持たざる者は、世界に抗い、神を討つ

シベリアン太郎

文字の大きさ
1 / 180

第1話 日常

しおりを挟む
 レオンの朝は早い。

 屋敷の裏手、使用人小屋の脇を抜けると、訓練場が広がっている。粗末な木人と、土の削れた地面。貴族の名を持つ家の訓練場とは思えないほど、設備は古びていた。だが、レオンにとっては、彼が思う存分剣を振るえる唯一の場所だった。

 朝霧の中、レオンは一人、木人の前に立つ。
 古びた剣を構え、息を整える。
 踏み込み、斬り下ろし、引き、また構える。

  一つ、二つ、三つ──

 誰にも見られず、誰にも評価されないまま、彼は何度も動きを繰り返した。そうして自分の中に刻み込んでいく。正しい姿勢、重心の移動、間合い。
 剣なんて誰にも教えてはもらえなかった。兄の訓練を遠巻きに見て、兵士たちの稽古を陰から覗き、真似をして、試して、失敗して、また繰り返した。それが彼の剣だった。

 やがて、背後から砂を踏む音がした。

「チッ、また先に始めてんのかよ。この̇卑怯者め」

 兄、エリオットの声だった。
 一年違いの兄は、正妻の子であり、家督を継ぐ立場にある。顔立ちはそこそこだが、体型は肥満体型。ここだけの話、太っている兄を、豚、オーク君などと、心の中で呼んでいるのはレオンだけの秘密だ。
 対してレオンは妾腹の子。それも平民出身の母だった。父が火遊びの果てに手を出した相手で、後に妾として引き取られた。その母親も、レオンが四歳の時に病で亡くなった。今となっては記憶もほとんどない。当然、庶子であり、家督どころか何一つ得られないことは理解していた。
 兄に比べて瘦せ型ではあるが、毎日欠かさず剣の訓練をしているせいか、それなりに筋力はある。誰に言われたわけでもなく、それでも剣を取るのは、自分の存在を確かに刻みつけるためだった。
 エリオットの剣は新調された上質なもので、金の装飾が施され、鞘にはアルテイル家の紋章が刻まれていた。だいぶ前にあつらえたものなのに、まともに使いもしないせいで、いつまでも新品のように綺麗なまま。
 一方、レオンの剣は兵士の使い古し。革巻きはほどけかけ、鍔も歪んでいる。たまに森で狩った獲物を代金に、領内の鍛冶屋で簡単な手入れをしてもらう。もちろん日々自分でも手入れを欠かさない。

 レオンは兄の言葉を無視し、剣を止めず、木人に向けたまま思う。

(……何が卑怯なんだよ、自分がいつも寝坊してくるくせにさ)

 まだ誰も来ない時間に、ただ剣を振っていただけ。兄のように補助を受けているわけでもない。特別な稽古も与えられていない。自分の力だけで、少しでも前へ進もうとしているだけなのに。

「そんなボロ剣でどれだけ振ったところで無駄さ。“スキル”がもらえなきゃ、意味ないからな」

 エリオットが鼻で笑い、剣を軽く振る。彼の訓練はいつも形だけだ。型を数度なぞったあと、すぐに欠伸を噛み殺して腰を下ろす。まともに訓練をやりもしないくせに、人を卑怯呼ばわりするとか、頭がおかしいんじゃないのか。

 だが、それを咎める者は誰もいない。
 父も、騎士も、使用人も。
 “次期当主”には、初めからふさわしい場所が与えられていた。

(……全く、うるさいオーク君だ。大きなお世話だっての。やらないなら来るなよ、気が散るし、邪魔なだけだから)

 レオンは心の中で毒づいた。だが、言葉には出さない。
 ただ静かに剣を構え直す。構え、踏み込み、斬り下ろす。

(……まだだ。もっと深く。もっと速く)

 すり減った足裏で地面を蹴り、重心を滑らせ、腕を伸ばす。
 別に誰にも認められなくてもいい。
 そもそも認められるためにやっているわけではないのだから。
 この一振りが、自分の道を切り拓くための礎になる──
 その思いだけが、彼を動かしていた。



 訓練を終えた兄弟は、屋敷の食堂へと向かった。
 天井が高く、石造りの壁に古びた絵画が掛かる広い部屋だが、それだけに冷たさばかりが目立つ。
 父と正妻、執事は既に席に着いていた。
 エリオットは父の隣、上座に近い席へ当然のように腰掛ける。
 レオンは一段下がった末席。使用人が椅子を引いてくれることもない。

 やがて、朝食が運ばれた。
 兄の皿には分厚い焼きベーコンに黄身の濃い目玉焼き、温かなスープ、ふかふかのパンが二つ。
 一方、レオンの皿には乾いたパンが一つと、水のように薄い野菜スープ。肉の欠片すら入っていないのはいつものことだ。また森に狩りにでも行ってみよう。
 兄がパンをちぎりながら、わざとらしくこちらを見る。兄の皿からは、焼きベーコンが香ばしい匂いを放っていた。
 その脂を口元に垂らしながら、エリオットが満足げにしゃぶりつく。いつものことながら食べ方が非常に汚い。テーブルにも脂が跳ね、パン屑が落ちている。

(……もう少し上品に食べられないのかな? これでも貴族の息子のくせに。あ、オークだったっけ)

 父は無表情のまま食事をし、正妻はレオンなど見えていないかのように振る舞う。これまた何も言わない。当然レオンも反応しない。ただ黙ってスプーンを口に運んだ。ぬるい。

(……こんなこと、今に始まったことじゃないしね)

