精霊加工工場に集結した憲兵。
 この世界へと向かうまでのに遭遇した精霊捕獲業者。
 それらの戦いで確かに俺は死にかけた。
 だけどそれは数に押されたに過ぎない。そうでなければああいう大怪我も追わなかった。
 カイルと戦った時の様に。エルを剣にして戦えば強者相手にも圧倒できる。
 経験則でそう認識して、目の前の最強の魔術師にもそれを当てはめた。
 こちらの力は規格外とも言える力で、一対一では負けやしないと。
 あれだけ一度に大勢と戦って生き残ってきたこの力なら勝てると。
 心の何処かでそういう風に考えて。それ故にその先の事ばかりを考えて。
 だから目の前に飛んできた何かを反射的に弾いた時、文字通り目の前で何が起きているのかが分からなくなった。
 それは紛れもなく攻撃で、それを辛うじて今弾き返した。
 突然の事という条件があったにしてもそれが一体何なのか理解できない速度で打ち込まれた攻撃を、辛うじて弾き飛ばしたのだ。

 そう……辛うじて。あろうことか辛うじてだ。
 そして次の瞬間には俺達の目の前にすでに天野は迫っていた。
 その手に呪符はない。恐らくは誠一が使っている様な物と同じであろう指ぬきグローブを装備した拳を構えてこちらに突っ込んでくる。

「……ッ!」

 咄嗟に風を使って剣に推進力を持たせて、勢いを付けて引き戻して天野の拳と迎え撃つ。
 激しい衝突が手に伝わってくる。思わず押し負けそうなそんな威力。だがそれでもなんとかその拳の威力を相殺する。
 ……いや違う。相殺された。止められたんだ。その拳に。
 簡単に腕をへし折る程の威力を持ったこの剣の威力をだ。
 そう気付いた瞬間には剣に伝わる感覚が消え、天野に懐に潜りこまれていた。
 そして次の瞬間鳩尾に激痛が走る。

「ぐあッ!?」

『エイジさん!?』

 脳裏にエルの声を聞きながら後方に弾き飛ばされる。
 その次の瞬間、激痛に耐えながらバックステップ。天野と僅かに距離を取って剣を構える。
 一瞬の攻防。それを終えただけなのにその息は荒い。

「……無駄な抵抗は止めろ。その精霊を渡せばお前には危害は加えん」

 実力を見せつけ、再び忠告するように、一旦追撃を止めた天野は俺に対してそう言う。

「……せねえぞ」

 そんな言葉に対して回答したつもりは俺にはなかった。

「させねえぞ!」

 それは自分に向けられた言葉。自分を鼓舞するようなそんな叫び。
 前提条件が初めて覆った。エルの力を使えば勝てるような、そんな前提条件が完全に掻き消えた。
 目の前の相手はこちらの力に相対するだけの力を持っている。それはつまりエルの力を使っても勝てないかもしれない相手だという事だ。
 その事実を受け入れて、それでも勝つために。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 叫びを上げて今度はこちらから動きだす。
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