 味気のないスープを啜りながら、レオンは心の中でだけ、呟いた。

(鍛錬を怠らないのも、無駄だと笑われるのも、こうして冷遇されるのも──)

 だけど、耐えるのは悔しさを飲み込むためではない。「今に見ていろ」という炎を、内に灯し続けるためだった。

 パンの端を噛みちぎりながら、レオンはふと思い出す。
 この国では十歳になると、教会の儀式で“スキル”を授かるとされている。神がその者の素質を見極め、ふさわしい力を与える。それが、この世界の理だった。

 あと二年で、彼も“神の審判”を受ける年齢になる。

  農民には耕す力を。商人には計算の才を。
  戦士には武技のスキルを。魔導士には魔法の適性を。

 それが“神意”であり、抗うことはできない。スキルの有無、そして種類。それだけで人生のほとんどが決まってしまう。貴族であろうが、平民であろうが、そこに例外はなかった。

(……僕にも、何か授かるだろうか)

 不安が、ふと胸をよぎる。けれどすぐに、レオンは首を小さく振った。今、考えても仕方のないことだ。今は目の前の剣を磨くしかない。

「十歳になれば、スキルの授与か……」

 肉を片手に、汁を飛ばしながらエリオットは言う。そしていつもの、中身のない会話が繰り返される。何度目かはわからない。よくも飽きないものだと感心すらする。

「俺はきっと、将来、上級職になれるスキルだろうな。なあ父上?」
「お前にはその資格がある」

 父は目を向けず、ただ小さく頷いた。
 父の言葉に、兄は満足げに鼻を鳴らした。ますますオークに見えてくる。
 そこへ母親も参戦する。

「当然でしょう、どこぞの平民の子とは血筋が違いますからね」

(うるせぇよ、クソババア)

 レオンはこの女が嫌いだった。貴族であることを鼻にかけ、事あるごとにレオンと、その母親に嫌がらせをしてきた。
 頻繁に王都に出かけており、姿が見えない時が多い。遊びにでも行っているのか。どうせろくなことはしていないだろう。エリオットは不思議がっていたが、父親は何も言わなかった。おそらく怖くて何も言えないのだろうとレオンは推察している。
 正妻の言う通り、確かに高位のスキルというのは貴族に多い。平民から出ないこともないが、圧倒的に少なかったから、皆がそう思うのも無理はない。

(……資格、ね)

 レオンはスープを啜りながら、父の言葉を心の中で反芻する。

(……スキルって、そんな風に決まるものなのだろうか)

 生まれ、地位、家への期待。それらで結果が約束されるなら、努力など無意味だ。
 けれど、レオンは信じている。誰にも見られなくても、認められなくても、積み重ねた日々は自分を裏切らないと。
 神が与えるとされる“スキル”。人はそれを絶対のものとして受け入れ、それによってすべてを決める。職も、生き方も、尊厳までも。

(……でも、どうして神が決めるのだろう?)

 レオンは自分でも戸惑う。そんな疑問を抱くこと自体、この世界では“不敬”にあたることは知っていた。それでも心の奥底では、小さな違和感がいつも燻っていた。

(努力も、意志も、何の意味もないのか……?)

 その答えは、まだわからない。だが 、だからこそ、レオンは今日も剣を振る。神に見捨てられても、自分で進む道を切り拓けると信じて。

 この国には厳然たる身分制度がある。
 レオンたちの家、アルテイル男爵家は、辺境を治める最下級の貴族。王都の上級貴族から見れば、半ば農民に毛が生えた程度の地位でしかない。だが、もし上級職につけるスキルを授かれば、話は別だ。
 スキルは血筋を超え、身分の壁を越える唯一の希望。その力を得た者は、王の近衛となり、中央の宮廷へも昇ることができる。父が兄に期待するのは、そういう夢があるからだ。家名のため、己の名誉のため。スキルは、それほどまでに重い意味を持つ。
 その父もかつて、教会でスキルを授かった。それは〈剣士〉のスキル。戦うためのスキルではあったが、特別なものではなかった。どこにでもいる、凡庸な戦士のための職。だがやはり〈剣士〉のスキルでは中央での出世は望めず、父はそのまま辺境の地に封じられた。
 それでも与えられないよりは、ずっとましだ。だからこそ、父は長男に期待している。自分が果たせなかった夢を、息子に背負わせているのだ。上級職を得て王都へ。それは、一族の名誉であり、埋まらぬ過去への執着でもある。

(……こんな家のことなんて、僕には関係ないことだけどね)

 レオンは残りのパンをゆっくりと齧りながら、そっと目を伏せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

レイブン領の面倒姫

庭にハニワ
ファンタジー
兄の学院卒業にかこつけて、初めて王都に行きました。 初対面の人に、いきなり婚約破棄されました。 私はまだ婚約などしていないのですが、ね。 あなた方、いったい何なんですか? 初投稿です。 ヨロシクお願い致します~。

独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活

髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。 しかし神は彼を見捨てていなかった。 そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。 これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜

KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。 ~あらすじ~ 世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。 そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。 しかし、その恩恵は平等ではなかった。 富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。 そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。 彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。 あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。 妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。 希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。 英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。 これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。 彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。 テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。 SF味が増してくるのは結構先の予定です。 スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。 良かったら読んでください!

復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜

サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」 孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。 淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。 だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。 1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。 スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。 それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。 それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。 増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。 一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。 冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。 これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。

処理中です...